青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

旅立ちの 伊予の松山 蒼い時。

2021年12月24日 17時00分00秒 | 伊予鉄道

(暮れなずむ港@高浜港)

僅かな滞在時間だった興居島への船旅。フェリーで高浜の港へ戻る頃には、既に太陽は瀬戸内の海の向こうに消え、残照が空を照らしていました。前日は雲多めだった高浜の夕暮れですが、この日は雲も少なく、薄紅色に染まる空と海が港を包んでいます。島から本土へ戻る人、そして島へ帰る人が交錯する港の風景。かつては柑橘類の生産と漁業で栄え、最大で7,000人程度が居住していた興居島ですが、現在の住民は1,000人程度と最盛期の7分の1。フェリーから降りて来る小学生の姿。島の人口減少に伴う生徒数の減少もあり、教育振興の一環として、島の学校へ四国本土から通っている小学生もいるそうです。

高浜駅から駅前通りに繋がるスロープ。何時まで開いているのやら、高浜駅の売店。コンビニエントなもののあまり見当たらないしもた屋然とした雑貨店。棚はスカスカ、タバコと僅かな嗜好品、週刊実話や近代麻雀などのオヤジ向け雑誌と、何故だか大量の野菜や花卉の種苗が棚に並べられている。クリーニング取次は分かるけど、このデジタル全盛時代にDPEという文字が見られるとは思わなかった・・・

高浜の夕暮れ、興居島から戻って来た乗客が、帰りの電車を待っている。ホームに滑り込むオレンジの鮮やかな3000系、二日間に亘って付き合って来たけれど、そろそろ空港へ向かわないと飛行機に乗り遅れてしまう時間。いい色に空が焼けているので、名残惜しいような立ち去りがたいような気持ちもあったけれど、とりあえず現実へ戻る作業を始めなければなりませんね。

ことでん少しと、主に伊予鉄をのんびり回った秋の四国二日間。コロナ禍の中で、少し感染状況も落ち着きを見せていたこともあり、久し振りの遠征らしい遠征をした気がする。旅をゆっくりと綴るうちに季節は早くも年末になってしまったけど、年明け以降は新型株の状況に一喜一憂する事になる状況になるのでしょうね。ブルーモーメントの高浜駅から旅の最終列車へ。市駅から空港行きのバスに乗り込むと、雨が降り出して松山の街が滲んで見えました。

P.S この松山からの帰りに、何と9年ぶりに飛行機に乗りました(笑)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

潮風や 凪の船旅 興居島へ。

2021年12月20日 17時00分00秒 | 伊予鉄道

(島へ帰ろう@高浜駅)

郡中線を乗り潰し、ひとまず伊予鉄全線を完乗したのが16時前。19時過ぎの飛行機で松山から帰る予定なので、市駅に戻って松山市街をブラブラするかなあ・・・なんて気持ちもあったのだけど、郡中線からそのまま高浜線に乗り換え、終点の高浜駅まで再びやって来ました。西日の当たるホームから、電車を降りた学生が目指すのは高浜の船着き場。島の子が家路に就く風景、瀬戸内の暮らしがそのまま匂い立つような停車場の雰囲気を感じながらスナップ。

飛行機の時間まで、高浜港から対岸の興居島(ごごしま)へフェリーで行って帰ってくるくらいの時間は余っていました。前日は梅津寺の駅のホームで瀬戸内の夕暮れを拝みましたが、今日は船の上から瀬戸内海をサンセットクルージング。高浜港から興居島の泊(とまり)へは僅か10分足らずの船旅ですが、こういうプチ船旅が気軽に味わえるのも瀬戸内のいいところ。そして、何より旅先で船に乗るという非日常な感じがグッとくる。

高浜~泊航路に就航しているのは汽船「しとらす」。株式会社ごごしまという会社が船籍を持つ船です。一応民間の会社らしい。瀬戸内海には離島を結ぶ海運会社がたくさんありますが、どこも離島の人口減少や燃料高騰などであまり業績は芳しくないようです。離島の交通路が途絶えたら死活問題ですから、なんとか運営出来るように行政も補助金を出しながら何とか航路を維持しているのだろうと思います。船舶も零細海運会社が持つにはそんなに楽な金額のものではない、というのは聞いたことがありますからねえ・・・

