goo blog サービス終了のお知らせ 

青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

テールライトを見送って。

2025年03月30日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

 

(ミスト・ステーション@電鉄富山駅)

道床に引かれた配管から霧状の水が撒かれている電鉄富山の駅。冬の間はこうやって積雪を防止するようだ。「水を撒く」というのは、古くから使われている積雪防止の方法ですけれども、ずーっと流しっぱなしにしていると水道の料金ってどのくらいかかるもんなんですかね。そうそう、雪国って道路にもセンターラインの穴から水が飛び出してくる消雪パイプなんかが設置されているところが多いですけれども、あれも水源が地下水なんで、消雪用の地下水のくみ上げをし過ぎて地盤沈下が起こった・・・なんて話もあったりしますが。巻き上げた雪がこびりついた60形がゆっくりとホームに入線。駅の高架化を前に、現在の仮設のホームに移転してもう2年ほどになりますか。電鉄富山駅の立体化事業は稲荷町~電鉄富山間の700mに総工費200億円を要し、完成が2028年度を予定。「鉄道により分断された街を高架化することによって活性化を目指す」という富山市中心部のまちづくり計画によるものなのですが、コロナ禍を経て地鉄自身の立て直しと今後に向けた方策の立案のほうが急務になっているような気もします。

地鉄通いを始めて何年になったか。記録を見返すと初めて来たのが2012年だから、もう10年以上になる。なんだかんだ言って色々と変わりましたけど、10020形・14720形がまだ健在で、2014年の北陸新幹線開業を見越して京阪にダブルデッカーが入ってきて、新幹線開業効果に湧いたあたりが一番元気であったように思う。地鉄はその後の5年間のコロナ禍でもちろん売上高・収益面の双方で疲弊したということもあるけれども、新幹線の生み出した副次効果として、特急を走らせる必要がなくなったあい鉄の充実も見逃せません。はくたかの13往復、北越の5往復がなくなって、それだけ自由なダイヤ編成が可能になったとも言えるんですよね。あい鉄の利便性向上によって滑川・魚津方面の乗客の逸走傾向がより顕著になったですし、10年かけてじわじわとニーズが地鉄からあい鉄に遷移して行ったとも言えるのではないだろうか。

古き良き車両とレトロな駅舎は、地鉄の魅力のひとつでもあります。寺田の駅の出札口に残る牛乳屋さんの広告看板。こういう物件が平気な顔をして残っている。みんな飲んでゐる。戦後まもなく文化庁より公布された「現代仮名遣い」によって、「ゐ」は「い」と書くように改められたはずなのだが、その後の文字の浸透度を加味しても、少なくとも戦後まもなくに作られた看板なのだろう。ただ、こういった看板が残るほどに年季の入った100kmを超える鉄軌道路線を管理することは、現在の地鉄の置かれた状況では設備を維持する資金も労働力も重荷と見え、東新庄での脱線事故や見張りを立てていなかったことが原因の保線作業員の触車事故など、安全面でも懸念するべき事項が目に見える形で顕在化しています。駅舎などは、能登半島地震の復旧対策工事という名目を使いながらぼちぼちと修復しているんですよ。経田とか、西魚津、早月加積、浜加積辺りがリニューアルして新しくなりましたし、決して何もしていないわけではないのだけれども。

夜も更けて、雪凍る寺田のホームで。今回はあまり見る機会の少なかった京阪カボチャがやって来た。4月以降は終電の繰り上げも予定される中で、地鉄の厳しい道のりは続きます。3月の決算を控え、地鉄の社長が地元テレビ局からの取材に対し、「全線での運行を維持するのであれば、沿線自治体からの受託方式での運行が望ましい」という意向を表明しているんですが、鉄道事業の売上高が15~20億円で6~7億円の赤字が出てしまうってとんでもない状況ではありますね。地鉄ってコロナ前に連結で110億円くらい売上出してたみたいなんですけど、現状90億円前後をウロウロ。この戻りの悪さがほぼ鉄軌道事業とは思いたくないのですがねえ。各地の観光地、インバウンド需要は十分すぎるほど戻っているように思えるのだけど、昨年に限っては能登半島地震の影響を少なからず受けたかもしれませんね。黒部峡谷鉄道とかも部分運休してましたんで・・・あと、北鉄と共同運行していた高速バスの富山~金沢線を運転手不足で撤退しているのも大きいのかな。

