青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

富士だけは、変わらず僕を待っていた。

2024年01月29日 17時00分00秒 | JR

(15年の時が流れ@JR御殿場線・御殿場~足柄)

新東名高速道路の建設現場で日本の土木技術を堪能した後は、R246をそのまま御殿場方面に。この辺り、かつては沼津まで走っていた特急あさぎり、小田急のRSE20000系やJR東海の371系を追ってよく来ていたものだ。PCのフォルダから引っ張り出す15年前の写真。当時、まだ一眼レフを持ってから間もなく、連写の利かない入門用のカメラで一枚一枚パシャリ、パシャリと撮影していたのを思い出す。今見ると、色々と構図の詰め方が甘くて「?」ってなる写真なのだが、その時はこれでもきれいに撮れた!なんて思っていたのだから、今の機材を持って当時に帰りたくなる。もう「あさぎり」が沼津まで走っていたことを知らない若い子なんかもいるのだろうな。あさぎり自体は新宿~御殿場へ短縮されて先祖返りし、車両もMSEに変わってしまった。MSEも悪い車両じゃないんだけど・・・新宿方が分割併合型の扁平顔になってしまうのが非常に残念で、この狩屋踏切で撮る機会もいつしかなくなってしまったんだよね。

この日は年に何回かという澄んだ空気の冬の晴天で、真白き富士の嶺の迫力が素晴らしい。この日は特にテツっぼいことをするつもりもなかった思い付きのドライブだったのだが、あまりにも霊峰富士が魅力的。なんとなく「撮って行かねえのかよ」と言われた気がしたので、ハンドルを切って御殿場線の狩屋踏切へ。ひょっとしたら、ここに立つのに10年以上のブランクが開いていたかもしれない。それでも、枯野となった広い田園地帯とここから見上げる雄大な富士は、あの冬と何も変わらない。自分のイメージに比べ、この時期としては少ない雪は暖冬の影響なのだろう。RSEも371も山の向こうに行ってしまった今、ここを通って行く車両の魅力とバリエーションはいかばかりか。傍らの踏切が鳴り、チョンマゲパンタの313系が、軽やかに富士の麓をすっ飛んで行きました。

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土木で日本を変えて行く。

2024年01月27日 15時00分00秒 | 日常

(もはや神々の領域か@新東名高速道路・河内川橋)

一応クルマ好きの嗜みとして、冬になったらスタッドレスに足元を履き替えて、何があってもいいようにはしているのですけど、昨年来全くこの冬寒くもなりませんでねえ。今んところ雪国に行く理由もないし、用事もなかったものだから、裏の倉庫にスタッドレスを仕舞いっぱなしにしていたんですよね。ただ、さすがにこのままではシーズンにスタッドレスに履き替えないまま終わってしまいそうだなって思ったので、重い腰を上げて1月半ばに足回りを冬モ-ドに変更して来ました。どうせ3月ごろには暖かくなってノーマルに戻してしまうことを考えると無駄な出費だなあと思うのですけど・・・。閑話休題、そんな理由もありまして、折角スタッドレスに履き替えたのだから少し山の方へ足を伸ばしてみようかなと、履き替えたその足でそのままドライブ。新東名を新秦野ICで降りて、そのままR246を御殿場方面に流していると、右手に谷を跨ぐ大きな構造物が目に入って寄り道。丹沢湖から流れる酒匂川の上流部、河内川の谷を跨ぐ巨大な高架橋。正式には、新東名高速道路河内川橋。全長は約770mの鋼・PCコンクリートアーチ橋で、下を流れる河内川から路面までの高さは約120mという超巨大な土木構造物が絶賛建設中です。

