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寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3484話) 家鳴り

2023年04月20日 | 知識

 “ある日のラジオ番組の投稿テーマが「私が不安を感じる時」だったので、私の死後の夫の行動が不安という話を送りました。その内容は、常日頃、夫に「私が先に死んで、私の大好きなこの家に女の人を上げたら、私は家鳴りという妖怪になって、家をガタガタ鳴らすからね」と冗談交じりに言っているというもの。
 投稿は番組で取り上げられ、大変盛り上がりました。主人に向け、私の死後、もし家鳴りがしたら、取材に行くから連絡くださいと。そして、これは奥さんですよって言ってあげるからねとも。
 嬉しくて、何人かの友達にこの話をしました。すると、なんとみんな家鳴りを知らないと言います。え~。家鳴りは、いたずらをして家を揺すったり、音を立てたりする小さな鬼のような妖怪です。家の天井からバキッなどと音がするたび、家鳴りがいるのね、と思っていた私。だれもが知っていると思っていたのに、共有できるものではなかったとは。
 日本には、目に見えないものがたくさんいて、そんなものをあがめたり、おそれたりする文化があって素敵だなって思っています。「家鳴り」を検索して、画像を見てくださいな。とってもかわいいやつですよ。”(3月22日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の主婦・伊藤さん(60)の投稿文です。「家鳴り」、知らなかった。調べてみました。確かに言われるとおりでした。そしてラジオ番組でのやり取り、これでは盛り上がりますね。こういう話しが生きているのはいいですね。日本には八百万の神がいる、何でも神様にしてしまう国です。国民を一つの宗教でまとめ上げようとすると当然無理が生まれる。そして争いになり、戦争ともなる。ボクにしたら宗教で戦争なんて、最大の愚かに見える。世界はそんな国が多い。その点日本は大らかで良い。伊藤さんが言われるように「目に見えないものがたくさんいて、そんなものをあがめたり、おそれたりする文化があって素敵だ」は、ボクもそう思う。日本人は宗教心がない、と言われる人もあるが、排他的になるより余程良いと思う。
 伊藤さん夫婦の話もいい。60歳にしてまだ嫉妬心がある。愛がある証拠である。この家に家鳴りはないだろう。


(第3445話) 切り干し大根

2023年01月29日 | 知識

 “晴天の中、肌を刺すような寒風が吹き抜ける。昨年十二月上旬、愛知県一宮市の畑では、細長く刻まれた大根が網の上にずらりと並び、風にさらされていた。一宮を含む尾張北部には木曽川流域の肥えた土があり、古くから大根の生産が盛んだった。冬になると、北西にそびえる伊吹山から季節風「伊吹おろし」が吹き下ろす。その気候を生かし、江戸時代から保存食として切り干し大根の生産が始まったという。(後略)”(1月7日付け中日新聞)

 記事からです。ボクらが子どもの頃、いや父が生存中の時代は、どこの畑もみても切り干し大根が干してあった。ボクも子どもの頃は手伝った覚えがある。突いた大根をほぐすときの冷たさ、また大根を突くときに手まで突いた覚えもある。最近はめっきり減ったが、それでも数軒は干す場が作ってあった。でも今年は見当たらない。高齢で止められたようである。都市近郊農業はもう成り立たない。今80歳代の人が止めればもう終わりである。その先どうなるのだろう。
 ボクの家は、妻が自分達の食べように長年作ってきた。今年も作っている。網戸を利用して干している。切り干し大根は重宝である。何かに混ぜて年中食卓に並ぶ。これもボクらまでだ。娘らも重宝しているようだが、でももう作れない。


(第3422話) 金色の祖父江

2022年12月13日 | 知識

 “稲沢市祖父江町で十九日、「第二十五回そぶえイチョウ黄葉まつり」(中日新聞社後援)が始まった。三年ぶりの開催で、名鉄山崎駅東側に昨年開園した「祖父江ぎんなんパーク」が今回から会場に加わり、規模が拡大。訪れた老若男女がイチョウとともに食事やイベントを満喫していた。二十七日まで。
 祭りは、町内にある一万本以上のイチョウや地元ブランドの「祖父江ぎんなん」をPRしようと、イチョウが色づく十一月下旬に祖父江町商工会などでつくる実行委員会が開催してきたが、コロナ禍で二年連続で中止していた。
 メイン会場の同パークと駅西側の祐専寺には、飲食や物販の計六十三店舗が出店。袋詰めされた祖父江ぎんなんに加え、ギンナン入りのたこ焼きやはんぺん、イチョウで染めた黄色いマフラーなど、祭りならではの商品も並んだ。パークの展望台からはイチョウの絶景が楽しめ、爽やかな秋晴れの下、来園者がスマートフォンやカメラで撮影したり、寝転がったりしていた。(後略)”(11月20日付け中日新聞)

