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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

サイギサイギ、ドッコイサイギ。

2025年02月28日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(この冬の雪の多さよ@津軽大沢駅)

車両区があり、大鰐線の運転の要衝である津軽大沢の駅。ただし、駅は羽州街道の外れの小さな集落にあって、利用する人は少ないのか、駅員自体は無配置の駅です(車両区や饋電、保線関係の要員は配置されている)。駅の周りには住宅よりも新しい老健施設の大きな建物が目立っていて、雪をかぶった年季のある民家との対比は、なんとも東北の都市農村部の人口動態を表しているようで切ないものがあります。除雪用のスノーダンプの置かれた駅舎の入口。この冬の津軽の雪の多さは、過去の半世紀を見ても比べるものがないほどのもので、2月23日には弘前市の積雪深が160cmを記録したようです。これは1982年(昭和57年)の観測史上最大の記録なんだとか・・・この時すでに、駅舎の上の駅名看板が雪の重みのせいなのかひしゃげてしまっていた。この冬に起こったことなのかは分からないけど、駅の看板くらいはせめてちゃんとしておいてほしいものだ。

駅の奥の車両区では、今日の出番のなさそうな7039編成と、その隣にはED221+キ105のコンビ。今シーズンはED221の故障により稼働できず。EDのランボードも雪に埋まっているが、この雪の多いシーズンに活躍が出来ないこと、忸怩たる思いがあるだろう。そしてその奥にいるのが元東急6000系。7000系の一世代前のステンレス車両で、東急車輛としては初の量産型ステンレス車両。僅か2編成ではありますが、朝の快速運用を中心に、一時期は赤帯や青帯を巻いて大鰐線の主力車両として活躍していました。何年か前に予備車運用からも外れたらしく、車両区で撮影会をやって引退。今は錆びないボディを武器に、倉庫代わりになってるみたいですね。現在の弘南鉄道の主役は7000系ですが、その前が6000系で、さらにその前は目蒲線から移籍した全鋼製車の3600系などが使われていましたから、1970年代から半世紀以上に渡って東急OBが活躍する線区です。1970年代は輸送需要も極めて旺盛で、弘南線では1M2Tの3連を2つ繫げた6連が走ることもあったとか。

さて、津軽大沢の駅は「アップルロード」という広域農道が近くを走っていまして、弘前市内方面へ戻りがてら少し寄り道をしてみることに。農道を岩木山方面へ向かって走って行くと、どんどんとその独立峰の山容が眼前に迫って来ます。天気は晴れたり曇ったり。雲の流れが速く、岩木山の山頂も見えたり見えなかったり。津軽大沢の駅からクルマを転がすこと30分くらい、SNSで情報を教えていただいた「三本柳温泉」に来てみました。岩木山に近づくと、弘前市内に比べるとやはり随分と雪深い。建て増しを重ねて横に向かって伸びる建屋と、雪下ろし用のハシゴが屋根に向かって伸びてるのも、いかにも東北の湯治宿然とした佇まい。

広々した館内、外にはマイクロバスまであったりして、近郷近在の湯治場としても繁盛している様子。屈託のない笑顔の老夫婦に迎えられ、湯銭350円を払って向かう浴場。平日の午前中という誰もいない時間に、大浴場を独り占めできるのはなんとも贅沢なことだ。少々ぬるめの薄緑色に濁る土類系炭酸泉は浴場の裏手に湧き、湯船に引き込まれ惜しみなく溢れ出ている。キシキシ感と炭酸味を明瞭に感じる湯は、あせもなどの皮膚疾患に効能とのこと。ゆったりと湯船に頭を預けて微睡に至る。三本柳温泉の由来は、岩木山にお参りを重ねていた村人の夢枕に立った薬師如来が教えた場所に行ってみると、延命地蔵と柳の木が三本立っていて、そこに湧いていた湯であることからこの名前になったのだとか。全国各地の温泉は、1.動物や鳥が湯浴みをしてて見つけたパターン、2.誰かの夢枕に神様や仏様が現れたパターン、3.行基か弘法大師が杖でつついたパターンの三つのうちのどれかだと思っているのだが(大雑把だな)、ここは「2」の夢枕パターンであるらしい。

