闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

言葉の壁を越えて歌合戦

2010-11-03 23:33:58 | 東欧滞在記
打ち上げ会場は、われわれが主催団体のメンバーと最初に会食したホテルのレストランで、細長いテーブルに20~30人ほどが陣取って、すでに飲みながらわいわいやっている。顔見知りの主催団体のメンバー、フランス人グループの他、会った記憶が全然ない人たちも大勢いるが、要するに、友人の展覧会が気に入った人は誰でも出席可ということなのだろう。会場に着いてから特別に挨拶したような記憶はないので、おなかがすいていた友人と私は、先着していた人たちにまじってすぐに食事をとりはじめたのだろう。
ややあって、祝意とともに、友人と私に主催団体からプレゼントがわたされた(あとで開封したら、波蘭(ポーランド)の民族衣装を着たかわいい人形だった)。友人の謝辞の後、また歓談。
とりあえず座は盛り上がっているものの、テーブルが細長くて隣の人としか話ができないこと、全員に共通する言語がないこと(テーブルでは、波蘭語、フランス語、英語、日本語が飛び交っている)のために、全員が共通の事を話すのではなく、3~4人ずつ小さなグループになって別々のことを話している。これではいけないと立ち上がって、「お静かに」と呼びかけてから、日本の歌だといって「荒○の月」を披露した。私の歌が特にうまかったわけではないが、このとっさの思いつきがうけて、満座の喝采を浴びた。
すると今度は波蘭の人たちも、負けてはいられないと波蘭の歌で応答、こたえて私が「津○海峡冬景色」を歌う。さびしい北国の歌ならば、言葉がわからなくても波蘭の人にも情感が伝わるだろうという戦略だ。
このあたりから座がさらににぎやかになり、軽いものやエロチックなものまでいろいろな歌の応酬に続いて、皮肉屋のポールさんが「オー・○ャンゼリゼ」を歌うと立ち上がった。それなら私も歌えると私も負けずに立ち上がり、ポールさんと二人で「オー・シ○ンゼリゼ」をフランス語でデュオ。
このあたりまで、日本人と波蘭人の狂乱ぶりを距離を置いてみていたフランス人たちも、波蘭人と日本人にフランス語で自国の歌を歌われては負けてはいられないと、次々に歌い始めた。
いつのまにか、テーブルにはズブロッカが運ばれ、波蘭の人たちはみなそれをストレートであおりはじめている。
それまでこの騒ぎをだまってじっと見ていた友人も、こうなればもう我慢できないと「ウ○・セラ・ディ東京」を歌う。展覧会の主賓のこのサービスがうけないはずはない。みんなから盛大な拍手が集まった。
こうして打ち上げのパーティはいつ果てるともなく続いていったが、気づくと午前1時近くになったので、私は途中で失礼させてもらうことにした。次の日聞いたところでは、さしもの大パーティも、私が帰るとすぐにお開きになったらしい。


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