テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々

エジソンも好きなテスラ研究家がいろいろ勝手に語っています。

★テスラと縁があった日本人(2)木村駿吉

2005-09-29 01:04:57 | Weblog
 1902年、海軍無線電信調査委員会の木村駿吉は、欧米の無線事情を調査するため米国にわたり、テスラのマンハッタンの研究所を訪問した。当時、テスラはニューヨーク郊外のワーデンクリフに大無線塔を建設し、「世界システム」の実現に向かって第一歩を踏み出したところだった。
 研究所を訪れた木村に、テスラは巨大なテスラコイルを使ったデモンストレーションを見せて、無線送電に比べれば、無線電信などとるに足らないと笑ったそうである。
 木村の訪米の目的はあくまでも無線電信の調査にあったので、無線送電を強調するテスラに失望して研究所をあとにしたという。
 この調査を通して、木村は自分たちの研究レベルに自信をもち、独力で無線装置を製作しようと決意した。そして努力の末、ついに日本独自の無線機の開発に成功するのである。
 哨戒艦「信濃丸」に搭載された彼の三六式無線機は、バルチック艦隊の発見を伝える有名な「敵艦見ユ」の第一報を打電した。連合艦隊勝利の報に接した木村は、床に跪いて合掌し、神に感謝したという。
 ちなみに木村の父は、咸臨丸の提督として勝海舟や福沢諭吉とともに太平洋を渡った海軍奉行木村摂津守喜毅。兄は日清戦争の黄海海戦で活躍した木村浩吉大尉(のち少将)と、まさに海軍一家だった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