 記事からです。 11月21日、ボクは久しぶりにシルバーカレッジの仲間8人とこの祭りに出かけた。以前来たのはいつだったのだろう、調べれば分かるだろうが、もう10年以上前であろう。当時は祐専寺が主会場であった。そして祭りの発展ぶりに驚いた。案内のあったコースに従って歩いたが、個人の方も自宅で趣向を凝らされ祭りに参加されていた。今の時代、人集めにいろいろ工夫をされている。こうした祭りは起爆剤になる。地元が賑やかになるのは嬉しいことである。
 でも、こうした催しもその時だけのことが多い。苦労は報われているのだろうか。スマホの活用など、個人に籠もることが多くなった。そして少子化社会である。触れあってこそ人間社会である。昔は良かった、などとは言いたくない。


(第3414話) 永遠の今

2022年11月27日 | 知識

 “大学生のとき、今は亡き恩師が毛筆で半紙に「永遠の今」としたためてくれた。その心は「今という時間は今しかないから永遠なのです」。侮いのないよう、今を大事に生きよとのメッセージだと解釈した。
 八十九歳となった認知症の父は急性心不全と胃潰瘍を乗り越え、何とか高齢者施設に入居することができた。やれやれと思う間もなく、今度は八十五歳の母に大腸がんが見つかり、手術を受けた。幸い、両親とも今は元気だが、二人を見るにつけ、果たして幸せなのだろうかと考えている。
 あすが当たり前のように来るとは限らない以上、私は、両親からもらった貴重な命を大切にしたいと思った。恩師の書のことを思い出し、今についての重さをかみしめている。”(11月1日付け中日新聞)

 名古屋市の大学日本語講師・久野さん(男・58)の投稿文です。過去は過去、もう戻らない。未来は、一秒先のことも分からない。ただ確かなことは今の一瞬だけである。この一瞬は二度とない。「永遠の今」とはこんな意味であろうか。そんな今をおろそかにしてはいけない、大切にしよう。
 「生かされている」と思うことも大切である。今を生きているが、実際は生かされていることが多いのである。生かされている命を大切に今を生きる、これが重要とボクには思えてくる。ボクは朝の散歩で、寺院でこの言葉を唱えることにしている。最近は「助けてください」と付け加えることも多くなった。今年9月の丹羽郡十八日講で「南無阿弥陀仏とは“助けたまえ”ということ」という法話を聞いたのである。妻の病が判明し「助けたまえ」がより身近になった。今できることを一生懸命にして、最後は「助けたまえ」とお願いする、これがこれからのボクの姿勢であろうか。


(第3402話) 納豆好き

2022年11月03日 | 知識

 “好き嫌いが分かれる代表的な食べ物として皆さんは何を思い浮かべますか。僕の場合は納豆。例えば母親は大好きなのに、父親は嫌いで見たくもないケースもあろう。そこで納豆がどれほど日本人から好かれ、どれぐらい嫌いな人がいるのかを調べた。ある調査では「好き」と答えた人が77%、「嫌い」が13%。地域別にみると東日本で納豆が好きな割合が高く、関西圈を含む西日本では嫌いな人が一定数いた。
 納豆が好きか嫌いかという結果は、僕にとってちょっと意外なものだった。日本人にとってまさかこんなにも納豆が受け入れられているなんて思いもしなかったから。”(10月5日付け中日新聞)

 名古屋市の中学生・加藤さん(男・15)の投稿文です。加藤さんは、納豆について興味を持たれ、このような投稿をされた。好奇心であろう。好奇心は、若い時も老いても必要である。
 ボクは納豆はもとより豆類は苦手であった。多分これは、小さい時に豆類を食べて吐いた記憶があり、それがいつまでもトラウマになっていた気がする。
 ところがである、昨年から突然変わった。ホテルで何気なく納豆をそのまま食べてみた。美味い、と思ってしまった。それまでも家では、妻が自分の食べる分の少しだけボクのご飯に乗せていた。いやいやながら、食べていた。それからはほとんど毎朝、一パックをそのまま食べている。納豆が健康食として非常にいいことは知っていた。これでボクの老後の健康はますます高まったと思っている。何十年も嫌いだった食べ物が一瞬にして食べられるようになる、こんなこともあるのだ。信じられない。


