第四章 ポスト印象派以降 その3
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フィンセント・ファン・ゴッホ『プロヴァンスの農園』(1888年)
今回の「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」のしめくくりは、ゴッホである。
ゴッホほど、絵画の実物を観る喜びを味わわせてくれるものはない。いくら印刷技術が発達しているとはいえ、絵の具が盛り上がったあのマチエールまでは再現できないからだ。
1888年、ゴッホはパリからアルルへと拠点を移す。そこで借りたのが通称「黄色い家」と呼ばれる建物だった(『アルルの寝室』はその内部を描いたものである)。『プロヴァンスの農園』は、そこから歩いてほど近い場所にあった風景だという。
ところでゴッホがアルルを目指した理由は、そこが“日本によく似ている土地だから”だといわれる。彼はアルルに着くと、手紙に「日本にいるような感じがする」と書きつけたそうだ。ぼくがこの風景画を観ても、どこにも日本に共通する要素を見いだすことはできないのだが、彼の眼にはそう見えたのである。
ゴッホは日本の浮世絵を好み、収集していた。さらにいえば、浮世絵を通して日本に遥かな憧れを抱いていた。そして日本に行く代わりに、日本に近い雰囲気をもつアルルにやって来たのだ、とされる。もし時代が時代なら、ゴッホが実際に海を渡って日本の地を踏むようなことがあったかもしれない。
だが、日本の代替地としてアルルを選んだ理由が、ぼくにはよく飲み込めない。一説には、浮世絵には影が描かれていないから、日本はきっと光に満ちあふれた明るい国にちがいないと思い込み、パリからみればずっと南にあるアルルに眼をつけたのだという。だが、この考えは根本的に破綻しているといわざるを得ない。光が満ちていればいるほど、むしろ影は黒く、濃くなるのが当然なのだから・・・。
***
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フィンセント・ファン・ゴッホ『自画像』(1889年)
アルルでの生活が、取り返しようのない結末を迎えたことはよく知られているだろう。芸術家のコロニーを作るという彼の計画は頓挫し、ゴーギャンと激しい仲たがいをしたあげく、自分の耳を切り取ってしまったというのだ(最近では、ゴッホの耳を切ったのはゴーギャンだという説もある)。
ことの真偽はさておき、この『自画像』に描かれているゴッホが、失意のどん底にいたことはたしかである。けれども、一見しただけではそうとわからない。
彼は耳に包帯をした姿の痛々しい自画像も描いたが、ここでは失われた耳を隠すために斜めを向き、パレットさえも構えて、いかにも充実した創作活動にいそしんでいることを強調しているように受け取れる。首もとにはネクタイを結んでいて、髭も刈り揃えられ、小ぎれいなかっこうをしている。内面の発露というよりも、外見を繕うために描かれた「画家ゴッホ」の像である。
けれどもぼくがどうしても眼を奪われるのは、やはりゴッホの厳しい眼つきだ。精神錯乱に襲われた彼は友人をなくし、自分自身への信頼もなくしていたはずである。俺はいったい何を信じればいいのだろうか、という絶望的な問いかけが、絵のなかから投げかけられるのを感じる。
だが、彼の悲劇的な最期を知っているわれわれは、それに対してどうこたえたらいいのであろうか。ゴッホの晩年の自画像を観るたびに、ぼくは辛くなってしまう。彼の真っ直ぐな、嘘のない視線は、観る者の心を容赦なく貫くのである。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/44/f916365c03ec0fa90184e6b359af40a8.jpg)
参考画像:フィンセント・ファン・ゴッホ『オーヴェールの教会』(1890年、オルセー美術館蔵)
オーヴェール・シュル・オワーズは、ゴッホの終焉の地となった。彼はここでピストルを自分の体に撃ち込んでしまう。
彼がつい2年前まで抱いていたアルルへの夢は、そして日本への憧れは、いったいどこに行ったのだろうか。彼の耳たぶと一緒に、どこかへ消えてなくなってしまったのだろうか。日本人のひとりとして、そうは思いたくないのだが・・・。
最晩年を代表する傑作のひとつ『オーヴェールの教会』には、かつてゴッホが嫌っていた影が描かれている。このとき画家の頭には、浮世絵を通して見た理想の世界ではなく、眼の前の現実がはっきりと見えていたにちがいない。彼にはすでに、ほんの僅かな時間しか残されていなかったけれども。
(所蔵先の明記のない作品はワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)
(了)
DATA:
「印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」
2011年9月13日~11月27日
京都市美術館
参考図書:
「芸術新潮」2011年6月号
アルバート・J・ルービン/高儀進訳『ゴッホ この世の旅人』(講談社学術文庫)
