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tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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田中利典師の「人生は旅」(書き下ろしエッセイ その1.)

2025年04月05日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈人生は旅である。そしていつか旅は終わる。新しい旅立ちのために…〉(師のブログ 2019.1.30 付)。この頃利典師は、毎日新聞から連載の依頼を受け、数編のエッセイを書き下ろされた。しかしその企画がボツになったので、師はご自身のブログとFBに、それらを掲載された。
※トップ写真は、ウチの近隣公園の桜(コロナ禍の2020.3.30 撮影)

エッセイは全部で6編。〈文才がないので、あまり日の目を見そうにないものばかりだが…〉と謙遜されるが、なかなかどうして、読み応えのあるものばかりだ。それらを、当ブログで紹介させていただく。今回は、第1弾である。

「人生は旅である。そしていつか旅は終わる。新しい旅立ちのために…」
人生を旅に譬(たと)えることは多い。「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」とは、俳聖芭蕉の辞世の句。芭蕉のように人生を旅に生き、旅に病んだ人間でなくとも、誰にとっても、山有り谷有りの人生は、まさに長い旅路に似ている。

雨風に打たれる場面もある。悲しみにうちひしがれる時もあるし、天国のごとき息をのむ美しい場面や景色に巡り会うこともある。途中下車で、あてもなく時間を過ごすときもあるだろう。はたまた、人の裏切りや、逆にその温かさに涙することさえある。

そして、その人生という長い旅も、いつかは終わる。この世に生まれてきた者で、誰一人死ななかった人などいないのだから…。その旅もまた、終われば終わったで、冥土への旅、来世への旅が始まる。死んでみないと本当のところはわからないが、日本人はそう信じて生きて来た。

そう思えば、今生(こんじょう)の旅の道すがら、それぞれの場面、それぞれの場所を楽しもうではないか。「一期一会」というが、そのときの縁、そのときの出会い、そのときの自分を大切にしていたい。いずれの旅も、つまりは、長い長い魂の旅の、夢の途中なのであるから。

******************

久しぶりの書き下ろしである。少しずつですが、徒然に、いま自分の目の前に映る風景を言葉にしてみようと思います。

追伸 書き下ろしというのは正確ではない。FBのために書いたモノではないからだ。某紙から連載の依頼を受けたことがあり、数編の短編をしたためた。しかし、企画自体が没になり、今日のこれは日の目を見なかった文章なのである。

でもときどきいまも書きためている。文才がないので、あまり日の目を見そうにないものばかりだが…。
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田中利典師の「IT遍歴」

2025年04月03日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈時代が私を追い越していく…〉(師のブログ2018.12.23 付)。利典師がパソコンを始めたのはこの30年ほど前だから、1988年頃と、とても早い。
※トップ写真は、ウチの近隣公園の桜(コロナ禍の2020.3.30 撮影)

私もこの頃には勤務先で、MS-DOSのパソコンをモタモタと使っていたが、個人で購入したのは1994年10月で、富士通の「FMV DESKPOWER」(Windows 3.1)だった。

PowerPointを使い始めたのも、師は1999年というから、これも相当早い。勤務先ではプレゼン用に、この頃から使い始めていたが、私が自分でPowerPointで資料を作れるようになったのは、この5~6年後のことだ。その頃(2005年11月)、当ブログもスタートさせた。師のブログは2006年4月にスタートされたから、ほぼ同時期である。

この時代を生きた者は、パソコン(OS、ソフト、本体)やSNSの発展とともに歩んできたわけで、毎朝、日経新聞を開くと新しい情報が掲載されていて、それに振り回されていたことを懐かしく思い出す。師は「時代が私を追い越していく…」とお書きだが、今もシッカリと時代に付いていっておられる。では師のブログから、その「IT遍歴」を追ってみる。

「時代が私を追い越していく…」
もう30年くらい前からパソコンをやりはじめた。最初はエプソンの互換機(DOS / V 機)を買った。MS-DOSの時代である。悪戦苦闘の毎日だった。まだ若かったしねえ。本山のOA化はほとんど私の先見である。

そのうち、ウインドウズがでてきて、あっという間に、世間を接見した。アップルとウンドウズと、せめぎ合っていたが、大衆派の私はウインドウズへ。アップルにしとけばと、いまもたまに思う。携帯もいまなお、アンドロイドなのはそのせい…。

