メトロポリタンでの時空の旅 その11

アルフレッド・スティーグリッツ『切妻とリンゴ』(1922年)
スティーグリッツは「近代写真の父」などと呼ばれていて、とても重要な写真家らしいからぼくも名前ぐらいは知っているが、どういう写真を撮影した人かときかれると困ってしまう。キャパの『崩れ落ちる兵士』や、ドアノーの『パリ市庁舎前のキス』のように、誰でもすぐに思い浮かぶ作品があるというわけではないように思う。
強いていえば、デュシャンのレディ・メイド作品『泉』を撮影したものが、もっとも知られているかもしれない。作品、などというと聞こえはいいが、要するにどこかから買ってきた男性用便器を横倒しに置いただけのものである。

参考画像:マルセル・デュシャン『泉』(1917年、アルフレッド・スティーグリッツ撮影)
ただ、これはスティーグリッツの写真である以上に、今は紛失したとされている問題作『泉』がかつて実在したことを示す証拠ともいうべきもので、デュシャンの作品とほぼ同義といっても過言ではない(現在の展覧会で展示される『泉』はレプリカである。既製品のレプリカを作るというのも、それはそれで変だが)。
では、メトロポリタンからやって来た『切妻とリンゴ』はどうだろう。実にさりげない、衒いのない写真だ。とりたててドラマがあるわけでもなく、貴重な瞬間をとらえたわけでもない。100年後まで美術専門家に議論を迫る『泉』の写真とは別次元の、ごく日常的な風景である。
スティーグリッツには何か特別な意図があったわけではなく、たとえばほんのテストのようにして、たまたまそこにあった被写体を撮っただけなのかもしれない。そんなふうに思わせる自然さが、ここにはあるような気がする。『切妻とリンゴ』という、やや説明的すぎるタイトルも、本人が命名したのではなく、後世の研究者が便宜上名付けたにすぎないのではなかろうか(そういえば、われわれは普段撮影した写真に題名など付けないはずだ)。
***

ジョージア・オキーフ『骨盤II』(1944年)
別の展示フロアには、ジョージア・オキーフの油彩画が一枚展示されていた。彼女とスティーグリッツが結婚していたというのは、知る人ぞ知る話であろうか。といってもふたりの年齢差は23歳も離れていて、一見すると父親と娘のようだったかもしれない。
ただ、ぼくにはスティーグリッツの写真と、オキーフの絵画とのあいだに、いかなる接点を見いだすこともできないのである。もちろんふたりは夫婦であると同時に、それぞれが自立した芸術家でもあったのだから、その作風が似ている必要はない。人生の後半期をひと気のないニューメキシコの荒野に送り、まるで隠者のような生活をしながら、巨大な花弁や動物の骨といった斬新な絵を描きつづけたオキーフにも、過去に愛を交わした男があったなどということが容易に信じられないのだ。
けれども今回調べていてわかったのだが、スティーグリッツは、オキーフの姿を写した写真もたくさん残しているのだった。彼女は画家としてだけでなく、ひとりの女のモデルとして、夫の構えるカメラの前に立っていた。決して美貌の持ち主というわけではなく、すでに若くもなかったが、ありのままの自分をさらけ出し、かなり大胆なヌードのポーズでも厭わなかった。
それを観て、ぼくははじめてスティーグリッツとオキーフが夫婦であったことを信じることができたのである。
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アルフレッド・スティーグリッツ『切妻とリンゴ』(1922年)
スティーグリッツは「近代写真の父」などと呼ばれていて、とても重要な写真家らしいからぼくも名前ぐらいは知っているが、どういう写真を撮影した人かときかれると困ってしまう。キャパの『崩れ落ちる兵士』や、ドアノーの『パリ市庁舎前のキス』のように、誰でもすぐに思い浮かぶ作品があるというわけではないように思う。
強いていえば、デュシャンのレディ・メイド作品『泉』を撮影したものが、もっとも知られているかもしれない。作品、などというと聞こえはいいが、要するにどこかから買ってきた男性用便器を横倒しに置いただけのものである。

参考画像:マルセル・デュシャン『泉』(1917年、アルフレッド・スティーグリッツ撮影)
ただ、これはスティーグリッツの写真である以上に、今は紛失したとされている問題作『泉』がかつて実在したことを示す証拠ともいうべきもので、デュシャンの作品とほぼ同義といっても過言ではない(現在の展覧会で展示される『泉』はレプリカである。既製品のレプリカを作るというのも、それはそれで変だが)。
では、メトロポリタンからやって来た『切妻とリンゴ』はどうだろう。実にさりげない、衒いのない写真だ。とりたててドラマがあるわけでもなく、貴重な瞬間をとらえたわけでもない。100年後まで美術専門家に議論を迫る『泉』の写真とは別次元の、ごく日常的な風景である。
スティーグリッツには何か特別な意図があったわけではなく、たとえばほんのテストのようにして、たまたまそこにあった被写体を撮っただけなのかもしれない。そんなふうに思わせる自然さが、ここにはあるような気がする。『切妻とリンゴ』という、やや説明的すぎるタイトルも、本人が命名したのではなく、後世の研究者が便宜上名付けたにすぎないのではなかろうか(そういえば、われわれは普段撮影した写真に題名など付けないはずだ)。
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ジョージア・オキーフ『骨盤II』(1944年)
別の展示フロアには、ジョージア・オキーフの油彩画が一枚展示されていた。彼女とスティーグリッツが結婚していたというのは、知る人ぞ知る話であろうか。といってもふたりの年齢差は23歳も離れていて、一見すると父親と娘のようだったかもしれない。
ただ、ぼくにはスティーグリッツの写真と、オキーフの絵画とのあいだに、いかなる接点を見いだすこともできないのである。もちろんふたりは夫婦であると同時に、それぞれが自立した芸術家でもあったのだから、その作風が似ている必要はない。人生の後半期をひと気のないニューメキシコの荒野に送り、まるで隠者のような生活をしながら、巨大な花弁や動物の骨といった斬新な絵を描きつづけたオキーフにも、過去に愛を交わした男があったなどということが容易に信じられないのだ。
けれども今回調べていてわかったのだが、スティーグリッツは、オキーフの姿を写した写真もたくさん残しているのだった。彼女は画家としてだけでなく、ひとりの女のモデルとして、夫の構えるカメラの前に立っていた。決して美貌の持ち主というわけではなく、すでに若くもなかったが、ありのままの自分をさらけ出し、かなり大胆なヌードのポーズでも厭わなかった。
それを観て、ぼくははじめてスティーグリッツとオキーフが夫婦であったことを信じることができたのである。
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