(第3384話) 笑顔算数

2022年09月27日 | 知識

 “生き方に直結し、ものの考え方の指針ともなる「笑顔にする算数」なるものと数年前に出合いました。「足す」は「助け合う」、「引く」は「引き受ける」、「掛ける」は「声を掛ける」、「割る」は「分け合う」。加減乗除を掛けたこれらの言葉はいずれも人間関係を築く上で大事なことばかりで、とても気に入ったのです。
 損得勘定で物事を判断する風潮が目立つ昨今ゆえ、社会全体の利益に思いをはせながら、しっかりした尺度に照らしながら考えて行動することが肝要です。私は「笑顔にする算数」を基に、他人の価値観を尊重して共に生きる道を探し求めていく所存です。”(九月1日付け中日新聞)

 愛知県阿久比町の石橋さん(男・82)の投稿文です。またまた教訓的な言葉遊びである。この「話・話」 でもカ行など五十音のこうした教訓をよく紹介したが、今回は加減乗除である。足す、引く、掛ける、割るである。助け合う、引き受ける、声を掛ける、分け合う、高齢化社会では必要なことばかりである。しかしながら失われていくことばかりである。原因は少子高齢化か、何歳までも働くことになったからか?いや、そうではないだろう。意識の問題ではなかろうか。意識さえあればこんなことは乗り越えられると思う。
 過去には166話、1582話、2826話、3250話でこうしたものを紹介している。時折振り返ることによってまた新たな気持ちを持つ。こうしたものを一つ、二つ身につけているだけで生活はかなり違ってくる。人の知恵も生かしたいものである。


(第3382話) 緩和医療

2022年09月22日 | 知識

 “名古屋で緩和医療の専門医をしてはや十数年。思うに日本人は我慢強くて「耐えてこそ」が美徳とされ、痛みや苦しみを訴えるのが苦手なよう。苦痛を抱えながらの生活だと、気力が低下するので我慢はしてほしくはありません。
 もともと苦痛とはこの先の危険を知らせる信号です。察知できるかどうかで生と死を分けることかありうるだけに、信号は大切にしてください。少しでも違和感があれば、私たち医療従事者に伝えてください。患者から「我慢するしかない」「病気だから仕方ない」と聞くたび胸の奥がちくりと痛みます。完全に痛みがなくならないとしても、少しでも楽になる方法を医師である私は考えたいです。緩和医療は「諦めの医療」「最期の医療」と評されますが、私たち緩和医はそう考えてはいません。患者がより尊厳を持って生きていける方策を提案し、患者と家族の支えになりたいのです。
 出会った患者や家族から学んだことはわが宝です。「緩和ケアで人生が充実した」「痛みがなくなりやりたいことができた」と笑顔で話してくれる姿に触れられると、緩和医としてのやりがいを感じます。”(8月30日付け中日新聞)

 名古屋市の医師・小島さん(女・52)の投稿文です。「緩和医療」という言葉を最近よく聞くようになった、と言う気がする。多分、もっと以前から言われていたと思うが、自分自身に身近になったからかも知れない。どのように死ぬのか、大きな問題である。ボクの父は2年くらいの闘病生活をしたが、痛みや苦しみはほとんど知らず、まだ生きる意欲のある中で亡くなった。母は10年以上の介護を受けていたが、次第に呆けていき、痛みは知らず、老衰と言われた。
 緩和医療の対象となるのは、痛みや苦しみが伴う時であろう。死ぬ間際になって、このような悩みを持つことは耐えがたい。でも避けられない。それを少しでも緩和して下さる人が緩和医である。その緩和医からこのような投稿である。その時になったら大いに頼りたいものである。
 ボクはつい先日満77歳を迎えた。ボクと同い年で親しかった人が今年2人亡くなった。若い人も亡くなっている。幸い今のボクは人並み異常に元気であり、病に到りそうな兆候もない。でも一瞬にして状況は変わる。死を意識し、それに備え、過ごすことも必要であろう。「明日死ぬと思って生きなさい 永遠に生きると思って学びなさい」、今のボクにはこの姿勢であろう。


(第3368話) 電子データ

2022年08月24日 | 知識

 “パソコンやスマートフォンの普及でデジタル遺品が社会問題化しているそうです。IT機器の持ち主の死後、残された各種データをどう扱えばいいのでしょうか。
 わが家でも急ピッチにペーパーレス化が進んでいます。電気やガス、水道をはじめクレジットカードの利用明細も今や電子データで受け取っています。今後こうした各種電子データが増えれば、管理する私に万が一のことがあったら家族が対応に困る事態が起こりかねません。夫に相談したら「電子データを見るためのパスワードを一つ一つノートか何かに書き出しておいた方が良さそうだな」。私は「その通り」と思いました。それが家族のためなんですね。”(8月2日付け中日新聞)

