青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。親と子供と一眼レフ。遠征してえなあ。

相武台 窓辺の桜 春告げて

2021年04月10日 17時00分00秒 | 小田急電鉄

(アオハル。@相武台前~座間間)

桜と菜の花の築堤を疾走するMSE。独特のフェルメールブルーの車体が春を切り裂く。以前は座間桜のお立ち台として、県道51号沿いの擁壁の上から撮影するのが定番アングルだったのですが、擁壁上での撮影が危険と判断されたのでしょう。高い金網によってお立ち台そのものが消滅してしまいました。現在の座間桜は裏側の明王の住宅街からしか撮れなくなってしまったのだけど、こちら側は築堤の下から見上げるアングルなのでなかなか構図決めが難しいですね・・・

春の空気の中を流れる4000系。カメラを握って十年以上、実は流し撮りと言うものがめちゃくちゃヘタクソな私。そもそもほとんどやらなかったのもあるのだけど。ですが、最近ここへきて撮影の幅を広げようと果敢に流し撮りに挑戦しております(笑)。四十の手習いじゃ。昼間にSS下げるの、絞りをキツくすると絵がざらざら荒れちゃうので、もうちょっとふわっと流せるようにフィルターでも買おうかな。

相武台前から座間にかけては、「相武台」という台地から相模川の氾濫原に向かってなだらかに坂道が続きます。谷戸山公園のひょろげん坂から、芽吹きの座間の里山と座間桜を見下ろす。桜並木と座間の里山を愛でながら相武台へ登って行く新5000系。小田急の最新鋭通勤型車両。私のように古い人間は5000系ってーと未だにあの小田急顔を思い浮かべてしまう。まだ先代の5000系が引退してから10年も経ってないからね・・・京王の5000系にも同じことが言えるかなと思うのだが。

相武台から座間まで、一駅の間をそぞろ歩く。まだ所々に里山の農村風景が混じっているのがこの辺り。木の板塀の続く大きな農家の裏、小さな踏切の向こうのヤマザクラ。どこか一昔前の風景の中、ヤマザクラとその白さを競うように、貴婦人が駆け抜けていきます。

歩いて座間駅に至り、駅前の中華屋で一人「黙食」でラーメンを啜る。本当であればビールでも飲みたいところであるが、そうだ、この日は相武台にクルマを置いてきていたのであった。どのみち今年も花見に飲酒はご法度、来年こそは大っぴらに酒飲んで花見がしたいところですなあ。座間から相武台まで戻るのは登り坂なので、ここは座間の駅から一駅分電車に乗り、今度は車窓に流れる桜を愛でてみる。先ほど通り抜けた桜並木は、電車で通ってしまえばあっという間。桜ひらひら舞い降りて落ちて、今年も小田急線の窓に桜が映ります。

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駆け足で 過ぎ行く春の 儚さや

2021年04月08日 17時00分00秒 | 小田急電鉄

(赤い鮮烈、春襲来@相武台前~座間間)

今年の桜は早かったですね。南関東では3月20日頃に咲き始め、そして追い打ちをかけるように週末の春の嵐。4月を待たずにあっという間に散ってしまいました。正味で楽しめたのは1週間もなかったんじゃないかと思います。去年のあの外出禁止令に近いガッチガチの緊張感こそなかったものの、やはり未だコロナ禍の中、という事で大っぴらに花見も憚られるご時世ですから、桜もパッと咲いてパッと散って、と言う感じでの時短営業。世界中で一番人間の暮らしに近い植物ですから、ヒトサマに気を使ったんでしょうかね。近年で一番早かったのが平成25年(2013年)だったんだけど、その時が3月23日くらいで満開だったから、それに匹敵するくらいの早さだったんじゃないかな。

そして今年の桜の特徴は、九州から南関東の広範囲に亘ってほぼ同時に開花し、ピークが短く一気に咲いて一気に散ってしまったところ。「桜前線」ってのは普通なら順繰りに北上して行くものなので、関東甲信越でも週ごとの見頃を変えながら花が楽しめるはずだと思うのだけど、今年の3月後半からの異常な高温のため、関東甲信越の桜は「時期ずらす、場所変える、高度上げる」の三要素がほぼ使えなかった。長野の平野部が4月の初めで散ってしまったと聞いて驚き。南東北も、船岡の一目千本桜がもう満開と聞いているので、週末ではピークを過ぎているでしょうな。明確に温暖化が進み、昔と比べて特に春と秋は短くなって季節感は失われているように思う。日本も春夏秋冬の四季から、雨季と乾季の二季ということになって行きそうです。

あちらも咲いた!こちらも咲いた!ととにかく騒がしかった今年の桜。そうなると、一番の見頃を抑えられるのはやはり地元の桜という事になります。この時期は恒例、と言っても良い小田急線の座間桜。少しだけ時間をいただいて、あっという間に過ぎて行く春を切り取ります。そう言えば、海老名のロマンスカーミュージアムが4月19日に開館しますね。暫くは人数を限定しての事前予約での営業となりますが、子供にせがまれたので早速予約してしまいました。

