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寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3683話) 故郷との縁

2024年06月15日 | 知識
 “岐阜県海津市にある治水神社の春の例大祭に、5年ぶりに出かけた。江戸時代、薩摩藩が犠牲者80人以上を出しながらも多大な費用をかけて木曽三川の治水工事をやった。その犠牲者を悼むため、1938年にこの神社が建てられた。鹿児島県出身の私は神社への縁を感じ、半世紀ぐらい前から例大祭をよく見に行った。前回、一緒に訪ねた長兄は2年前に90歳で逝った。今回も式典では玉串を奉納して犠牲者を慰霊し、名物の舟みこし行列では「わっしょい、わっしょい・・・」と声を上げて練り歩く男性の勇壮な姿に元気をもらった。わが故郷への感謝が随所に感じられた。天国の兄もきっと喜んでいることだろう。”(5月18日付け中日新聞)


 愛知県知多市の外野さん(男・80)の投稿文です。治水神社、この6月1日の一宮友歩会の例会で行ってきました。皆さんにも参拝してもらいました。外野さんは鹿児島県出身、江戸時代、遠く離れたこの地で、多くの犠牲者を出しながら後世に残る大事業をした郷土の人々、特別の思いがあるでしょう。例大祭に出かけ、玉串奉奠をし、舟みこし行列を見る。特別の日でしょう。
 ボクはもう何度もこの神社へ行きました。木曽三川が分離し、大きな洪水を防いできた。人間の歴史は、一面自然との闘いです。でも人間には戦いで自然に勝つことは無理でしょう。今や世界中が人間の欲望に押されて自然がおかしくなっています。欲望を抑えながら、少しでも人間と調和した地球の命を永らえたいものです。



(第3679話) 資源回収

2024年06月07日 | 知識
 “子ども会の会長となって初めて、毎月第2木曜の資源回収が子ども会の大きな収入源になっていることを知りました。書類として残される10年前の収支報告などを見れば、それによって手にした活動資金は今の3倍もありました。近年回収する資源量は減少し、特に古紙の買い取り単価が下落しているとも聞きました。社会全体でのリサイクルは進んでいて見渡すと資源回収の場所はあちこちにあり、24時間、好きなときに持ち込める所もあります。そんな中、回収時間が限られる子ども会は利用勝手が良くないのかもしれません。
 少子化ゆえ地域の宝とされる子どもたち。その健全育成を主目的として各種活動をしている子ども会のために皆さん、協力していただけませんか。”(5月14日付け中日新聞)


 愛知県一宮市のアルバイト・則武さん(女・44)の投稿文です。則武さんは一宮市である。話されている状況はよく分かる。地区によって違いがあるかもしれないが、ただ子ども会が毎月担当というのは、少し理解しがたい。ボクのところでは、保育園、女性部、PTA、子ども会、町内会と担当月を振り分けている。そして、町内会の月を老人会が担っている。老人会が年2回行っているので、資源ごみ回収についてもボクはよく理解しているつもりである。
 業者が常時資源回収をする場所が、村内に何カ所も設置され、ここに多く出されている。家にいつまでも置いておきたくない人が多いのである。資源ごみの単価も安くなっているが、これが減っている大きな要因である。この資源ごみの還元金は、その会の大きな収入源である。老人会も、以前は数十万円あったが、今は5万円位である。ボクは老人会会員に、資源ごみを老人会担当月に出してもらうように回覧板を回した。その効果はすぐに出た。やはり動いてみるものである。



(第3672話) 逆境負けない

2024年05月24日 | 知識

 “趣味の史跡巡りで愛知県常滑市の小学校を訪れた昨年春、下村とう(1843~1927年)という女性の像を見つけました。江戸末期に現在の同市に生まれ、若くして夫を失い、貧困にあえぎつつも働いて義祖父や義母の面倒を見て自らの財を国に寄付しました。「国の誇りで婦人の手本」として褒賞を受けたそうです。勤勉さや親孝行の象徴としてわが母校にあった像の二宮金次郎と重なりました。
 近代の、おそらく逆境にも負けなかった女性が像になっていることに私は興味を持ちました。同県岡崎市の小学校でも献身的な親孝行で藩主から褒美をもらった「とら」という名の女性が孝婦とされていました。今の私たちにとって彼女たちから学ぶ点は多く、見習いたいです。”(4月25日付け中日新聞)

 愛知県東海市の堀口さん(男・60)の投稿文です。逆行に負けなかった女性「下村とう」、また「とら」と言う女性の話です。こういう話が各地に残っているのだな、という感想です。そして、ボクはすぐに2人の女性を思い出しました。また一宮友歩会の話で恐縮ですが、訪れた地で孝女の話があったのです。まず第64回例会から紹介します。「八屋村に貧しくて3度の食事もままならない善立という修験道がいたが、2人の娘曽与(そよ)と久米(くめ)が孝養を尽くし、19歳と16歳で亡くなる。この善行を伝えるために、村人が塚を天明3年(1783)に建立した」。そして第68回例会です。「享保13(1728)年、鳥ヶ地で生まれた曽與(そよ)は、幼いときに母親と別れ父親に苦労して育てられたため、父親の有り難さを思い一生懸命働いた。酒を飲み生活の寂しさを忘れようとした父親を、曽與は哀れに思い孝養を尽くした」。
 やはり孝養は尊いのです。昔の話がいつまでも伝わっている。そして、こうして隠れた史跡を歩いて回る。一宮友歩会の存在を改めて知りました。


(第3659話) 30回そしゃく

2024年04月25日 | 知識

 “役員を務める高齢者クラブでも口腔機能の衰えを表す「オーラルフレイル」が話題になる。歯科医師や看護師らはクラブで講演するたび、具体例を示しつつ「食べこぼしをしたり、硬い物をかみにくくなったりといった症状から始まって、滑舌も悪くなり言葉で相手に気持ちをうまく伝えられなくなる。ひどい場合は家にひきこもりになるケースもある」と説く。そんな話を聞くと、とても人ごととは思えなくなってくる。
 そんな対策として私は最近、今は亡き母や祖母から教わったように食事では30回程度かむことを励行している。そしゃくは脳への刺激になり認知症予防にもつながるそうだから。人生100年時代。できる限り他人の世話にならず、長く健康で過ごしたいものだ。”(3月23日付け中日新聞)

 愛知県日進市の水藤さん(女・75)の投稿文です。30回そしゃく、これがいいこと、大切なことは多くの人が知っているだろう。でも行えない。これだけゆっくり時間が掛けられないからでしょう。なぜ掛けられないのだろう。考えてみると、自由時間の有り余っている高齢者に掛けられない理由などどこにもない。会話をしながら何回も噛む、ボクもおおいに反省しなければならないところである。
 ボクのところでも、老人会の行事で何回も歯科衛生士に来てもらって、口腔衛生の必要なことを話してもらった。こんなにも歯が重要な働きをしていること、また口回りの筋肉の衰えが危ないこと、ビックリして聞いた。聞いただけで終わるのなら聞かない人と同じである。聞いた効果を発揮しなければならない。“


(第3581話) 健康な歯

2023年11月10日 | 知識

 “江南市は、健康な歯を保っている高齢者に、歯の健康表彰を贈った。年内に80歳以上になり歯が20本以上ある人と、90歳以上になり18本以上ある人が対象で、歯科医院で審査を受けて申し込んだ計279人が表彰された。
 今回「9018」を達成したのは21人。このうち、29本も歯が残る同市高屋町の元理容師大脇洋一さん(89)は月―回歯科に通い、電動歯ブラシも使うなど丁寧なケアを続ける。「毎朝ウオーキングをし、食事を楽しんでいる」と健康の秘訣を語る。
 5日にHome&nilcoホールで表彰式があり、約130人が出席。沢田和延市長から表彰状を受け取った。国の調査などから、20本以上歯があれば、硬い食品もほぽ満足に食べられることが分かっている。80歳で歯を20本以上残す「8020運動」は全国で進められているが、同市は「9018」も表彰するのが特徴で、尾北歯科医師会の提案を受け、約20年前から行う。
 今後、次の目標をつくろうと100歳の表彰も実施する方向で、同会と協議を進めている。”(10月12日付け中日新聞)

 記事からです。健康な歯、8020はよく知られていると思うが、9018は初めて知った。90歳で18本である。江南市はこんな表彰もしているのである。
 人間の体、どこが欠けても負傷しても不便なものである。どこが特に大切かと言われても、なかなか答えにくいものであるが、歯も重要な方ではなかろうか。何と言っても毎日食べる食事について不便である。また話すにも支障が出てくるであろう。少し調べてみたら、見た目が悪くなる、噛み合わせが悪くなる、輪郭が歪みだす、顎骨に異常が起こる、機能面に障害が出るなどと出ていた。確かに見た目も重要である。ボクも人の顔を見て口はよく気になる。時折げんなりする。ボクも今のところ8020は可能性が高い。気をつけたいと思う。


(第3558話) 潜む病気

2023年09月21日 | 知識

 “せきぜんそくなどが原因で、八週間以上せきが続く「慢性咳嗽(がいそう)」。かぜによるせきとは違い、放置すると長引いて悪化し、生活に支障が出るケースもある。アレルギー性鼻炎との関連が指摘される場合もあり、「せきぐらい」と軽く考えず、早めに治療することが大切だ。
 「かぜのせきは三週間ほどすれば良くなる。それ以上続く場合は、ぜんそくなど別の病気が隠れている可能性があり、原因を特定して治療する必要がある」。名古屋市立大病院(名古屋市)呼吸器・アレルギー内科部長で、慢性咳嗽の専門外来を担当する新実彰男さんは言う。
 せきは、空気の通り道の気道にウイルスや異物などが入り込むのを防いだり、たんを出したりするための体の防御反応。しかし、病気によって気道や食道の粘膜などが炎症を起こすと、少しの刺激に過敏に反応して起こる。(以降省略)”(8月29日付け中日新聞)

 記事からです。ボクは8月最初の頃、汗で濡れたままのシャツを着て喫茶店へ行った。その夜からおかしくなった。咳が出て痰も出るようになった。そのうち治るだろうと思ってそのままにしておいたが、3週間経って、少しは良くなったがスッキリしない。そしてこの記事である。
 少し心配になって、9月に入って行きつけの病院に行った。咳が出ると言ったら、すぐ別室である。コロナを疑ってPCR検査である。少し待って陰性と言うことが判明し、やっと診察である。状況を聞いて、峠は越したようだからと、飲み薬を出してくれた。
 風邪は万病の元、と言う。この暑さである。免疫力も弱っていよう。そしてボクは高齢である。今まで以上に気をつけねばと思う。そもそも汗で濡れたままで、冷房の効いた部屋に長時間いる、と言うことが間違いである。自業自得である。


(第3547話) 高札場

2023年08月29日 | 知識

 “江戸時代に東海道と中山道を結ぶ美濃路の宿場町として栄えた一宮市起に五日、幕府の法令を民衆に伝える「高札」を再現して掲げた広場が完成した。キリシタンの取り締まりや、放火の禁止などさまざまな種類の札が並んでいる。昔ながらの街並みを残す起地区を、観光客らにさらに楽しんでもらおうと市が設置した。                  
 高札は木曽川の堤防近くにあり、実際に江戸時代に掲げられていたのとほぼ同じ場所に立てられた。実物は高さ4.4m、幅5.6mの大きさだが、今回はその半分ほどのサイズで再現した。それでも大人の背丈よりもかなり高く、当時は幕府の威光を庶民に見せつける狙いがあったという。
 高札は実際に掲げられたいた5枚を再現した。キリシタンを取り締まるため、信者を密告した場合に褒美を与えることを定めた札や、隣の萩原宿まで馬を使って荷物を運ぶ場合の料金などが書かれた札がある。(後略)(8月8日付け中日新聞)

 記事からです。ボクの近くである。一宮友歩会の今年12月例会で、ここに行くことにしている。3月の下下見で行ったときには、工事中であった。それが完成したのである。いいタイミングで今年の例会が開催できる。参加者に喜んで貰えるであろう。
 一宮友歩会を運営しているボクにとって、こうした史跡が再現されることは何とも嬉しい。現地にどんな小さな痕跡でも残っていると、訪ねる価値が高まる。紙の資料だけでは、現地を訪れる価値が半減するのである。
 ボクの村は歴史的価値のある村ではない。でも、神社、寺院、薬師堂などある。どこにも由緒書きは立っていない。ボクが薬師堂の管理責任者をしたとき、この建物は何ですか?と訪ねられたことがある。多くの新しい人は知らないのである。これではいけないと、すぐに調べ少し記した案内板を掲示した。次に神社総代をした2年前、今度は神社の由緒書きを作った。そして、数年前に寺院へ由緒書きを作ったらどうですか、と話し掛けておいたところ、先日少し書き出しという、連絡があった。何も無いと思っていたわが村も、少しは歴史を感じ親しみの湧く村となったのではないか、密かにほくそ笑んでいるのである。


(第3544話) 博物館浴

2023年08月23日 | 知識

 “博物館や美術館を訪れることで気分が落ち着くという「博物館浴」の効能を最近実感しています。以前、大学が各来館者への心身への効果を測ったところ、脈拍数をはじめ「疲労・無気力」に関係する数値が大幅に下がる一方、活気を示す指標が上がったそう。
 絵画が好きな私は大学生のときから美術館や博物館によく母と行きました。静かな空間で何も考えずに作品に見入っているだけで心がリフレッシュされ、展示品の背景や美術史といった説明も頭に入りやすくなる気がします。
 「博物館浴」の効果は私にとって森林浴よりも大きい気がします。皆さんも試してみてください。”(8月1日付け中日新聞)