R246を御殿場方面へ走っていると、少し手前に現在の東名高速の酒匂川橋ってのがありますよね。赤いトラスが酒匂川と御殿場線の谷峨の駅を跨いでおるので、見た方もいらっしゃると思うのですけど、あれもかなり高い位置を走っているなあ・・・と思わせて高さが65mくらいですから、この河内川橋はその倍の高さがあります。下にある中学校(清水中学校)の4階建ての校舎と比べるとその高さが分かろうというものですが、それにしても基礎から足場を組んで120mの高さまで上げて、あたかも木の枝が天に向かって葉を広げるように両側に向けてバランスよくアーチの弧を伸ばしていく建設方法は、この平地の少ない山岳国家である日本の土木工学の技術の結晶のようで壮大である。基礎も深い場所では35mまで掘り下げて、そのズリ出しは基礎の横にズリ出し用の導坑を掘ってそっから搬出するのだとか。新東名高速道路は、現在新秦野ICから新御殿場IC間が最後の未開通区間。本当であったら2023年に全通の予定だったのだが、この区間の工事に時間を擁しており、現在のところ全通は2027年度。この辺りには、一説には関東大震災を引き起こした・・・とも言われる「国府津・神縄断層帯」というものが通っており、断層破砕帯を通過する高松トンネルの掘削に時間を要しているとのこと。

河内川橋を裏側から。青空に屹立する何本もの巨大クレーン。アーチの先端部の吊り下げ足場なぞ、どのようにして組んで支持しているのだろうか。ここまで巨大な土木構造物が忽然と聳え立っている姿は「男の子ってこういうのが好きなんでしょ」の最たるもの。昨年の秋に野岩鉄道に撮影に行ったあの雰囲気を「土木と自然のマリアージュ」と評したが、この現場は「土木で自然を超えて行く」という圧倒的なパワーゲーム。この河内川橋の建設を担うのは大成建設と鹿島建設という日本のスーパーゼネコンによるJV。鹿島のキャッチコピーじゃないが、「地図に残る仕事」というのはこういうものを言うのだろう。自分は全く門外漢の仕事をしているが、一回の地図好きとして、こういう国家的プロジェクトとも言える現場に携わってみたかったかなあ・・・なんてちょっと違う未来を妄想してみたり。

新東名が開通すると、自宅から名古屋までクルマで三時間程度だろうか。早くこの橋の上を走ってみたいと思わせる、そんな土木構造物です。

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いつものように、普段通りに。

2024年01月22日 17時00分00秒 | 東武鉄道

(マイ・ホームタウン・トレイン@大宮駅)

日が暮れて、夜の帳の降りた大宮の駅。8111Fが、家路を急ぐ乗客たちの待つホームにゆっくりと入線して来た。東武野田線の大宮駅のホームは、串型の行き止まりの1面2線。昔っから大宮駅の一番東側にあって、ずーっと変わらない佇まい。そういう意味では、勝手知ったる風景だろうか。乗客の方も、特に変わったことはないような素振り。復帰してからの姿もすっかり馴染んでいるのか、それとも普段使いの人々はいちいち車両の動向など気にしないのか。逆に言えば、何の不思議なくいつものように普段通りに淡々と乗客を運ぶその姿が、東武鉄道を代表する通勤型車両としての矜持なのかもしれない。それでも、たまーに全くテツ要素のなさそうな若い女性が、あっ、なんだかいつもと違う珍しい電車だ!レトロな色遣いでカワイイ!とでも思うのか、スマホにその姿をパシャリと一枚収めて行く姿が見えたりして、それも微笑ましい。

大宮に到着した電車は、折り返しのインターバルを僅かに取って七光台行きへ。この日の8111Fのラスト運用で、七光台到着後に検車区へ入庫となります。運用に復帰してから約3ヶ月、何度か故障を起こして運用打ち切りになったりとトラブルはありましたが、今のところ致命的な故障には至っていません。すぐに本線復帰できる程度の軽微なものだったようです。野田線の運用は、一度入ってしまうと長距離かつ終日のハードなものが多く、老体に鞭打っての奮闘となっています。8年ごとに行われる全般検査を施工しての入線とはなっていますが、本来であれば東武博物館の動態保存車両という位置づけで一線からは引いた車両なので、それなりに気を使っての運用となるのでしょうね。