講演会でパワポを使ったのが平成11年(1999年)。近鉄の社長や重役の前での講演だった。えらい驚かれたことを覚えている。坊さんがパワポを使うというのが珍しかったし、パワポ自体がまだまだ目新しい時代だった。もういまや誰でも使っているのだが…。

指南役に恵まれたのがありがたい。私自身はちょー文系な人間なので、ほんとはパソコンのことは未だにさっぱりわからん。あんなものは使えたらいいんだ、って思っていて、パソコン教室に通ったわけでもなく、指南役に聴き倒して、使ってきた。一昨年はじめてエクセルを習いに職業訓練所主催の教室に通ったが、エクセルは普段から使わないので、やはり習っても使わないからもうすっかり忘れてしまった。

ネットデビューもそういう意味では早かった。パソコン通信時代にデビューした。そのときに繋がった友人とはいまもまだ繋がっている人も多い、掲示板、ブログから、ホームページなども早く、平成8年頃には自分のサイトを作って貰ったし、SNSも早かった。

ミクシイ、ツイッター、フェイスブック、そしてライン…。スカイプもやったし、いまは音声入力のSimplenoteも使い始めている。ともかく、最初は時代の先の方を走っていたつもりだったのだ。だがしかし、とうとう、時代に私はついていけないようだ。そんなことを実感している今日この頃である。

世の中、変わったが、パソコンの世界ほど爆裂的に変わったものはないかもしれない。そんな世界になんとかしがみついてきたはずなんだけれど、さすがに時代は還暦過ぎのおじさんを置いていってしまっていたようだ…。本山で使わせて貰っているノートパソコンのリースが切れるので、自分で購入することになり、エプソンの互換機以来、はじめて、ショップでうろうろしてみて、実は途方に暮れている。(>_<)



※上の写真は、最初に買ったエプソンの互換機。懐かしい…。あの頃、100MBのハードディスクで、確か、13万円くらいしたもんなあ。
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田中利典師の「ダライ・ラマ法王への謁見記」

2025年04月01日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈ダライ・ラマ法王さまに謁見〉(師のブログ 2018.11.23 付)。師はお仲間約10人と、法王との謁見を果たされたのである。では、ブログ記事の全文を以下に紹介する。
※トップ写真は、ウチの近隣公園の桜(コロナ禍の2020.3.30 撮影)

「ダライ・ラマ法王さまに謁見…」
もう30数年まえに、ブッダガヤでのインド大仏落慶法要でお見かけしたのがダライ・ラマ法王さまとの出合いだった。その後、11年前に、皇學館大学で開かれた「伊勢国際フォーラム」の立ち上げで、ご一緒して、そのときは親しく謁見をしていただいた(あのフォーラム、なぜか私も発起人の一員となっていたけど、なんでだろう…)。

全日本仏教青年会協賛で開催した法王さまの東大寺法話会でもご一緒したが、今回は久しぶりに法王さまの自室にお招きを受けて、謁見をさせていただいた。もちろん、今回は「法王 平安・平和への祈り in 福岡」の主催団体であるスーパーサンガの一員として、当会代表の吉田正裕大聖寺座主や前代表の林先生など、仲間10名ほどと一緒にお部屋に入れて戴いたのである。昨年体調を崩されたと聞いていたが、思いの外、お元気な様子に安心した。

謁見では、「日本のお坊さんはもっと仏教と勉強しなさい」と繰り返し、おっしゃっていた。なぜか、法王のお話の視線がちょうど斜め前に座った私に向けられ、まるで私に対して叱っておられるようで、恐れ多くて、何度も視線を外したが、外しても外して、何度も視線が送られてきて、「なぜ、私の不勉強、私の不徳をしってはんのやろ?」と、「参りました!」と思った次第…。もちろん私にだけおっしゃったわけではないけれど、このときの法王の視線は生涯忘れられないだろう。

9時半から博多市内の東長寺本堂で行われた、諸災害物故者慰霊合同法要ではスーパーサンガを代表して役員の皆さんとともに内陣で出仕させていただき、引き続き行われた法王の法話会にも随喜させていただいた。

