青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

ともに、あなたと。嬉しい明日へ。

2024年07月17日 22時00分00秒 | 弘南鉄道

(梅雨空の土手町から@中央弘前駅)

土手町の片隅から見下ろす中央弘前の駅。「弘前れんが倉庫美術館」の装飾を施された大鰐線の列車が止まっている。弘前れんが倉庫美術館は、駅の真裏にある吉野町レンガ倉庫を改修し、美術館として活用をした施設。なぜか屋根が金ピカに塗られており、高い場所からだとその色味が目立ちます。土曜日の日中、弘前の旧市街の人通りは少なく、閑散としています。平成の初期くらいまでは、この土手町や白銀町界隈が弘前随一の繁華街で、津軽の商業の中心地域だったのですが、現在は弘前市街の東側・・・国道7号線の弘前バイパス沿いに大手資本の量販店やファストフード、そしてレストランなどが立ち並んでいわゆる「地方都市のロードサイド文化」を形成しており、弘前市内のクルマを持ったファミリー層などはこちらへ向かってしまうようです。

土手町のメインストリート、土手町通り。弘前城や弘前市の西部市街地、そして西目屋村や岩木山方面へ向かう市内の主要な交通路で、秋田方面から弘前の城下町へ入って来る羽州街道の一部でもあります。弘前城の津軽藩のお殿様も、この道を使って江戸まで参勤交代に行ったそうでご苦労様な事である。そして、土手町のランドマークと言えば、「中三弘前店」ですね。五所川原を発祥の地とし、「NAKASAN」のブランドで青森、秋田、盛岡、弘前と北東北に店舗網を形成した大型百貨店でしたが、イトーヨーカドーやイオン系の大型ショッピングモールとの競争に苦しみ、東日本大震災の煽りを受けて2021年(平成23年)に民事再生法を適用。海外の再生ファンドの投資を得て再生計画が策定されていますが、度重なる店舗の処分と撤退により、現在「中三」の看板を掲げて百貨店事業を行っているのはこの弘前店のみとなってしまいました。

竹下登-梶山清六という自民党でもローカル色の強いラインが「地方創生」の名のもとに大きな資金をばらまいた昭和末期から平成初期。その後バブルは崩壊を迎え景気後退局面に入る中でも、地方都市には団塊世代が労働人口として残り、その子供たちは地元の学校に通い続けていた。そういう意味では、平成ヒトケタは地方の都市もまだまだそれなりには元気だったのだろう。平成7年(1995年)、既存の建物を増改築する形でリニューアルオープンした中三弘前店。その頃の大鰐線の輸送実績を見ると、ピークは過ぎたとはいえ、まだ年間で200万人を超える乗客を運んでいたということに驚く。現在の輸送実績が年間40万人を下回るペースで推移しているので、現在の5倍である。東北新幹線もまだまだ盛岡止まり、東京は夜行列車で行く場所だった弘前の街。親に連れられ大鰐線に乗って、土手町の中三でショッピングを楽しんだ世代も、もうそろそろアラフィフだろうか。そして、この街に残っているのだろうか。リニューアルオープンの際に設置された、意欲的な螺旋を配した空中回廊とアトリウム。この日は食品の福引会場に使われていましたが、こんな洒落た空間、もっと有用に使って欲しいものだよなあ・・・(笑)。

弘前の街、旧市街に建つ街を支えた百貨店。中三の地下の食料品街、フードコートの片隅に名物が待っている。黄色地に茶色の「中みそ」の文字。「中三」の味噌ラーメンだから、中みそ。キャベツともやしと豚ひき肉を炒め、結構ニンニクがバシッと効いた甘めの味噌スープと合わせている。味噌ラーメンだから太麺なのかと思いきや意外にも細めの縮れ麺で、モチモチとした啜り心地にシャッキリと食感を残した野菜の火入れがいい。津軽って地方は、どこで食べてもラーメンが安定して美味しいなあと思う。煮干しラーメンも美味しいし、普通の街の中華屋の何の気ないラーメンも美味しいし。ラーメンに関しては、津軽っ子の舌が肥えているというのもあるのかもしれない。この「中みそ」の美味しさは、ラーメン通を唸らせるような通ぶった美味しさじゃなくて、街の人たちのお腹を温かく満たす分け隔てのない優しさに満ちているような気がする。サッと来て、パッと出て来て食べられる、いつでも変わらず迎えてくれる安心感が与えてくれる、これも一つの「ふるさとの味」なのだろう。