それでも鉄路は続き、列車は走り、そして乗る人と動かす人がいる。地方都市が華やかなりし頃、鉄道と駅が町の顔だった高度成長の昭和の時代から、人口減少社会、過疎化、少子高齢化と令和の御世に日本の病理は進んで行くばかりだ。 家路を急ぐ人影疎ら、 底冷えが強いデルタの駅で、去って行くテールライトを見送る。冬の厳しさに耐えて耐えて、なんとか一輪でも花を咲かせる春を迎えて欲しいものだが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の立山、曼荼羅の世界へ。

2025年03月28日 06時00分00秒 | 富山地方鉄道

(夜汽車は山へ@立山線車内)

夕暮れの岩峅寺から、ほんの僅かな乗客を乗せて山へ向かう60形の立山行き。車窓に広がる岩峅野は雪に覆われて、車内の蛍光灯から漏れた灯りに跳ね返ってほの明るい。押し黙ったように佇む冬の立山山麓の家々、雪は止んだとはいえ何とはなしのもの寂しさが残る。転換クロスの背摺りをバタンと倒して自分だけのくつろぎコーナーを作って準備は万端。車両の揺れと呼吸を合わせながら、こぼさないように岩峅寺の駅の自動販売機で購入した缶コーヒーのプルタブをパキリと開ける。ぼんやりと流れて行く景色を眺めるこういう時間。列車はやはり乗ってこそ、である。

横江、千垣、有峰口、本宮。本宮から先、立山までの4.8kmは、地鉄の中では一番駅間距離の長い区間になります。窓の外は漆黒の闇・・・というにはやたらと明るいのは、窓の高さを超えようかとばかりに降り積もる沿線の雪。雪壁の高さはこの冬の積雪の多さを物語るもので、電車は延々と続く雪の回廊の中を30km/h程度の低速でゆっくりゆっくりと登って行く。時折バチバチバチ!とかギャリギャリギャリ!!というとんでもない音がするのだが、これは雪の重みによって線路内に折れ曲がって来た木の枝が車体を叩いたり引っ搔いたりする音でして・・・まあ、建築限界に支障しているのなら枝を払ったり伐採したりしてよ、と思うのだけど、単に線路の上を除雪するだけじゃなくて、ロータリー車で雪壁削って段切りして人間入れて枝を伐採して、みたいな手の入れ方がなかなか難しくなっている、というのが地方民鉄の現場なのかも。

立山到着は、定刻から5分遅れ。本宮からの徐行が効いている。正規のダイヤだともっと速度を出すのかもしれないが、あれだけ木の枝が線路に支障しているとなかなかスピードは上げられないのでしょう。運転席のガラスでも割れてしまったら酷な話だ。私以外にもう一組、何故だか妙齢のご婦人とその子供がこの電車に乗っていて、どうやら立山のスキー場のホテルに泊まるらしく、改札口から電話で宿の送迎を頼んでいた。僅かながらでも乗客がいたことにびっくりもするのだが、これだけの需要のために、わざわざ車両を動かして冬季間の保線を維持して運行を確保する意味を考えてしまう。いくらひいき目に見ても、冬期の日中運休はやむを得ないのかな、という結論しか出ないのだ。

