てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

ワシントンから来た絵画たち(1)

2011年11月30日 | 美術随想
序にかえて


〔京都市美術館名物(?)の、外壁の窪みを使ったディスプレイ〕

 どの美術作品が、どこの美術館に所蔵されているかを知っている人は、なかなかの通だと思う。

 もちろん『モナリザ』がルーヴルにあるとか、『草上の昼食』がオルセーにあるとか、その程度のことは知っている。けれども、西洋美術の面では明らかに後進国であり、大西洋を隔ててもいるという不利な位置関係にあったアメリカが、質の高い膨大なコレクションをもつに至るには、いかにもあの国らしいドラマが秘められていなければならない。

 ワシントン・ナショナル・ギャラリーは、何人かの大富豪が集めた私的なコレクションが寄贈されてできあがったそうだ。正確には、アンドリュー・ウィリアム・メロンという実業家が多額の資金とともにみずからの収集品を連邦政府に寄贈し、「自分の名前をつけない」ことを条件に美術館の建設を申し出たことに端を発する。それに賛同した他の富豪たちからも多くの寄贈を受け、結果的に12万点にも及ぶという現在のコレクションができあがったのである。“富めるアメリカ”の底力を象徴するような話ではないか。

 これまでにもたびたび書いてきたが、アメリカ人はカネの威力を最大限に発揮して、日本を含む他国の美術品を集めてきた。こう書くと悪役めいてしまうけれど、それが結果として貴重な文化芸術の保護や研究の助けとなっているのも事実である。ワシントン・ナショナル・ギャラリーは、ロンドンのそれと同じように無料で公開され、誰でも気軽に一流の美術に触れることができる。日本にいる美術ファンにとっては、夢のような話だといわざるを得ない。

                    ***

 このたび、そのなかから印象派前後にしぼった83点の絵画が日本にやって来た。先ごろまで京都市美術館で開かれていた展覧会を、ぼくも会期末にようやく観ることができたわけだが、ここではもっと前の記憶から書き起こしてみたい。

 今から12年前の1999年、やはり京都市美術館で「世界に誇る美の殿堂 ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」が開催された。さほど大掛かりな宣伝がおこなわれていた記憶はないが、ぼくも勇んで出かけた。なにぶん昔のことで、どんな作品があったのかいちいち覚えているわけではない。ただ、ポスターに使われていたのは、今回も展示されていたモネの『日傘の女性、モネ夫人と息子』だった。

 そしてもうひとつ、ぼくにとって忘れがたいのは、そのとき生まれてはじめてフェルメールを観たことだ。展覧会の順路のおしまいに「オールド・マスターズ」というコーナーが設けてあって、そのなかに『手紙を書く女』があったのである。といっても、当時はフェルメールという画家のことはよく知らなかった。

 ただ、よく知らないなりに、その透明感のある絵肌と静謐な雰囲気に魅了されたのはたしかである。美術館の出口へ向かう前に、後ろ髪を引かれるようにして何度もその絵の前に戻った記憶があるからだ。まだ一大ブームの起こる前のフェルメールは ― 彼の絵が日本で一躍注目されたのは翌年に大阪で開かれた展覧会からだと思う ― 絵の前に人垣ができることもなく、余裕をもってたっぷりと眺めることができた。

 そして今年、同じ京都市美術館で「フェルメールからのラブレター展」が開かれ、3点ものフェルメールが一堂に会した。そのなかに、ワシントンから12年ぶりに来日した『手紙を書く女』もあった。久しぶりに出会う彼女は、相変わらず穏やかな、しかしいたずらっぽくもある目つきで、ぼくたちのほうに視線を投げかけていた。


参考画像:ヨハネス・フェルメール『手紙を書く女』(1665年頃)

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