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寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3314話) 「あおいくま」

2022年05月07日 | 知識

 “芸人コロッケさんの著作「母さんの『あおいくま』」を読みました。題名から青いクマの縫いぐるみを想像しましたが、お母さんが書いて家の柱に貼った紙の言葉にまつわるものでした。その言葉とは「あせるな おこるな いばるな くさるな まけるな」。それぞれの頭文字を取ったものが「あおいくま」でした。
 母子家庭だったというコロッケさんはお母さんの悪口を誰かに言われても「まけるな」を思い出して心を奮い立たせ、芸能界に入った後も仕事がなかなかないとき「あせるな」を何度も口に出して乗り越えてきたそうです。あの明るいキャラクターが際立つコロッケさんの知らざる一面が垣間見られた気がしました。
 シンプルで思い出しやすい「あおいくま」は何ていい言葉なんでしょう。落ち込んだり迷ったりしたときはもちろん、調子が良くても自分に言い聞かせたいと思っています。小学校六年生の息子にも教えてあげたいです。”(4月19日付け中日新聞)

 名古屋市の教員・青山さん(女・50)の投稿文です。初めて聞く語呂合わせである。「あせるな おこるな いばるな くさるな まけるな」の「あおいくま」である。自分自身を戒める言葉である。いずれも起こしやすい感情である。
 実はボクは最近、よくこの感情に侵されている。それも若い人との対応に多い。本当に若い人のことはよく分からない。先日は大学の先生からもこの言葉を聞きビックリした。若い人を導く人からである。ボクなどほとんどが同世代の高齢者の対応が多いので、良かったなあ、と言う気持ちを持った。自分中心で、プライドが高い気がする。高齢者を敬え、などという気はないが経験の差は大きいと思うが。たまたまならいいが、多くがそうだとすると、この面でも先が思いやられる。この言葉を覚えて欲しい。


(第3297話) なごやめし

2022年04月01日 | 知識

 “県や名古屋観光コンベンションビューローなどでつくる「なごやめし普及促進協議会」は四日、一月末から実施していた「一億人のなごやめし総選挙2022」の結果を発表した。一位はひつまぶし、二位はみそカツ、三位は手羽先、四位はみそ煮込みうどんだった。上位四品目は、二〇一五年に実施した人気投票でも、順位の変動はあるものの、同じ顔触れだった。しかし一五年に十一位以下だった小倉トーストとモーニング、名古屋コーチン、工ビフライが、今回はトップ10に入った。一方、一五年に六位だったあんかけスパは十四位、八位のどて煮は十三位、九位の鉄板スパは十一位、十位の台湾ラーメンは十六位という結果になった。
 投票は一月三十一日~三月一日、協議会のホームページで実施。二十八品目の中から、お薦めしたいものや食べてみたいものを一日一回、最大で八品目選ぶ方式を採った。延べ十五万五千四百四十一人が投票し、総得票数は六十二万九千四百六十票だった。選択肢にないとして自由記入欄に書かれたものでは、しょうゆたこ焼き、たませんが一定の票数を集めた。協議会は今回の結果を踏まえて誘客に取り組むとともに、各飲食店にも参考にしてほしいとしている。”(3月5日付け中日新聞)

 記事からです。さくらさんが、今年3月号の川柳連れ連れ草第243号に「懐かしのなごやめし」と題して、ひつまぶし、モーニング、あんかけスパ、味噌煮込み、味噌カツを句にされている。この記事に全く通じるものである。さくらさんは結婚する前に名古屋に住まわれていた。今や別のところに移られて、懐かしくなられたのであろう。今も他ではなかなか食べられないのだろう。またそれだけ特色のある食べ物なのだ。
 こういう協議会があることは知らなかった。なごやめしを全国に広め、名古屋に来てもらおうという協議会であろうか。そうならば大いに頑張って欲しい。そして、延べ15.5万人が投票されたという。多いのか少ないのか、よく分からぬが継続が大切であろう。そして、なごやめしの店を全国に広めるのではなく、名古屋に行かないと食べられない、として欲しい。全国どこへ行っても食べられるでは、画一的で面白くないし、もうなごやめしとは言えないであろう。