我が家からは都内を挟んで反対側の位置にある野田線ですが、これからもちょこちょこ活躍の様子と無事を確認しに訪問してみようと思っています。
次の時は、柏の珍来でラーメンでも食べたいねえ~。

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還暦が運ぶ、成人の誉れ。

2024年01月20日 21時00分00秒 | 東武鉄道

(カッチリ駅撮りで・・・@春日部駅)

午後になってすっかりどん曇りを引き当ててしまったので、夕方便は大人しく春日部駅の大宮方で駅撮り。野田線の駅撮りとしては有名な場所だそうですが、島式ホームの広いところで割と安全に撮れるのでいいですね。この日も曇天にも関わらず白レンズ持ちの親子連れが撮影を楽しんでおりました。ホームドアの設置の進展や、撮影者の殺到による安全面や一般乗客への影響などの観点もありますし、そもそもの運転士氏の個人情報への配慮から、この手の駅撮りって文化も白眼視されてはいますけれども、まあ鉄道会社や一般客のご迷惑にならない範囲であれば・・・という気がしないでもない。最近の鉄道写真撮影は、「もう無理だよ」というキャパでも構わず撮影に飛び込む見境のない撮影者側の撮影態度に問題があって。オーバーフォトリズムですね。

8111F、沿線撮りではもう露出も望めないので、改めてゆっくりと「乗り」で味わってみる。車内の風景も、今風のドア上でインフォメーション用のビジョンがビカビカと情報を垂れ流しているというノリではなく、中吊りとか壁広告とかが似合いそうなそんな雰囲気。もっとも、車内の広告のスペースには東武鉄道の主催する野球大会の参加チームと結果みたいなのが貼られているだけで(だから「東武鉄道杯メモリアルトレイン」なんですが)、これで昔の「週刊新潮」とか「アサヒ芸能」とか鎌ヶ谷の霊園の広告みたいなのがぶら下がってればもっと雰囲気出たのかもしれません(笑)。と思いきや、車内の片隅の座席に放り捨てられていた「大宮競輪」の出走表!1月は開設記念やってんだね大宮競輪・・・こう、首都圏の外郭を回る電車は武蔵野線のみならずギャンブル電車的な側面があって、それもまた沿線のイロなのであるが、ネット投票全盛のこの時代に出走表使って現場で打ってるオッサンとか希少種なんで大事にして欲しいねえ・・・。

夕陽を浴びて走る電車と車内の風景。おりしもこの週末は、成人式の時期でもあった。車内を鮮やかに彩った振り袖姿が、ホームに花を咲かせる。還暦の長老が、成人式帰りの新成人を送り届けていた。ちょっと調子に乗ったスーツ姿の男連中に、ちょっと眉をひそめながら昔話に花を咲かせる女性陣。そんな光景も、東武沿線の時代の移ろいを眺めて来た8111Fならではの姿だろうか。「今は成人って18歳なんですよ」なんて長老に教えたら、驚くだろうな。

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越すに越されぬ、利根運河。

2024年01月17日 17時00分00秒 | 東武鉄道

(水運の歴史と冬ざれと@利根運河)

午後になってすっかり曇りベースの東葛地方。東武野田線を、運河の駅で降りてみる。「運河」って何ともそのまんまの駅名だよなあ。で、運河なんてどこにあるんだ!って遠来の人は思うのでしょうけど、ちゃんとあるんです。駅の隣りを流れる利根運河。江戸時代に完了した利根川の東遷事業により、銚子から利根川を遡行し、江戸川を下る水運ルートが確立しましたが、さらなる利便性向上のため、明治初期に利根川と江戸川の間を開削して完成したものです。今となっては運河らしい威厳はなく、水の乏しい住宅街の小川という感じなのですが、堀の深さだけが運河の名残りでしょうか。日本の運河って、京浜工業地帯みたいな海岸沿いの埋立地の中には結構あるけれども、ここまで明確に内陸部にある運河というのは珍しいですね。ただし、明治初期に運河は開削されたものの、明治44年には東武野田線の前身である千葉県営鉄道が柏~野田町間を開通させていますから、利根運河が水上の輸送路として役に立った時期って意外に短かったんじゃないかと。そこから物流は水運から鉄道に遷移して行ったのでね。

