産経新聞奈良版・三重版ほかに好評連載中の「なら再発見」、今回(6/21付)のタイトルは《大和茶(やまとちゃ) 同じ木から「和風紅茶」も》、執筆されたのはNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の石田一雄さん(奈良市出身・在住)である。石田さんはこのコーナーの最多登板回数を誇る。テーマも多種多様だ。今回は、時節柄ピッタリのお茶について書いて下さった。では、全文を紹介する。
※トップ写真は、田原の里(07.6.23に私が撮影したもの)
香り高い新茶の季節になってきた。緑茶にはカテキン、カフェインなどの有用成分が含まれ、健康食品としても人気がある。
茶の木は現在の中国西南部・雲南省付近が原産という。中国では当初、薬として利用されていた。茶の飲用は仏教文化に伴って日本に伝来したと考えられている。
大和茶の歴史をたどると、奈良時代に聖武天皇が僧侶に茶を供したのが茶に関する日本最初の記録とされる。
大和茶の発祥地と伝わるのは、千年桜で有名な宇陀市の仏隆(ぶつりゅう)寺だ。平安時代初め、弘法大師空海の入唐に随行した弟子堅恵(けんね)が唐の皇帝より茶臼と茶の種子を賜り、帰国後創建した仏隆寺内に茶園をつくった後、全国に普及したという。この茶臼は寺宝として現存している。
※ ※ ※
鎌倉時代、臨済宗の開祖栄西が宋留学から帰朝後「喫茶養生記」を記し、茶は万能薬であるとして効用を示したことで、喫茶の風習が広く普及することとなった。
西大寺の大茶盛式はその頃から催されている。寺を再興した興正菩薩(こうしょうぼさつ)・叡尊(えいぞん)が正月の修正会で献茶し、その折に参拝の民衆にもお茶を振舞ったことが始まりとされる。戒律で酒を飲まないので、酒盛りに代わって「茶盛」と称された。
室町時代の人で「侘(わ)び茶」の開祖といわれる村田珠光は奈良市の称名寺の僧であった。それにちなみ今年2月、市内の社寺などで「珠光茶会」が開かれた。
太安万侶の墓を囲む茶畑=奈良市田原地区
現在の大和茶の主流である煎(せん)茶は蒸した茶葉を揉(も)んで乾燥させたもの。江戸時代中期に登場し、県東北部の大和高原(奈良市東部、天理市、山添村、宇陀市)を中心に生産が増えた。
大和高原は山間の冷涼地で日照時間が短く、昼夜の温度差も大きい。温暖地原産の茶の木がぎりぎりの条件でゆっくりと育っていくので、香り高い良質な茶ができる。また吉野川流域の大淀町、東吉野村でも恵まれた自然条件を生かして栽培されている。大和茶は煎茶や番茶を中心に全国7番目の生産高となっている。
※ ※ ※
カンヌ国際映画祭審査員特別大賞グランプリを受賞した河瀬直美監督の「殯(もがり)の森」では、舞台となった奈良市田原地区の美しい茶畑が印象的だった。同地区にある大和茶研究センターでは、毎年5月に茶摘みや手もみ茶作りを体験できるイベントが行われている。
最近、大和茶の「紅茶」が販売されているのをご存じだろうか。緑茶と紅茶は茶葉を発酵させるかどうかという製造方法の違いで、同じ木からでも作られる。
紅茶といえばインド産やスリランカ産が有名だが、日本でも明治以降、輸出品として一時期盛んに生産されていた。昭和33年、ロンドンで開かれた全世界紅茶品評会で波多野(はたの)村産(現在の山添村)の紅茶が最優秀賞を獲得したこともあった。
ところが外国産に比べて国産紅茶の品質が見劣りすることや、生産費が高いということから次第に生産が減少。昭和46年の紅茶の輸入自由化後は、ほとんど生産されなくなった。
しかし近年、各地で国産紅茶の製造販売の動きが広がり、県内でも茶産地の直売所などで、緑茶に混じって「紅茶」が販売されるようになった。
外国産と比べると苦みや渋みがなく、穏やかな味と香りのまさに「和風紅茶」。ストレートでの飲用に向き、洋菓子よりも和菓子に合う。緑茶でも紅茶でもおいしい大和茶を、ぜひ茶葉からいれて味わってもらいたい。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 石田一雄)
私も「和風紅茶」をいただいたことがある。輸入物とは味も香りも違い、まさに「和風」で、和菓子によく合う。大和茶の「煎茶」は、薄緑の色合いがきれいで、味もカフェインもマイルドだ。私が最も好きなのは「青柳」(焙じていない番茶)で、食事の際によくいただく。これでお茶漬をすると、たまらなく美味しい。
大和茶に大和牛に大和肉鶏…。大和に美味しいものは数多い。「勝手に大和って付けただけとちゃうか?」とテレビで明石家さんまに突っ込まれたが、決して勝手につけたわけではない。大和茶は他産地ものとは明確に違う味であり、香りである。最近はパッケージも、ずいぶんお洒落になってきた。
石田さん、この美味しい大和茶を紹介していただき、有難うございました!