(第3295話) 太陽光パネル

2022年03月27日 | 知識

 “あと二十年もすると、太陽光パネルの大量廃棄のピークが見込まれる「二〇四〇年問題」。松本議員が取り上げたところ、県は、パネルのリユース(再利用)やリサイクルを進めるため、二二年度から設計や生産、リサイクルの各段階に関わる事業者を募集し、有識者を交えたプロジェクトチ-ム(PT)を設置する考えを明らかにした。
 太陽光発電は十年ほど前から加速化。パネルの製品寿命は二十~三十年とされることから、四〇年ごろに耐用年数を迎えるパネルが大量に出ると予想される。松本議員は「資源再利用を今から準備しても良いのではないか」と指摘。これに対し、岡田守人環境局長は「新事業創出や循環ビジネス構築など、事業者の支援をし、使用済みパネルを貴重な資源として有効活用する」と述べた。
 PTでは、廃棄パネルの回収方法、リユース品の品質評価、無害化したリサイクル品の用途の開拓支援などを幅広く検討。今月策定予定の「あいもサーキュラーエコノミー(循環経済)推進プラン」でも、太陽光パネルを重要な課題の一つとして位置付ける。”(3月2日付け中日新聞)

 記事からです。太陽光発電は国の政策、後押しもあり非常な勢いで広がった。それが、2040年頃に大量は廃棄物になるという。物には寿命がある。考えてみれば至極当然なことである。その時に混乱を起こさないように、今から対策を取っておいて欲しいという要望である。
 実はボクの家は2009年12月に設置している。早いほうである。国の政策に協力したつもりであった。売電も一キロ当たり48円であった。もう12年以上経つ。しかし、ボクは国の政策にまたしてもやられた気がしている。48円は10年間である。それを過ぎたらまさか8円になるとは、信じられなかった。損益はどうなっているかと思うと、ボクの計算では10年でほぼ戻した状態である。ボクの家は日当たりもよく、条件がいい。ボクの家がちょんちょんなら、10年で元が引けない家は多かろう。そして一度も故障もなかったし、災害に遭うこともなかった。運がよかったからいいが、この危険負担を負って、ちょんちょんでは納得がいかない。また今後故障もある。この記事のように処分費のこともある。最終的にボクは利息どころか、赤字ではないかと思っている。
 先にボクはまたしても国にやられたと書いたが、それは分収育林である。大損失であった。一般国民にとって国などは信用してはいけない代表と思っている。


(第3261話) 卒アル写真

2022年01月17日 | 知識

 “学校の卒業アルバムや保育園の卒園アルバムの作成に人工知能(AI)の顔認証技術を活用する動きが広がってきた。生徒や園児の登場回数を自動でカウントし「平等に」アルバムに掲載するのを支援する。手間のかかる写真選びを効率化でき、教職員や保護者から評価されている。
 ウェブシステム開発の「エグゼック」(東京)は昨年から顔認証技術を搭載した卒業アルバム制作サービスを提供している。ソフトはパソコンで操作する。米IT企業のAIと自社技術を調整して使用。昨年は約百の写真館を通じて約三百校で利用された。今年は七百~八百校程度に増える見通しだ。(後略)”(12月26日付け中日新聞)
 
 記事からです。こんなこともされているのか、驚いた。今や写真はデジタルである。パソコンに取り込めばいろいろなソフトが活用できる。顔認証技術を使い、卒業アルバム作りに活用されている。登場回数を平等にしなければならない先生にとっては大助かりである。
 本当に今の時代、何のどこに目を付けるか、それによってとんでもない利益を生むことがある。発想も今までの逆にした方がいいことも多かろう。先日テレビで、店内に監視カメラを沢山取り付け、その画像をSNSで流したら、売り上げが何倍にもなったという店を紹介していた。店の混み具合や商品数を見て客が訪れるようだ。当然ながら万引きも減った。自分で画像を見なくても皆で監視しているようなものである。思わず唸った。今までこうしてきたからはもうどこにも通じない。硬くなった頭をどう柔らかくするか、まだ生きるつもりならもう歳だからは言っておられない。


