天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

『往生礼讃』スタート

2007-07-01 17:03:14 | 寺子屋
今月のお経教室が開かれました。

今まで『正信念仏偈』『和讃』『御文章』のお勤めを練習してきましたが、メンバーの方々の熱心さゆゑ、大体『正信偈』の雰囲気をつかめるようになってきました。

今回からは新しいお経に挑戦『往生礼讃偈』のお勤めに入りました。


(お経教室の様子)



『往生礼讃偈』はリズミカルなお経であります。

私は、学生時代にはじめて築地本願寺のお晨朝にて『往生礼讃』のおつとめを聞きました。当時そのお経について知らなかったのですが、そのメロディーの素晴らしさに感動したことを覚えております。

それゆえに、鎌倉時代に「安楽房・住蓮房の悲劇」という事件があります。

鎌倉時代の初め、京都東山鹿ヶ谷の念仏道場に法然上人の弟子である住蓮房・安楽房はおりました。
そこで『往生礼讃』をとなえる姿や美声はおおくの参拝者の心を魅了しました。
たくさんの参詣者でにぎわったといいます。

その中に、松虫・鈴虫という後鳥羽上皇の寵愛を受けている2人の女官がおりました。女官とは、「大奥」のようなものだそうです。松虫鈴虫の2人は、御所での人間関係(嫉妬・ひがみ)から離れて、お寺に足繁く通ったのです。

そこで、松虫・鈴虫は念仏こそ自分たちが歩んでいく道であると髪を下ろす決意をしました。そして、住蓮房・安楽房のもと出家をしたのです。

この事実を知って激怒したのが後鳥羽上皇です。ちょうど、奈良の興福寺が、朝廷に念仏禁止を訴っていたことと重なり、法然上人を中心とする念仏教団へ弾圧を行い、承元元年(1207)に念仏教団を解散させられてしまったのです。

住蓮房・安楽房ら4名は死罪、法然上人・親鸞聖人ら7名は流罪になりました。それを「承元の法難」といいます。

こんな悲しい事件も現実に起こったのです。

『往生礼讃偈』は、住蓮房・安楽房のように自らのいのちを通して、また多くの方々によってとなえられ伝わってきた、今でも多くの人の心を魅了しているお経なのです。

(龍)

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