汽船「しとらす」は、小さいながら甲板の上に乗用車も積み込めるカーフェリー。旅先の渡船というと富山新港で乗って以来ですが、自転車とバイクしか乗せらんなかった県営渡船に比べると随分本格的な船旅だ。デッキのオープンエアーから見渡す瀬戸内の海。ちょうど夕陽が西に傾き始めるお誂え向きの時間。特に出港の合図もなくタラップが巻き上げられると、船は四十島瀬戸と呼ばれる海峡に出て、穏やかな凪の海を島へ向かいます。

白波を蹴立てて小さな海峡を行くフェリー。みるみる近付いてくる興居島、小富士と言われる興居島の主峰に夕日が沈むささやかな船旅。瀬戸は日暮れての世界だ。基本的には鉄道を愛でている私の旅ではあるけれど、そんな中で、上手に船をスパイスとして絡めると、情緒的な気分がまたひとしお盛り上がって来るような気がする。

興居島、泊港周辺。フェリーが折り返して行くまでの僅かな時間、港の周辺をフラフラと散歩しただけだったのだけど、ひっそりとした路地の先には瓦屋根の立派な家屋が並んでいたりして・・・それでも、何となく島ってのは余所者を寄せ付けないような独特の雰囲気がそこはかとなく感じられる。人っ子一人いない路地の奥を興味本位だけで歩くのも気が引けるので、路地の無人販売所に売っていた青く小さな末生りのミカンを買って港に戻る事にする。この青ミカン、帰京後に焼酎のソーダ割りをする時に絞り入れると、酸味と柑橘系の爽やかな香りが立って美味かった事を申し添えておきます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緩やかに 午後の日射しの 差す駅で。

2021年12月18日 17時00分00秒 | 伊予鉄道

(味が染みた100年駅舎の壁@松前駅)

郡中線、市駅に戻りながらどこかで途中下車してみようという事で、線内でも一番歴史のある駅舎が残っているという松前(まさき)駅へ。松前だと「まつまえ」と読んでしまいそうですが、ここは「まさき」。前を「さき」と読む地名は国内にもいくつかありますが、ここ伊予郡松前町もその一つ。さりげなく難読ですよねえ。道後平野の西端に当たる松前町は、重信川の河口に港を持ち、古くから漁業で栄えた町です。

この駅舎がいつからここに建っているのか。ハッキリした事は分かりませんが、渋焦げ色の板塀に、南予鉄道時代からの鉄路の歴史を見る。駅舎の前に並べられた自転車やバイクが少し目障りのように思えるけれど、なに、この駅と郡中線がしっかりと地元住民の足として使われている事に他ならない何よりの証拠。駅舎は大きめの本屋と離れの宿舎?で構成されており、立派な瓦葺き。アルファベットで「MASAKI」と書かれた看板が車寄せに付けられていて、広々とした待合室のエントランスで乗客を待っています。

自動販売機で缶コーヒーを買い、コンクリートの土間が打たれた広い待合室で暫し松前駅の雰囲気に浸る。晩秋の午後、傾き始めた長い日差しが射し込んで来た。郡中線も日中は15分ごとの運転で、少し待っていればすぐ電車がやって来るのはありがたい。さほど無聊な時間を過ごす事もなく、電車を絡めたカットを撮る事に苦労はしない。

古レールできれいに組まれたホームの上屋。構内踏切で結ばれた2面2線のホーム。郡中港行きの電車が止まるホームの右側がかつての貨物側線で、以前は松前駅からも貨物輸送の取り扱いがあったと聞きます。松前の漁港から揚がった瀬戸内の海産物や農産品が、ここから松山の市街や郡中の街に運ばれていたのでしょう。漁師町だから、行商のおばちゃんも、トロ箱担いで松山や道後へ魚を売り歩いていたのかも。

ミカン色の電車が、午後の日射しと青空に素晴らしいコントラストを結んでくれます。パノラミックウインドウの大きな窓が、燦々と太陽を浴びて輝いている。古めかしい駅の雰囲気と電車に夢中になってカメラを向けていると、踏切を渡って来た中学生から「お疲れしゃーっす!」と突然声が掛かって、なんだか少し気恥ずかしかった松前の午後。みんなには分からんかもしれないけど、いつもの電車が走るとりとめもない普段の風景ってのが最高なんよ。

木造の窓の桟から眺めるホーム。「STATION MASTER」の看板の付いた駅長室に、いかにも古くからの主幹駅と言う風格もあり。郡中港で折り返した電車が、遅い午後の優しい空気の中を、ゆっくりとスプリングポイントを渡って松前駅に戻って来ました。郡中線で訪問出来たのはこの松前駅だけだったけど、なかなか雰囲気のいい駅でしたね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

