前回の街道歩きは諫早から愛野までの予定でしたが、有喜までしか行けませんでした。
またもやバカ(「くっつき虫」)の群生に行く手を阻まれ、途中で断念したのでした。
今回は、前回の続きなので、本来ならば有喜出発なのですが、都合により愛野を出発して有喜を目指しました。
島鉄に乗って愛野駅に到着。

駅舎には「愛の駅」と。
駅前のモニュメント

「ほほえみの像」
愛野温泉神社

元は「四面宮」でしたが、明治になって「温泉神社」に改称

御手水鉢

その横には明治になって外されたであろう「四面宮」の額束が置いてありました。

写真では分かりにくいですが右の額束がそれです。
土居口番所跡の碑


街道から外れますが、この近くには立派な石垣があって


石垣を見ながら丘を登っていったところに愛津村庄屋元深浦家

愛津城空堀跡

島原街道に戻り有喜を目指します。
愛津駅跡

今の「愛野」という地名は、「愛津村」と「野井村」が明治22年(1889年)に合併したとき、2つの村の頭文字をとってつけられた地名です。
三軒茶屋跡

江戸時代は3軒の旅籠があったのでこの地名が付いたそうです。
日吉神社

長い石段を登っていきます。


登り詰めるとそこには巨石が祀ってありました。

かわいい狛犬?


行きには素通りした説明板

あまりにも感激したのであらためて読んでみました。その一文に
「江戸時代、島原藩主松平公は参勤交代の折、必ず駕籠をとめられ日吉神社に参拝なされ長い道中の加護を祈られたそうです」とありました。
そうでしょう、そうでしょう。自ずとそんな気持ちにさせてくれるパワースポットでした .
唐比へ

野焼きの煙の向こうに雲仙のお山が見えています。
初めての指導標

「龍馬が歩いた道」
龍馬は長崎を目指して歩いているので、途中まではこの指導標を辿ればいいわけです。
さすがに龍馬はメジャーです、島原街道には全く指導標がないというのに。

唐比の長坂古墳の近くを歩いていますが、この辺りには「龍馬が歩いた道」に加えて「九州自然歩道」の指導標も設置されているので、心強いです。
「龍馬が歩いた道」は、Oh!ホテルへと続いています。

ホテルの横の道は「殿の道」と呼ばれる昔の道ですが、片側に太陽光パネルが延々と設置されました。

昔の道に現代の設備、その向こうには今も変わらないお山雲仙
「みそ五郎どん石」に到着

そして順調に横手頭追分へ

諫早に続く島原街道は右の道になります。左は九州自然歩道で有喜に続きます。
島原街道を木秀一理塚を目指し進みます。

また昔の面影が残る道となりました。

あれ?

またしても

バカ(「くっつき虫」)の群生に行く手を阻まれました。
この辺りのバカは強烈で、服に付いたバカをとっても種子の先端が鈎のようになっていて服に残りやっかいです。
今回も撤退です。
追分まで戻って有喜の町に下りることにしました。
再び横山頭追分(分岐)

今度は分岐の左の道を行きます。龍馬が長崎に行く時に通った道で、「龍馬が歩いた道」の指導標が立っています。
この道は九州自然歩道なので楽勝と思っていたのですが

思っていたのですが…

「九州自然歩道」の看板が落ちていました。

そして、またもやブッシュ

ただ、ブッシュの先にコンクリートの道が見えていたので、あそこまでならとバカをかき分けながら何とか前進しました。ゴールがハッキリと見えていると頑張れるものです。

振り返ると

「見ているぞ」

実は、島原街道の山の中は、不法に捨てられたゴミが随所にあったのです。
冷蔵庫、テレビ、車等々
あまりの惨状に「島原街道に捨てられたゴミ」というタイトルで特集をアップする予定です。
有喜の海岸に到着

海に向かって恵比須さまが祀られていました。
ここは漁師町らしく、恵比須さまは、はちまき姿も勇ましく海の安全を祈っておられるようでした。

白髪神社

同じ有喜でも今回目指した地点とは異なりますが仕方ありません。この日の島原街道歩きはここまでにし、バスで諫早に帰ったのでした。
今回の軌跡と予定していたルート

YAMAPの地図に、今回行きたかったルートを赤で入れてみました。ゴールマークGの上の赤い線がそれです。
悔しいので、赤色の部分をもう一度チャレンジします。
またもやバカ(「くっつき虫」)の群生に行く手を阻まれ、途中で断念したのでした。
今回は、前回の続きなので、本来ならば有喜出発なのですが、都合により愛野を出発して有喜を目指しました。
島鉄に乗って愛野駅に到着。

