goo blog サービス終了のお知らせ 

青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

淡春をパステルに溶かして。

2025年04月15日 17時00分00秒 | 天竜浜名湖鉄道

(淡い春を渡る@原野谷川橋梁)

満開の桜並木続く原野谷川の堤防。木々芽吹く春の河原を、パステルカラーの「ゆるキャン△」ラッピングのTH2100形が渡って行く。もう天浜線ではすっかりおなじみになった「ゆるキャン△」ラッピング、昨今YouTubeなんかを少し覗けば、「女子のぼっちキャンプ」や「車中泊」みたいなジャンルの動画ってかなりの数があるんですけど、そういう「女子キャンプ」ブームを描いたこのアニメの原作者の方が浜松出身だそうで、その縁もあって放映されたドラマが浜松市や天浜線沿線を舞台に撮影されたのだとか。テレ東の深ドラ枠だったんだけど、福原遥と大原優乃だったんだなあ。どちらも当代きっての「癒し系俳優」という意味ではキャスティングが贅沢であった。大原優乃の独特のアニメ声、原作が二次元だから余計にフィットするんですよね。そんなゆるふわとしたパステルっぽい世界観を、ソフトレンズで表現してみました。それにしても地元企業にアニメにボカロ、集客のためであればノンジャンルにコラボして行くスタイルは逞しい。特にドラマやアニメは「聖地巡礼」的なツーリズムと親和性高いですからね。

原野谷川×満開の桜×ゆるキャン△ラッピング。遠州の淡い春を渡る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お客さま、それぞれ。

2025年04月13日 10時00分00秒 | 天竜浜名湖鉄道

(満開の桜迎えて@豊岡駅)

新所原方面行きのホームに満開の桜咲く豊岡駅。旧豊岡村の中心地にあります。国鉄時代は野部と称しておりましたが、おそらく兵庫県に先に豊岡駅があったからNGだったんでしょうね。相対式ホーム&2面2線の交換設備は掛川~天竜二俣間の王道パターンの配線です。ちなみに、先ほど訪れた原谷駅も三セク転換後に交換が復活したパターンですが、国鉄時代の二俣線は交換駅が少なく、遠江桜木・遠江森・遠江二俣・宮口・金指・西気賀・三ヶ日の7駅しかありませんでした。これでは列車の本数を増やすなんてとてもとても・・・ということで三セク転換後に原谷・豊岡・知波田の3駅に交換設備が復活。掛川口・新所原口ともに増発が可能となりました。

街へ出て行く親子連れと女子高生が桜の木の下で列車を待っていると、やって来たのは「天浜線さくらトレイン」のヘッドマークを付けたTH2100形。ラッピングのないスッピンの天浜線現行色です。このシンプルな浜名湖ブルーと三ケ日のミカン山のオレンジ&グリーン、以前はいつでも眺められたものですが、ラッピング天国の天浜線においては今や貴重なものになっています。そうそう、天浜線もこのTH2100形に置き換えの計画が進んでいて、2025年以降順次新型気動車への交換が決まっているのだそうで。そんな古くも見えないんですけどね。沿線の財政が比較的豊かな市町村に恵まれているが故でしょうか。

発車間際にどっと駆け込んで来たのが外国人の労働者の皆さん。近隣の工場で働いているのだと思われるけど、おそらく国際免許などを持たない彼らには、たまのお出掛けには天浜線が日常の貴重な足なのでしょう。日本国内の技能労働力不足を埋める彼らが意外にも地方の鉄道のユーザーになっていること、最近出かけた先で案外リアルに感じるものでもあります。特に沿線が工業地帯を走る路線に多いんですよねえ・・・北関東とか特に顕著で、東武小泉線とか両毛線とかね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春の里山、桜サミット散歩道。

2025年04月11日 22時00分00秒 | 天竜浜名湖鉄道

(桜のサミットを抜けて@敷地~豊岡間)

掛川から森町を経て天竜へ向かうレールは、磐田原台地の北の裾を縫うように超えながら進みます。敷地から豊岡にかけては、かつての森町と豊岡村の境を成す小さなサミットがありますが、天浜線はそんなサミットを100m程度の短いトンネル(敷地トンネル)で越えて行きます。トンネルの取り付きの築堤にいい雰囲気の桜が咲いていて、地元の方が代わる代わるお花見がてらの写真を撮りに来ていました。花のリレー・プロジェクトラッピングの落ち着いたお茶畑のような塗装が、春の里山を走り抜けていきます。

遠州森から天竜二俣にかけては新東名高速道路と併走して走る天浜線。風景だけを見ればのどかな里山の春景色ですが、この竹林の向こう側には新磐田スマートインターチェンジと、その周辺に作られた新しい工業団地があったりして。森町でもこの辺りは古くから次郎柿という柿の名産地で、駅近くの農協では柿を使ったワインなども売られていた。お茶だけかと思いきや、柿のワインとはおしゃれ。どんな味がするのか気になったのだが。そして走って行くうなぴっぴごー!号。「音街ウナ」というボーカロイドとのコラボラッピング・・・なのだが、すみません、おじさんにはよく分かりません(笑)。浜名湖だからウナギ繋がり?というのはなんとなくわかるのだけれども。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我ら三セクの優等生。