郡中港 町家に暖簾 ひらめいて。

2021年12月16日 17時00分00秒 | 伊予鉄道

(郡中線は急カーブ@松山市駅)

本町線の乗り潰しを終えてから、大手町の食堂で簡単に腹ごしらえをして、再び市駅に戻って来ました。これから最後に残した郡中線に乗って行きます。この日の夜の飛行機で松山を離れる予定ですが、時間は早くも午後2時を回っています。色々と見たり回ったりしている間に、郡中線にあんまりゆっくり乗ってる暇が無くなっちゃったなあ。やはり四国で実質一泊二日は短かったかも。いよてつデパートの駐車場へ向かう通路をくぐって、急カーブを曲がりながら郡中線の電車がやって来ました。

市駅の一番外側、3番ホームから折り返し発着する郡中線の列車。車両自体は高浜・横河原線と共通運用ですが、今回の旅で初めて元京王5000系(700形)が3連でやって来ました。伊予鉄の700形はモハクハの2連ユニットに増結でモハをくっつける形で3連を組成しますが、この増結の3両目は、乗客の流動に応じて松山市駅から古町駅まで単走で回送される事もあるようで、そのコミカルなその姿は隠れた伊予鉄名物だったり。比較的天気に恵まれた松山訪問でしたが、ここで空がにわかにかき曇り、時ならぬ雷雨に・・・

雨の中、市駅を出て行く郡中線の列車。折角なので、中間封じ込めの運転台の横に陣取ってみる。どことなく懐かしさを覚えるマスコンハンドルや計器類を眺めつつ、叩き付けるような雨の中、松山市街を走って行きます。土橋、土居田、余戸(ようご)、鎌田あたりまででぽつぽつと乗客が降りて行き、鎌田の先で重信川の鉄橋を渡ると、車内は閑散としてしまいました。

時間もあまりないので、ひとまず終点の郡中港まで乗り通してしまいます。松山市街では雷だったのが、重信川を超え郊外に出ると急に天気が回復して来ました。この辺りまで来ると、市街に比べ少し古めかしいような家並みが目立ちますね。松前を過ぎて、すっかり乗客のいなくなった車内に明るい日差しが射し込むと、床にきれいな二段窓の桟が浮かび上がりました。

市駅から約30分、電車は1面1線の郡中港の駅に滑り込みます。ここまで乗って来た僅かな乗客はあっという間に出口に消えて、ホームには自分と乗務員氏だけが残りました。軽くすれ違いざまに二言三言の言葉を交わしてエンド交換を行う彼らの折り返し作業を眺めながら、終着駅の風景をパチリ。伊予鉄郊外線の終着駅は高浜、横河原、そして郡中港とどこも1面1線と簡素なんですね。郡中港って港の駅なのかな?と勝手に妄想して来てみたのだが、高浜の駅に比べてあまり港町っぽさは感じられず。

郡中港の駅は、平屋の駅舎に望楼の様な小さな2階部分がくっついた伊予鉄ではよく見る形のスタイル。今でも離島へ向かう航路が残っている高浜とは異なり、既に郡中港からは旅客航路は途絶えて久しいようで、今は漁船が船溜まりに残るのみの小さな港町。そこらへんが、何となく港街っぽい雰囲気の無さに繋がっているのかもしれない。駅前を走るのは、伊予市と八幡浜の間を海沿いに結ぶ国道378号線。道路を隔ててJRの伊予市駅は目と鼻の先で、松山市街への利便性は圧倒的に本数の多い伊予鉄に軍配が上がりますが、どちらの駅も利用客は同じくらいみたいです。

郡中港の「郡中」とは、現在の伊予市の中心市街地を指す地名で、かつてこの辺りは伊予郡郡中町と言われていました。古くから栄えた西予の港町である郡中まで、南予鉄道が開通したのは1896年(明治26年)のこと。予讃本線が郡中の街に達したのは昭和初期の話ですから、伊予市域は随分と長い事伊予鉄の独壇場だった事になります。駅の周辺には鰹節製品や和風だし・調味料系のメーカーとして有名な「ヤマキ」や「マルトモ」の本社があって、街の産業の中心となっていますが、お好み焼きやおひたしにかける「かつおパック」はロングセラー商品ですよねえ。