古くは大阪からの急行立山・むろどう、そして名古屋からの名鉄特急北アルプス。冬でも681系を使ったシュプール立山が乗り入れたりと、季節にたがわず観光需要が旺盛であった立山の駅は、夏期は多客対応のために2面2線のホームを活用し、日中は午後の下山客を捌くための折り返し電車の留置線も備わっている山岳のターミナル駅。冬の間はポイント部分の除雪は実施されず1線のみの供用となるため、あまり立山での滞留時間が持てないのが冬ダイヤの特徴。必要最低限の灯り以外は、節電でもしているのかどうにも薄暗い半地下の駅で、正真正銘私以外のお客さんが乗ることのない山下りの列車が折り返しの準備に忙しない。ボケっとしていると誰もいない冬の立山の駅で置いてけぼりになってしまう。そうはならじと早めに運転席の後ろから電車に乗り込むと、冬の立山名物のホームに積もった雪がまるで白いベーコンのように積み上がっている風景を目にすることが出来ます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

殖産興業、扇の要の駅で。

2025年03月24日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(立山社檀、雪積む駅に@岩峅寺駅)

黒部川の作った平野から、谷を伝って宇奈月へ。常願寺川の作った平野から、谷を伝って立山へ。富山の二つの大河は、地鉄電車とは切っても切れない関係性にあります。黒部川も常願寺川も、北アルプスの山々から流れ出た土砂で大きな扇状地と平野を形成していますが、常願寺川の作った扇状地の要に当たるのがここ岩峅寺の駅。滑川から扇状地の縁を通ってやって来た立山鐵道と、富山から神通川との平野の境目をなぞるようにやって来た富山県営鉄道の路線がここで交わります。今の不二越・上滝線の始祖である富山県営鉄道は、常願寺川の電源開発による殖産興業と治山治水の重責を担って建設された「富山市ヨリ上滝ヲ経テ藤橋(立山)ニ至ル」鉄道のこと。現在でも市電・地下鉄などに市営鉄道(交通局)は残っていますけど、国鉄やJRを継承して第三セクター方式で設立された県管理の鉄道ではなく、県が直接建設して運営を行っていた鉄道会社ってのは歴史上では千葉・富山・宮崎・沖縄くらいで、あまりないんだそうです。宮崎県営鉄道は現在でも日南線の一部として残っているようですが、沖縄県営鉄道は沖縄戦で壊滅してしまい、戦後はアメリカの統治によってクルマ優先の社会が形成され、鉄道は残りませんでしたのでね。

そんな二つの鉄道が寄り添うように接続する駅が、岩峅寺。開業当初は、立山鐵道が「立山(たちやま)」、富山県営鉄道が「岩峅寺(いわくらじ)」を名乗り、立山鐵道の駅は少し手前の場所にありましたが、立山鐵道が富山電鐵に買収合併された際に両駅を統合。現在のようなスタイルとなっています。空中写真で見ると、立山線の線路が駅のところで少し西側にカーブし、上滝線のホームに寄り添うような形になってるんですけど、おそらく統合時に線路を少し移設したものと思われます。立山線ホームと上滝線ホームを繋ぐ小さな回廊。積もる雪から通路を守る屋根には、何本もの梁が渡された丈夫な造り。駅名票の「ホクセイアルミサッシ」の広告がいかにも地鉄。日本軽金属系列の高岡のアルミメーカーですが、地鉄の駅名票と言えば、「ホクセイアルミサッシ」か「皇國晴(みくにばれ)」ですよね。そもそも、富山県営鉄道や黒部鉄道が目指した常願寺川や黒部川の電源開発で生み出された豊富な電力が、ボーキサイト→アルミナ→アルミニウムという精錬の過程で大量の電力を必要とするアルミ精錬と、富山県の地場産業としてのアルミ製品の製造(サッシなど)に結びついている訳で、富山県営鉄道からアルミサッシまでの道のりは繋がっています。

