闇に響くノクターン

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『二人で生きる技術』を読む

2009-12-12 23:47:31 | 愉しい知識
敬愛する大塚隆史さんが、このほど『二人で生きる技術 幸せになるためのパートナーシップ』という本を出した(ポット出版)。また6日には、大塚さんもゲストとなり、この本が提示した同性愛のパートナーシップをテーマとするシンポジウムが高田馬場のパフスペースで開かれ、私もそのシンポジウムを聴講してきた。
そこで今日は、この本のことをちょっと紹介してみたい。

     ☆     ☆     ☆

この本の内容は、ひとことで言えば大塚さんのライフヒストリー。これまで大塚さんが一緒に生活した5人のパートナーたちについて、どのようにして彼らと出会ったか、そのパートナーとの生活はどのようなものであったか、どのようにして彼らと別れたかを淡々とリアルに描写している。私は、大塚さんのパートナーのうち3人を実際によく知っているので、彼らが等身大で生き生きと描かれていることにまず感嘆した。また、彼らとどのようにして知り合い、別れたかというエピソードには、なるほど背後にはそういう苦悩があったのかと納得した。
ところで、リアル、等身大というからには、大塚さんとパートナーたちとの性生活についても細かく描写されているのだが、それは興味本位のものではけしてなく、むしろ客観的なタッチであっさり描かれている。しかし、そうしたさらっと読める描写にいきつくまでは、大塚さん自身にも相当の苦渋があったのではないかとおもう。それは、自分について冷静に書くことの難しさに加え、パートナーシップというのは相手があってのことであり、書くことが知らず知らずのうちに相手を傷つけてしまうこともあるからだ。そういう点からして、現パートナーであるシンジさんとの出会いや生活の描写は、シンジさんからの深い理解と信頼がなければ書けない記述だと、あらためて感心した。

ところで、大塚さんはこのブログにも新宿「三丁目」のゲイバー「タックスノット」のマスター・タックさんとして何度か登場しているのだが、タックスノットは、その店に行ってマン・ハントすることを目的とするありきたりのゲイバーではない。ゲイとして、自分の周りの世界をどう見、どう感じたかを、大塚さんや居合わせた客と語り合う独特のくつろぎスペースであり、大塚さんの人柄と高い見識もあいまって、開店以来の長い間、ゲイの世界の道標的な役割を果たしてきた。したがって、タックスノットという店の歴史は、新宿に群れ集うゲイという集団の自己認識の歴史のなかで大きな位置を占めていると私はおもっているのだが、店の誕生のきっかけから現在まで、その店の歴史がマスターの大塚さん自身の口から語られたことの意味は、彼の個人史が語られたこと以上に大きい。
また大塚さんの新宿遍歴の歴史は、「パル」「クロノス」という二軒のゲイバーを経てタックスノットをオープンに至るのだが(その間にラジオ番組「スネークマン・ショー」のパーソナリティーとしてゲイの自覚を訴え続けた)、このクロノスという店も新宿二丁目のゲイの歴史に一時代を画する店であり、タックスノット開店の前史がきちんと語られたことも重要である。

しかしながら、この本は、通常の意味でのゲイ向けの本ではない。最初にこの本が企画された段階では、ゲイ以外の人を対象に、特定のパートナーを見つけその人と一緒に暮らすためにはどのようなことが重要なのか(二人で生きる技術)を、ゲイである大塚さん自身を素材として語るということにポイントがあったといい、こうした当初の狙いと大塚さんの個性があいまって、ゲイを特殊な関係として描くということをまったくしていない。要は、この本はゲイのパートナーシップについて知ってもらうことや考えてもらうことを目的とした本ではなく、ゲイのカップルを題材にしてパートナーシップ全体の問題を考えてもらうことを目的とした本なのだ。
とはいえ、この本にゲイ向けの視線が欠如しているわけではない。むしろ、出会っては別れるということを繰り返し、それがあたり前のことと考えているゲイたちに対し、大塚さんは、人と暮らすことはとても大変だけれどもすばらしいことなのだということを、5人のパートナーとの出会いと別れを公開することで、身を切るような切実さで訴えている。

ところで、この本のなかで一番美しく、胸をうつのは2番目のパートナー・カズさんとのエピソードの数々だろう。実はカズさんは私と同じ世代なのだが、大塚さんはこのカズさんをHIVでなくしている。この本は、そうしたカズさんに対するレクィエムなのだなということをひしひしと感じた。
とはいえ、そういう運命の人を失ってからまた新たにパートナーを求め続けているというのが大塚さんのバイタリティーなのであり、そのことがこの本を前向きで筋のとおったものにしている。