2025年04月09日 22時00分00秒 | 天竜浜名湖鉄道

(青空の春の朝に@原谷駅)

桜木の駅で、駅守のおばちゃんに別れを告げ、原谷の駅へ。ここも桜木の駅と同様、開業当時のままの素敵な木造駅舎が残されている。天浜線は、掛川から浜名湖の北側を大きく回って新所原へ向かいますが、前半戦の掛川~天竜二俣間は、磐田原台地の間を刻むように流れる何本もの小河川を超え、細かいアップダウンを繰り返しながら北西方向へ進んで行きます。原谷、と書いて「はらのや」と読むのだが、駅の東側を流れる川は「原野谷川」で、「野」を抜いた理由は不明。天浜線は駅の北側で原野谷川を渡りますが、その川沿いには桜並木があって、この時期は多くの花見客で賑わうのだそうで。

木製ラッチを通して、朝の光がホームに差し込んでくる原谷駅。国鉄二俣線時代は交換設備が取っ払われていたようで、三セク転換直後に増発のために設備を復活させたのだそうな。国鉄時代の時刻表を紐解くと、二俣線の輸送実態は今と比べると随分お粗末なもので、昭和50年代前半では全線で1日10~11往復程度。そしてその半分は遠江二俣(現在の天竜二俣)や金指で折り返す区間便で、日中は2時間おきに1本あるかないか。昔の写真を探せば、何両か繋がれたバス窓のキハ10系が行き交うだけの、ちょっとこれで利用するのはなあ・・・というあまりヤル気の感じられない、典型的な国鉄赤字ローカル線でした。

朝の掛川口は、比較的多くの列車が運転されていて、遠州森行きの区間便などの設定もある。現行ダイヤでは朝ラッシュの7時台が20分間隔なので、三セクにしてはかなりの高頻度運転ではないだろうか。掛川口の1日の発着は現在25往復前後、国鉄時代に比べると2.5倍の本数を運行しており、沿線の通勤通学需要に応えています。1985年の三セク転換は国鉄分割民営化を前にした第一期生で、早期に地元への運営に切り替えて成功した例のひとつと見做すことも出来ますが、最近はその高頻度運転を支える乗務員の確保に苦労していて、先日までは列車を間引いた特別ダイヤを組むなど影響が出始めています。開業当時はおそらく国鉄からの転籍組などもいたのだろうけど、まあどこも厳しいですからねえ・・・

ファンには一番人気のエヴァンゲリオンラッピングと、奥浜名湖駅近くの地元養蜂園がスポンサーの「BUNBUNTRAIN」の交換風景。
カラフルなのはいいけれど、ノーマルな天浜線色がちょっと恋しい、桜満開の原谷駅です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜の駅、咲き誇れ春。

2025年04月08日 08時00分00秒 | 天竜浜名湖鉄道

(桜舞い散る季節に@天竜浜名湖鉄道・桜木駅)

東京は開花宣言が出てから夏日を迎えるなど異常な高温が続き、一気に開花かと思ったらみぞれが降るほどの寒さの強烈な寒の戻りがあったりと、特に関東は体調を崩してもおかしくないほどの激しい寒暖差。これによって、折角進んだ桜の開花は完全に足踏みを喰らったどころか、冷たい長雨に打たれて既に花弁が落ちてしまったものも多い。いずれにしろ、強烈な寒の戻りと大雨で文字通り水を差され、イマイチな雰囲気もある2025年の桜前線。この週末を逃せば恐らくおしまいになってしまいそう。ということで、土曜日にお暇を貰って真夜中に家を出ました。最初は名古屋方面に行こうと思い西へクルマを向けたのだが、国道1号を走りながら静岡付近で夜明けを迎える。明るくなってみると、あちこちの桜が満開に咲き誇ってどこでも「見頃」。何となく急に気が変わって、右にウインカーを出した。天竜浜名湖鉄道・桜木駅。桜の季節に相応しい名前の駅を訪れてみると、昇ったばかりの朝陽に照らされて、桜が満開に輝いていました。

天竜浜名湖鉄道。「てんはません」の愛称で親しまれる、国鉄二俣線転換の三セク路線。掛川から浜名湖の北岸を通り、「森の石松」の森町、天竜市、三ケ日を経由して東海道線の新所原までの67.7km。走っているのはいわゆるNDCと言われる新潟トランシス製の新型気動車だけども、沿線の駅や風景には開業当時からの風格と歴史を感じさせるものが随所に残っていて、何度か訪れたことがあるお気に入りの路線のひとつ。特にこの桜木駅は、国登録の有形文化財に指定された開業当時からの木造駅舎がそのまま残り、そして四季折々の色々な花で飾られている。地元の人に大事にされているのだなあ、という雰囲気が黙っていても伝わってくるのだ。