駅前には、昔ながらの長屋を模した「町家」という商業スペースがあって、地場物産の販売や軽食の取れる交流スペースになっています。家で待ってる家族のために、ちょこっとおみやげ品をゲット。はためく暖簾の向こうから、市駅行きが発車して行きました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土休日 暮れは休みの 本町線。

2021年12月12日 17時00分00秒 | 伊予鉄道

(一応登城してみた@松山城天守閣)

日本百名城の一つである松山城。松山まで来て、伊予鉄だけ追っ掛けてもしゃあないので、一応リフトに乗って登城してみました。天守の上までは時間がなかったので行けなかったんですが。道後平野の真ん中、ポコッと100mくらい高くなってる場所にあって、地形的に城にしてくださいと言わんばかりの山城。松山市街と瀬戸内海の見晴らしが素晴らしい城です。

松山城から松山市駅方面。観覧車の「くるりん」が良く見える。自分が登った時はちょうど雲が湧いちゃっててあんまり光が回ってこなかった。右側の奥にあるのが「坊っちゃんスタジアム」ですね。確か一回オールスターやったよね?正岡子規の野球殿堂入りかなんかで。そう言えば、来年の2022年もオールスターは福岡ドームと松山でやると言っていたな。それまでに観客制限なんかが解除されてっといいけどね。

松山城を降り、徒歩で上一万の電停へ向かう。50形の環状線の内回りに揺られて。鉄砲町、高砂町、清水町、木屋町・・・と味のある電停を一個一個。木目の美しい壁と床、コロナ対策で開けられた窓を通して聞こえてくるのは騒がしいツリカケの音。そして、風に乗ってワニスの香りがすぅーっと鼻をくすぐる、穏やかな平日の昼下がり。

本町六丁目駅で、本町線へ乗り換えます。路線が開通したのは昭和30年代後半と伊予鉄市内線の中で一番新しい路線なのですが利用者が少なく、その存在理由がなんとなく希薄になっている路線です。高頻度運行を是とする市内電車の割にはご覧の様に運行ダイヤはスッカスカ、日中では2時間半も間隔の開く時間があるし、コロナ禍で昨年からは土休日と年末年始の運転を取り止めてしまって、サラリーマンのような勤務体系になってしまいました。すぐ西に環状線が走っているし、中途半端な位置で終点になっているし、本数は少ないし・・・という感じなのかなあ。

ホームから本町線の終点を眺める。ホームってったって国道の真ん中に狭いアスファルトの段差が細長くあるだけで非常に頼りなく、終点ってったって建てられたポールに車止めと架線終端標識がぺしっと張り付けられているだけだ。終点の向こうの環状線を75号車が往く。駅としては接続していてもレールは全く交わらないこの両線、ひょっとして環状線とくっついていたらまた利用方法も変わっていたかもしれないけど、古町とかJR松山駅前を経由しないからダメか。

国道の車の波をかき分けるようにして、本町線の電車がやって来ました。12時台の便はこれ一本、ここからは15時台まで40分間隔の運転が続きます。一日15往復にも満たないという路面電車としては極めて少ない本数で、東予地方へ繋がる大動脈である国道196号線を走っているのが本町線。走って来た2100形も何だか申し訳ないなあという感じで、クルマに遠慮しいしいゆっくりゆっくり近づいてきます。

12:40本町六丁目発の市駅行き。乗車客は私一人。運転士氏のアナウンスを独占しながら、松山市内の目抜き通りとも言える国道上を淡々と走ります。電停名も本町六丁目から五丁目・四丁目・三丁目・一丁目とカウントダウン型の無機質なもの。三丁目で妙齢の女性が一人乗車して来たのだが、狙って乗って来たのかたまたまなのかは不明。三丁目からお堀端に出た電車は西堀端電停の先で大手町からやって来た環状線と合流し、南堀端電停にて下車。・・・という特に感想の無い10分ちょっとの本町線の乗車にて、伊予鉄市内線は完乗となりました。

南堀端電停にて、再び本町六丁目方面に向かう2100形を。市駅から南堀端の間はイチョウ並木が色付いていてきれいでしたね。背後に聳えるのは、今年の12月に新規オープンする「レフ松山市駅(byベッセルホテルズ)」。福山市の工具メーカーである株式会社ベッセルが出資する新興ホテルグループで、西日本を中心に展開を広げているらしい。関東でも京成線沿線には結構あるみたいなんだけど、正直初めて聞きましたね。いよてつ高島屋に続いて、市駅の新たなランドマークとなるのかどうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする