寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第3672話) 逆境負けない

2024年05月24日 | 知識

 “趣味の史跡巡りで愛知県常滑市の小学校を訪れた昨年春、下村とう(1843~1927年)という女性の像を見つけました。江戸末期に現在の同市に生まれ、若くして夫を失い、貧困にあえぎつつも働いて義祖父や義母の面倒を見て自らの財を国に寄付しました。「国の誇りで婦人の手本」として褒賞を受けたそうです。勤勉さや親孝行の象徴としてわが母校にあった像の二宮金次郎と重なりました。
 近代の、おそらく逆境にも負けなかった女性が像になっていることに私は興味を持ちました。同県岡崎市の小学校でも献身的な親孝行で藩主から褒美をもらった「とら」という名の女性が孝婦とされていました。今の私たちにとって彼女たちから学ぶ点は多く、見習いたいです。”(4月25日付け中日新聞)

 愛知県東海市の堀口さん(男・60)の投稿文です。逆行に負けなかった女性「下村とう」、また「とら」と言う女性の話です。こういう話が各地に残っているのだな、という感想です。そして、ボクはすぐに2人の女性を思い出しました。また一宮友歩会の話で恐縮ですが、訪れた地で孝女の話があったのです。まず第64回例会から紹介します。「八屋村に貧しくて3度の食事もままならない善立という修験道がいたが、2人の娘曽与(そよ)と久米(くめ)が孝養を尽くし、19歳と16歳で亡くなる。この善行を伝えるために、村人が塚を天明3年(1783)に建立した」。そして第68回例会です。「享保13(1728)年、鳥ヶ地で生まれた曽與(そよ)は、幼いときに母親と別れ父親に苦労して育てられたため、父親の有り難さを思い一生懸命働いた。酒を飲み生活の寂しさを忘れようとした父親を、曽與は哀れに思い孝養を尽くした」。
 やはり孝養は尊いのです。昔の話がいつまでも伝わっている。そして、こうして隠れた史跡を歩いて回る。一宮友歩会の存在を改めて知りました。


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