てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

人体表現を巡る旅、その他(1)

2013年05月04日 | 美術随想
序章


〔冷たい雨の降る夜の梅田〕

 いささか大げさなタイトルだが、今年はじめて東京へ行ったときの記録である。

 というのも、今回の主な目的は、東京国立近代美術館のフランシス・ベーコン展だったからだ。彼は20世紀では珍しく、もっぱら人体の絵画表現を追求した画家だといっていいだろう。ベーコン展は東京のあと、愛知県の豊田市美術館にも巡回する。その方が大阪からは距離的にも近く、谷口吉生による建築も好きなのだが、“東近美”の常設展示フロアがリニューアルされたらしいので、そちらも是非観ておきたかったのである。

 ただ、メインがベーコンと聞いて、いつも東京に同行する妻は行くことを拒んだ。せっかくの貴重な展覧会なのにもったいないと思う一方で、不気味な感じのするベーコンの絵をあまり観たくないという気持ちもわからないではない。ぼく自身、ベーコンが好きでたまらないというわけではなく、これまで彼の作品に接する機会が非常に少ないのが残念だったことと、多少は“怖いもの観たさ”の意味もあって、行ってみる気になったのだった。

 なおベーコンが亡くなったのは、今から21年前のことである。ぼくは彼の死を、たまたま新聞の社会面を見て知ったのだったが、顔写真も何も出ておらず、極めて小さい扱いだったように覚えている。だとすれば、今や雑誌が特集を組んだりするベーコン人気はどこからくるのか。それを垣間見ることも、ぼくの好奇心をそそったのかもしれない。

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 というわけで、単身で上京するおりには、迷わず夜行バスを利用する。およそ一年前、やはり東近美にポロックを観に行ったときにも同じバスに乗ったものだった(「3世代の美術展 ― ポロック、セザンヌ、そしてダ・ヴィンチ ―」)。

 ぼくはこれまで数回、高速バスにひとりで乗って旅をしたことがある。東京以外にも、広島、名古屋、福井へ行った。けれども、別にバスが好きだというわけではない。正直にいえば、バスは鉄道に比べて、乗り心地があまりよろしくない。鉄道に好んで乗るマニア“乗り鉄”というのがいるらしいが、“乗りバス”というのがあまり聞かれない所以であろう。

 まず、座席へ拘束される感覚が、心地いいとはいいかねる。バスの席数にもよるが、ひとり旅の場合、見知らぬ他人と隣り合わせたまま何時間も座らなければならないのだ。閉所恐怖症の人には向かないし、いびきが派手だったり大声で寝言を喋ったりするような人は、夜行に乗るのはご遠慮願いたい。

 それに加えて、外の光が入らないようにカーテンをしっかり閉め切っているので、景色を堪能できるおもしろさがない。たとえば富士山の近くを通っても、その姿を拝むことは叶わないのである(夜なので、たとえカーテンが開いていても見えるわけはないが)。鉄道の車窓から横に流れる風景を眺めつつ、ちょっと冷めた駅弁をパクつくことにこの上ない情趣を覚える人にとっては、長時間の夜行バスなど拷問のごときものかもしれない。

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 ただ、夜行バスの乗客たちには、不思議な一体感というとオーバーだけれど、“一蓮托生”とでもいった神妙な雰囲気が支配していることもたしかだと思う(スキー場に行ったり東京なんとかランドに行ったり、レジャー施設へ往復しているバスのことは知らない)。

 バスに乗り込むと、皆が押し黙ったように寡黙になる。乗り込む前は仲間連れで声高に話し合っていても、乗降口のステップを踏んで狭い車内に足を踏み入れた途端、そこに居並ぶ他の乗客たちの厳粛な表情に圧倒されてか、すぐに静かになるのである。たとえば子供のころ、賑やかに騒いだり笑ったりしながら大型バスに揺られていた遠足のことを思い出したりすると、その差異に愕然としてしまう。

 この独特の雰囲気は、夜行バスに乗ったことがある人にしか理解できないだろう。さらにいえば、普通なら家のなかで就寝しているはずの時間に、他人と一緒になって外を移動しているという一種のスリルが、乗客たちをひとつにしているのかもわからない。

 ともあれ、4月20日土曜日の晩、去年と同じ東梅田の停留所から、東京に向けてバスは発車した。ぼくの心を重く沈殿させているのは、先ほどから大雨が降りはじめていることだった。バス停には申し訳程度に屋根があるが、チケットを乗員に手渡しながらバスに乗り込む際、座席表を確認したりして少し時間がかかるので、どうしても雨に濡れねばならない。

 中はほぼ満席だが、出発日ギリギリにチケットを買ったにもかかわらず、ぼくの席は窓際だった。思えば、ぼくは東京行きのバスではいつも窓際に座っていた気がする。しかし窓ガラスは思いのほか分厚く、外の様子はほとんど伝わってこない。高速のエレベーターに乗ったりすると、ちょっと耳が聞こえにくくなる、あんな感じである。

 かすかにグラリと揺れたと思ったら、バスはもう動き出していた。大阪に戻ってくるのは、明後日の早朝のはずだった。

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