※トップ写真は、田原の里(07.6.23に私が撮影したもの)
香り高い新茶の季節になってきた。緑茶にはカテキン、カフェインなどの有用成分が含まれ、健康食品としても人気がある。
茶の木は現在の中国西南部・雲南省付近が原産という。中国では当初、薬として利用されていた。茶の飲用は仏教文化に伴って日本に伝来したと考えられている。
大和茶の歴史をたどると、奈良時代に聖武天皇が僧侶に茶を供したのが茶に関する日本最初の記録とされる。
大和茶の発祥地と伝わるのは、千年桜で有名な宇陀市の仏隆(ぶつりゅう)寺だ。平安時代初め、弘法大師空海の入唐に随行した弟子堅恵(けんね)が唐の皇帝より茶臼と茶の種子を賜り、帰国後創建した仏隆寺内に茶園をつくった後、全国に普及したという。この茶臼は寺宝として現存している。
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鎌倉時代、臨済宗の開祖栄西が宋留学から帰朝後「喫茶養生記」を記し、茶は万能薬であるとして効用を示したことで、喫茶の風習が広く普及することとなった。
西大寺の大茶盛式はその頃から催されている。寺を再興した興正菩薩(こうしょうぼさつ)・叡尊(えいぞん)が正月の修正会で献茶し、その折に参拝の民衆にもお茶を振舞ったことが始まりとされる。戒律で酒を飲まないので、酒盛りに代わって「茶盛」と称された。
室町時代の人で「侘(わ)び茶」の開祖といわれる村田珠光は奈良市の称名寺の僧であった。それにちなみ今年2月、市内の社寺などで「珠光茶会」が開かれた。
太安万侶の墓を囲む茶畑=奈良市田原地区
現在の大和茶の主流である煎(せん)茶は蒸した茶葉を揉(も)んで乾燥させたもの。江戸時代中期に登場し、県東北部の大和高原(奈良市東部、天理市、山添村、宇陀市)を中心に生産が増えた。
大和高原は山間の冷涼地で日照時間が短く、昼夜の温度差も大きい。温暖地原産の茶の木がぎりぎりの条件でゆっくりと育っていくので、香り高い良質な茶ができる。また吉野川流域の大淀町、東吉野村でも恵まれた自然条件を生かして栽培されている。大和茶は煎茶や番茶を中心に全国7番目の生産高となっている。
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カンヌ国際映画祭審査員特別大賞グランプリを受賞した河瀬直美監督の「殯(もがり)の森」では、舞台となった奈良市田原地区の美しい茶畑が印象的だった。同地区にある大和茶研究センターでは、毎年5月に茶摘みや手もみ茶作りを体験できるイベントが行われている。
最近、大和茶の「紅茶」が販売されているのをご存じだろうか。緑茶と紅茶は茶葉を発酵させるかどうかという製造方法の違いで、同じ木からでも作られる。
紅茶といえばインド産やスリランカ産が有名だが、日本でも明治以降、輸出品として一時期盛んに生産されていた。昭和33年、ロンドンで開かれた全世界紅茶品評会で波多野(はたの)村産(現在の山添村)の紅茶が最優秀賞を獲得したこともあった。
ところが外国産に比べて国産紅茶の品質が見劣りすることや、生産費が高いということから次第に生産が減少。昭和46年の紅茶の輸入自由化後は、ほとんど生産されなくなった。
しかし近年、各地で国産紅茶の製造販売の動きが広がり、県内でも茶産地の直売所などで、緑茶に混じって「紅茶」が販売されるようになった。
外国産と比べると苦みや渋みがなく、穏やかな味と香りのまさに「和風紅茶」。ストレートでの飲用に向き、洋菓子よりも和菓子に合う。緑茶でも紅茶でもおいしい大和茶を、ぜひ茶葉からいれて味わってもらいたい。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 石田一雄)
私も「和風紅茶」をいただいたことがある。輸入物とは味も香りも違い、まさに「和風」で、和菓子によく合う。大和茶の「煎茶」は、薄緑の色合いがきれいで、味もカフェインもマイルドだ。私が最も好きなのは「青柳」(焙じていない番茶)で、食事の際によくいただく。これでお茶漬をすると、たまらなく美味しい。
大和茶に大和牛に大和肉鶏…。大和に美味しいものは数多い。「勝手に大和って付けただけとちゃうか?」とテレビで明石家さんまに突っ込まれたが、決して勝手につけたわけではない。大和茶は他産地ものとは明確に違う味であり、香りである。最近はパッケージも、ずいぶんお洒落になってきた。
石田さん、この美味しい大和茶を紹介していただき、有難うございました!