縄文式土器を象ったらしい大きなオブジェが目立つ中三弘前店。ここの「中みそ」と、弘前バスターミナルにあるイトーヨーカドーの「ポッポの山盛りフライドポテト」は、弘前の学生たちの放課後のソウルフードらしい。ちなみに、今年の2月に弘前のイトーヨーカドーは撤退を決定していて、これも旧市街側(弘前城側)の商圏のシュリンクかなあ・・・と思わなくもない。まあ、ヨーカドーは東北関東甲信越と片っ端から店舗閉めまくってるし、青森県内も青森・五所川原・八戸・弘前と全部撤退なんで、弘前の街というよりはヨーカドー自身の問題だと思う。ただ、弘前バスターミナルのテナントとして弘南バスが長いことオーナーさんだったから、ヨーカドーに出られちゃうとテナント料入って来なくて大変なんじゃないかなあ。そうそう、ヨーカドーの退店と言えば、長電も大店のテナントだった長電権堂ビルからヨーカドーが出られちゃって大変だったんですよね。今は減築して綿半になっちゃってるけど。

そんな弘前城周辺の旧市街で、なんとかかんとか牙城を守る中三弘前店。地下の食料品コーナーは結構地元の食材やメーカー品をいっぱい扱ってて、こーいうところブラブラすんの大好きなんですよ。煮干し中華の津軽ラーメンとか「源たれ」のゴールド甘口(関東だとあんまり売ってない)を手に入れてほくほくしてしまった。でもね、閉店が18:30はちと早過ぎるかなあ・・・理由が節電ってのも切ない。こーいう地方の百貨店文化大好きだから、頑張って欲しいんだけどねえ。

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何よりも、走り続ける意味ありて。

2024年07月15日 10時00分00秒 | 弘南鉄道

(お岩木朧ろ@義塾高校前駅)

朝は何とかその姿を確認できた岩木山も、日が昇るにつれてその姿は梅雨らしいガスっぽい空気に覆われて霞み、モヤり、朧ろになってゆく。リンゴ畑の中の義塾高校前駅、弘前方面からやって来た電車には土曜日ながら何人かの学生の降車客がありました。部活なのかな。東奥義塾中学校・高校は沿線最大の中高一貫校で、合わせて1,000人程度の生徒数が在学しており、大鰐線の最大の顧客ともなっています。ただし、最近は同校も少子化による生徒数の減少が目立っており、また生徒の利便性を鑑みて学校側がスクールバスを走らせたりしていて、沿線から鉄道を使った学生の流動は漸減傾向。東奥義塾のスクールバスは、弘前中心部や近郷市街地だけでなく、遠くは五所川原駅前や黒石駅、浪岡駅前などからも走るのだから大したものである。特に黒石市方面とか、弘南線+大鰐線両方の利用流動に関わって来そうだ。まあ、弘前駅から中央弘前駅までの乗換を考えると、電車で通うのはあまり現実的なルートではないのかもしれないが。

弘南線には「弘前東高校前・柏農高校前・尾上高校前」と三つの学校駅があり、かたや大鰐線には「弘高下・弘前学院大前・聖愛中高前・義塾高校前」と四つの学校駅があることからも、通学需要というのは、弘南鉄道全体に課された重要なタスクと言えます。そもそも、弘前という街は現在でも青森県の国立大学(弘前大学)が置かれている文教都市で、それは弘前藩の時代から藩校が置かれたことからも分かります(ちなみにその藩校が現在の東奥義塾)。市内の高校数なども、周辺の市町村に比べると明らかに多く、その多くは弘前城周辺の旧市街や市南部の大鰐線沿いに集中しているのも特徴です。勿論、現在の通学事情は弘前駅からのバスだったり、親の送迎などが主力なのでしょうが、雨の日も風の日も雪の日も、沿線の学校群に生徒たちを安全安心に送り届けるための公共交通機関として、弘南線と大鰐線の存在を無視するわけには行きません。単純に「収支が悪いから」と一律に廃止やバス転換に進めないのは、この辺りの「公共性の強さ」が要因の一つなのでしょう。というか、赤字で廃線にしてたら日本中の地方のローカル私鉄が廃線になってしまいますよね。もちろん、通学のような一時に大量の流動が発生する需要に対応することについては、2024年問題に端を発したバスのドライバー不足も影響することは論を待たないと思いますが。

紫陽花が色づき始めた弘前学院大前駅。草生した線路をゆるゆると、中央弘前行きの電車がやって来る。どうしても、収益面の厳しい地方のローカル私鉄を見ると、遠くの人々から「乗って残そう」だとか、「クラウドファンディングしましょう」だとか、どっかで聞いたような対処療法的な話が出て来る。そもそも、地元の人が乗ってないから苦しいわけでして、地元の人が大して乗っていないものを「乗って残そう」なんて話に意味があるのか?というねえ。そして「乗って残そう」以外の知恵が出せないローカル線は、過去の事例を見ても存続はなかなか厳しいのでは?という思いはある。結局は、残るも残らないも「利用者は少なく収支は赤字だが、地域の公共交通として存続を希望する」という地元の明確な意思と、地元自治体から金額の大小にかかわらず「支援の旗」が明確に上がっているかどうかだよな。ただ、財政の厳しい地方の市町村単位の支援は、どうしても「あっちが出せ」「こっちは出さん」と行政同士の利害の対立を招いてまとまらない場合もあるので、そこは県や国が率先して調整に出てかないといけないのかなと。設備産業である鉄道会社は、日々の軌道修繕や車両の保守、大鰐線であれば石川高架橋を始めとする大型の土木構造物の保守問題、今後想定される車両更新だったり、一企業ではどうにもならない規模の金額が必要となる時期が絶対に来ます。そこの費用と便益を考えて今から準備するか、それとも「民事不介入」を決め込んでサドンデスを待つかも行政手腕でしょう。先日、高松の「ことでん」に対し「鉄道事業再構築実施計画」に基づいて香川県と地元自治体から5年間で約97億円の支援が実施されることが発表されていますが、規模の違いこそあれ、本気でどうにかしたいのなら、それだけの長期の支援と金額がかかるのが鉄道事業ではあります。

スーパーが併設された弘前学院大前駅から、電車に乗って街へ出て行く住民たち。単純に「赤字を容認する」ということではないけれど、バスを含めた公共交通体系を維持するための支出を、「クルマがあるからいいよ!いらないよ電車なんて!」という人たちを含め、社会生活の「必要経費」として最低限は負担して行くという地域の合意形成。もちろん、すべてを「鉄道ありき」でそのまま残す訳には行かないのでしょうが、収益状況によって単純に存廃の見極めを行うことはせず、周辺自治体と都道府県が二人三脚で公共交通への支援を応分に負担するという「割り切り」。そしてそのための利害調整を促進する国の関与。北陸地方なんかでは、並行三セクを中心に危険水域に至る前にこの手の取り組みが積極的に行われているのですが、そろそろ定着してもいいんじゃないかなあ。

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運命(さだめ)を握る高架橋。

2024年07月13日 10時00分00秒 | 弘南鉄道

(駆け上がれ、希望を繋ぐ高架橋@石川高架橋)

大鰐線一番の見せ場であり、土木建造物である石川高架橋。大鰐を出た列車は、暫く奥羽本線の東側を走りますが、ここで平川沿いの平地から奥羽本線を跨ぎ越して白神山地と岩木山の作り出すリンゴ畑の台地へと登って行きます。橋長は約270m、アルファベットの「A」の形をした橋台が印象的。総称は「石川高架橋」ですが、構造としては石川第一陸橋・JR跨線部・石川第二陸橋の三つに分かれていて、開業から70年超に亘って大鰐線の線路を支え続けています。柵も保守用の通路もなく、コンクリートモルタルの細い橋台でまな板のようなまっ平な路盤を支える構造は、鉄道の高架橋としては非常に華奢に見えるのですが、これは冬場の積雪を考えてのこと。高架橋に積もった雪を橋の下に落とすためには、線路以外の構造物は極力設置しないほうが都合がいいのだそうで。そんな石川高架橋の除雪シーンについては、前回の冬の津軽の訪問時に運よく見ることが出来たのですが、古豪のラッセル車がウエスティングハウス製の古典電機に押されて見事なシュプールを描く姿は感動しましたねえ・・・あのシーンは、日本の鉄道百景に入れてもいいと思うんだよな。

