青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

足柄のいずっぱこ

2012年09月30日 21時55分37秒 | ローカル私鉄

(彼岸花の咲くころに@飯田岡~穴部間)

朝起きたら台風が接近している割には意外にも天気が良かったので、今日も今日とて子連れ狼。最近我が家の近所の田んぼでも彼岸花が咲き乱れて、いよいよ秋も本番かなと思わせる風景になって来ましたね。盛夏が過ぎ、紅葉に至るまでの間の9月と言えば実りの秋と彼岸花。そんな田園風景を探して今日も神奈川県の西部方面、小田急の渋沢5号とか行こうかなと思ったけど、台風でロマとか早々に運休にしちゃいそうなんで今日は2年ぶりくらいにいずっぱこの大雄山線に行って来ました。2年前に来た時に、飯田岡の駅の辺りで田んぼがあった事を覚えていたので、大雄山駅に車をデポして飯田岡駅から狩川の土手沿いを子供と散歩。予想通りに田んぼの畦に咲く彼岸花を見付けて、子供と構える線路際。


小田原から足柄平野の西端を流れる狩(かり)川に沿って、神奈川県の都市の中で一番人口が少ない南足柄市(人口4万人ちょっと)へ向かって走る全長10km足らずの大雄山線。使われてる車両も5000系の一種類だけと趣味的には無味乾燥ですが、私的には結構この車輛嫌いじゃないのよね。昭和59年から平成8年までの13年間に渡ってチマチマと7編成が増備されたため、出て来る編成が常にバージョンアップされて同じ形式でも微妙に仕様が異なっているんですね。まるで写真集出すたびに何かが違っている釈由美子のようだ(笑)。あっちはいつアップグレードが終了するかもはや誰にも分からない状態になっているけどな…
いっちゃん最初に落成した第一編成@5001Fが狩川の堤防下を。この編成だけ鋼製車輛なんですよね。


コデを横目に、大雄山へ上がって来る第4編成@5007F。
台車についた置き石防護用の機器がカニの足みたいになってるのが特徴ね>5000系
まったくネタと言うもののない大雄山線ですが、唯一のネタモノと言えば駿豆線(三島~修善寺)の大場工場まで大雄山線の車両を検査に出す時くらいですかねえ。大雄山線には全般検査を受けるような工場なんかないですから、大雄山線の車両が検査を受ける場合はこのコデ165が大雄山から5000系を引っ張って小田原まで行き、小田原でJRの機関車に付け替えて三島、三島から凸型電機に牽かれて大場工場へ持って行くんですね。「コデ」って聞き慣れない種別ですけど、「工事用電車」の略称のようです。昭和3年製にて元相鉄の2000系。そう言えば相鉄のかしわ台車両基地の隅っこにも似たようなのが留置されてますね。まあコデって言われると基本こっちを思い出すけどw


狩川の鉄橋を渡る第7編成@5013F。
最終編成はスカート付き&行き先表示がLEDだったりする。
大雄山線は深夜早朝を除いてほぼ全線12分間隔のパターンダイヤなんで、乗ったり降りたりして撮り歩くにはまったく苦労がない路線です。駅間距離も基本1kmないから、歩いたってたかが知れてるしね。途中の五百羅漢と相模沼田と和田河原の3つの交換駅で必ず対向列車と交換するから、電車の来るタイミングも非常に分かりやすい。


狩川の土手から小田原行きに懸命のアピールをする息子の図。
かように趣味人でもなかなか興味を引きづらい地味路線ではありますが、それだけにカメラを向ける人が珍しいのか駅員氏&乗務員氏の愛想はすこぶる良かった(笑)。息子はおそらく今日の仕業に就いているウテシ氏およびレチ氏全員に「バイバイっ!」と手を振ったんじゃないかと思われ…

声援に 汽笛よ響け 足柄の 曼珠沙華咲く 狩川の土手
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父の古希

2012年09月29日 21時45分36秒 | 日常

(シースーマイウー@新百合ヶ丘)

先週の体調不良から一週間ここをほったらかしにしてしまった。先週末は土曜の朝から胃の痛みに苦しみ、休日診療所に行くわ明けて月曜日になっても胃の痛みが治まらないのでちょっとデカイ病院に行ったりとか色々面倒を起こしながら期末の一週間は仕事も濃密で、ボロッボロになって辿り着いた9月最後の週末。病に伏す前から今日は父親が70をを迎える事となり、兄弟で祝いの席を一席設けようって事になってたので胃の痛みが続いてたら宴席どころじゃねえなあって思ってたのだが、漢方みてえなクソまずい粉薬とガスター10のおかげで酒が飲めるくらいまでには回復したのは幸い。
実家の近所の寿司屋で一席設け、孫に囲まれるオヤジの姿。今でも山歩きを楽しみ酒を嗜むあたりは元来体の丈夫な戦中世代と言ったところか。二年前に一回ぶっ倒れて聖マリアンナに担ぎ込まれた事を考えればそれ相応に苦難の道程だったのであろうが、小さい頃から「俺は太く短く生きるタイプだから」と公言していた割にはまあ古希を迎えられたのだから一段落なんでしょうね。寿司をつまみながら「コキって言ってもJR貨物じゃないんだよ」と子供に教えるバカ親父w寿司屋で一族郎党会した後は実家に集まって談笑。ランド駅前の「モンタナ」でケーキを買うのは我が家の慶事の定番であるのだが、自分と子供だけはケーキを食ったらそそくさと抜け出してランド駅近くの踏切へ。