駅舎には「愛の駅」と。
駅前のモニュメント

「ほほえみの像」
愛野温泉神社

元は「四面宮」でしたが、明治になって「温泉神社」に改称

御手水鉢

その横には明治になって外されたであろう「四面宮」の額束が置いてありました。

写真では分かりにくいですが右の額束がそれです。
土居口番所跡の碑


街道から外れますが、この近くには立派な石垣があって


石垣を見ながら丘を登っていったところに愛津村庄屋元深浦家

愛津城空堀跡

島原街道に戻り有喜を目指します。
愛津駅跡

今の「愛野」という地名は、「愛津村」と「野井村」が明治22年(1889年)に合併したとき、2つの村の頭文字をとってつけられた地名です。
三軒茶屋跡

江戸時代は3軒の旅籠があったのでこの地名が付いたそうです。
日吉神社

長い石段を登っていきます。


登り詰めるとそこには巨石が祀ってありました。

かわいい狛犬?


行きには素通りした説明板

あまりにも感激したのであらためて読んでみました。その一文に
「江戸時代、島原藩主松平公は参勤交代の折、必ず駕籠をとめられ日吉神社に参拝なされ長い道中の加護を祈られたそうです」とありました。
そうでしょう、そうでしょう。自ずとそんな気持ちにさせてくれるパワースポットでした .
唐比へ

野焼きの煙の向こうに雲仙のお山が見えています。
初めての指導標

「龍馬が歩いた道」
龍馬は長崎を目指して歩いているので、途中まではこの指導標を辿ればいいわけです。
さすがに龍馬はメジャーです、島原街道には全く指導標がないというのに。

唐比の長坂古墳の近くを歩いていますが、この辺りには「龍馬が歩いた道」に加えて「九州自然歩道」の指導標も設置されているので、心強いです。
「龍馬が歩いた道」は、Oh!ホテルへと続いています。

ホテルの横の道は「殿の道」と呼ばれる昔の道ですが、片側に太陽光パネルが延々と設置されました。

昔の道に現代の設備、その向こうには今も変わらないお山雲仙
「みそ五郎どん石」に到着

そして順調に横手頭追分へ

諫早に続く島原街道は右の道になります。左は九州自然歩道で有喜に続きます。
島原街道を木秀一理塚を目指し進みます。

また昔の面影が残る道となりました。

あれ?

またしても

バカ(「くっつき虫」)の群生に行く手を阻まれました。
この辺りのバカは強烈で、服に付いたバカをとっても種子の先端が鈎のようになっていて服に残りやっかいです。
今回も撤退です。
追分まで戻って有喜の町に下りることにしました。
再び横山頭追分(分岐)

今度は分岐の左の道を行きます。龍馬が長崎に行く時に通った道で、「龍馬が歩いた道」の指導標が立っています。
この道は九州自然歩道なので楽勝と思っていたのですが

思っていたのですが…

「九州自然歩道」の看板が落ちていました。

そして、またもやブッシュ

ただ、ブッシュの先にコンクリートの道が見えていたので、あそこまでならとバカをかき分けながら何とか前進しました。ゴールがハッキリと見えていると頑張れるものです。

振り返ると

「見ているぞ」

実は、島原街道の山の中は、不法に捨てられたゴミが随所にあったのです。
冷蔵庫、テレビ、車等々
あまりの惨状に「島原街道に捨てられたゴミ」というタイトルで特集をアップする予定です。
有喜の海岸に到着

海に向かって恵比須さまが祀られていました。
ここは漁師町らしく、恵比須さまは、はちまき姿も勇ましく海の安全を祈っておられるようでした。

白髪神社

同じ有喜でも今回目指した地点とは異なりますが仕方ありません。この日の島原街道歩きはここまでにし、バスで諫早に帰ったのでした。
今回の軌跡と予定していたルート

YAMAPの地図に、今回行きたかったルートを赤で入れてみました。ゴールマークGの上の赤い線がそれです。
悔しいので、赤色の部分をもう一度チャレンジします。