(第3230話) 古典で学ぶ

2021年11月15日 | 知識

 “「過ちて改めざる、これを過ちという」中国の思想家孔子の言葉である。「過ちと知っていながら改めようとしないことが本当の過ちだ」との意味である。「過ち」という言葉は聞き慣れないが、「失敗」に置き換えるとどうだろう。思い返すと、失敗したと思うことはこれまでにも多くあった。
 勉強量が足りなくてテストで悪い点を取ってしまい、「もう少し早くから勉強していれば良かった」と後悔した。そんなとき、すぐに次に向けて勉強を始めることができていただろうか。
 考えてみると「本当の過ち」をしてしまうことが多かった。失敗をきちんとふり返らなかったことを情けなく思う。これからは良くなかったと思うことをしっかりと見直し、同じ失敗をしないようにしたいと思う。”(10月22日付け中日新聞)

 名古屋市の中学2年生・石川さん(女)の投稿文です。石川さんは中学2年生である。この歳でこれだけの投稿文を書かれた。多分「過ちて改めざる、これを過ちという」の諺は生涯の座右の銘となろう。投稿し採択されたことは生涯忘れることはないからである。そしてこの諺は人生の根本であるのだ。過ちは誰もがする。新たな挑戦をすれば失敗はつきものである。そして反省し、乗り越えていく。いくつになっても必要だが、特に若い人には必要だ。これも出合いである。いい出合いをされたと思う。
 ボクはどうだったろう。その時その時にはいろいろ思っていたと思うが、それを今も思っているものがあるかと言われれば、それはノーである。意志薄弱だった気がする。今思っているのは「明日死ぬと思って行きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」である。これは名刺に印刷しているし、机の上に張り出してある。石川さんはこの掲載文を見えるところに張っておかれるといい。


(第3225話) 一宮空襲

2021年11月05日 | 知識

 “1945(昭和20)年7月の二度の大きな空襲で愛知県一宮市の市街地の8割ががれきの山と化した。実家が焼けた話をともに亡き両親から聞き、卒業した小学校の校門に残っている機銃掃射の跡は見たが、戦後生まれということもあり、いまひとつ実感が湧かなかった。少なくとも昨夏、地元の資料館であった戦争展を見るまでは。
 会場には米軍が飛行機からまいたという「伝単」と呼ばれる空襲予告の宣伝ビラがあり、爆撃予定の各都市名があり一宮もあった。その裏には日本語で「二週間以内に爆撃します。命を守るために一日も早く安全な場所に避難しなさい」とあった。ビラを巡り、戦意喪失を恐れたわが国は「デマだ」「拾うな」「警察に届けろ」と命令したそうだ。”(10月14日付け中日新聞)

  愛知県一宮市の鵜飼さん(男・68)の投稿文です。昨夏の戦争展は知りませんでした。こうした話を聞くと、地元のことを知るいい機会を失ったことが残念になります。
 この話の中で、母の家は空襲に遭っています。また、小学校の校門に残っている機銃掃射の跡は一宮友歩会の例会で見てきました。一宮市の大乗公園には空爆殉難記念碑と言うものがあります。これも一宮友歩会の例会で訪れています。この時には思い出を語ってくれた人がありました。
 ボクは戦後生まれです。戦後の貧しさは知っていますが、戦争そのものは知っていません。戦争を知っている人はまもなくなくなるでしょう。戦争放棄をうたいながら、どんどん戦争のできる国になっています。理屈など何とでもできます。国民を丸め込むことなど、権力者にとってみれば容易いことです。日本人の国民性から、走り始めたら一挙にその方向に走ることが懸念されます。戦争ができない国にすることは、いくら言っても言いすぎることはないと思っています。


(第3216話) 自転車にヘルメット

2021年10月17日 | 知識

 “自転車の安全利用を呼び掛けようと、一宮署は県警のマスコット「コノハけいぶ」にヘルメットをかぶせた新デザインを発表した。署の交通安全の啓発イベントなどで使用する。新デザインでは、ヘルメットと夜光チョッキ、交通安全を呼び掛ける緑色の腕章を身に着ける。チョッキには「一宮けいさつ」の文字も。啓発イベント時の交通課員の服装をモデルに、課員がデザインした。署の「コノハけいぶ」と一宮市の「いちみん」を並べた反射材のステッカーも制作。ヘルメットを着用する自転車利用者への配布を予定する。
 十月からは県の条例でヘルメット着用が努力義務化される。同課の北村光課長代理(三七)は「身近なキャラクターから関心を持ち、命を守るためのヘルメットをかぶってほしい」と呼び掛けた。”(9月25日付け中日新聞)

 記事からです。「ヘルメット着用が努力義務化される」という。今まではただのお願いであったのか、改めて知る。そして、小中学生はほとんどがヘルメットをしているが、その他は時折にしか見かけない。ボクは5年前にヘルメットを買った。それは老人クラブ連合会長になり、村内を回る時は自転車にしようと、自転車を新たに購入し、ついでにヘルメットも買ったのである。手本を示すつもりでもあったが、老人では一人として現れなかった。ボクは自転車で出かける時にはほとんどしてきたし、今もしている。変人と思われてきたかも知れない。そしてこの記事である。老人の自転車事故は多いという。これからヘルメットを付けた老人は多くなろうか。期待したい。
 愛知県ではヘルメットの努力義務化と共に賠償保険加入が義務化された。そしたら先日の老人会役員会で、自転車事故の賠償保険付の傷害保険の説明があった。途中入会は今回限りであり、その勧めである。商売の期を逃さない対応に感心した。ボクはこの保険を回覧し、そして加入した。


(第3207話) お月見泥棒

2021年09月29日 | 知識

 “先日、食事中に母が子どもの頃の思い出話を始めた。お月見の頃、友達と各家庭の縁側にお供えしてある里芋を一軒につき一人一個、箸で突き刺して食べて回ったという。信じ難い内容だが、父が「それは『お月見泥棒』と言うらしいよ」と言ったので、調べてみた。
 お月見泥棒は、全国各地の農村部で行われていた風習のようである。昔、食べ物が少なかった時代に、他人への施しと地域の子どもたちを大切にするという精神の表れだとのこと。この日に限り、子どもたちが月見団子を「泥棒」することが許されていた。団子が貴重だった時代は里芋で代用されていたようだ。
 「子どもは月からの使者だから大切にしよう」という趣旨らしい。何とユニークでお茶目な風習だろう。喜んで走り回る子どもたちの姿が想像できた。今でも続いている所があり、母が育った三重県四日市市の一部では、十五夜に子どもたちが近所を回り「お月見泥棒でーす」と声を掛け、お菓子や飴をもらっているようだ。団子や里芋からお菓子に形を変えているが、この風習には準備する大人側の心の余裕が感じられる。児童虐待が増えている時代、「子どもは月からの使者」という言葉を心に留めておきたいと思った。”(9月4日つけ中日新聞)

 金沢市のパート・加藤さん(女・62)の投稿文です。「お月見泥棒」については、2005年10月9日の「話・話」 第426号で掲載している。大分内容は重なるが、もう15年以上の前の掲載なので、再び取り上げた。今も行っているところがあると言われる。こうした風習があるのはもう貴重品、文化財ではなかろうか。426号でも書いたが、ボクのところでは破魔矢や七夕があった。破魔矢は新生児が生まれた家で、七夕は小学1年生に上がった児童がいる家で、回ってくる子供に菓子類が与えられた。七夕はスイカが多かった。いつの頃から無くなったかは、もう数十年の前ことと思うが、ボクには分からない。ただボクには回った記憶があるからこうして書いているのである。
 ともかく地域の絆が薄れている。先日ある家庭について、ボクに苦情を言ってきた人がいる。その人の家庭状況を話したら納得された。近所なのに何も知っていない。ボクの村で最もまずいと思っていることは、亡くなった人の情報が全く知らされないことである。近所の人の亡くなったことを何ヶ月も後に知ったりする。地域の伝統をそう易々となくしてはいけない。なくしたらもう戻らない。


