モロー『レダ』(ギュスターヴ・モロー美術館蔵)
モローの絵が何点かあった。いずれも、モロー美術館から貸し出されたものだった。
この美術館はモローの邸宅だった建物で、決して大きくはないが、大変に有名なところである。もちろんぼくは写真で見たことがあるだけだが、広間の壁一面に、天井のあたりまでぎっしりと絵が掛け並べられている。瀟洒な螺旋階段なんかもあって、モローの絵の世界と絶妙にマッチしているようだ。日本の美術館にモローの絵が飾られていたりすると、何となくそこだけ空気が異質なような、わるくいえばちょっと場違いなような不思議な感じがするものだが、こんな場所からお越しとなればうなずけないこともない。
モローは、手もとにある全作品をフランス政府に寄贈するという遺言を残して死んだのだったが、完成した作品の大部分は手放してしまっていたらしい。したがって、今回出品されていた絵も未完とされているものが多かったが、スケッチやデッサンのような荒削りなものではなく、綿密に制作が重ねられた形跡があった。一見すると、すでにできあがっているのではないかと思えるようなものもあった。ダ・ヴィンチにとっての『モナリザ』がそうであったように、モローはそれらの作品に終生手を入れつづけたそうである。花が開く寸前の植物のように、爛熟した香気が絵のなかに閉じ込められている気がした。
モローはありのままの現実を描くことはせず、神話と幻想を追いかけつづけた画家である。なぜそうしたのか、詳しいことは知らないが、きたるべき科学技術の時代に不穏なものを感じていたのではなかろうか。といっても、この絵は単なる現実逃避とか、妄想の所産ではない。地上から失われつつある神秘、愛憎がむき出しになった男女間のドラマに、古代から脈々と伝えられてきたはずの人間性の原初の姿を探し求めていたのかもしれない。
ただ、そうであるがゆえに、説得力のある作品に仕上げることの難しさも知っていたことだろう。神々がまだ人の心のなかに生きていた時代ならともかく、19世紀も後半にさしかかり、すでに鉄道が地球を走りはじめているときにそのような絵を描くためには、しかるべき舞台をしつらえなければならなかったはずだ。
『レダ』はまさしく、周到に準備された舞台の上で展開されようとしている物語のワンシーンである。モローはひとりで美術監督と照明係と衣装係を兼ねていたようなものだ。そうやってはじめて、彼のたぐいまれな想像力は、裏返しになった現実として立ち上がってくるのである。ただ、この絵では衣装だけが間に合わず、化粧も下地を塗っただけで幕が開いてしまったという印象だが、まるで月の光を全身に浴びたような乳白色に輝く肌は、それだけで観る者を陶酔させるにじゅうぶんだろう。
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ヴァン・ドンゲン『ポーレット・パックスの肖像』(ポンピドゥー・センター蔵)
モローがいにしえの神話の世界を描いたとすれば、ヴァン・ドンゲンが描いたのは同時代の神話といってもいいかもしれない。ここでの舞台は、20世紀のパリである。モローに比べれば、画家自身とモチーフとの距離はぐんと近くなったはずだ。しかし、はたしてそうだろうか。
ドンゲンの描く女性たちには、どことなく現実離れした浮遊感というか、実体のともなわない頼りなさがある。シュザンヌ・ヴァラドンが描いた、肉体をもてあましている感じの人物ともちがう。向こう側の世界に片足を突っ込んでいるかのようだ。このポーレットという女性は、いったい何者かわからないが、やはり得体の知れない存在に思えるのである。ボッティチェリのヴィーナスを逆向きにしたようなポーズをとっているところを見ると、彼女こそ現代の美の女神を気取っているのであろうか。
参考画像:ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』(ウフィツィ美術館蔵、部分)を左右反転したもの
そんなあえかな印象を与える最大の要因は、彼女たちが独特な緑色を帯びているからだろう。ヴァン・ドンゲンの緑色について、ぼくは以前にも一度書いたことがあるが(「北海道から来たエトランゼ(2)」)、どぎついほどに輝く豪華な宝飾品や毛皮が、まるで退廃と表裏一体のものであるかのように、この絵も緑の洗礼から免れてはいない。そしてしかも、そんな女たちが美しく、か弱げに見える。
京都には「ソワレ」という名の老舗の喫茶店があって、店内を青い照明で照らしているらしい。女性が美しく見えるためだという話だが、ドンゲンの操る魔法のグリーンも、女たちをこの世ならぬ美しさで照らし出すもののようだ。彼女がどことなく手の届かない雰囲気をただよわせているのは、そんなところに秘密があるのかもしれない。
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去年の展覧会の記憶も、さすがに薄らいできた。この記事もそろそろ打ち止めにしようかと思う。
(了)
DATA:
「芸術都市パリの100年展」
2008年9月13日~11月3日
京都市美術館
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