季節は変わって初夏。石川高架橋、歴戦の古強者といった感のある巨大構造物ですが、それだけに経年による劣化はいかんともしがたい部分があって、この日も中央弘前側の桁では足場が組まれて補修作業が行われていました。JRの奥羽本線を跨ぎ越すため、この橋の安全性に関してはJRからもかなりの注文が付いていると聞きます。東日本大震災の例を待たず、地震国である我が国日本。青森県の津軽地方はそう地震の多い地域ではありませんが、耐震基準を大幅に満たさなかったり、重大な損傷が見つかったりで、この石川高架橋が「対処的な補修でなく、全面架け替えの必要性がある」と判断された時が・・・大鰐線の命運が決まる時なのではないかと思うのですよねえ。

梅雨晴れの光に、コルゲートとディスクブレーキがキラリ。
大空に優美な曲線を描いて、バッドステンレスとパイオニアサードが渡って行きます。

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狭いし、サバイシ、鯖石。

2024年07月11日 21時00分00秒 | 弘南鉄道

(リンゴ畑にひっそりと@鯖石駅)

津軽は、この日の朝も梅雨とは思えないような強い陽射しの天気であった。国道7号線からわき道にそれ、りんご畑に隠れたような鯖石駅。薄く掠れた書き文字とともに、ローカル私鉄の雰囲気が溢れていて好ましいですね。【弘南大鰐行き・中央弘前行き】というホームの行先表示板がどちらにもついていて、交換がなければ定位で奥の直線側のホームを使う「一線スルー」の構造っぽいのだが、現在は中央弘前行きが手前側、大鰐行きが奥側を使っています。右側通行なんですね。これは推測なんだけど、かつて大鰐線が快速運転をしていた時に、通過する快速電車は奥の直線側を使って、交換する電車が分岐側の手前のホームに入っていたのではないかと思うのです。鯖石駅は弘前電気鉄道開業時からの駅ですが、快速運転を開始する際に大鰐駅側に100m移動して交換設備を新設したとあるので、この時に通過電車対応のための一線スルー構造に改良したのでしょう。

鯖石駅と言えば、この矢印型の細長いトタンの待合室。狭いホームに建てられているせいで、中は驚くほど薄っぺらい。雨をしのぐというよりは、冬場の吹雪の時期などに吹きっ晒しのホームに立たされてはたまらないだろうから、そういう風よけの意味合いもあるかもしれない。中の細長い木製のベンチに腰掛けてみたが、ただひたすらに蒸し暑いだけであった。鯖石駅、海も何も近くない場所に「鯖」なんて地名があるのは少し不思議な感じなのだが、津軽平野を流れている平川がこの辺りから秋田県境へ向かう山々に囲まれて狭くなっていくあたり・・・狭い=せま=セバ=鯖、と変化して行ったのではないかと想像したのだが、よくよく調べると「鯖石」というものは溶岩が冷えて固まった溶結凝灰岩のことを言うそうだ。冷え固まった石の模様があたかも鯖の背中の模様のように見えるから、ということらしい。そして、八甲田山から流れ出た溶岩流が、この辺りで「サバ石」となって見つかったという記録もあって、サバ石は切り出されて建材なんかにも使われていたらしい。どうやら由来的にはそっちが正しいのでしょう。

現在の大鰐線は、基本的に終日1時間ヘッド。交換も津軽大沢で行われるパターンダイヤで、その他の交換駅はその設備を持て余している。ここ鯖石駅では、平日の朝の7時台に1回だけ交換が設定されているのだが、この日は土曜日なので交換相手の電車は運休。ただでさえ少ない列車はさらに間引かれてしまっていて、少々寂しくもあり。大鰐線、通勤というよりは沿線の学校向けの通学需要が中心ですから、学校休みの土曜日はニーズがさらに落ちてしまうのでしょう。鯖石駅にゆっくり入線して来た中央弘前行きは、始発電車で大鰐に下った7040F。大鰐線、弘南線と比べて原形顔の東急7000系が主力で残っているのがいいですよね。弘南線は中間車改造ののっぺりした顔が中心ですのでねえ・・・

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早起きは、朝湯朝市農作業。

2024年07月09日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(北国の朝は早い@弘前市旧市街の某旅館にて)

