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テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々

エジソンも好きなテスラ研究家がいろいろ勝手に語っています。

巨星墜つ! アーサー・C・クラーク、90歳で逝去

2008-03-20 01:30:01 | Weblog
 アーサー・C・クラークが亡くなった。享年90歳だった。「巨星墜つ」という表現がこれほどふさわしいSF作家もいないだろう。
 彼が脚本に関わった『2001年宇宙の旅』は計5、6回見た。最初は学生の時。それまでの東宝特撮物とは段違いのリアリティに度肝を抜かれた。映像はキューブリックの手柄だが、底流にある宇宙哲学は間違いなくクラークのものだった。
 小説では『都市と星』がお気に入り。永遠の都市ダイアスパーの硬質なイメージがなんとも心地よい。もうひとつの代表作『幼年期の終わり』も、個人的にはキリスト教的な形而上学になじめなかったが、傑作であることはいうまでもない。
 科学エッセーの大家でもあり、『未来のプロフィル』のような技術的予言に真価を発揮した。予言といえば静止衛星は生前に実現したが、宇宙エレベーターのほうは見られずに亡くなったことになる。
 晩年はスリランカに住み、ダイビングを楽しみながら、最後まで健筆を振るった。SFを代表する大作家の死に心から哀悼の意を表したい。
 
 

フルタイムライターに復帰

2008-03-12 21:44:50 | Weblog
ダイエー藤沢店クリーンスタッフ洗浄機担当
新戸雅章 60歳 還暦
片手ターンが得意なキムタエのファンでございます。

ということで、このほどパートの現業を離れて、
勝手にフルタイムライターに復帰することにしました。
仕事はまだフルとはいかないので、お仕事募集中です。
テスラやサイエンスもまだまだやりますが、経歴を活かして、
「公務員はなぜ働かないのか」とか、「格差社会におけるパート労働者の実態」
といったハードなものにも挑戦する意欲満々です。

その前に今かかっている連載原稿や翻訳を早く仕上ないと
怒られるでしょうけど。

父の遺言

2008-03-02 20:53:03 | Weblog
 父の一周忌の件で親戚一同に電話する。早いものだ。
 父が89歳で亡くなったのは昨年の3月21日。死因は急性心筋梗塞だった。
 15年ほど前、心臓の大手術を乗り越えた後は元気に過ごしていたが、最後の数年でその心臓のほか、腎臓、肝臓などに不具合が見つかり、亡くなる2年ほど前からはほとんど寝たきりの状態が続いていた。覚悟はしていたが緊急入院して一週間後、最後はほとんど苦しまなかったのがさいわいだった。
 とはいえわたしのような半端者には親の死はこたえた。甘い親で息子のわがままを許しくれる一方、長男として期待もしていたと思う。その期待にほとんどこたえられなかったばかりか、最後まで心配のかけどうしで見送ることになった。
 亡くなる少し前、父の夢を何度か見た。現実には寝たきりの父だったが、夢に出てくる父は不思議と元気な頃の姿ばかりだった。家業は父が始めた洋品屋だったが、商売をしている場面はまったく出てこなかった。たいていはのこぎりや金槌をもった父が家の中でなにかをつくったり、塀や家のまわりを修理をしたりしていた。
 桶屋の長男に生まれた父は海軍にはいって家業は継がなかった。それでも子供の頃から祖父を手伝っていたおかげでカンナやノミをよく使った。その父の大工仕事の手伝いをするのがわたしは好きだった。たとえ夢の中でも元気に道具を使う父の姿はうれしかったし、一家を支えてくれていることを実感させてくれた。
 亡くなる直前に見た夢では、父は布団に寝ていた。といっても、まだ元気な頃の父で、寝ている部屋も以前住んでいた旧い店舗併用住宅の居間だった。わたしが長い昼寝からさめて階下へ降りていくと、寝ていた父がわたしを見上げて「もう11時だぞ」とひとこといった。柱時計を見ると針が11時を指し、外は真っ暗闇だった。
 ああ、こんなに寝てしまったのか。夢の中でも12時が自分の時間の終わりだとわかった。あと1時間でなにができるだろう。なんでもっと早く起きられなかったのか。後悔のうちに目がさめた。
 父は最後までなにも言わなかったが、夢の中でのんびり屋のわたしをいましめたにちがいない。気づくのが遅すぎるといわれればそれまでだが、今はその言葉を父の遺言だと思ってかみしめている。


