
木村香雪『狩野山雪像』(部分、江戸時代末期、京都国立博物館蔵)
狩野山雪の肖像画を観ると、山楽よりも痩せており、異常なほど頭が尖っていて、眼付きは何やら神経質そうである。あえて「どちらが芸術家っぽく見えるか」と問うならば、圧倒的に山雪だという気がする。
山雪は、まだ年若いころに山楽に入門している。のち、前にも述べたように山楽と義理の親子となるばかりでなく、師との共同制作にも携わったといわれる。
だが実際のところ、山雪は山楽の画風をどの程度受け継いだのだろうか。むしろ、辻惟雄が「奇想の系譜」のなかに伊藤若冲や曾我蕭白らと並べて取り上げたように、御用絵師集団として日本美術の王道を邁進していた狩野派のなかでは、かなり異端の存在だったのかもしれない。
江戸時代の京都というのは、美術の中心地であったというのも本当だが、その一方で百鬼夜行みたいな絵師が跋扈する広大な“魔界”のごときものでもあったのである。それをも受け入れてしまうのが、京都の懐の深さなのだろうけれど・・・。
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狩野山雪『猿猴図』(部分、江戸時代初期、東京国立博物館蔵)
狩野派といっても、大規模な障壁画ばかりを手がけていたわけではない。『猿猴図』は、肩の力を抜いて、ごく短時間で描かれたもののように思われる。意外と、画家の等身大の姿がこういったところにほの見えるものだ。山雪は一見すると怖い顔のようでいて、実はユーモアを解する人間だったのかもしれない。
猿というモチーフは、牧谿(もっけい)や長谷川等伯などの作にもしばしば登場する、いわば定番のお題である。山雪は、明らかに先人の描いた猿の図をよく知悉していたような気がする。そのうえで、ふかふかのヌイグルミのような、あるいは現代のキャラクターの一種のような、まことに滑稽な猿の姿を描き出した。
毛むくじゃらの体だが、毛の一本一本がはっきり描かれているというわけではなく、全体に簡略化されているところはまさに漫画的といえる。しかし墨の濃淡が的確に使い分けられていて、おのずと節度が感じられる。しかし欲をいえば、木の枝につかまった猿が水面に腕をのばしているという、危ういバランス感覚はじゅうぶんに表現されているとはいいがたい。あまりにも愛らしい猿の笑顔が、そういった状況説明の必要性を意味のないものにしているといってもいい。
ただ、冷静な気持ちになってこの絵を眺め直したときに、絵師としての山雪の技量が端的にあらわれているのは、猿の背後にある木の葉だということに気づかざるを得ないだろう。しんなりと垂れかかる葉の重みが、素晴らしいアクセントとなってこの絵を引き締めている。湿潤な空気感も、明確には描かれていない夜のほの暗さのようなものも、それとなくほのめかすやり方で過不足なく表現されているのである。
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