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蘇我氏の始祖を祭る「宗我坐宗我都比古(そがにますそがつひこ)神社」(橿原市曽我町)/毎日新聞「やまとの神さま」第73回

2024年02月15日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.2.8)掲載されたのは〈蘇我氏の始祖を祭る/宗我坐宗我都比古神社(橿原市)〉、執筆されたのは、同会会員で橿原市在住の田村基樹さんだった。
※トップ写真は、宗我坐宗我都比古神社の拝殿=橿原市曽我町で

同欄では前回、〈蘇我入鹿を祭る唯一の神社「入鹿神社」(橿原市)〉(近鉄橿原線の八木西口駅から徒歩約10分)を紹介したが、今回は蘇我氏の「先祖」を祭る神社で、近鉄大阪線の真菅駅からすぐのところにある。では、全文を紹介する。

宗我坐宗我都比古神社(橿原市)
飛鳥時代に活躍した豪族、蘇我氏の始祖を祭る宗我坐宗我都比古(そがにますそがつひこ)神社(橿原市)は、蘇我氏の本拠地として有力な曽我町に鎮座します。この地の古名は「蘇我」だったとも伝わります。

社伝によると、大和朝廷初期に活躍した武内宿禰(たけのうちのすくね)の第3子、石川宿禰(いしかわのすくね)が大阪河内から移り、姓を蘇我と名乗ったとされます。推古天皇(在位592~628年)の時代、大臣(おおおみ)の蘇我馬子(そがのうまこ)が社殿を造営し、石川宿禰夫妻を祭ったのが神社の起源とされ、祭神は石川宿禰夫妻の宗我都比古大神(そがつひこおおかみ)と宗我都比売大神(そがつひめおおかみ)です。

ここから南東約1.5㌔の橿原市小綱町(しょうこちょう)には、馬子の孫、入鹿(いるか)を祭る「入鹿神社」もあり、「蘇我氏ゆかりの2社」として知られています。645年の乙巳(いっし)の変で入鹿が殺害され、父蝦夷(えみし)も自殺し、蘇我氏の本宗家は滅亡しました。しかし、分家はその後も要職に就き、のちに宗我(そが 蘇我)姓を名乗り、現在、子孫が神官を務めます。

また、祭祀(さいし)組織として一族は「宗我座」を、地域住民は「神町(しんまち)座」「宮座」「宮元座」を作り、今も秋祭り(10月中旬)の祭事の一部を担います。祈年祭(御田祭)は2月中旬、御例祭は10月6日に行われ、本神社は地元から「曽我ンさん」と呼ばれ、親しまれています。(奈良まほろばソムリエの会会員 田村基樹)

(住 所)橿原市曽我町1196
(祭 神)宗我都比古大神、宗我都比売大神
(神 官)蘇我氏の子孫
(交 通)近鉄真菅(ますが)駅から南西すぐ 
(拝 観)境内自由
(駐車場)あり(無料)
(電 話)0744-22-6058


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2 コメント

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蘇我氏 (ヨッピー(長越洋子))
2024-02-15 09:47:29
お早うございます♪
蘇我氏は歴史上では随分悪者として扱われていますが
事実は不明ですよね。地元の方々はずっと伝承されて来た事に忠実に蘇我氏をお祀りして来られているのでしょう。なかなか出来る事ではありません。
宮司様も蘇我氏の末裔申し分ないかと思います。
2週に亙るやまとの神様・・大変参考になりました。よりこの時代に興味をそそられています。古事記、日本書紀の読み直ししなければなりませんね。
なかなか聞けない話 (tetsuda)
2024-02-17 08:36:30
長越さん、コメントありがとうございました。

武内宿禰につながるという話や、座を作って祭事を担うなど、なかなか聞けない話が満載で、興味深かったですね。

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