 名古屋市の教員・青山さん(女・51)の投稿文です。海水浴、日光浴は昔から、最近は森林浴や岩盤浴もよく聞く。博物館浴は初めて聞いた。ここで言う浴とは、ある環境の中に身を浸すことである。博物館浴で脈拍数をはじめ「疲労・無気力」に関係する数値が大幅に下がった、と聞いてびっくりである。博物館や美術館に入って、興味のない人でもいやという人は少ないとは思う。こう言った場はともかく静かである。その静かだけでも効果はある気がする。でも脈拍数まで下がるとは、ビックリである。興味のある人なら尚更であろう。
 ボクに欠けているものの一つに、博物館や美術館行くことがあろう。博物館はまだしも美術館となるとよく分からないのである。この投稿文を読めば、分からないままにも行く意味はありそうだ。最近、ラインで自分の描いた絵を送ってくれる人が2人いる。こんなこともあって、老いの挑戦でもしなければならないか、と思っている。


(第3528話) 陽口

2023年07月22日 | 知識

 “「陽口」という言葉を知ったのは、義母が亡くなる数カ月前、たまたま開いたツイッターからでした。「陰口」の反対で、相手のいないところで、その人のことを褒めることを言います。そして数カ月後、その言葉の意味を実感することになりました。
 義母が亡くなった時、妹さんやお友だちが「いつもあなたに感謝しているって言ってたよ」「いい子だって褒めてたよ」「嫁をあんなに褒める人は珍しい」と、次々に言ってくださったのです。
 そういえば、デイサービスに行きたくなくて、朝から私と口嘩をして「行ってらっしゃい」と言っても、返事をしないで出かけたことがありました。そんな時も、職員さんには「嫁がいいから、家が一番いい」と言ってくれていたそうです。認知症が進んで、私は愚痴もこぼしていたのに、義母はずっと私のことを褒めてくれていたのですね。やっぱりお母さんにはかなわないなぁ。最後にまた、大切なことを教えてくれてありがとうね。三十七年間、楽しかったね。
 もう時間だね。えっ? 行きたくない? ダメだよ、お迎えの人が待ってくれてるよ! 「行ってらっしやい」 ”(6月29日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・前田さん(58)の投稿文です。面と向かって褒められるより、人からこう褒めていたよ、と伝えられた方が嬉しく思う。面と向かっては、悪口など言えない、お世辞かと思ってしまう。ボクなど人前で話すことも多く、本当は評価を聞きたいところであるが、聞かないことにしている。聞いたとて、悪く言うはずがない。褒められて嬉しがっていてはそれこそ愚の骨頂である。そして、本人がいない人同士だと何も褒めることはない、返って陰口の方が多い。それだけに真実味を覚える。この言葉はボクも知らなかった。陰口があれば、反対言葉もあるはずである。これが陽口であった。いいことを知った。
 陰口もいつか本人に入るはずである。人の口に蓋などできない。内緒事はいつまでも内緒事で済まない、それが世の常である。陽口はどんどん言うべきである。陰口は慎むべきである。人間往々逆が多いのである。


(第3492話) 思い出新聞

2023年05月06日 | 知識

 “昔の中日新聞紙面を購入できる「思い出新聞」があることを知り、私が生まれた一九四三(昭和十八)年五月のある日を買い求めました。戦時中とあって記事は軍絡みばかり。文字は小さい上、旧字体で読むのに難儀しましたが、書かれていることには妙に感慨を覚え、当時に思いをはせました。
 海軍軍人の山本五十六元帥の国葬をはじめ、空母と運命を共にした艦長の戦死詳報もあり、戦争で命を失うことが美徳とされた時代だけに一層悲しみを覚えました。大相撲で規定から引き分けとなった取組も「敢闘精神がなかった」と評されたのは戦時中ゆえでしょう。一方、鍋や釜、傘を直すために各地を回ったという「巡回修繕班」の記事や、現JR東海道線の笠寺駅開設といった話題にはホッとしました。別の日の「思い出新聞」を読んでみたくなってきました。”(4月13日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・赤井さん(79)の投稿文です。実はボクも持っている。結婚式にボクと妻の誕生日の思い出新聞を贈ってもらったのだ。但し毎日新聞であった。ボクは昭和20年9月、妻は22年7月である。久しぶり出して見て一番驚いたのは、横書きが20年では右から、22年では左からに変わっていたことである。20年では空襲の被害死者24万人余の記事や進駐米軍の記事が目につく。22年では登呂遺跡の発掘や鎌倉由比ヶ浜の海水浴の記事が出ている。たまたまであろうか、戦争から日常生活に大きく内容が違っている。時代の変わり目だった。こんなこともこの思い出新聞で改めて感じる。70年、80年、人の一生の間に社会は大きく変化する。諸行無常、そんなことも知る思い出新聞である。