「新・UFO入門」ふたたび

2008-02-04 16:42:51 | Weblog
 ネットを検索していたら、以前、このブログで誉めた唐沢俊一氏の「新・UFO入門」(幻冬舎新書)が、わたしのUFO論「六〇年代のハルマゲドン -UFO教団CBAの興亡―」から何カ所か盗用したという指摘に出会った。

 この問題ではほかにも盗用されたとされる人がいるようで、まとめサイトが立ち上がっている。そこでわたしと唐沢氏の文章が比較できるようになっている。あらためて読むと、たしかによく似てはいる。

 わたしはもともと記憶力が悪く、書いた物はすぐに忘れるたちなので、最初に読んだときには気づかなかった。似ているなとは思ったが、こちらの文章も文献をまとめたものなので、そのせいだろうくらいにしか考えなかった。これだけ似ていると、やはりいろいろ勘ぐられるのも仕方がないかもしれない。

 わたしも物書きの端くれなので、引用や参照の問題が微妙なことはよく承知しているつもりだ。それだけに対応には慎重を要することはいうまでもない。この問題についてこれ以上言うつもりはないが、わたしのような無名の著者でも五分の魂はある。あまり軽く考えないほうがよいのではないだろうか。

 UFO史に戦後文化史(戦後サブカルチャー史や日本SF史)を読み込む唐沢氏の問題意識はわたしと重なるところが多い。その点で氏の切り口を高く評価した本ブログの記述は間違っていなかったと思う。それだけに、こうした問題が起こるのは大変に残念である。

 うっかり間違いはだれにでもある。今回の件でもし思い当たる節があるなら、唐沢氏は素直に謝るほうがよいし、それが将来のためでもあるだろう。才能豊かな著者にはさらに慎重な配慮を期待すること切である。



「天才の発想力 エジソンとテスラ、発明の神に学ぶ」刊行

2008-01-19 23:34:05 | Weblog
 今週末、「天才の発想力 エジソンとテスラ、発明の神に学ぶ」サイエンスアイ新書(ソフトバンク クリエイティブ)から出した。わたしにとっては久々の書き下ろし単行本となる。
 今回、上梓した本の趣旨はエジソンとテスラのライバル関係を軸に、そのアイデアや発想のエッセンスを探ろうというもの。対照的な個性を持ちながら、発明にかける情熱や生き様にはどこか共通するふたりの関係はやはり抜群におもしろい。理系、文系を問わず、広く発想やアイデアのヒントがほしいという方の参考になると確信している。
 この新書は紙質がよく写真がクリアーに出るので、できるだけ多くの写真を収めた。この点でも楽しんでもらえると思う。
 それとサイエンスアイ新書初の縦組みという栄誉もになわせてもらった。編集部によればこれから読み物や伝記にも力を入れていきたいからとのこと。わたしの出番もまたあるかもしれない。
 ということで、興味のある方は、ぜひ一度手にお取りのほどを。

 208頁/サイエンスアイ新書(ソフトバンククリエイティブ)/945円(送料+税)/2008年1月16日刊



ブログ再開

2007-12-04 18:48:29 | Weblog
皆さまごぶさたです。
春から夏にかけて両親の介護や葬儀で、公私ともに多忙となったこともあって、ブログの更新を怠っていました。

ようやく落ち着きましたので、再開することにしました。
また、よろしくお願いします。

映画「プレステージ」初日の反響

2007-06-10 01:15:19 | Weblog
 話題の映画「プレステージ」 が昨日から公開。

 ブログや2ちゃんねるで読む限り、観た人の評価は分かれている。平均して5段階で3から4の間といったところか。
 評価要素は衣裳や効果、キャスティング、主役二人の演技力、練り込まれたストーリーなど。 
 マイナス要素は時間軸が錯綜してストーリーを追いにくいところと、最後のオチらしい。ミステリーかSFかわからんという意見も意外に多い。
 逆にわたしはそのあたりはすべておもしろいと思ったのだが。したがって採点は5点満点の5。
 わたしの場合、ニコラ・テスラとテスラコイルが出てくれば当然採点は甘くなるし、しかもコロラドスプリングズの研究所の再現なども加味されているので、あまり参考にはならないが。