 岐阜家県羽島市の主婦・老田さん(63)の投稿文です。問題なく使っている時は全く便利なデジタル機器である。ボクももう数え切れないくらい使っている。IDやパスワード、暗証番号、使い回しなするなと言う。それを知りながらもボクは多くを同じものにしている。それでも分からなくなってしまう。
 先日ボクはスマホを買った店に飛び込んだ。暗証番号を尋ねてくるのだが、全く覚えがないし、メモもない。店員に助けてもらってやっと目的のものにたどり着けた。もちろんボクも一覧表してこれらのものをメモしている。今の機器は一度登録したらもう記憶されてもう打ち込むことがないものも多い。それだけに意識にのぼることも少ない。スマホやパソコンが故障したり、買い換えた時にはどうなるのだろう。設置した自分でさえ大変だと思うので、これが子ども達となったらどうなるのだろう。今残しているメモで何とかしてくれるだろうか。便利さと危険は裏腹、考えると気が遠くなる。


(第3353話) 国語

2022年07月26日 | 知識

“  【国語を忘れた民族は滅びる】  (お茶の水女子大名誉教授)藤原正彦
 茶の間に活けた五月雨萩がはらはらと散ったのを見て、友と日本語の豊かさを語り合った。「椿は落ちる」といい、「桜は散る」という。「牡丹はくずれる」といい、「朝顔はしぼむ」といい、「萩はこぼれる」という。花が散るのにさえ、これだけの言葉を使いわける日本人の豊かな情緒と、それを育てた日本の恵まれた自然環境を大切にしたいね、と。
 素人の私の書いた文章さえ、英訳するのに言葉がないと嘆いたアメリカの友の言葉を思う。豊かな日本語が通じない若者がふえていることは悲しい。ラスター彩再現の功労者で、文字通り国際人といえる陶芸家の加藤卓男先生は「国際人とは無国籍人になるということではない」と語られた。上掲の藤原先生の言葉がそこに思い合わされる。吾々は考える時も表現する時も言葉を使う。語彙が貧しいということは、思考も貧しいということを忘れまい。”(7月5日付け中日新聞)

 「今週の言葉」より愛知専門尼僧堂長・青山さんの文です。この文を読んで、花が散るのにこの表現を知らなかった訳ではないが、これを聞かされて改めて日本語の素晴らしさに気づいた。この微妙な違い、他の国の言葉であるのだろうか。「国際人とは無国籍人になるということではない」と言う言葉にも全く同感を覚える。これはボクもしばしば言っていることである。日本語を知らず何が外国語か、あまりに外国語に傾注することに違和感を覚える。日本語があるのに、どんどんカタカナ言葉に代えていくのには違和感どころか腹が立ってくる。そのカタカナ言葉たるや、本来とは全く違った使い方も多い。カタカタ言葉を使うと進歩人と思われるとも思っているのだろうか。そしてほとんど理解されない。自己満足に浸っているとしか思えない。高齢者はもう蚊帳の外である。 【国語を忘れた民族は滅びる】、国語は単なる言葉ではない、今の状況をみると、本当にすべてが滅びに走っていて、この言葉の重さを思う。


(第3315話) 「穴太衆」

2022年05月09日 | 知識

 “私の住む三重県東員町に「穴太(あのう)」という集落があり、三岐鉄道北勢線の駅があります。その昔、琵琶湖畔・大津の石垣職人「穴太衆」が長らくここに滞在したと聞きました。そんな縁から穴太衆を主人公とする今村翔吾さんの直木賞作「塞王の楯」を読みました。絶対破られないような石垣を造れば戦はなくなるとする穴太衆に対し、鉄砲職人の国友衆はどんな城も落とす鉄砲で恐怖を天下に知らしめれば誰も戦をしなくなると主張して対決する場面は実に印象的でした。現代の抑止力にも重なる気がしました。
 かつて桑名城の石垣に携わったと聞くわが東員町の穴太衆にもそんな志があったのでしょうか?”(4月22日付け中日新聞)

 三重県東員町の水谷さん(男・80)の投稿文です。続いて本を読んでの投稿文です。この「話・話」 でたまたまがよくあるのが面白い。そしてこの投稿文で石垣か鉄砲か、この主張が気になる。今、ウクライナ・ロシアの戦争の最中である。そしてこの戦争で、日本も武装化論争に拍車がかかりそうである。まさに石垣か鉄砲かである。そして論争をすれば、いつも強気の方が優勢になるのが気にかかる。
 ボクは夢ごとで馬鹿かと言われるだろうが、無防備がいいと思っている。仕掛ける方に抵抗するから戦争になるのである。抵抗しなければ戦争にならない。そして抵抗しない国に仕掛けられるだろうか。そんな国に仕掛けたら世界中が許さないだろう。今の時代戦争に勝っても負けてもとんでもない大きな被害を負う。こんな主張をする人はいないだろうか。