(石神暮色@小湊鐵道・上総大久保~養老渓谷間)
弥生三月、小湊鐵道。春になるとアクアラインを渡って、束の間の里山風景に包まれに行くことは定番のルーティーンなんですが、房総半島の里山も、私がカメラを握り始めて20年も経ちますとですね、だいぶ変わってきていますよね。コロナ前から上総牛久以南が特に顕著でしたが、小湊自慢の里山風景に翳りが見えています。田んぼが減り、畑が減り、雑草が跋扈して、空き家が増えて・・・20年前にこの風景を支えていた元気な60代が、現在80代。当たり前だけど、亡くなる人もいるのだろうし、離農して後継ぎがいなかったり、農家を捨てて老人ホームへ入ったりと、さまざまな事情によって人口がだんだん減っているんだなあという印象がありましたけど、コロナ禍以降はそれが加速度的に広がっている感じがするんです。年寄りに「コロナの5年」ってのは何かを手仕舞ういいきっかけになってしまったというか。対する小湊鐵道自身も、全線がコロナによって減便されてダイヤもそのままなんだけど、そもそも運転士不足でダイヤが戻せないんですよね。目玉商品の里山トロッコは牽引機がエンジンの重大故障で長期運休中なのですが、その代替役を担うはずだったキハ40を使った土日の観光急行が運転士不足で運行休止になっているし・・・小湊は収益の柱であったバスも要員不足が甚だしくて、度重なる減便減便で公共交通としての体を成さなくなっている悪循環。小湊鐵道グループ、首都圏に近いことが売りでもあり弱みでもあって、風の噂では給与体系のいい同業他社や運輸業界に人員が流出してるとも聞きますね。どこも人員確保をするのに給与を引き上げているけど、それができる会社とできない会社があるのは資本主義の論理。行政から低廉に運賃を抑えられている公共交通ならではの悩みと言えましょうか。
なんかつまんない話をしてしまったが、春の夕暮れの石神の菜の花畑。昼間の喧騒はどこへやら、この時間まで粘ってカメラを振り回しているのは私だけだった。
うすぼんやりした黄色の絨毯の上を、最終の中野行きのキハが通り過ぎます。