TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

「南に遠く」を求めて(4)

2014年01月25日 | 南に遠く(不知火尞)


今、私が読んでいる新聞の小説に「劉邦」が連載されています。
昔、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」や、漫画で本宮ひろしの「赤龍王」、石ノ森章太郎の「項羽と劉邦」などを読んでいたので、毎朝、新聞を開くのが楽しみです。劉邦のライバルである項羽が詠んだ漢詩「垓下歌」は、高校の漢文の教科書にも載るなど、広く知られています。

 力抜山兮氣蓋世     力は山を抜き 気は世をおおう
 時不利兮騅不逝      時に利あらず 騅ゆかず
 騅不逝兮可奈何      騅のゆかざる いかんすべき
 虞兮虞兮奈若何      虞や虞や 若(なんじ)をいかんせん
     (「垓下歌」)

さて、「山抜かんとて持つ力、世を覆わんとて抱く意気」ではじまる「南に遠く」の3番は、項羽の「力抜山兮氣蓋世」を踏まえたもので、作詞者である園田卯吉氏の漢文に対する造詣の深さがにじみ出ています。

(三) 山抜かんとて持つ力
    世を覆はんとて抱く意気
    生火となりて血は湧けど
    「三年不又不
    雲雨を待ちて筑紫野の
    月を仰ぎて觴咏す


「三年不又不」は、「史記 楚世家」の「楚の荘王が三年間酒色に耽って政治を顧みないのを臣下が諫めると、王は『飛べば天まで上がり、鳴けば必ず人を驚かすだろう』と答えた」という故事から、実力のあるものが、それを発揮する機会をじっと待っていることのたとえだそうで、そのまま原文を引用されています。「雲雨」は、力量を発揮する機会、「觴咏」の「觴」は杯で、酒を飲みながら詩歌を吟ずることと、調べれば調べるほど、初代生駒校長が作詞者の園田氏の才能を絶賛されたのがよく分かります。(続く)




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「南に遠く」を求めて(3)

2014年01月25日 | 南に遠く(不知火尞)


旧制佐賀高校不知火寮寮歌「南に遠く」の歌詞について、佐賀大学楠葉同窓会「なんよう」No,97に、
「『南に遠く』は昭和7年にできた佐高が誇る畢生の作で、代表的な寮歌だ。園田卯吉が作詞し宮本(後に丹治) 汪が作曲した。生駒萬治校長は『園田の奇才、宮本の楽才、ここに極まれり』と絶賛した。」と、大谷希幸氏の記事が載っていました。
確かに、「南に遠く」の原文を目のあたりにして、使われている言葉の深さやベースにある漢文の素養にあらためて驚かされました。
また、自分の中で完結していたはずの1番から3番の中に、いくつかの発見がありました。
今回はまず、1番と2番について紹介します。

昭和7年度佐賀高等学校不知火寮寮歌「南に遠く」 作詞:園田卯吉
 
(一) 南に遠く振古より
    ゆゑ知らぬ火の熾りたち
    あけくれ若き血に煮ゆる
    男の子の鴻図うながせば
    健児つどへるこの野辺を
    人あがめたり「火の国」と

(二) ああ青春よ我にまた
    胸に燃え立つ火のありて
    ゆくてはるけき人の世の
    旅のしるべを求めてぞ
    伝へも奇しき不知火を
    名に負ふ寮にこもりたり

発見として、1番は「ゆゑ知らぬ火(ひ)」の「ひ」で、2番は「不知火(しらぬい)」の「い」となることです。
「火」を「ひ」と「い」と使い分けていますが、全体の流れを考えるとなるほどと納得します。また、「こうと」と歌っていたところの漢字が「鴻図」となっており、辞書を引いて初めて「大きなはかりごと」ということを知りました。
同じように4番や5番に出てくる「こうちょう」「きょうとう」「えんりょう」などの単語は、自分の語彙力ではまったく歯が立たない言葉でした。






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