実は朝の接見のときにも、なにか質問は?と法王事務局から言われ、今回も法話会のあと、聴講者に質問が投げかけられた。私は、「私だったらなにをお聞きするのだろうか」と自問自答していた。そしてふと思いついたことがあった。でも、これって政治的にも少々微妙な問題だし、法王様にも迷惑がかかるかもしれないなあと想いながら、でも、これってみんな聞きたい質問じゃないかなあと思っていた。

とはいえ、たくさんの聴衆の中で、手を挙げてまでお聞きするようなことでもないと思い直し長い法話会を過ごしていたが、私の隣に座っていたSSの大西龍心さんが突然マイクをもって、質問をされたのである。「え、これって次はおまえが聞けよ」って言われているようなものだと、勝手に解釈した。それで質問を終えた大西さんからマイクを受け取り、思い切って質問をさせていただくことになった。

「法王さまは今生をこの地球に生まれて良かったとお思いですか?そして次も、喜んでこの地球・娑婆世界に帰って来ていただけますか?…」という、不躾で、とてもまっすぐな質問であった。

法王さまは「私は普段から、この世で解脱出来ない衆生がいるかぎり、衆生済度のために六道を輪廻する…という、ナーガルジュナの『宝行王正論』に出る祈願文をお唱えしている 」とのお答えであった(中継映像はなぜかもうネット上から消滅していますが(^_^;))。

質問へのお答えをいただいたような、通訳がちゃんと伝えていないのかなと思えるような、そんなお答えであったが、まあ、それはそれでそういうものだとは想いながら、今回の御縁に深く感謝をしていたのであった。

「私は来世もこの娑婆世界に生まれ、衆生済度をします!」という法王さまのお言葉を聞きたかったのは私一人ではないだろうけど…。
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田中利典師、「死」について考える

2025年03月30日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈わが死の話〉(師のブログ 2018.10.5 付)。この年(2018年)、利典師はまだ63歳。〈本当の意味では、身につまされるような切迫感はないわけで、切迫感が無いからこそ、自分の死をある意味自由に、そしてまあ楽しげに考えられそうな気がする〉とお書きである。
※トップ写真は、ウチの近隣公園の桜(2020.3.30 撮影)

末尾には〈これが遺言にならないようにしなくちゃ。きっと10年も経つと違う「死生観」になっているはずだから‥〉。それから7年が経過し、利典師は今年(2025年)、古稀をお迎えになる。今の師の死生観をうかがいたいものである。では、以下に全文を紹介する。

「わが死の話」
古い文章を調べていて、自分で書いた「死」の話を見つけた。まあまあ面白いと思うので、掲載する。

1.友人が自分の死について書いていた。それを読んで、私も、ちょっと自分の死について考えてみて、一文を書いてみたくなった。友人も私も互いにそういう歳なんだろう‥。ところで、死を考えるといっても、まだ本当の意味では、身につまされるような切迫感はないわけで、切迫感が無いからこそ、自分の死をある意味自由に、そしてまあ楽しげに考えられそうな気がする。

2.そりゃもう目の前に死が迫ってしまっていると、自分の死を優雅に語ることなどというようなことは間違いなく出来なくなっていて、きっと必死でもがいているか、余裕が無くオタオタしているに違いないだろう。まだまだどこか死が少し遠くて、でも、そろそろ人ごとではないくらいという、身近さにある今のうちに、ちょこっと考えるのも悪くはないかもしれないだろう。

3.ちょっと前になるが、大学の同級生が胃ガンで摘出手術をした。後から聞いて、見舞いにいくと連絡をしたが、元気になってから会いたいというので、返事を待っている。でもなかなか言ってこないので心配である。ガンはやはり人ごとではない歳なのだと思う。同情ではなく、自分の事として、彼には会いたいと思う。

4.私には家族もいるし、支えてくれる友人も多い…いや、多いかどうかははなはだ怪しいが、自分では多いと思っている、ということである。で、もし身体が衰えたら、たくさんの人に心配をかけたり、やっかいになったりすることになるが、それはやはりいやだなあと思う。

