てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

去年の暮れ、東京のあれこれ(30)

2013年03月21日 | 美術随想
生きていた松本竣介 その4


『建物と人』(1939年、岩手県立美術館蔵)

 36年という短い生涯を送った松本竣介だが、人生のうちで何度か作風を変転させている。そのためか、ひと眼で「ああ、これはいかにも竣介の絵だな」と思わせるものもあれば、「こんなものを描いていたのか」と意外の感にうたれるものも少なくなかった。とある画風で世間の評価を獲得すると、似たような作品ばかりを量産して名声を保とうとする保守的な芸術家が多いなかで、彼は常にチャレンジャーだったということか。

 竣介の絵は、ほとんど例外なく、彼を取り巻いた現実的なものに着想を得ている。しかしそれを、眼に見えたありのままに活写するのではなく、変形し、着色し、さらにはバリエーションを加えて描いた。そしてそれをひととおり終えてしまうと、ためらいもなく次の画風へと移り変わっていくのだった。まるで昆虫が脱皮を繰り返し、次第に美しい成虫へと変化を遂げていくように・・・。

 それはいわば、“絵画が絵画であること”を追求する行為であったように、ぼくには思われる。竣介はもちろん写実的な技法の訓練を積んだにちがいなく、夥しいスケッチ帖が残されているのだが、写真みたいにリアルな絵からは一線を画していた。いや、現代のように写実絵画がもてはやされるほうが特殊なのであって、竣介の生きていたころは、多くの画家の手によって個々に油彩表現の可能性が模索された“多様性の時代”だったのかもしれない。

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 そんな竣介の手法のひとつに、モンタージュと呼ばれるものがある。

 芸術のテクニックにおいて、モンタージュという言葉が広く知られるようになったのは、やはりエイゼンシュテインの映画が最初だろうか。ここでのモンタージュとは、いってみれば“コマ割り”の妙の一種で、複数の象徴的な映像を短く分断し、それを繋いで映写することによって、あるイメージを喚起する役割を果たす。

 しかし絵画であれば、複数のイメージを一枚の画面に描き込む必要がある。松本竣介におけるモンタージュは、まさにそういうものだろう。『建物と人』は、そのもっとも簡略な例だが、都会の遠景と、そこを歩いているシャレた人々の姿が、合成したように一体化されている。

 彼のモンタージュ技法には、ジョージ・グロス(ドイツ名グロッス)の影響があるといわれてもいる。けれども、その描線にあふれる詩情と、遠近法を無視した大胆な画面構成は、ぼくにシャガールを思い出させる。シャガールをモンタージュの画家と呼ぶ人はいないようだけれども、もし彼が20世紀の東京に生まれていたら、こんな絵を描いたのではないかと想像させるものがあるのだ。もちろんシャガールは大変な長生きをしたために、“偉大なマンネリズム”と呼びたくなるほど似たような作品を量産することになったのだが・・・。

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『黒い花』(1940年、岩手県立美術館蔵)

 そんななかで、ひときわ異彩を放って見えるのが、『黒い花』である。一見して、これが松本竣介か? という気にさせられる。もちろん細部に眼を走らせていくと、紛れもない彼の絵であることが納得できるのだが、それは彼の描く線が、植物の茎にも似た一種の生命力を感じさせるからだ。竣介は線の画家である、という評価は、決して間違ってはいない。

 それでは、絵の全面を覆うように塗られた赤 ― しかも鮮明な赤ではなく、少しどす黒い、血が混じったような赤 ― をどう解釈したらいいのだろう? こんなにどぎつい色の油彩画は、竣介にはほとんど例がないのではないかと思う。

 われわれは、この絵が描かれてから5年後、東京の街が炎に包まれたことを知っている。けれども、まさかそのことを予知してこんな絵を描いたわけではない。普段は青系統の色を使うことの多い彼が、やはり“多様性”を求めて、赤の絵の具に手をのばしたのだろうか。いや、そんな偶然の戯れに身を任せるような松本竣介ではないと思うのだが・・・。

 いずれにせよ、太平洋戦争が勃発するのは、『黒い花』が描かれた翌年のことである。一気に戦時体制を加速させる日本のなかにあって、竣介はおのれの画家としての立場を明確に表明せざるを得なくなる。そのことについてはのちに詳しく触れるが、この国が否応なくひとつの方向性を指して進みはじめることで、さまざまなモチーフがてんでんばらばらに浮遊するかのごときモンタージュの時代は、ひとまず終焉を告げたのだった。

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