ランド民には憎っくき多摩急行・営団6000系。6004って第4編成ですから相当初期の車両じゃなかろうか。爆弾Doorで有名なこの車両、昭和43年から千代田線の主役を張って40年経った今でも未だにその位置を維持しているトンデモ車輛ですなあ。新百合ヶ丘以遠に住むとめったにお目にはかからないのだけど。秋の陽はつるべ落とし、夕方になってから出てったんでちょっと暗く撮り辛い時間ではありますが、感度を上げまくってなんとか。


この生田3号踏切、ランド駅を通過する10連の列車を長いタマで抜くと先頭車両から2~3両が微妙にバンクがついてかっこ良く撮れる場所でもあります。ちょっと線路より低い位置からアオリ気味に撮るので、左側にちょっと線路脇の雑草が見切れたりするのはご愛敬だw


子供と見てたのは正味30分程度だったんだが、LSEが来たから構えてみたら後ろからもLSEが(笑)。
バッチリの離合シーンではないけど、珍しい瞬間を収める事が出来ました。


夕暮れに家路を急ぐ多摩区民と、駅のホームで電車を待つ日本女子大の高校生。
子供の頃からこの周辺の風景を見ているけど、駅前が狭くて再開発のしようがないからか、そんなに変わらない風景だよなあ…と思って帰りに近所をぐるっと一周してみたら、母校の小学校の校舎が全面改築されてまったく新しい校舎に生まれ変わっていたw
そらオヤジも70になる訳だ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

季節の変わり目

2012年09月23日 21時01分45秒 | 日常
この週末は思いっ切り体調を崩してしまった。土曜日の朝からずーっと胃が痛いのが続き、何を食べてもムカムカする状態。熱はないんだが、何が悪かったのか…金曜日に食った刺身が悪かったのかなあ。おかげでこの週末はリアル断舎利になってしまった。
皆さんも季節の変わり目、体調にはお気を付け下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それが我が家の子育てだ

2012年09月17日 20時51分40秒 | 江ノ電

(終わらない夏@神戸橋)

最近BSフジで放送された「全国百線鉄道の旅」で江ノ電が特集されてから、子供がやたらと「えの!」「えの!」と言うもんだから今日はヨメ抜きのサシで子供とガチで乗り鉄&撮り鉄して来ました。出る前にカメラバックに詰め込んだのは、レンズとオムツとお尻拭き、水筒とたまごボーロと汗ふきタオルに着替えのパンツ。子供のものの方が多いやないかい!(笑)。家から30分で行けるのに何やらやたらと重装備。ザックが肩に食い込みます。
天気の具合は台風のせいもあって目まぐるしく、ザアッと降ったりピーカン晴れたり、共通するのは蒸し暑さ…もう9月も半ばを過ぎたと言うのに何なんだこの暑さは。額の汗をタオルで拭い、子供の安全に十分に気を付けてアングルを構えるのって結構大変。子供に良く言い聞かせてもまだ理解し切る年齢でもないしねえ(笑)。一番いいのは肩車しながら撮る方法なんだけど、カメラ構えながら肩車ってマジで首が折れそうになるんですがw

  

藤沢駅で一日乗車券「のりおりくん」を購入し、子供の手を引いてホームに上がると初っ端から古豪300型が。
被写体として狙う事は多いけど乗るのは久し振りやね。
休日の江ノ電の混雑ってのは結構なものがありまして、足の踏み場も少ない木の床とバス窓の向こうの海。

 

座る場所もなく吊革につかまってたら、おばあちゃんが場所を詰めてくれたので子供だけ窓向きに膝立ち座り。
靴を脱がせて窓の外を眺めさせるってのは鉄道好きっ子の基本形(笑)。
とりあえず300型の乗り心地を十分堪能した上で極楽寺で下車したとたん雨がザー。
しばしホームで雨宿り、小やみになった隙を狙って進撃開始。
稲村ケ崎への併用軌道で一本ずつ。チョコ電20型はこんな天気じゃ露出が厳しいぜい。