もう何年も前になるが、母がお正月明けに重篤になり、10ヵ月入院して結局一度も退院出来ないまま亡くなったが、日々衰えている母を見ながら、さぞかし辛いだろうなあと痛感した。いずれ私も行く道…なのだろうが、母は入院生活によく耐えて、最後は「ありがとう、ありがとう」とお礼ばかりを言っていた。

5.私は母のようにはなれそうにないし、過度に妻や子どもに世話になるのも、なんだか辛い。かといって知らない人にお世話になるのももっと寂しいような…。だとすれば「突然死」が理想といえば理想のようにも思うだが、といってどういう「突然死」がいいのかは皆目見当がつかない。とにもかくにも、たくさんの人に迷惑をかけるようなことも出来たら避けたい。

6.死について書いていた友人曰く、「断食死」がいいと言っていた。まあ、それも悪くないと思う。ただ少しずつ食事の量を減らし、五穀を立ち、断食死に至るというのは、そうとう覚悟と気力がないと無理なような気がする。断食は以前から「三日断食道場」を寺内で開いていて、私も10数度やったが、たかが三日くらいの断食経験ではたぶん「断食死」は無理だろう。

7.じゃあ、いったいどんな死に方がいい…って改めて問うてみるが、やはり最後はお任せしかないのかもしれない。ちょくちょく本などにも書いたことがあるが、大峯奥駈修行中に、死をイメージした経験がある。目を閉じると、頭上から白い大きな光が降りてきて、包み込まれるような気持ちになった。あぁ、こういう感じで死を迎えられたらと思ったのであった。

8.「白い高貴な光に包まれるような死に方」をするのには、それこそ生きている間にそれに相応しい生活や人生を送らなければならないと、そのときの体験で痛切に感じたが、そういう死に方はきっとなかなか自らの毎日を顧みるとき、自信がない。やはりみんなに迷惑をかけまくって、のたうち回るような臨終が関の山なのかもしれない。

9.過去に書いた「死について」の連続ツイートでした。これが遺言にならないようにしなくちゃ。きっと10年も経つと違う「死生観」になっているはずだから‥。
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田中利典師の「63歳のお誕生日」

2025年03月27日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈祝!誕生日〉(師のブログ 2018.8.27 付)。利典師は60歳の還暦の年、自坊(京都府綾部市の林南院)に戻られた。この年は、はや3年目になるのだ。
※トップ写真は、ウチの近隣公園のソメイヨシノ(2020.3.30 撮影)

ということは、今年(2025年)8月、師は70歳の古稀をお迎えになる。時の経つのは、早いものだ。師は〈敵も味方も、「みんな大好き!」です〉とお書きだ。これは師の「外向的」「向日的」なご性格の表われだろうが、なかなか常人ではこうは行かないとも思う。では、以下に全文を紹介する。

「祝!誕生日」
人間は生まれた瞬間から、誰でも、死ぬまで生きる。今日で私はなんと63回目の誕生日を迎えた。確実に死に向かって歩みを始めて、もう63年…。長い63年。短かったかもしれない63年。いずれにしろ、ホントにありがたい63年である。

「お誕生日には親に感謝を言いましょう。親がすでにいない人はお墓に言いに行きましょう…」とは誕生日の人に対して、ずっと私が伝えてきた言葉である。そんなわけで、私も今朝はまず、父母のお墓へ行ってきました。で、もうすでに朝から大変たくさんの方々に、お誕生日祝いのメールや書き込みをいただきました。厚く厚く厚く御礼を申し上げます。

還暦を過ぎて、このところ、体調が悪かったり、肺炎や怪我をして不具合だったり、その都度、なにやかやと心が折れたりして、まあ、ろくでもないような時間を耐えていますが、だからこそ、ありがたいと思えることや、申し訳ないと気づくことが多くて、それはそれで人生の中で、大切な時間を過ごさせて頂いていると思っています。

「こんな人間なのに…」と今までの自分を省みて、己のことを知れば知るほど、本当に周りの人たちには感謝と懺悔しかありませぬ。敵も味方も、「みんな大好き!」です。

で、で、こんな人生を誰が予想したのでしょうか…。そして、これからの人生を誰が知っているのでしょうか…。などと、今さらながら思い煩う毎日なのです。

でも、ともかくも、63回目の誕生日に、あらためてみなさんの交情と友情に深く感謝をします。ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。。
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