goo blog サービス終了のお知らせ 

TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

吉井勇が詠んだ多良嶽

2019年02月09日 | 吉井勇
多良岳に登るようになって歌人吉井勇の歌に興味をもつようになった。

山のガイドブックに、
 石楠花の大群落のなかに来ぬうつし世のこといかで思はむ


多良岳林道の広場に、
 多良嶽の摩尼の山路のゆきかへり狙仙の猿に会ふよしもがな




轟の滝で、
 多良嶽の九十九瀑の水けむりあつまるところ雲もこそ湧け




調べてみるとこれらの歌はいずれも昭和11年の作だ。東京生まれ(当時は高知の山奥韮生に隠棲)の吉井がどうしてあまり名も知られていない多良岳を歌にしたのか疑問だった。よほどの山好きか、それとも当時心の頼りにしていた空海つながりかと思っていたらそうではないことが分かった。

吉井が当時のことを綴った随筆「長崎見聞抄」の中の「多良岳」にその経緯が書いてあった。
吉井は昭和14年4月より141日という長きにわたって西日本を歌行脚している。その途中7月3日に長崎入りしているが、そこで長崎の史料風俗研究家の林源吉から森狙仙(そせん)の猿に関する逸話を聞いた。森狙仙は江戸時代後期の絵師だが、猿を描かせては当代きっての名人といわれ生き生きとした猿の絵を多く描いている。





林氏も引用したという狙仙の逸話
「狙仙、森氏、長崎の人、浪華に住す。猿を写して画名一時に鳴る。世に狙仙の猿と称して渇望する者多し。其初め長崎にあるの日、猟者に託して一猿を買い得たり。是を庭園に繋ぎ置き、その傍らに横臥し、紙筆を出して写すること数編にして、一日絹本に清写せり。然して来舶の某氏に鑑を乞ふ。某氏曰く、惜しむべし、この絵は人家養育の形にして、山中自在の趣に非ず、と言はれたれば又山中に入りて切磋すること両三年、終に其眞面目を得たりと。」(「近世逸人画史」岡田樗軒)

有名な絵描きに逸話はつきもので、林氏からはさらに、「狙仙が評者の言に発奮して、紙筆を携へて分け入った山が、多良岳だらう」と聞き、多良岳に興味を持ったということだった。さらに吉井は正直に「多良岳という名前を聞いたのはこのときが初めてだった」とも記している。そして7月11日、湯江口から境川の渓谷に沿って行こうとしたが、前日までの豪雨で水かさが増し遡行は困難を極めた。靴を脱ぎ、洋袴の裾をたくし上げなんとか轟の瀧付近まで行っている。以下括弧は随筆からの引用である。
「靴を脱ぎ沓下を除って、膝の上あたりまで、徒渉しなければならないやうな、急流に逢着してしまった。私もみんなと一緒に渡って往ったが、清冽な水は冷たく跡から體中に、染みわたるやうに感じられて、はじめて山氣のすがすがしさを覚えた」のそのそはい回る真っ赤な山蟹を見たり、渓流の音に混じる河鹿やホトトギスの鳴き声を聞きながら川をのぼること20分、「もうそこは轟の瀧で、この渓谷中第一と云はれているだけあって、すさまじい地響きを立てて落下する奔流の豪壮さは、さすがに名瀑であると思った。」その後抑柳の瀧、潜龍の瀧を見た後、紫雲山に登っている。地元の人から、その奥に野生の猿が棲息している「猿渡し瀧」があることを聞いたが「そこまで足の及ばなかったためか、私は遂に狙仙の描いたやうな猿を、目のあたり見ることが出来なかった」
その時の思いが次の歌であった。



 多良嶽の摩尼の山路のゆきかへり狙仙の猿に会ふよしもがな


 注:「摩尼(まに)」→ 宝玉。濁水を清らかにする不思議な働きがあるとされる。(広辞苑)


摩尼の山路(詠んだ日は川を遡上したというのでこんな感じか)







吉井が多良岳に行った日が特定できたことで、私のお気に入りの「石楠花の…」の歌が実際の多良岳の石楠花を見ての歌ではないことも分かった。少しがっかりしたが、多良岳の石楠花が美しいことを聞き、韮生の山の石楠花と重ねながら作ったのだろうが、人の心に染みこむような歌が詠めるのは流石歌人である。
随筆の中に、湯江の登山口の宿屋で昼食をとった折りに、一行を案内してくれた助役より「先ず写真に依っていろいろと山の説明を聴いた」とあるので、その時に石南花の写真を見せながらツクシシャクナゲやその大群叢について話があったのだろうと推測される。




以下、多良岳を詠んだ歌7首。吉井勇歌集「天彦 羇旅三昧・多良嶽」より


 むくむくと湧く夏雲もいさぎよき大多良嶽の山びらきかも


 多良嶽の九十九瀑の水けむりあつまるところ雲もこそ湧け


 瀧を見む岩を見むとてゆくひとに荒くな吹きそ多良の山風


 多良嶽の摩尼の山路のゆきかへり狙仙の猿に会ふよしもがな


 石楠花の大群落のなかに来ぬうつし世のこといかで思はむ


 雲ふかし山頂きはいづこぞと見えざる多良の社をろがむ


 おのづかなる心にもなりるらむ多良嶽に来て山に親しむ


轟の瀧



石楠花(ツクシシャクナゲ)




九十九瀑の水けむり



多良の社



コメント