稲村亭踏切にて、買い物帰りのお客さんと江ノ電。
この「肉の稲村亭」、焼き豚で有名なお店らしいですがちょっとお高くまだ買った事はありませんw


稲村ケ崎駅にて。



七里ヶ浜を出て、行合川を渡る500型。
川の護岸には未だに朝顔が咲いてますねえ。

   

併用軌道区間は、どうしても車の有無に左右されて思うような絵作りが出来ないなあ…
しかも今日は子供もいるんで二重のハンデ、路側帯の広い安全な場所から細心の注意を払っての撮影。
1000型の1001編成は、リバイバルでデビュー当時の縞グリーンの色に塗り戻されてますね。



昼は電車通りのラーメン屋でサンマーメン、子供にはチャーハンを。
ごくごく普通の味ですが、座敷があってゆっくり食える場所ってのが子連れにはありがたいのですよw
問題なのは、電車が店の前を通る度に子供が座敷から脱走する事だが…



まだまだ夏の鎌倉高校前…
腰越で乗ったら、かなりかわいい日焼けしたショートカットのJKが「どうぞ」と子供に席を譲ってくれたw
鎌倉高校前で降りてったあの子を追って、正直鎌高に入りたくなったよ(笑)。

藤沢駅で「えのでんプラカップ」を購入し、子供を車に乗せたらすぐ寝てしまった。
世の中「子連れ鉄」は多いかも知れんが、「子連れ撮り鉄」ってのは親の体力的にはかなりハードルが高い事を実感。それでも、買って来たコップを持って来て、「えの~♪」と言いながら麦茶を飲む子供の姿を見ると、パパもうちょっと頑張っちゃうぞ~と言う気がしないでもないw

No hobby No life!
それが我が家の子育てだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さらば愛しき駅

2012年09月13日 22時38分11秒 | 只見線

(画像:在りし日の田子倉駅)

「JR只見線 全線早期再開は困難 新潟」(産経ニュース)

昨年夏の新潟・福島集中豪雨によって寸断されたJR東日本の只見線、現在は新潟県魚沼市(旧入広瀬村)の大白川駅と福島県金山町の会津川口駅の間が不通になったままだったんですが、とりあえず10月1日から大白川と只見の間の運行を再開するらしい。まあ、この区間は長~いトンネルを持つ県境の区間だったんで豪雨の被害はそんなになかったのではないかと推測される。去年の豪雨以降鉄路としては陸の孤島になっていた福島県の只見町に、とりあえず新潟側からのアクセスが可能になったわけだ。この辺りを急いだのも、冬季間は県境のR252が通行止めになってしまうってのがあったのかな。去年の冬は事実上只見町からは新潟側に出られないと言う状況に陥ってたわけだし。
ただし、相変わらず只見~会津川口の区間は鉄橋が何本もズタズタになったおかげで復旧費用も半端ないらしく、JR東日本としても復旧には及び腰のようですね。費用対効果で言えばまったく採算が見込めない超閑散区間、被災する前でも日中3本しか列車が走ってない区間でしたからねえ。趣味人としては時間はかかっても全線復旧して欲しいとは思うけど、何となく岩泉線みたいに時間を経た上でみんなが諦めるのを待ってるんじゃないですかね。んで、最終的には「安全が…」とか言って廃止or休止してバス代行にしてしまいそう。

  

とりあえず只見の街に鉄道が戻って来る事にはなったのだが、そんな中でひっそりと発表されたのが田子倉駅の廃止。詳しい内容はリンク先に譲るとしますけれども、ねえ。使ってる人なんか皆無なんでなんら影響はないんでしょうけど、無駄なものが生きにくい世の中は趣味的には寂しいなと。そもそもこの駅自体スノーシェルターの構造物の一部みたいになってまして、廃止したからって列車が走る限りは撤去の対象にもならないのだと思いますが…さすがにこの超豪雪地帯でスノーシェルターごと作り変えるって事もないでしょうし、ホームや階段なんかそのままは残って行くのでしょうね。駅としては廃止されても、ホームは現存して列車は止まらず…ってのは博物館動物園駅みたいだが、あれもトンネルの中の駅でトンネル構造物の一部だからな。


どう見ても除雪機械の倉庫にしか見えない田子倉駅駅舎。右側の入り口の横に、「この付近だったら携帯(FOMA)が繋がりますよ!」って看板が付いてるんだけど、まあそういう場所です(笑)。ホントはいけないんだけど、駅を通って行くと湖のほとりに降りられるらしくって、ホームに降りて行く階段は田子倉湖で釣りをする連中の通路として使われてました。ハイシーズンになると階段の踊り場でテント張ってる釣り師もいたなあ…雨風はしのげるし人は来ないし、テント張るにはいい場所だったんだね。

私はR252六十里越ってかなり好きな道なんで、その六十里越の風景の一つだったこの駅にはそれなりの思い出もあります。
この辺りで一日何本も来ない只見線を撮った事もありますしね…
さらば愛しき駅、田子倉。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする