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tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

万博も開幕し、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

「物語」で郡部の再生を(by アレックス・カー) 観光地奈良の勝ち残り戦略(63)

2012年09月02日 | 観光地奈良の勝ち残り戦略
京都新聞(8/18付)「地域プラス」面の「私の好きな ときどき嫌いな 京都」欄に、東洋文化研究家のアレックス・カーが登場していた。見出しは「壊れる街並み、文化に危機感」と、京都に対する提言であるが、奈良にとっても参考になるお話なので、以下に抜粋して紹介する。全文はこちらをご覧いただきたい。

アレックス・カー 1952年、米国メリーランド州生まれ。海軍の弁護士だった父親と64年に来日。米エール大(日本学専攻)卒業。現在は古民家再生事業などを手がける。2011年から亀岡市観光大使。著書に「美しき日本の残像」(朝日文庫)など。

40年前の古民家との出合いが原点

東洋文化研究家のアレックス・カーさん(60)は、欧米の大学で日本学などを学び、1977年、亀岡市に移住した。「大本教が行っていた、外国人に茶道や能など伝統文化を教えるプログラムの通訳をするためでした。古い家に関心があったので、神社の境内に築百年以上の空き家を見つけ、借りたいとお願いした。直しながら今も住んでいます。古民家との出合いは、71年に徳島県三好市の祖谷を訪れたときのことでした。日本というより中国的で、山の上に家があり、霧が湧き上がる幻想的な風景に魅せられた。素晴らしい場所、素晴らしい家なのに空き家ばかり。捨てられ、地元でも評価されず、朽ちていくのがもったいないと思った」

伝統を現代的に使い、田舎再生へ物語を
京都の街並みや伝統文化が壊れていくことに強い危機感を抱いている。「本来の京都はすばらしいが、今や京都が京都でなくなった。染織や漆器など、まちを支えた職人の世界はどん底。町家は壊され、マンションや駐車場に変わった。数年前に、西陣で講演した時、西陣や室町が大変だと嘆かれた。なのに、西陣織の何かを身につけている参加者は誰もいなかった。伝統は、生活の中で使わないと朽ちていく。京都人は『困った、困った』と言いつつ、伝統産業を守ることに関心を持っていないのではないか。大きな矛盾だ。伝統を大切にすることは、古い時代の生活に戻ることではない。今の生活に合うよう現代的な使い方をすることが必要だ。例えば、銭湯を美術館やカフェに、着物の生地をスカーフや小物に。動き始めているがまだまだ。

2003年、使われていない京町家を再生し、一棟貸しする会社を設立したが、初めは事業として成り立たせるのは不可能だと言われた。日本はホテルかフルサービスの旅館しか無理だと。でも、仏や英国では別荘や城の一棟貸しはスタンダード。成功しないはずがないと思った。町家に最先端の設備を取り入れてリフォームすると、数年で非常に人気が出た。今、手がけた町家以外にもステイできる町家が百軒以上あるそうだ。波及効果がうれしい」

府内には大きな可能性を秘めた地域がたくさんあると訴える。「綾部や福知山、丹後半島まで、きれいな田舎は多く、再生に関わりたいと強く思う。別荘地にもなりそうなよい空き家や街並みが残るが、数年後は、プレハブ住宅に変わっているかもしれない。今がぎりぎりの時期だ。京都市内は何もしなくても人が来るが、田舎は違う。戦略的にアピールし、話題や物語を作らないとだめ。チャレンジが必要になるが、逆にそれが面白い。今春から祖谷で古民家ステイを始めた。辺境なのに稼働率8割で非常に驚いている。潜在的ニーズがある。

再生事業はどこでも成功する訳ではない。大型の土木事業が行われておらず、風景や家が美しく残っている場所に限る。かつて土木事業が地域経済の活性化につながるという神話があった。皮肉なことに今の時代は全く逆だ。作らなかった場所に未来がある。可能性があるからこそ、必死になるのです」


最後の《かつて土木事業が地域経済の活性化につながるという神話があった。皮肉なことに今の時代は全く逆だ。作らなかった場所に未来がある》というくだりが鋭い、全くそのとおりだ。

翻って奈良県内を見渡すと、特に郡部では、大型の土木工事の入っていないところがほとんどだ。つまり可能性は無限にある。《きれいな田舎は多》いし《別荘地にもなりそうなよい空き家や街並みが残る》。しかし《戦略的にアピールし、話題や物語を作らないとだめ》なのも事実であり、この辺りが奈良県民は不得手なのである。

《今春から祖谷で古民家ステイを始めた。辺境なのに稼働率8割で非常に驚いている。潜在的ニーズがある》とお書きの祖谷(いや)周辺には私も訪ねたことがあるが、十津川村や天川村を思わせる山間地であった。ここで稼働率8割なら、十津川・天川ではもっと集客できるはずだ。十津川では日本でも指折りの温泉が湧いているし、天川には修験道などの物語があるのだから。

限界集落や過疎地には《可能性があるからこそ、必死になるのです》という気概を求めたいし、何より《チャレンジが必要》である。地元にも南部振興課(県地域振興部)にも、大いに期待したい。

コメント (2)
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