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老鯨の、窓辺に茜差す頃に。

2021年04月05日 17時00分00秒 | 長野電鉄

(変わらぬ姿、変わらぬ駅@信濃竹原駅)

この日は終日天気の良かった長電の山ノ内界隈。久し振りに連絡があった同好の氏とご一緒させてもらったりしながら、特に目的も決めず、高社山の麓で晴れた日の休日を過ごす。お互いに積もる話をしつつ、リンゴ畑の片隅でカメラをパシャリ、パシャリ。撮れ高とかはどうでも良くなるような豊かな時間を過ごしました。この日の山ノ内ローカルは新鋭の3000系が入線していましたが、「午後からクジラが入りますよ」ということで、また信濃竹原の駅に戻って来ました。

古式ゆかしき木造駅舎。いつからか、駅入口の木造の引き戸は固く閉ざされ、中に入る事は出来ません。「のんびりゆけむり号」では信濃竹原の臨停があって、この駅舎の中を見学させてくれるというプチツアーみたいなものもセッティングされていたと記憶しておりますが、いつの間にかやらなくなってしまいましたね。竹原交換でそんなに時間も取っておれないという事なのかもしれませんが。

鍵が掛けられて閉ざされた駅舎の中では、「あの頃」の長野電鉄が、時間ごとそこに封じられたようにその姿を保っています。出札口上に掲げられた運賃表には、信州中野から木島に向かっての一駅一駅に、丁寧に運賃が振られていた。かつては上野から屋代を経由して湯田中まで直通急行が走った河東線、いや、廃止の頃は屋代線と呼ばれていたか。平成24年春の廃線には自分も立ち会ったのだけど、既にそれから9年の歳月が流れた。

壁に貼られた長野電鉄不動産部の広告、「不動産は信頼出来る業者を選びましょう。長野電鉄不動産部は、過去奥志賀高原別荘地、三笠台、丹波島、中越、大豆島、本郷と1,200区画の分譲の実績があります・・・」とある。「当駅にてお取次ぎご案内いたします」とあるが、駅の窓口で不動産の販売までやっていたのだろうか。なるほど長野の一大コングロマリット企業、ながでんグループらしい広告であると言えるのかもしれない。

ホームのブザーが電車の接近を告げ、3500系の信州中野行き(N8編成)がホームに滑り込んで来ました。ちなみに竹原の駅は右側通行の駅、湯田中側から40パーミルの勾配を降りて来て、手前の駅舎側のホームに入るのはカーブがキツ過ぎるのかな。竹原の駅と3500系のマッコウクジラ、それこそ長電で写真を撮るようになってから、ずーっと馴染みのこの風景だったんで、3500系もあと2編成?とか言われると驚いてしまうのだけども。

昭和50年代に長野~善光寺下間の地下鉄化のため、長電の旧型車を更新したのは東急の5000系でしたが、その5000系を平成初期に更新したのがこの日比谷線の3000系。長電では3500系を名乗り、以降30年の長きに亘って信州の風を浴びて走り続けました。東京の地下鉄から長野の地下鉄(?)へ活躍の場を移した車両でしたが、そんな旅ももうすぐ終わり。早春の西日が長く伸びる信濃竹原のホーム。歳月の染みたコルゲートに茜差す、老鯨(ろうげい)の窓辺です。

N8編成と言えば、長電で貸切列車を運行していただいたイベントの際に、湯田中側の先頭を務めたクルマ。この時はN3編成を後ろに従えての堂々の4連運行でした。大きなヘッドマークを付けて松川橋梁へのアプローチを加速してゆく姿。あと2編成の3500系、日比谷線03系の導入に伴い順次引退する計画でしょうから、こんな風景も早晩過去帳入りという事になりそうです。

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たまにゃ長電して来いよ

2021年04月03日 17時00分00秒 | 長野電鉄

(快晴!夜間瀬川橋梁@信濃竹原~夜間瀬間)

世間は四月を迎えて桜満開、そして既に南関東では散り始めの場所もあるようですが、もう少し先月の富山遠征の話の続き。季節感がどんどんズレているような気はしますが(笑)、そこらへんはご容赦いただきたいところ。そうそう富山で一泊した後、翌日は少し立山線沿線で朝の風景を撮影した後に一気に長野に転戦したのでした。以前はちょこちょこと出掛けていた長野電鉄だったのだけど、最近は富山にかまけてすっかりご無沙汰。信州中野ICから夜間瀬川のたもとに出て、鉄橋の湯田中側で長玉を据えると、いつものガーター橋を「のんびりゆけむり号」が渡って来ました。

