闇に響くノクターン

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映画遍歴事始ーーレネの『ミュリエル』にはまる

2009-12-29 17:35:48 | 映画
直前の記事を読むと、19歳から20歳代前半の私は、二丁目に探検に行ったりして遊び狂っていたような感じだが、この頃私は、将来映画評論や映画批評をやりたいとおもっていたので、あちこちの名画座や当時京橋にあったフィルム・センターにも足しげく通っていた(←それってやっぱり遊び狂っていたっていうことですよね)。このあたりのことは、二丁目探検の記憶とつながるだけでなく、その前のデルフィーヌ・セイリグの記事ともつながるので、少しくわしく書いておきたい。

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さて大学受験に失敗して予備校に通うことになり、私が本格的に東京に出できたのは1973年4月。住む場所といっても東京に特に地縁や知り合いもなし、親の知人の紹介で、埼玉県蕨市にアパートを借り、ここから大塚の予備校に通っていた。予備校に行けば高校時代からのあこがれの対象Mくんに会えるので、けっこうまじめに学校に通ってはいたが、一生懸命勉強したような記憶はない。それよりも、あこがれの東京きて、話題の映画がすぐに観れることが、私としてはとてもうれしかった。
しかし、この年公開された外国映画には特筆すべき作品はあまりない。『キネマ旬報』の外国映画のベスト10は、この年『スケアクロウ』と『ジョニーは戦場へ行った』のトップ争いだったが、私はどちらの作品にも興味がわかなかった。だがこの年の暮、次の年に公開予定の話題作の試写会があり、そこで私はアラン・レネ監督の『ミュリエル』を観て、その奥行きの深さにすっかりはまり込んでしまった。また続く74年の1月には、ベルイマンの『叫びとささやき』が公開され、まだ1月というのに、こんなすごい映画が2本も公開されるとは、今年はすごい年になりそうだとふるえあがったものだった。

レネの『ミュリエル』については、ネットをざっと見回しても適切な評がのっていないようにおもわれるので、ここで簡単に紹介しておく。
この作品は、レネのドキュメンタリー映画『夜と霧』のテクストを書いたジャン・ケロールと組んで『去年マリエンバートで』の次に撮った作品だが、経過する時間を複雑に交錯させた大胆な作品として世界的な話題となった『去年マリエンバートで』の影に隠れて、とりあげられることが少ない。実際、作品の日本公開も制作から10年以上遅れている。
物語は、フランスの田舎町に住むエレーヌ(デルフィーヌ・セイリグ)のもとに昔の恋人アルフォンスが尋ねてくるが、別れてからかなり時間の経つ二人が、なぜ互いに会いたいという気持ちになったかはわからない(映画はそれを説明しない)。ただアルフォンスは誰かに追われているようであり、姪と称して若い愛人をともなっている。エレーヌの息子ベルナールに会ったアルフォンスは、「二人はよく似ている」と言うが、エレーヌは、「みんなにそう言われるけれど、彼は死別した夫の連れ子で、自分たちには血のつながりはない」と説明する。ベルナールは、アルジェリア戦争で「ミュリエル」という女性を殺してしまったというコンプレックスをもっており、いろいろな人にインタビューしてアルジェリア戦争を告発するテープをつくっている。数日をその町で過ごしたアルフォンスは、また別の町へ発つことをエレーヌに告げる。エレーヌはアルフォンスを見送りに行くが、その駅で、町に新しい駅ができたので、彼女が見送るはずの列車はこの駅には止まらないと駅員から告げられる。自分は彼を見送りにきたのだけれど、彼は自分は見送らなかったと思いながら町を去っただろうと思う。しかしアルフォンスは、実際にはその列車に乗らなかったので彼女の推測はあたっていない…。
このようなちょっととりとめもない物語で、普通の意味での事件はなにも起こらないのだが、作品全体から伝わってくるのは、いろいろな人に確実にいろいろな出来事が起こっているのだが、何が起こっているのか、その出来事がどのような意味をもつかは、本人を含め誰にも語れないというメッセージだ。映画のなかで一番ショッキングだったのは、ベルナールが録音しているテープが誤って再生されるシーンで、それは、戦争告発というテーマから予想される内容とはおよそかけ離れたものであったことが明らかになる。この場面で、私はこのテープに対する私の想像が、(映画が説明する)状況からくる予断に過ぎなかったと思い知らされる。このように、他者や出来事に対するわれわれのあらゆる判断は予断に過ぎないかもしれないが、こうした予断を離れてはわれわれは生活を営むことができないことも、映画は明らかにする。
『去年マリエンバートで』のようなケレン味はないが、この作品から表現の複雑さを取り払ってしまえば意外と単純な話に要約されるのに対し、『ミュリエル』は、表面的には単純でありながら、奥にものすごい複雑さを秘めている。
レネは、映画台本に非常にこだわり、常に第一級の文学者と組んで映画台本を書いているが、この作品を観てから私は台本作者であるジャン・ケロールに非常に興味がわき、当時、白水社から刊行されていたケロールの小説を次々に読み漁った。
ケロールは1910年に生まれ、2005年に亡くなったフランスの文学者で、第二次世界大戦中に対独レジスタンス運動に関わったことが彼の一生を決定づけた。42年にゲシュタポに逮捕された彼は、マウトハウゼンに強制収容所に収容される(この体験が『夜と霧』に結び付く)。強制収容所で、仲間たちが次々に殺されていくのを目の当たりにした彼には、自分の死以外を考えることができない。ところが戦争が終わり、彼は奇跡的に収容所から解放される。しかしケロールにとりそれは真の解放ではなかった。収容所のなかで毎日死と直面し、その反対物として生を強烈にとらえていた彼には、現実の生は、あまりにも色褪せた虚構のようなものとしてしか映らなかったのである。彼は、こうした自分の虚脱状態を「ラザロ体験」と名づけ、その虚脱感を言葉に定着すべく、次々に詩や小説・物語を書いていく。
当時訳されていて私が読んだ作品には、『異物』(59年)、『真昼真夜中』(66年)、『その声はいまも聞える』(68年)、『一つの砂漠の物語』(72年)があり、一つ一つが衝撃的な傑作だった。たとえば『真昼真夜中』は、極限状態に追い込まれた人間には、一日の極としての真昼と真夜中が同じように感じられるということを描いていた。
このようにして、レネ、ケロール、セイリグは、私のなかに三位一体のように深く刻みこまれたのである。

これに比較すると、実は、ベルイマンの『叫びとささやき』はあまりにも形式にこだわりすぎているような感じもして、演出・演技のすごさ、赤を基調にした映像の美しさには感心したが、ほんとうに深く共感することはできなかった。それがなぜかということを、最近になってDVDでこの作品を見直して納得したのだが、『ミュリエル』の手法とはまったく逆に、『叫びとささやき』は登場人物の回想シーン、幻想シーンを作品に大量に挿入し(現在のシーンは回想シーンを挿入するための「枠」として存在し、映画の主要部分は回想や幻想から構成されている)、一人ひとりの人間の内面をその根底まで追及するという手法を採用しているのだが、この説明的な手法そのものに対し、私はまったく否定的なのである。

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いずれにしても、このようにして東京での私の映画遍歴ははじまった。