上滝線の折り返しホーム。現在は、上滝線は全列車が岩峅寺折り返しになっていますが、かつては富山から立山までのメインルートは上滝線経由でした。建設の経緯を考えるとそれは自然な事なんですが、だんだんとメインは寺田から五百石経由に移行されて行きます。それでも、90年代の後半までは一部南富山回りの立山行きが運転されていたんですけどね。今は立山線に向かう1番線ホームはたまの貸し切り団臨くらいでしか使われません。明確な記録を知らないので何とも言えませんが、上滝線回りの立山行きが運転されなくなっちゃったのっていつくらいからなんでしょう。ご存じの方がおられたらご教示いただきたいところ。

ダルマストーブの炎が赤く揺らめく待合室。陽が落ちて、足元から寒さが這い上がってくるような岩峅寺の駅。広い待合室にこのストーブ一つではとても暖かいとは言えないけれども、風が遮られて炎の色があるだけでホッと一息つける。煌々と灯る駅務員室の灯り。かつては大勢の乗務員や駅員が出入りしていたものと思われるのだけど、今は初老の駅員が一人で窓口を守っている。少し前までは、相当にご高齢のおじいちゃん駅員が岩峅寺の駅の窓口におられて、何度もそのおじいちゃんからキップを買ったことがあったのだけど、さすがに交替されたのだろうか。

駅の雰囲気に浸りながら、宵の口の岩峅寺の駅に佇む。この駅のランドマークのひとつでもある、上市の「日本海みそ」の看板を照らして山行きの電車がやって来た。
この電車に乗って、夜の立山へ向かって行こうと思う。
地鉄の深淵を覗きに行こうとするとき、また深淵もこちらを見ている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

翁に尋ねしレールの先に。

2025年03月22日 10時00分00秒 | 富山地方鉄道

(雪の立山、轍を踏んで@千垣駅)

横江から千垣へ、一駅歩みを進めただけで、雪は深くそして激しさを増してきた。雪の行軍、轍を踏んで・・・ではないが、さきほど薄日の差した鋳物師沢で眺めたレッドアローがイカついライトを光らせながら山を下りて来た。雪が凄いと見えて、定刻から5分程度の遅れ。ここまで雪が降ってしまうと、列車の音などは全く聞こえない。放送が入る訳でもないので、よく目を凝らしていないと気付かないうちに電車がやって来る。それにしても、雪の中で雪をずっと見ているのは案外目に来るもので、なんというかこう・・・目がシパシパしてくるね。実際、スキー場などでずっと雪の照り返しを受けていると、雪焼けもそうなんだけど目が紫外線にやられてしまうことがあるらしい。そういうのを「雪目(電気性眼炎)」というのだそうだが。そして、千垣の鉄橋では、大雪にまみれながら三脚を立て、撮影に勤しんでいる同業者がいた。自分も千垣の鉄橋は当然検討したアングルなんだけど、この雪ではひょっとしたら視界が効かずに撮れないのでは・・・と思ってパスしてしまった。素敵な一枚が撮れていたのだとしたら、ご同慶の至りだ。

有峰口。さらに雪は深く。駅へ向かう路地に積もる雪が、その高さを増してゆく。岩峅寺から先、立山までずっと無人駅になっているのだけれど、有峰口は岩峅寺~立山間の唯一の交換駅となっているので、除雪のための保線係員が待機していることがあります。ポイントのトングレールにはヒーターが入ってはいるのでしょうけど、降雪でポイント不転換とかなったら大変でしょうからね。途中の千垣の鉄橋は10km/h程度の超徐行なので、ゆっくりと有峰口の駅に進入する60形。乗客は、カメラを持った数人のマニアのみで、沿線住民らしき乗客の姿はなかった。立山方面で沿線住民が居住しているのってギリギリで本宮辺りまでですけど、有峰口もね、基本的に鉄道で来る人って有峰湖や薬師岳に向かう登山客がほとんど。全く沿線住民の利用がないとまでは言えませんが、基本的に現在はアルペンルートへの観光路線という機能に特化していて、地元住民の流動はごく僅かという状態が続いています。

