てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

『天の夕顔』、または薄い本の中身について(3)

2013年05月03日 | てつりう文学館


 ぼくは、『天の夕顔』に書かれている世界が今の時代とはかけ離れているということを強調しすぎたかもしれない。けれども、そのことについては作者がいちばんよくわかっていたはずだ。作品は、次のような文章ではじめられている。

 《信じがたいと思われるでしょう。信じるということが現代人にとっていかに困難なことかということは、わたくしもよく知っています。それでいて最も信じがたいようなことを、最も熱烈に信じているという、この狂熱に近い話を、どうぞ判断していただきたいのです。

 (略)ばかばかしいといって、人は、おそらく身体(からだ)をふるわしてわたくしの徒労を笑うかもしれません。それが現代です。(略)わたくしは現代に生きて、最も堪えがたい孤独の道を歩いているように思われます。》

 ここでの“現代”というのが、『天の夕顔』が発表された昭和13年当時のことだとしたら、今からすればずいぶん昔の話だといわねばなるまい。けれども、そのときすでにこの恋愛物語は、もはや時代とはかけ離れたものを描いていたということになる。

 信じるということが現代人にとっていかに困難なことか・・・。この一文は、まさにわれわれが生きている時代を刺し貫くほどの普遍性をもっているような気もする。そしてその“信じられない時代”は、今では奇妙なねじれ方をして、次々と悲劇を生み出す要因となっているだろう。

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 その悲劇というのは、いわゆる「ストーカー被害」というものだ。愛しさあまって相手を殺すという不可解な犯罪は、最近になってしばしば起こる。

 『天の夕顔』には、実は今でいうところのストーカー的な要素が多く出てくる。数年間離れていた女性の家を探し当てるために、その息子がかよっていた学校に問い合わせるなどしている。

 けれども、そうやって会いにいった相手は、冷たくこういうだけだった。

 《「わたくし無理をすまいと思っているんですわ。今となっては運命の摂理に任せることだけを考えておりますの」》

 女は、主人公のことを心では愛しながらも、みずからの殻を破ろうとはせず、主人公の愛情を数回にわたって拒絶する。主人公の男は彼女に対して、瞬間的に凶暴な殺意を覚えたりもするが、結局のところ彼女に危害を加えることはなく、次のようにいうのである。

 《「僕はいつまでもあなたを待ちましょう。あなたの心が自由になれるまで、僕はあなたが六十になられるまで待ちましょう」

 (略)

 わたくしは久しぶりにあの人に逢い、いよいよその存在の深遠さがわたくしを囚(とら)えてしまうのを感じたのです、人はおそらく笑うかもしれません。この荒唐無稽の心理を。》

                    ***

 『天の夕顔』の物語は、ストーカー被害とはまるで正反対の、しかし悲劇的な結末を迎える。

 それにしても、この主人公の男は、23年にもわたってひとりの女性を愛しながら、ついに思いを遂げることができないのだった。

 《このあわれな男の話を、この狂熱の誤謬に似た生涯を、どうぞ笑って下さい。》

 と、男は自虐的に自分を振り返るが、それを笑うことができるか否かで、われわれの恋愛観がすぐにでも焙り出されそうな気がする。ある意味で、こわい小説である。

(了)

(画像は記事と関係ありません)


参考図書:
 中河与一『天の夕顔』(新潮文庫)

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