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フィンセント・ファン・ゴッホ『プロヴァンスの農園』(1888年)
今回の「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」のしめくくりは、ゴッホである。
ゴッホほど、絵画の実物を観る喜びを味わわせてくれるものはない。いくら印刷技術が発達しているとはいえ、絵の具が盛り上がったあのマチエールまでは再現できないからだ。
1888年、ゴッホはパリからアルルへと拠点を移す。そこで借りたのが通称「黄色い家」と呼ばれる建物だった(『アルルの寝室』はその内部を描いたものである)。『プロヴァンスの農園』は、そこから歩いてほど近い場所にあった風景だという。
ところでゴッホがアルルを目指した理由は、そこが“日本によく似ている土地だから”だといわれる。彼はアルルに着くと、手紙に「日本にいるような感じがする」と書きつけたそうだ。ぼくがこの風景画を観ても、どこにも日本に共通する要素を見いだすことはできないのだが、彼の眼にはそう見えたのである。
ゴッホは日本の浮世絵を好み、収集していた。さらにいえば、浮世絵を通して日本に遥かな憧れを抱いていた。そして日本に行く代わりに、日本に近い雰囲気をもつアルルにやって来たのだ、とされる。もし時代が時代なら、ゴッホが実際に海を渡って日本の地を踏むようなことがあったかもしれない。
だが、日本の代替地としてアルルを選んだ理由が、ぼくにはよく飲み込めない。一説には、浮世絵には影が描かれていないから、日本はきっと光に満ちあふれた明るい国にちがいないと思い込み、パリからみればずっと南にあるアルルに眼をつけたのだという。だが、この考えは根本的に破綻しているといわざるを得ない。光が満ちていればいるほど、むしろ影は黒く、濃くなるのが当然なのだから・・・。
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フィンセント・ファン・ゴッホ『自画像』(1889年)
アルルでの生活が、取り返しようのない結末を迎えたことはよく知られているだろう。芸術家のコロニーを作るという彼の計画は頓挫し、ゴーギャンと激しい仲たがいをしたあげく、自分の耳を切り取ってしまったというのだ(最近では、ゴッホの耳を切ったのはゴーギャンだという説もある)。
ことの真偽はさておき、この『自画像』に描かれているゴッホが、失意のどん底にいたことはたしかである。けれども、一見しただけではそうとわからない。
彼は耳に包帯をした姿の痛々しい自画像も描いたが、ここでは失われた耳を隠すために斜めを向き、パレットさえも構えて、いかにも充実した創作活動にいそしんでいることを強調しているように受け取れる。首もとにはネクタイを結んでいて、髭も刈り揃えられ、小ぎれいなかっこうをしている。内面の発露というよりも、外見を繕うために描かれた「画家ゴッホ」の像である。
けれどもぼくがどうしても眼を奪われるのは、やはりゴッホの厳しい眼つきだ。精神錯乱に襲われた彼は友人をなくし、自分自身への信頼もなくしていたはずである。俺はいったい何を信じればいいのだろうか、という絶望的な問いかけが、絵のなかから投げかけられるのを感じる。
だが、彼の悲劇的な最期を知っているわれわれは、それに対してどうこたえたらいいのであろうか。ゴッホの晩年の自画像を観るたびに、ぼくは辛くなってしまう。彼の真っ直ぐな、嘘のない視線は、観る者の心を容赦なく貫くのである。
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参考画像:フィンセント・ファン・ゴッホ『オーヴェールの教会』(1890年、オルセー美術館蔵)
オーヴェール・シュル・オワーズは、ゴッホの終焉の地となった。彼はここでピストルを自分の体に撃ち込んでしまう。
彼がつい2年前まで抱いていたアルルへの夢は、そして日本への憧れは、いったいどこに行ったのだろうか。彼の耳たぶと一緒に、どこかへ消えてなくなってしまったのだろうか。日本人のひとりとして、そうは思いたくないのだが・・・。
最晩年を代表する傑作のひとつ『オーヴェールの教会』には、かつてゴッホが嫌っていた影が描かれている。このとき画家の頭には、浮世絵を通して見た理想の世界ではなく、眼の前の現実がはっきりと見えていたにちがいない。彼にはすでに、ほんの僅かな時間しか残されていなかったけれども。
(所蔵先の明記のない作品はワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)
(了)
DATA:
「印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」
2011年9月13日~11月27日
京都市美術館
参考図書:
「芸術新潮」2011年6月号
アルバート・J・ルービン/高儀進訳『ゴッホ この世の旅人』(講談社学術文庫)
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