そんな中で、先日恒例の4月15日のダイヤ改正が発表されました。色々と厳しい地鉄の現状を訴えるような極めて緊縮的な減便ダイヤです。公式から発表された文章を読み、そして実際のダイヤを眺めていて、何とも暗澹たる思いに苛まれるような厳しい内容にクラクラしてしまうのでありますが、現実を見るためにとりあえず内容をまとめておきます。

【本 線】電鉄富山発
(現行)平日70本 土休日68本
(改正後)平日64本(▲6本)土休日45本(▲23本)
【上滝線】電鉄富山発
(現行)平日27本 土休日24本
(改正後)平日25本(▲2本)土休日20本(▲4本)

まず本線と上滝線。両線とも平日は僅かな減便で維持されたものの、大きく縮減しているのが本線筋の土休日のダイヤで、特に電鉄富山口では改正前から▲23本の大減便となります。これは20本あった上市行きの区間運転を7本(▲13本)に削減した影響が大きく、土休日では一番のボリュームゾーンである電鉄富山~寺田間でも30分間隔の時間帯が発生します。終電もこれまでの23:30発上市行きが23:00発と30分繰り上がることにより、東京からの最終の新幹線である「かがやき519号(富山23:12着)」からの接続はなくなりました。また、日中の宇奈月温泉行きの減便により、本線では上市~新魚津間が大きく間引かれ、全日8~15時台で90~120分間隔になります。黒部側では新魚津~宇奈月温泉間で3本の区間運転を設定しているので、あいの風と並行する上市~滑川~新魚津間の利用者減に伴う苦境がダイヤ上からも浮き彫りとなりました。2時間に1本となると、流石に公共交通として利用できる危険水域を超えてきていると思われるのであるが、「対富山」ということを見据えた時に、黒部・魚津・滑川方面からは時間も運賃も本数も圧勝のあい鉄には全く太刀打ちできず、かつ黒部・宇奈月方面は北陸新幹線との競争にも負けてしまったということなのでしょう。

【富山・電鉄富山~魚津・新魚津】
地鉄・・・約1時間780円 あい鉄・・・約25分600円
【富山・電鉄富山~黒部宇奈月温泉・新黒部】
地鉄・・・約1時間20分1,200円 北陸新幹線・・・12分1,470円(自由席特急料金込み)

地鉄側の上市でスイッチバックする線形の悪さはあれど、どう贔屓目に見たところで勝負にならない。特に対黒部の新幹線との落差は、料金こそ地鉄に僅かに軍配が上がってはいるものの、1時間20分と12分では270円の差など爆散してしまうだろう。同時に富山をスタートしたとて、黒部宇奈月温泉に新幹線が着く頃に、地鉄の電車は常願寺川を渡ってまだ越中三郷あたりをウロウロしているのだから。

【立山線】寺田発
(現行)平日28本 土休日26本
(改正後)平日27本(▲1本) 土休日22本(▲4本)
(備考)冬ダイヤでの岩峅寺以遠の部分運休実施 岩峅寺発で平日9:01~14:32、土休日9:01~14:42まで運転なし

そして立山線。寺田発では平日はそこまで本数は変わりませんが、土休日は8時台と16時台が整理されての減便です。そして今回のダイヤ改正で一番衝撃的だったのは、冬ダイヤにおける岩峅寺~立山間の日中部分運休でしょうか(上部時刻表ピンク地が冬ダイヤ運休)。確かに、アルペンルートが閉ざされるこの時期の立山線、もとより岩峅寺から先なぞは細々としたスキー需要(立山山麓スキー場)以外はマニアオンリーの空気輸送なんですけども、ついに大ナタが振るわれることになります。千垣駅から芦峅寺の集落へ向かう立山町のコミュバスも、この冬から定期運行を止め、「要請があった時のみ運行する」というデマンドタイプへの実証実験がおこなわれていて、ようはこの区間は春から秋のアルペンルートの一部として機能すればよく、地元民への公共交通としてのオーダーは相当薄れているのでしょう。勿論冬季の荒天時の除雪対応や日中の保守管理の間合いの確保、単純に行路短縮による乗務員の負担減、冬期の豪雪地帯を走行する消費電力の抑制など、地鉄側にとってもメリットの大きい話であるのだが・・・それと、地味に朝イチの快速急行KB301が消滅してるのね。冬ダイヤでは岩峅寺行きの普通電車になってしまったのは悲しい。

