てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

涼と寂を求めて ― 無帽で無謀な嵯峨野めぐり ― (2)

2008年07月23日 | 写真記


 実をいうとこの日、猛暑を押しての嵯峨野散策を思い立ったのは、清凉寺に行きたかったからではなかった。本当の目的地は、別にあった。エアコンの効いた室内でだらだらしているよりも、天然の涼しさを求めて外へ出るほうが健康的なことにちがいない。もっとも、最近のテレビは外出をなるべく控えろといい、家のなかでは冷房をつけるのを控えろという。何だか矛盾しているような気がする。

 前の晩、京都のガイドブックをなにげなくめくっていると(京都市民のくせにこの種の本が手放せないのが情けないところだが)、祇王寺というのが眼についた。おそらく紅葉の名所であり、これまでも名前を聞いたことはあったのだが、ものぐさなことに場所を確かめたことがなく、もちろん行ったこともなかった。何となしに、うんと山奥のほうだろうという気がしていたのだが、それはテレビや雑誌などで断片的に植えつけられた生半可な知識によるものだったろう。地図で調べてみると、清凉寺から歩いて数分の距離にその寺はあった。

 平家物語ゆかりの場所である。祇王という名の白拍子は平清盛の寵愛を受けるが、のちに見捨てられ、尼となって母や妹とともにこの草庵に隠棲したという。だがそんな由来はさておいても、ふかふかのじゅうたんのごとく豊かな苔をたたえた庭に、木々の茂りが折り重なって影を落としている写真を見て、ぼくは一も二もなくこの寺に出かけたくなってしまったのだ。

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 酷暑のせいか、駅からもうだいぶ離れているせいか、このへんまで来ると観光客はまばらである。けれど、ときたますれちがう人たちとの間には、厳しい暑さにもかかわらず嵯峨野めぐりを心底楽しんでいるのだという奇妙な連帯感のようなものが芽生えている感じがする。

 ほどなく祇王寺の看板が見え、あまり整備されていない階段をのぼって庭内に足を踏み入れた。木の梢にさえぎられた日の光がソフトフォーカスをかけたように柔らかく、静かではあるが豊潤な気のようなものがあたりいちめんを満たしていて、息がつまるようだった。


〔木立をくぐると祇王寺の入口があった〕


〔木漏れ日が苔を染め上げる〕


〔周囲は竹林に取り囲まれていた〕


〔さびれた茅葺の門がたたずむ〕


〔女たちの供養塔(左)と清盛の供養塔が並んで建つ〕

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 ここまで来たついでといっては何だが、ちょっと立ち寄ってみたいところがあった。ただ、普通の開かれた寺院とはちがうので、行っても中には入れてもらえないだろう。それでも、一度はその門の前に立ってみたかった。瀬戸内寂聴さんが結んだ寂庵がこのへんにあることを知っていたのだ。

 祇王寺を出ると、まるで洗濯機に放り込まれたかのように、たちまち暑熱の渦に巻きつかれるのを感じた。それでも汗をぬぐいながら、家にあった地図を頼りに寂庵を目指す。地図の表紙を見ると、97年版と書いてあった。ぼくがまだ京都に住み着く前に買い求めたものである。しかし都会の真ん中ではないので大きな変化はなく、さしたる不便は感じない。

 北への一本道をしばらく歩くと、のどかな田園風景のただなかに出た。風がほとんどないので爽やかとはいかないが、見晴らしがいい。ついに、道端に「嵯峨野 寂庵」と書かれた板切れを見つけた。うっかりしていると見落としてしまいそうな、小さな看板である。

 その指し示すほうに向かって進んでいくと、見覚えのある門に出くわした。ぼくは昨年、寂聴さんの展覧会で寂庵の入口を再現したものを見ているのですぐにそれとわかったが、有名人の自宅にありがちな豪壮な構えではなく、いかにも質素なつくりだった。

 戸は固く閉ざされていたが、格子の隙間から向こう側を垣間見ることができた。小さな石仏が置かれている以外は、京都の街外れにありがちな住居のたたずまいだった。ここで待っていれば寂聴さんが出てくると思ったわけではないが、ぼくは何となく立ち去りがたく、しばらくその場にたたずんでいた。


〔青々とした田んぼのなかを通る〕


〔寂庵の玄関。竹筒の投句箱がかかっていた〕


〔作家の井上光晴が揮毫した表札〕

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 実はここに向かって歩いている途中、1台のタクシーがぼくを追い抜いていったと思うと、寂庵の前に停車するのが見えた。ここには人生相談に来る人が後を絶たないという話を聞いたことがあるし(その一部はNHKで放送され、書籍化もされている)、写経の会も開かれているそうなので、そのための来客かと思っていると、おばさんがふたりタクシーから降りてきて、玄関を背にして並んで立った。運転手も心得たもので、駆け出さんばかりに運転席から降りるとカメラを構え、記念写真を撮っただけで飛ぶように帰っていってしまった。

 なるほど、こういう観光のしかたもあるものか、とぼくは考えた。このおばさんたちは、どう考えても寂聴さんの熱心な読者だとは思えなかった。おそらく名前と顔ぐらいしか知らないのではなかろうか。

 タクシーで乗りつけ、つまみ食いをするみたいに写真だけ撮って去っていく。ここを訪れたという“記録”は残るが、“記憶”はまったく残らないだろう。それで満足できる人は、世の中を調子よく渡っていける人かもしれない。本来ならば、寂庵などに縁もゆかりもないはずの人かもしれない。

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