天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

花無心にして蝶を招く

2006-06-08 23:53:43 | 天真寺
  花無心にして蝶を招く
  蝶無心にして花を尋ぬ
  花開く時、蝶来り
  蝶来る時、花開く
  吾れも亦人を知らず
  人も亦吾れを知らず
  知らずして帝の則に従う

越後の良寛さまの言葉です。

先日参加した青少年教化協議会主催
「正力松太郎賞30周年・現代名僧墨蹟展40周年・ぴっぱら500号発行」
の記念式典で、
松原泰道先生がお書きになった「花無心にして蝶を招く」という掛け軸を発見。
http://blog.goo.ne.jp/ayus1993/d/20060510
昔から好きな言葉で、チャリティーということもあり、お買い上げ。
その掛け軸がついに天真寺に到着。



良寛さんは、
一休さんと並びみんなによく知られ、子どもと共に、自然のままに天真爛漫に生きられた方である。

良寛さんには、こんな逸話がある。
夜、便所の中に竹の子が生えてきたのを発見。
良寛は、ロウソクでトイレの屋根に穴を開け、
成長の早い竹の子を、伸ばしてやろうとした。
そのため、便所(当時は別棟が普通)は火事となり、焼失してしまった。
 

何とも言えない純朴な良寛さんの姿が伝わってくる話である。

そんな良寛さんの言葉である。
花は、何のはからいもなくただ蝶を招き入れる。
蝶は、花の蜜に吸い寄せられるように花を訪れる。
そこには、何の計らいもなく、つながっている世界がある。
お互いが支え合っている、自然のリズムにまかせた姿である。
(知らずして帝の則にしたがう)

私たちの世界はつい物事を打算で考えてしまう。
損をしないだろうか?
楽しいことはないだろうか?
もっと儲からないだろうか?
その打算・思いが、人間関係・自然との関わり方でもある。

その延長線上に、
現代の諸問題が生まれてきたのではないか。

良寛さんは、ありのままに生きていく姿を私たちに教えてくれる。
それは、苦しいことは苦しい、悲しいことは悲しい、とそこに止まるのではなく、
1つ1つのであいを大切にし、そこに意味を見いだしていく世界ではないだろうか。

ちなみに、
この掛け軸は今月いっぱい一階和室にかけてあるので、是非ご覧下さい。

(龍)