 あと、テスラってだれ? とか、あのトンデモ発明家とかいう発言もけっこうあったが、テスラなら納得という意見がそれより多いのに安心した。

 さて、興行収入のほうはどうかな。






テスラの無線送電、MITで実験成功

2007-06-08 22:19:37 | Weblog
 米マサチューセッツ工科大学(MIT)のマリン・ソウリャチッチ助教授のグループは、電源から2メートル強離れた60ワットの電球に無線送電し、点灯に成功したと発表した。
 その方法はいわゆる「電磁放射」ではなく、磁気的な共振を利用したもの。共振を利用することでより効率的に、また磁気の使用によって外部から影響が少ない送電を行えるという。

 これぞまさにテスラの世界システムの小型版である。世界中に送電というわけにはいかないまでも、室内で携帯電話やノートPCにコードレス給電することくらいなら可能だろう。
 MITでは、これを「WiTricity」(「ワイヤレス」と「電力」の造語)と名付けたそうだが、こは当然「World System」とすべきではないか。
 2メートル強で世界はおこがましいというなら、せめて「Tesla System」にはしてほしい。

 ソウリャチッチ助教授は名前からしてスラブ(セルビア)系のようだが、やはりテスラの業績にヒントをえたのだろうか。だとしたらなおさら「Tesla System」にしていただかないと。
 いずれにしても、テスラの先進性がまたも証明されたということで、けっこうなニュースだった。

ITmedia
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0706/08/news021.html

唐沢俊一「新・UFO入門」でわかったこと(下)

2007-06-02 21:52:10 | Weblog
 平野威馬雄氏は戦後活躍した著名な文筆家で詩人である。専門の仏文学以外にもあらゆる分野に関心をもち、数多くの著作をあらわした。また、UFOファンで、一時期CBAとも関わりが深かった。その関わりの一部始終を書いたのが、唐沢氏も紹介している「それでも円盤は飛ぶ」(高文社)である。
 この本はわたしがUFOに関心をもつきっかけにもなった著作でもあり、そのことは自著でもふれた。それでわたしと平野氏が同一人物だと誤解したのだろうというのが、唐沢氏の推理である。
 たしかにそう考えると楓月氏の怒りがすっと頭にはいってくる。当時、楓月氏の本をちゃんと読んでいればすぐにわかった事実だが、そのときは関わりたくないという思いが先にたってそこまで考えられなかったのである。

 しかしそうはいっても、私と平野氏を混同するというのはまったくありえない話である。
 平野氏は1900年生まれ、わたしは1948年生まれ。50歳近く歳が離れている。しかも平野氏は1986年にはお亡くなりになられている。いくらオカルトがらみの話とはいえ、95年にニコラ・テスラの本を出せるわけがない。
 そんなとんちんかんな批判に反応しないで正解だったと、あらためて思ったものである。
 
 とまあ、長々と私事を書き連ねてきたが、唐沢氏のこのUFO本は、と学会風の批判(ツッコミ)本でもなく、礼賛(ボケ)本でもない。氏自身は自著を「B級ポップカルチャーの歴史を洗い直すもの」と位置づけているが、CBA問題のほか、アダムスキー問題、UFO情報論、UFO運動論、日本SFとのかかわりなど、戦後日本におけるUFO現象のありかたを探究した一書である。

 氏は本書の最後で、戦後あれだけ騒がれたUFOを、現代人が見なくなったのはなぜだろうと疑問を提している。たしかに最近はUFOの話題がマスコミに取り上げられることは少ない。それはたぶん、現代人がUFOに象徴される未来を夢見られなくなったからだろうというのが唐沢氏の見解である。
 そしてUFOが見られない時代は寂しい。「またUFOが飛び回る時代が来ればいいなと、最近の私は念じているのである」と結んでいる。

 たしかに戦後、UFOは宇宙であり、来るべき科学であり、未来そのものだった。それらのもつイメージの力は現代日本ではたしかに衰えている。成熟社会にはいった現在ではやむをえない面もあるが、UFOと希望が重なりあっていた若々しい時代にほのかなノスタルジーを覚えることも事実である。

 ◎唐沢俊一「新・UFO入門」(幻冬舎新書)


唐沢俊一「新・UFO入門」でわかったこと(上)

2007-06-01 21:25:31 | Weblog
 唐沢俊一氏の新著「新・UFO入門」(幻冬舎新書)を読んでいたら、自分の名前が出てきてびっくりした。

「……この、”ニコラ・テスラに関する本を出版した”物書きというのは、おそらく新戸雅章氏であろう。彼は1995年にマガジンハウス社から出した『ニコラ・テスラ未来伝説』の中で、少女の誘いでCBAに入会させられそうになった顛末について語り……その後のCBAの活動を、オウム真理教事件の原型として位置づけている」

 これはUFOカルト団体CBAの活動を紹介した中の一節である。
 CBAは今から4、50年昔に活発な活動を展開していた「宇宙友好協会」の略称である。最初は科学的な研究団体として出発したが、松村雄亮というカリスマが指導するようになってから、しだい大洪水による地球の終末とUFOによる救済をうたうカルト団体へと変貌していった。それにつれて青少年への悪影響や献金騒ぎが取り沙汰され、マスコミにも大きく取り上げられた。(詳細はこちらから⇒「六〇年代のハルマゲドン」)。

 わたしは中学生のころ、この団体に傾倒する少女に誘われて観測会に一度参加したことがあり、その後、UFO関係の本をまとめて読んだ時期があった。
 ライターになってからそのことを思いだし、SFかミステリ小説のネタにでもならないかと思って調べたことがあった。オウム真理教事件のあと、その顛末がCBAと重なるところがあると思い、単行本やエッセーで言及した。
 もちろんCBAはオウムのような殺人集団ではない。しかし終末を中心にすえ、カリスマに率いられるカルトは多かれ少なかれ、似たような運命をたどって消えていく。そのようなカルトの消長の典型としてCBAを紹介したのだった。
 UFO研究家志水一夫氏によれば、CBAもカルトの宿命には逆らえず、70年代に解散したそうである。

 単行本を出した数年後、CBAの元幹部である楓月悠元(ふうげつゆうげん)氏が「全宇宙の真実、来たるべき時に向かって」(たま出版)という著書を刊行、その中で「最近、ニコラ・テスラの本を出した」人物を裏切り者として痛烈な批判を展開した。楓月氏は名指しこそしなかったが、それがわたしを指していることは明らかだった。
 楓月氏によれば、この元「CBA関係者=わたし」は、マスコミにCBAに関する悪辣なデマを流した。しかもその邪悪な行動ゆえに最高指導者の松村雄亮から叱責されたのを逆恨みし、ペンネームを変えてテスラの本を書き、出版物によって自己弁護をした。これは卑劣な行為であり、断じて許されないというのである。

「彼らはいったい、自分の行った反逆行為というものを反省することが出来ないのであろうか」「なんという卑劣な人間たちなのであろう」と。

 この批判は当時から目にしていた。すぐに裏切りだとか言いだすのはカルトの常だが、それほど深くCBAにかかわったおぼえもないので、だれかと混同されているらしいという違和感だけが残った。
 いわゆる「信者」のやっかいさはよく承知していたので、それ以上かかわりあいになるのをおそれ、楓月氏が混同した人物が誰かも考えずに放置した。そのうちに忘れてしまった。

 今回、唐沢氏の本を読んで楓月氏の批判に対する疑問がひとつ晴れた。彼の批判にはひとつ大きな勘違いがあったのである。その勘違いとは……。
 わたしのペンネームが、仏文学者平野威馬雄氏のもうひとつのペンネームである、という信じられない勘違いだった。(続く)