夜の大鰐線を一往復した後は、中央弘前の駅から宿に戻り、ビールをひと缶呑んで寝てしまう。朝4時にトイレに起きた際に、もう外はほの明るく。ただでさえ北国の朝というのは夜明けが早いものだが、夏至の時期の朝はなおのこと早い。部屋の障子を開けたら、濡れ縁の向こうから既に6月の津軽の朝日は昇り始めていて・・・暫くテーブルの上に放り投げてあった飲みさしのお茶のペットボトルをカラにして、朝5時のNHKニュースをぼんやりと眺める。折しも、継続支援で合意がなされた弘南鉄道の大鰐線のニュースが流れていた。テレビだけ見ていると東京には伝わってこないニュースだが、地元では一定の関心を持って受け止められているらしい。

すっかり目も覚めてしまい、ニュースを見ながら身支度を整えて朝5時半、帳場の隅に部屋のカギをお返しして宿を出る。すっかり灯りの消えた朝の土手町繁華街には、昨夜の夜の香りがそこはかとなく残っていた。秘密のケンミンショー調べであるが、日本一の早起き県民は青森の人であるらしい。自分も土休日限定だけどこのくらいの時間には起きてしまうので、青森県民になる素質はあるんだよな。そして、それが旅先だとなおさら。宿でゆっくり朝ごはん・・・という思考にはなかなかならないの、いつも宿泊費がやや勿体ない泊まり方になってしまう。ただ寝るだけならカプセルホテルだってサウナだっていいわけなんだけども。

朝の中央弘前駅には、昨夜の最終列車で大鰐から戻って来た「りんごねぷた列車」がそのまま留置されていた。土淵川のほとりの駅は、いつ眺めても派手な風景はなくとも心に沁みてくるような味わいがあって、改めて愛着が出てしまう。中央弘前の始発電車は朝6:50と少々遅め。まだまだ電車の動く時間ではないので、折角レンタカーを借りていることもあるし、とりあえず朝の顔洗い的なお湯に行きます。津軽来て朝風呂しない理由がないのよ。青森県民の「三大早起きしてやること」と言えば「朝湯・朝市・農作業」なのでね(笑)。青森の温泉銭湯の朝の早さというものは、あなたたちいつ寝てるんですか?と聞きたくなるような早さで稼働していて、朝5時からオープンの温泉銭湯に朝5時に行ったらもう開いていて、浴室で4~5人のオッサンたちがお湯をザバザバ使っているのである。営業時間の概念って。

弘前市街から大鰐線に沿ってリンゴ畑の中を走る事30分、大鰐の温泉街に来ました。かつての津軽の奥座敷、温泉とスキーで栄えた街の面影は褪せつつありますが、今でもいくつかの雰囲気ある老舗宿と共同浴場が湯の街を守り続けています。お邪魔したのは「公衆浴場・青柳会館」。大鰐温泉の三つある共同浴場の一つ。200円で入れる街の共同浴場は、朝6時からのオープン。番台に座っていた気のいいおばちゃんが「どちらからいらしたの」なんて声をかけて来る。広いタイル張りの浴室に、なみなみと湯を湛えた大きな浴槽が一つ。無色透明にして清澄、温泉らしい温泉のビジュアルはピリッと44℃くらいの熱めで目が覚めます。肌触りにとろみがあっていいお湯ですね。

「お気をつけてネ」なんて送り出された大鰐温泉を後に、湯上りの体をクルマのエアコンをガンガンに効かせて宥める。今日も梅雨晴れのムワッとした暑さだ。津軽大沢の駅近く、大鰐線をオーバークロスする県道の上に陣取った。りんご畑の中に、農薬を噴霧する作業車が次々と入って行く。既に靄に霞んだような岩木山を見晴るかすストレートの遠くに、見えてからなっかなか近付いてこない大鰐線の始発電車の姿があった。気付いてくれたのか四種があるのか、電車は短いタイフォンを鳴らして足元を通り過ぎる。いやはや、こういう何の気ない地方私鉄の朝の一コマには、アタマの中の澱みたいなものを浄化する力があります。こういう風景が、どこかの誰かの「行ってみたいな」に繋がればいいなと思うのだけど。

朝7時。少し遅めの始発電車を、リンゴ畑で捕まえた。

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