そんな利根運河の橋を渡り、車体をくねらせ運河駅に進入する8111F。東武野田線は、大宮から船橋の全線が複線化されている訳ではなく、春日部から運河駅までの18.0kmは未だに単線になっています。建前上は全線で急行運転を行っている野田線も、単線区間だけは各駅停車。日中10分に1本の運行頻度を維持しているくらいなのだから、需要がないわけでもない。それでもなかなかこの付近が複線とならないのは、春日部~運河間には江戸川橋梁をはじめ大落古利根川、中川、利根運河と多くの単線橋梁が残り、春日部駅付近では伊勢崎線を跨ぎ越す立体交差もあって、ここらへんに新しい橋を架けて複線化するのが費用的にもなかなか大変なんだろうなと。それでも、野田市駅付近は連続立体交差事業が開始されていたり、改良の機運がないこともないのだが。

船橋から続く複線区間の北端である運河の駅。流山おおたかの森付近の急激な宅地開発による需要増のため、柏~運河間には日中に区間運用が組まれており、2面3線の中線を使っての機織り運用が行われている。折り返し線に運河止まりの8000系が入線して来た。行先表示がLEDに更新されていない、いわゆる「幕車」というヤツですね・・・幕車エモい・・・中途半端にLEDにされちゃうと写真にした時写んねえんですわ。中線の8000系を横目に見ながら、柏へ先行する8111F。インターナショナルオレンジの垢抜けなさもいいけど、現行8000系のジャスミンホワイトに濃淡二本のブルー帯も好き。むしろ、8111Fが戻ってくるときには、この現行8000系の塗装にしてほしい!って声もファンから多かったように思う。

利根運河を渡る橋の上から。歩行者専用の橋で、「ふれあい橋」というらしい。橋を渡った先は、東京理科大の野田キャンパス。駅周辺には、大学に通う学生向けの飲食店も目立つ。そう言えば、東京理科大って野田の他に久喜とかにもなかったっけ?大学のHPを見ると長万部とかとんでもない場所にもキャンパスがあったりするのだが、長万部で何をやるのだろうか。酪農とか?と思って調べてみたら、国際デザイン経営学科、だって。それって、北海道じゃないとできないことなの?(笑)。

ふれあい橋を横目に、利根運河を渡って単線区間に入って行く8111F。橋を渡った先にも複線用の路盤は用意されていて、利根運河を渡る橋だけ架けられれば、野田市辺りまでは複線化出来そう。しかしながら、野田市駅周辺の立体交差事業は、複線用の土地を確保しつつ単線分しか行われておりません。コロナ禍以降の乗客の回復に疑問符が付くこと、少子高齢化に伴い通勤通学需要は緩やかに減少すること、首都圏外縁部に拡大して行った通勤圏が、昨今の再開発に伴い都心回帰していることなどなど、ちょっと投資には及び腰の雰囲気が垣間見える野田線の沿線模様。東武本社からも「必要な設備投資として車両の置き換えは進めるが、将来的には野田線は5両に減車」という基本計画が発表されていて、ウワサでは80000系(仮)が投入されるんじゃないかなんて話もある。ただし、新しい車両の開発と投入までは暫く時間がかかるので、それまでの時間稼ぎのために8111Fを投入し、ひっ迫する車両需要を乗り切ろうとしているのが本音のところなのでしょう。

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