広角側ではグイッと引き付けてもうワンショット。いやいや、本当にHiSEとも久々のご対面である。個人的には「ロマンスカーofロマンスカー」なクルマだと思っている名車なのだが、ハイデッカー構造がバリアフリーに馴染まず小田急での活躍はそう長いもんでもなかったんですよね。小田急で走ったのは僅か20年弱で長電に譲渡され、既に信州で15年の歳月が過ぎている事に驚いてしまったのだけど・・・長電譲渡に伴ってワインレッドから長電レッドに塗装変更をされているものの、そのデザイン性は特段古びたところもなく、スタイリッシュなままを保っている事が嬉しいよね。ってか既にこのカラーリングの方が似合っているのではないかと思わなくもない。「まみくとい」と言われる北信五岳、展望席からよく見えたことでしょうね。

「のんびりゆけむり号」の午前の部の返しは信濃竹原のパルプ踏切で。夜間瀬の鉄橋をレベルで渡って、再び40パーミルの坂を降りてくるところを正面から叩くアングル。これはかつての箱根登山線・東風祭踏切の坂落とし構図を思い起こさせるショットで、小田急のロマンスカーファンには何とも妄想が掻き立てられるものがあります。

信濃竹原の駅で交換したのは、元日比谷線03系こと長電3000系。この山ノ内線界隈と言えば、それこそ私が信州に来始めた頃から「マッコウクジラ」と呼ばれた日比谷線の3000系の独壇場でしたが、確実に時代は流れていますね。山ノ内は、朝夕だけ「B特急」として信州中野~湯田中間が各駅停車になる長電2000系を追って、何度も行き来した思い出の詰まった場所。2000系撮影の合間に、竹原の駅でマッコウクジラの交換を何度も撮影したなあ。

ホームから高社山を見はるかす、信濃竹原の駅。木島線や屋代線が廃線となった今、古き良き長電の雰囲気を残す駅は指折り数える程度になってしまったのだけど、この駅は開業当時からの駅本屋が残っていて、往時の雰囲気を伝えています。久し振りの長電、天気も良好。電車も行ってしまったし、少しこの駅で過ごしてみようかな。何度も来たことはあるけれど、改めて時間を使って眺めながら、カメラで撮影してみたい。猫の目になって駅の中をウロウロしてみたくなる、そんな駅です。

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月岡、今宵月の輝く丘に。

2021年03月31日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(月光清かに@月岡駅)

宿に荷物を置き、身軽になって出て来たのは上滝線の月岡駅。夜になって空は晴れ渡り、ひんやりと澄み切った空気が富山平野に降りて来ました。月明かりに煌々と照らされる月岡の駅。以前は相当に黄昏た木造の旧駅舎で、それはそれで大変に詫びた感じがしたものだけど、いつの間にか小ぎれいに改築されておりました。月明かりが駅名板を照らすアングルで、静かにシャッターを切ります。

燦々と降り注ぐ月光の煌めき。この日は目を凝らさずとも遠くの山並みが見えるほどの明るい夜でした。19時台の電鉄富山行きが、扇状地の坂道を緩やかに降りて来ます。さすがに感度を上げても写し止めるほどのシャッタースピードは稼げないのですが、分岐器をゆるりと渡って駅に滑り込むところを一枚。ポイントを照らす水銀灯が、一瞬車体の雷鳥カラーを浮かび上がらせてくれました。

この時間の上り電車はほぼ空気輸送のようなもので、気怠く車体を揺らしながら月岡のホームに停車した電車は、ほんのアリバイ程度のドア開扉を行っただけですぐに発車して行きます。停車中のバルブ撮影をしようと思ったのだけど、その隙すら与えてくれなかった(笑)。

駅舎は改築されていましたが、ホームの上の待合室は以前のまま残っていました。建物に取り付けられた看板の「不二越・電鉄富山方面」という行き先。市内線と接続する南富山でなく、あえて「不二越」を記したのは、この辺りから不二越の工場に通う通勤者が多かったからなのか、あるいは南富山〜稲荷町間が厳密に言えば不二越線だからなのか。右側には「上滝・有峰口・立山方面」とあり、終点の岩峅寺の表記がありません。これは、以前は電鉄富山から立山へのメインルートが上滝線経由だった名残りかなと。ちなみに、立山方面が寺田経由に変わったのはいつくらいなんだろうか?そんな地鉄の歴史に想いを馳せながら、夜はしみじみ更けていきます。

 さて、ひと月に亘ってお送りして来た地鉄訪問記。春まだ浅き立山から宵闇の月岡まで、今回は黒部線方面には向かわずにじっくりと回ってみましたがいかがだったでしょうか。三年連続秋に行ってたもんだから、あえて今回は季節を変えて地鉄の風景を眺めてみました。コロナ禍の中で鉄道会社の収益が軒並み悪化する中、特に財政基盤の弱い地方私鉄の苦しさたるや我々が思うに至らない部分もたくさんあるのだと思います。地鉄の4月からの新ダイヤは、全線に亘ってほぼ特急の運転は取り止めという厳しいダイヤになりますが、ここでエールを送らずにいつ送るのかと言う気持ちで、また越中の国の風景を切り取りに行きたいと思います。電鉄富山の駅で出番のない特急カン、いつか復活することを願って。

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