てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

涼と寂を求めて ― 無帽で無謀な嵯峨野めぐり ― (3)

2008年07月26日 | 写真記


 寂庵を辞去して(といっても玄関から一歩も入ってはいないが)、そろそろ帰ろうかとも思う。バス停からここまででも相当歩いてきたが、同じ距離をふたたび歩いて引き返すことを考えると、少々気が重くなる。以前から痛めている右膝がだんだんうずいてきた。夜勤の無茶な仕事でボロボロになった体は、そう簡単には元通りになってくれないようだ。

 実をいうと、この日は愛宕(おたぎ)念仏寺まで行けたらいいなと思っていた。嵯峨野のどん詰まりというか、かなり奥まったところにあるのだが、歩いていくにはちょっと遠すぎるかもしれない。西村公朝(こうちょう)さんという仏師の方が住職をしておられた寺で、ちょうど1か月前に吹田市立博物館というところで西村さんの展覧会を観ていた(同館の初代館長が西村さんだった)。愛宕念仏寺の仏像もいくつか出品されていて、いつかはその寺を訪ねてみたかったのである。

 ぼくは仏教徒ではないが、それでもなぜか瀬戸内寂聴さんの次ぐらいに、西村さんのことが好きだった。清凉寺の生き身のお釈迦様を知ったのも、西村さんが案内役を務めていたNHKのテレビ番組がきっかけだった。残念ながら彼は5年前に亡くなったが、彫刻家を経て仏師になったというその生きざまには惹かれるものを感じる。西村さんのことは、また改めて書くこともあるだろう。

                    ***

 嵯峨野にはもうひとつ、化野(あだしの)念仏寺というのもある。寂庵から少し西へ戻りかけると、化野まで3分という看板が眼についた。炎天下の外歩きにはかなり参っていたが、カップラーメンができあがるのと同じ時間だけ我慢して歩けばそこに着けるのかと思うと、俄然行ってみようかという気になった。

 道行く人は、ほとんどいない。暇をもてあましたタクシーの運転手が、道端で缶ジュースを立ち飲みしている。何軒か並んだ土産物屋をのぞいてみても、退屈そうな店員がぽつんと座っているばかりだ。そろそろ3分経ったかと思うころ、ぼくがたどり着いたのは念仏寺の境内ではなく、長い石段ののぼり口だった。あとひと息、と自分を励ましながら、重い足を運んだ。

 ここはよく知られた寺だが、受付を通って中に入っても、突然大きな伽藍が出迎えてくれるというわけではない。それもそのはず、化野の地は古来、鳥辺野と並ぶ風葬の地であった。風葬というのは遺体を野ざらしにして、肉体が風化するのを待つという弔いの方法である。鳥辺野あたりは今でも六道の辻といって、冥界の入口があるのだといわれ、歌人の小野篁(おののたかむら)は井戸を通って現世と地獄を自在に往還していたという伝説もあるが、けだし化野も冥土の一丁目というか、あの世への控えの間といったおもむきなのであろう。

 矢印に従って歩いていくと、すでに道端に何体もの石仏が置かれているのが眼に入る。よく思い出してみると、金閣寺や清水寺のように騒々しい観光スポットと化している寺院には、むき出しのまま安置されている仏像はほとんどない。いわば仏たちは奥まったところに隠されていて、死人を葬るという本来の生々しい目的は、文化財とか歴史とかいうあたりさわりのないキーワードに置き換えられている。修学旅行生や外国からのお客を受け入れるには、それは必要なことなのである。

 しかしここ化野念仏寺を訪れると、いやでも“死”というものに向き合わざるを得ない。あるいは、死後の世界に思いを致さざるを得ない。それは仏教を信じると信じないとにかかわらず、すべての人間にとって切実な問題であり、身近なことがらでもあるのだ。ただ、普段の生活にまぎれて忘却しているだけである。


〔石段をのぼって境内へと向かう〕


〔石を積み上げた仏舎利塔。インドのスタイルだという〕


〔エキゾチックな鳥居〕


〔派手な衣をまとった無縁仏〕

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 かつて遺骸が野ざらしになっていた化野に、寺院を建立してねんごろに死者を葬ったのは空海だという。しかし今でも、地面に死者たちのエキスが染み込んでいるかのようである。往時を髣髴とさせるのが、8000体もの石仏が整然と居並ぶ西院(さい)の河原の存在だ。

 低い石塔に囲まれた四角い地所のなかに、かたちも大きさもまちまちな石仏がずらりと整列している。石仏というと、何だか無造作に置かれているような印象があっただけに、奇妙な眺めではある。不定形のものが幾何学的な美しさで並んでいるのを見ると、見事な列をなして植えられた田んぼの風景が思い出される。同じものはふたつとないが、それらがある秩序を保って構成されているのを俯瞰するとき、ふと世の中の縮図を眺めているような気にもさせられる。

 現代風にいうと、ここはある種のテーマパークといってもいいだろう。あの世が立体的に表現された、バーチャルな空間だといってもいいだろう。ただ、遊園地のお化け屋敷なんかよりも、より切実な怖さがある。石仏に囲まれてひとりたたずんでいると、累々たる死者たちの声なき声が蝉時雨を圧して地の底から湧き上がってくるような感じさえする。眼に見え、手に触れることができるような死後の世界のイメージが、たちまちのうちに人を孤立させる。西院の河原に足を踏み入れた人は、いってみれば数え切れないほどのあの世の“先輩”たちに取り巻かれたまま、なすすべもなく立ち尽くすしかないのである。


〔ずらりと並べられた石仏たち〕


〔中央にはひときわ高い石塔がそびえる〕


〔墓地へと向かう道は竹林に囲まれていた〕

                    ***

 ところが、ぼくはまだ生きている。これからも生きねばならない。この日は昏倒してもおかしくないほどの厳しい暑さにさいなまれながらあちこちさまよったが、それでも焦熱地獄の熱さよりはましであろう。

 嵯峨野散策の終わりに死者の園にまぎれ込んだぼくは、そこでささやかな生きる意志のようなものをさずかった気がした。それを手放すまいと後生大事に抱きかかえながら、ふたたび嵯峨野をてくてく歩いて帰途についた。

(了)

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