てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

浮かれあるき、撮りあるき ― 祇園祭2008 ― (3)

2008年07月18日 | 写真記


 ニュースでも報じられていたとおり、すでに祭のハイライトである山鉾巡行は終わってしまい、本番に先立つ顔見せともいえる宵山の話を書くにはもう遅い。巡行が終わるとほどなく山や鉾は解体されてしまうので、この時間にはすでにバラバラにされ、倉のなかにしまわれているか、会所の内部に安置されているのかもしれない。やれ古いお面を取り出したの、何百年ぶりに懸物を新調したのという話は聞こえてくるが、それをいつどうやって片付けるのかに関しては、詳しく伝えてくれる情報も少ない。

 さてぼくはといえば、地元のテレビ局が生中継した巡行の模様を録画するのが習慣になっている。だが、いざ祭がすんでしまってからビデオを見ても、あのうきうきした感じは色あせてしまっている。今年は実際に巡行を見ることができなかったので、ビデオだけ見ているのも余計にさびしい。妙な表現だが、祭は“なまもの”なのである。

 とはいいつつ、またしても宵々々々山の話のつづきを書いてみたい。

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【南観音山】
 長刀鉾が先頭なら、しんがりを務めるのはいつもこの南観音山だ。巡行当日は、この山が通過した後の大通りにぽっかりと空隙ができる。すっかり都会化した京都ではめったに見られない、都市のエアポケットが出現するのである。しばらくすると電力会社かどこかの車両がやってきて信号機を定位置に戻し、やがて通行止めが解除され、いつもの京都に戻る。

 3年前のことだが、この山の懸装品を間近で接する機会を得た。京都芸術センターというところで、特別に公開されたのである。そのときまで、ぼくは山や鉾を飾り立てる懸物やご神体などに何の関心もなかったが、加山又造の原画をもとに織り上げたという素晴らしい見送り(山の後方に下げるもの)を観て、途端に興味がわいた。宵山の期間中には、会所の近くで原画とともに飾られている。巡行をしめくくるのは、雄渾な龍の図である。


〔南観音山からも祇園囃子が聞こえていた〕


〔飛天が描かれた水引も加山又造の原画による〕

【北観音山】
 南観音山のすぐ北側には、北観音山が控える。毎年24番目を巡行することが決まっている。かつて巡行が2日にわたっておこなわれていた際には、「後の祭」の先頭はこの山だった。南北の観音山のためには2本の松が用意されるが、そのどちらを選ぶかは、くじ引きで決められるそうだ。


〔北観音山も準備万端である〕


〔保存会の役員さん(?)が満足そうに山を見下ろしていた〕


〔近くの町家では現代美術の「屏風祭」。エッフェル塔の台座から拓本をとった作品だそうだ〕

【八幡山】
 朱色の鳥居とお社をのせて巡行する。鳥居の上には左甚五郎が彫った鳩のつがいがのせられる。


〔この日、八幡山では提灯はまだ準備されず、裸電球の試験点灯のようだった。これはこれでクリスマスツリーのような美しさだ〕

【放下鉾】
 この鉾は、いち早く祇園囃子の練習をはじめることで知られる。鉾頭は日・月・星の光が下界を照らすかたちという。提灯の模様もこれを図案化したのではないかと思うが、ある有名なネズミのシルエットに見えなくもない。


〔放下鉾の提灯のマークは逆さになったミッキーマウスのようである〕

【郭巨(かっきょ)山】
 別名を釜掘山といい、上村松篁の原画による懸物を飾っている。ご神体を屋根で覆っているのもおもしろい。


〔主を待つ屋根を下からのぞむ。提灯のマークは「釜」の図案化か〕


〔近くの自動販売機にも「郭巨山」の文字〕

【月鉾】
 美術的な価値が云々されるのは、やはりこの鉾である。一度ぐらいは上にのぼって間近で拝見したいものだが、まだ実現できていない。かつて鉾の上で茶会が催されていたそうだが、何とまあ豪華な茶室であろうか。


〔昼間撮影。月といえば兎だが、こちらの兎は左甚五郎作。屋根裏の草木図は円山応挙筆〕


〔提灯には筆勢も勇ましい「月」の文字〕

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 宵山もまだはじまっていないのに、こんなに字数を費やしてどうするつもりかという気もするが、人が少なく、のんびりとまわることができた。今では何十万人もが集まる宵山だが、昔はもうちょっと人が少なかったのではないだろうか。過ぎ去りし祭の風情を髣髴とさせる、楽しいそぞろ歩きだった。

つづく
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