このダイヤ改正。「富山県の交通体系の一元化」「(官営鉄道とは)並行すれども競争せず」「立山貫光」という地鉄の理念が大きく崩れかけているのを目の当たりにして、天国の佐伯宗義翁ならばこの窮地をどう切り抜けようと思うのだろうか。民営鉄道の衰退は時代の流れと諦めるか、それこそさらなる大同団結を目指して、一県一鉄道体制へ向けて舵を切るか。ぜひとも聞いてみたいものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

危機はいつでも、音もなく忍び寄る。

2025年03月20日 10時00分00秒 | 富山地方鉄道

(厳冬・地鉄の深奥へ@横江駅)

岩峅寺から先、アルペンルートが閉ざされた時期の冬の立山線は、僅かながらの沿線住民の利用と、これも僅かながらの立山山麓スキー場の利用客を運ぶだけの静かな車内となります。静かに雪の降る午後の横江の駅。鋳物師沢では一瞬の晴れ間があったけれど、岩峅寺で曇り始めて、横江では小雪。だんだんと山深くなっていく立山線、一駅ごとに気象条件が変わって行くのは黒部線と同じ。何年か前に補修工事をしていたかと思うのだが、その効果はあまり続かずまた草臥れた雰囲気の色濃くなってきた横江の駅。床には枯葉が吹き込み、ベンチに土埃がそのままになっていて、待合室の中とかも荒れ気味。うーん、管理状態が悪くなっているのは気がかりですね。たまたまなら仕方ないのだけど。山行きの電車は60形のカターレ富山号。草臥れ状態の駅に似つかわしくないと言っては失礼か、鮮やかな青い差し色が雪に映えた。

雪は降ったりやんだり、目まぐるしい横江の駅の午後。積もった雪が、差してきた薄日に輝いて美しい。横江の集落は、北アルプスの前山に当たる尖山(標高559m)の麓にあって、駅前には駅の利用者向けと登山客向けの共同の駐車場が整備されています。小さく静かな集落で、あまり人が歩いているところを見たことはありません。横江の駅から立山方面へ500mほど行った場所に上横江という駅があり、開業当時はそちらが横江駅を名乗っていましたが、昭和になって現在の場所に駅が開設されると、こちらが横江駅を名乗るようになります。上横江はススキの草むらの中にポツンと棒線のホームが残るだけの駅となり、末期の頃は富山行きが朝に2本、立山行きが夕に2本止まるだけで、ほとんどの列車が通過していました。

雪の立山から、音もなく降りて来る60形。ひたすらに人待ち顔の雪をかぶったホームの待合室には寒風をしのぐ引き戸もないのだが、上滝線から立山線の岩峅寺から先にはこのスタイルの待合室が多い。かつてこの区間を建設した富山県営鉄道スタイルということなのだろう。電制を効かせて山を下りて来た60形、床下だけでなく車体の側面にも雪がこびり付いていて、立山線奥部の積雪の高さを物語るようだ。横から眺めてみても、電鉄富山行きの乗客は片手で余るほどの姿しか見えなかったのだが、冬の立山線はいつもこうだから・・・なんて思いながら撮影してたんですよね。

危機はいつでも、音もなく忍び寄る。
この「いつもこうだから・・・」に、どうやら大ナタが振るわれてしまうことなど、この時は知る由もなかったのでありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする