てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

落伍者の唄(4)

2013年03月07日 | てつりう文学館


 明石はもうすぐ退院などといわれながら、ふたたび血を吐き、結局は3回の手術を受ける羽目になる。数本の肋骨を切り取られ、肺切除もされる。

 こういった病気は、ぼくには想像もつかないものだが、遠藤自身は同じことを経験している。詳細に渡る明石の入院中の描写や、手術に至るまでの経過、判で押されたような単調な日課などの記述には、作者の体験が反映されているわけである。

 吉村昭も肋骨を切る手術を受けた作家だが、たしかエッセイのなかで、そのときの苦しさを回想していた。麻酔はしていても、骨が切り取られるごとに、手術台の上で自分の体が跳ね上がった、というようなことを書いていたと思う。遠藤も見た眼は何となく呑気そうだったし、ユーモア精神に富んだ人でもあったが、上半身裸になってみると、肉体には残酷な傷跡が残っていたのかもしれない。

 そんな“表の顔”と“裏の顔”の使い分けは、一人前の社会人にとっては必須条件ともいえるものだろうけれど、入院生活が長引くに連れて、それがあやふやになっていく。『満潮の時刻』には、明石のもとに奥さんがかよい、同じ病室の患者たちとの会話がある程度で、外からの見舞客というのはまったく登場しない。

 そんな彼が、黄昏に病院の屋上から眺める景色は、仕事にかまけていたころには眼にも触れなかったような何の変哲もない、しかし今では理屈抜きに心に染み入るものだった。遠くに見える工場の煙突の煙が、真っ直ぐに空へのぼっていくというシーンが、幾度も繰り返される。この小説の書かれた1960年代は、公害が徐々に深刻化していく時代とも重なり、それを裏付けるような描写だが、そこには不思議なまでの静謐な、澄み切った感覚がはりめぐらされているように思える。

 ある日、明石は病室内で九官鳥を飼いはじめる。妻が買ってきてくれたのだ。現代の病院でそういうことができるかは知らない。

 明石は、まだ人間の言葉を何も覚えない九官鳥に、「ナゼ、ケムリハ、マッスグ、ユウグレノソラニ、ノボルノカ」などという台詞を覚え込ませることも考えるが、ついには「生きるのは、辛いなあ」などと、妻の前でも語らなかった本音をもらす。

 《鳥は頭をあげ、じっと彼を見た。その眼はうるんで、哀しく光っているように明石には思われた。

 今日まで明石は鳥にたいしてほとんど関心はなかった。鳥だけではなく、どんな動物にも興味はなかった。だが、今、自分を凝視している九官鳥の眼は、突然、理由もなく彼の心をゆさぶった。声をあげて、明石は泣いた。》


                    ***

 遠藤周作は、カトリック作家だ。当然ながら、キリスト教は彼の作品の大きなテーマとなる。

 とはいっても、日本にはキリスト教の信者は非常に少ない。1パーセント未満だという話もある。そんな、いわばマイノリティに属する話を、広く受け入れられる小説としてどのように書くか。遠藤の仕事は、そんな試行錯誤の連続だったような気がする。

 『満潮の時刻』のなかにも、突如として踏絵のことが出てきたり、物語の最後には退院後の明石が長崎を訪ねるくだりがあったりする。この主人公の、過酷な入院体験という骨子に、いかにキリスト教を絡ませるかで悩んだ形跡がみてとれる。

 遠藤は生前、この小説の出版を見送った。本人の話では、いずれ徹底的に書き直すつもりだったらしいが、それは叶わなかった。その代わり、同時に書き進められた『沈黙』が、17世紀の日本を舞台に設定し、神の問題に真っ正面からぶつかることで、彼の代表作としての評価を確立している。

 いわば“お蔵入り”になりかけた『満潮の時刻』であったが、作者自身とほぼ重なる同時代の人物像が、病を得て苦悶していく過程で新たな視野を獲得していくさまは、彼にとって是非とも書いておかねばならなかったはずだ。歴史の荒波の向こうに垣間見えるポルトガル人の司祭とか、キリシタンといわれる人々が直面した信仰の問題は、普遍的な日本人の姿とは少しちがうからである。

 遠藤はここで、自分にもふりかかった病気という災難を乗り越えるための一助として、ごく控えめに、キリスト教に言及した。ストーリーのところどころに破綻もあり、名作とはいえないかもしれないが、等身大の遠藤周作の姿を探るためには欠かせない一冊ではないかと思った。

(画像は聖ディエゴ喜斎記念聖堂〈岡山市〉)

(了)

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