天浜線の交換駅は、ローカル線の割にはどこも駅構内の有効長が長い。今は基本的に単行のNDCが行き交うだけですが、かつての国鉄二俣線は、軍事色色濃くなる昭和15年、東海道本線の浜名湖橋梁が狙われた場合の迂回路線として建設された過去を物語っていて、いざという時にはある程度の物流を担わせるだけの規模を考慮して作られていました。駅舎側に付いたホームの真ん中に構内踏切が入っていて、上下列車の停車位置は頭合わせ。ひと昔前の通票閉そくを実施していた国鉄ローカル線によくある配線パターンで、この通路を駅員さんが行き来してお互いの列車の通票を受け渡し、信号を開通させていたのだろうなと思われます。

始発列車が到着する前の朝の静かなひと時、好きな駅でまったりと過ごすいい時間だ。待合室のベンチに座り、色々と置かれた調度品や掲示物を見ていたら、いつの間にか構内踏切を渡って園芸用のカマを持った一人の女性がやって来た。「あらあら早い時間からご苦労様ねえ、明日から天気が悪くなるみたいだから、桜も散っちゃうねえ・・・」などと勝手に話しかけて来る元気なおばちゃん、というよりはまあ、おばあちゃんなのだが、聞けばこの駅をボランティアで管理する地元の会の会長さんなのだとか。始発前に駅に来て、駅の掃除や花壇の手入れをしているらしい。三セクの鉄路を守るために、「おらが街の鉄道」を守るために、こういう地元の人たちの地道な活動がある。頭の下がる事である。

「昨日あたりから、写真を撮るのにこの駅に来る人も多くなってきたねェ。このホームから見る桜が凄いって言ってくれるの」と嬉しそうなおばちゃん。満開の桜の中、掛川行きの始発列車がやって来た。地元掛川市で自動車の排気ガスを浄化する触媒を作る日本のトップメーカー、キャタラー社のラッピング列車「キャタライナー号」です。静岡県内の中でも浜松経済圏は工業集積が進んでいる印象が強いですね。温暖な気候と平地に恵まれた浜松周辺は、もともとヤマハやスズキ、河合楽器などを中心とした太平洋ベルト有数の工業都市ですが、東名に加えて新東名が開通し、さらにその傾向が強まってきた感じもあります。東西に広がる物流の動脈が強化されたこともあって、新東名のICの近くには新しい工場も次々と建設されており、天竜浜名湖鉄道は三セクの中では比較的過疎化や人口流出のような傷みが少ない豊かな土壌にあると言えるのでは。実際、補助金込みではありますが、天浜線は6期連続で黒字計上をしている優良三セクでもあります。

キャタライナー号の運転士さんと語らうおばちゃん。この駅のボランティアの代表として、職員さんとも懇意にしているようだ。列車を待つ間に色々と話をしていただいたが、この駅を守ることとか、地域をよくすることとか、大きな理想はあるのだろうけど、ひいては世話好きが高じて・・・といういい意味でのお節介さが感じられるおばちゃんのお話。手に持つポーチには、天浜線沿線を訪れる人向けに渡す車両のカードが入っていた。「掛川から乗ろうとするとクルマ止めるのにお金かかっちゃうでしょ、だもんで、ここ(桜木駅)にクルマ止めて乗ってく観光の人も多いのよ」「エバンゲリオン、あれが人気あるでしょう。ちょっと(グッズ)置いとくとみんな持ってかれちゃうの」と語るおばちゃん。「だもんで」が日常会話にフツーに入ってくるあたりが静岡の人っぽいよな。

朝陽の中を掛川に向けて去って行くキャタライナー号。おばちゃんと二人で列車を見送ると、おばちゃんはホーム脇の花壇の手入れを始めた。手に持ったカマでシバザクラの隙間に生えた雑草を引っこ抜いている。「ここのほかにも、駅の周りに一生懸命シバザクラ植えてるとこあっけど、去年の暑さでダメになっちゃったのもあるんよ」なんて聞くと、気象条件の過酷さは農業に限らず園芸にも影響を与えているのだなあと。おばちゃんの作業を眺めながらまったりしていると、ふいにポケットから取り出したデジカメで「アタシの写真も撮ってよ」なんてせがまれて、作業中の風景を一枚。

「そういえばさあ、さっきの運転士さん、ユミゲタさんって言うんだけども」
「はあ」
「アタシ、交換待ちかと思って、話し込んじゃったのよ!あっち(天竜二俣方面)行くのが来ないと思ってたら、朝一番は交換ないの忘れてたわ!アッハッハ!」だって。
桜の駅守、今日も明るく咲き誇り。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする