てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

噴き出るマグマのように ― 片岡球子讃 ― (2)

2012年05月06日 | 美術随想

『炬燵』(1935年、北海道立近代美術館蔵)

 初期の片岡球子の人物画は、われわれが見慣れているアクの強い画風のものとは全然ちがっていた。

 『炬燵』は北国の冬を連想させる絵だ。彼女は北海道に生まれているが、このときは横浜で小学校の先生をしながら絵を描いていたので、双方の記憶が合わさって構成されているのだろうか。

 一週間に30時間も受け持たねばならない小学校教諭の仕事は大変だったようで、実際にモデルを前にして制作するほどの余裕はほとんどなかったにちがいないが、評論家の針生一郎は「下宿のおばさんと娘さん」を描いた絵があると書いているので、この絵がそれなのかもしれない。

 ただ、ここに描かれている二人の人物は、どことなく存在感が薄いようだ。編み物に集中する年配の女性は、後年の球子自身の姿によく似ていて親しみがもてるが、両手まで炬燵に突っ込んで本を読む若い女性の顔は雪のように真っ白で、意味もなくこわばった表情をしているように見える。まるで派手な着物に白塗りの人形の首を据え付けたようで、不調和な感じがする。

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(拡大図)

 この作品でもっとも素晴らしいのは、その着物の柄である。全体的にどす黒く重々しい色彩のなかで、そこだけ花が咲いたように鮮やかだ。強烈な赤から暗めの灰色まで、さまざまな色彩が無茶苦茶に入り乱れているのではなく、ある法則にのっとって組み合わされている。

 おそらくこの着物の表現に、のちの片岡球子の美学の原点があるように思う。何となく男勝りのようなイメージのある球子だが、世間の女性と同じように、美しい着物には関心があったにちがいない。実際の着物を借り出してスケッチするうちに、絢爛たる美しさのとりことなって、圧倒的な密度で描き上げてしまったのであろう。

 人物の顔を、極彩色で緻密に描かれた着物で彩ること。これこそが、彼女の作風を決定づける『面構(つらがまえ)』シリーズへとつながっていくのである。

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