(第3198話) 不完全と盲目

2021年09月11日 | 知識

 “   【宗教のない科学は不完全であり、科学のない宗教は盲目である。】
                      アインシュタイン(物理学者)
 広島と長崎に原爆が投下されて早くも七十六年の歳月が流れたが、八月を迎える度に、アインシュタインが、原爆が投下されたことに関して語ったという一言を思い出す。
 まずは「科学のない宗教は盲目である」の一言。「鰯の頭も信心から」の類は、まさに迷信というべきであろう。一方「宗教のない科学は不完全である」の一言。科学がどんなに発達しても、それをどう使うか、使う人に宗教心が欠如していると、人殺しなどの凶器を作る方へと使ってしまう。原爆、水爆などがまさにそれといえよう。
 「最も偉大な科学者は、最も敬虔な宗教者でなくてはならない」という考え方もあるだろう。科学ばかりではない。政治と経済も、あらゆる学問や文化を使う人間の根底に正しい宗教観が働いていないと方向を誤る。現代がまさにそうといえよう。”(8月17日付け中日新聞)

 「今週の言葉」から愛知専門尼僧堂長の青山俊董さんの文です。ここで言われる宗教とは、根本精神と言い換えてもいいだろう。その人の持つ心根である。智だけに走ってもいけないし、気持ちだけに走ってもいけない。精神と智、宗教と科学、相まって行動していく、この大切さを説いているのである。宗教を根本精神とか心根と言い換えたが、この言葉が適切かどうか自信がないが、日本人の宗教意識は希薄な人が多いからである。宗教心は希薄でも、人それぞれ、心の中には自分の生き方を持っているだろう。譲れない気持ちがあるだろう。
 今の科学の進歩は計り知れない。ITなどできることはもう人間を超えている。使う人によってはもう制御が効かないところまで来ている。核爆弾の量は地球を滅ぼすほどの量があるという。政治も経済も人類全体を忘れ一部の人の利益のためになってきている。人間の欲望には際限がない。もうここらで科学の追究は止めてもいい気がするが、そう思うのはボクだけだろうか。


(第3190話) 西暦換算

2021年08月25日 | 知識

 “元号と西暦が併記されていないとき、私は記憶する明治以降の元号の各開始年を元に西暦へ換算するとある方法を活用します。各元号元年の西暦四桁の下二桁から一を引いた数を「キーナンバー」とし、それに換算したい元号の該当年を足すものです。一九二六年が元年の昭和の場合、キーナンバーは二十五で、昭和二十年に当たる西暦を知りたい場合は二十を足した数を、西暦の冒頭二桁の「一九」に続けて「一九四五」となります。
 それでも注意すべきは改元の年です。平成三十一年と令和元年が重なった二〇一九年だと何月何日に元号が変わったかは年表で確認すればいいのです。”(7月30日付け中日新聞)

 名古屋市の竹内さん(男・82)の投稿文です。ボクの若い頃はほとんどが元号であったが、今は西暦と混在である。悲しいかな元号に慣れたボクには、西暦ではいつのことかイメージがわかない。つい元号に直したくなるが、これがなかなかスッと行かない。そこにこの投稿文である。平成も令和もやってみた。ぴったりである。考えてみれば納得である。明治元年は1868年、大正元年は1912年、昭和元年は1926年、平成元年は1989年を覚えておけばいい。良い知恵をもらったが、悲しいかなこの西暦が覚えられない。これを覚える良い知恵はないだろうか。