てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

自然と同化した男 ― 犬塚勉を観る ― (4)

2012年02月06日 | 美術随想

『林の方へ』(1985年)

 これもぼくの想像だが、犬塚勉が“自然”をほとんど唯一のモチーフに据えるまでには、あるいはNHKの番組のタイトルにもあったように「私は自然になりたい」と口走ることになるまでには、かなりの勇気が要ったのではないか。

 犬塚には29歳のときに結婚した夫人と、幼い子供があった。学校教師として務めるかたわら、ごく平凡な、ささやかな幸せを手にしてもいたのである。家庭においてよき父であり夫であるべき人が、突然 ― というわけではないとしても ― ひと気のない自然を描くようになり、みずからも山登りのために家を空ける日がつづくようになるということは、犬塚家にとってどういうことであったのだろう。

 芸術家には、よく破滅型のタイプというのがあって、家族や親類を泣かせたり苦しませたりする。けれども、ぼくには犬塚がそういった人種に属するとはとても思われない。彼は真面目に、不器用なほど一直線に、自分の信じる道を追い求めようとしたのだ。最近は登山がちょっとしたブームのようになっているが、そんなお気楽なものではなく、自分の人生そのものを賭けようとしたのではないか。

 『林の方へ』は、そのころに描かれた作品のなかでも、爽やかな風が吹き抜けるような一枚だ。息詰まるような濃密な自然は、ここにはない。地面もほぼ水平に描かれ、山の上というよりどこかの里ではないかと思いたくなる。田舎の親戚の家に遊びにいくと、こんな風景があたりに広がっていそうな気がする。

 犬塚はまだ、“こちら側”の世界にいるのだろう。『林の方へ』というタイトルが、彼の現在地をよくあらわしている。けれども・・・。

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『梅雨の晴れ間』(1986年)

 『梅雨の晴れ間』は、まさしく『林の方へ』のあとにつづくべくして描かれたようにぼくには思える。彼は人々の住む里を離れて、斜面を登り、次第に高いところへ向かおうとするのだ。けれども、まだ人跡未踏の地というわけではないだろう。“けものみち”にも似た細い道が、上へとつながっているからである。

 このころ、犬塚は「人を描かずに人を描くことができるだろう」という謎めいた文章を書き付けているという。それは、人の痕跡ということだろうか。いや、それだけではない気もする。

 空想力の豊かな人は、この風景のなかに、さまざまな人間の姿を置いてみることができるはずだ。若い男女かもしれないし、肉体を健全に保とうという意志に燃えた屈強な人物かもしれない。植物の写実的な表現はどんどん精緻になっていくけれども、まだ、人の介入する余地がある。といっておかしければ、われわれの生活の背景ともなり得る景色である。

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『縦走路』(1986年)

 ただ、『縦走路』になると、そこには人の息吹は感じられない。このような景観をぼくはこの眼で見たことがないし、これからも見ることはないにちがいない。

 石のひとつひとつまでを丹念に描き出そうという、ほとんど偏執狂とも呼べそうな技法は、やはり人間のコミュニティーを避けて南国へと移住した田中一村の『アダンの木』を想起させる。だが、ここに描かれている自然はもっと険しく、人を容易に寄せ付けないほど荒々しい。

 それと同時に、この風景は、太古に滅び去った遺跡の風化した姿にも見えたのだった。犬塚が実際に登ったにちがいない、道なき道。彼はごつごつした岩を踏みしめながら、自分のちっぽけさを身にしみて感じたのではないだろうか。

 決して美しいとはいえない岩場の光景を、彼はこのうえなく美しい絵画として描き出した。『縦走路』は犬塚の絵の極北であると同時に、行き止まりでもあったのではないか、とぼくは思う。

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