温泉のあとは、そんな私にも神仏のご加護があることを願って岩木山神社に来てみた。「いわきさん」じゃなくて「いわきやま」神社なのでご注意。それこそ、津軽の民の信仰を一手に集める霊峰・岩木山の麓にある由緒正しき神社。岩木山神社と言えばお山参詣「サイギサイギ」ですよね。神の前で自らの愚行を悔い改め、この呪文のような文言を唱えることで信仰の山と一体化し、五穀豊穣家内安全無病息災を祈るという。ちなみに「サイギ」とは「懺悔」のことです。思い付くだけでもいくつものサイギがある私めが参拝するに相応しい神社と言いましょうか・・・

雪で凍った参道を慎重に踏みしめ、朱塗りの楼門の脇を通って拝殿に至る。参拝をする人の列に並びながら、お山参詣の祝詞を唱えてみる。サイギサイギ(懺悔懺悔)ドッコイサイギ(六根懺悔)オヤマサハツダイ(御山八大)コンゴウドウシャ(金剛道者)イツニナノハイ(一々礼拝)ナムキンミョウチョウライ(南無帰命頂礼)。この祝詞は、りんご娘の「サイギサイギ」という曲を聞いていると自動的に覚えられる。岩木山神社のことを調べていてりんご娘にたどり着くという、そういう学習効果が最近の検索エンジンには備わっている。青森にいる間、レンタカーでずっとFM青森とか青森放送ラジオを聞いていたのだが、彼女たちは地元のロコドルというにはあまりにも浸透し過ぎていて、ラジオ、テレビ番組、CM、リクエスト、自治体、献血、道路公社と何のメディアにも関係なくホントよく出て来るんですよね。特に弘前周辺が圧倒的に強い。一時期新潟行くとそういうイベント系に花を添える役割がNegiccoばっかだった時期があったように思うのだが、そういうローカルアイドルの一番の成功例なのではないだろうか。

テレビを見ていると、青森に来るたびに東京とだいぶ毛色の違うタレントが起用されているように思う。そんな「メディアキャラクターの違い」も地域性か。
あべこうじがこんなに重用されるのって、青森県だけだと思うんだよなあ(笑)。

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銀鱗踊る高架橋。

2025年02月26日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(生徒たちを待つ@義塾高校前駅)

沿線最大の教育施設である東奥義塾中学校・高等学校。弘前藩の藩校を出自とした、青森県でも有数の名門私学。その最寄り駅になっているのが義塾高校前駅。リンゴ畑の中に簡素なホーム一面の小さな駅ですが、朝は通学してくる学生の対応のためか、係員配置の時間があるようです。東奥義塾が弘前城址に近い場所から郊外の地にに移転してきたのは昭和62年のこと。義塾高校前の駅はそれに呼応する形で通学の便宜を図るために開設された駅ですが、学校の移転と駅の開業により、前年に比べて通学定期の輸送人員が年間15万人も増加。弘南鉄道的にも大きな需要の創出だったのではなかろうか。もっとも、昭和62年当時の大鰐線の輸送人員はピークアウトしていたとはいえ年間250万人を確保していたのだから、今となっては隔世の感がある。

義塾高校前~石川間の石川高架橋で行き交う朝の電車を。鉄柵のないプレーンな古めかしいコンクリートのガーター橋は、東急7000系の最大の特徴であるパイオニア台車の外付けディスクブレーキを光らせるには打ってつけである。朝の眩い光に銀輪を躍らせた後は、岩木山バックを狙いに高架橋の石川詰めの踏切から大鰐行きの電車を狙ったのだが、先ほどは見えていたお岩木山がみるみる雲に絡め取られて大失敗。電車にはしっかりと太陽が当たっていただけに勿体ないことをしてしまった。それにしても大鰐線の7031編成、「HIROSAKI RENGA STORY」と題して中央弘前にあるレンガ美術館のラッピングをしているのだが、車体正面上部にレンガのアーチを描くデザインがちょっと奇抜すぎやしないかと(笑)。

折り返してきたレンガ編成を石川駅で。石川駅、かつては「新石川駅」という名前だったのだが、JRの石川駅と混同を避けてのことだったのだろうか。なんか神奈川県民なので、新石川なんて言われるとたまプラーザとかあざみ野辺りの地名(横浜市青葉区新石川)を思い出してしまうのだが、そういう意味では東急繋がりと言えないこともない。鯖石駅に続いてこの駅も右側通行だね。大鰐線の交換駅、中央弘前側から弘前学院大前・千年・津軽大沢・石川・鯖石とあるのだが、石川と鯖石は右側通行で他は左側通行になっている。ここらへんの「決め」はなんか理由があるのかな。そういう謎は分からないまま、運行は終わってしまうかもしれないが・・・

ちなみに現行ダイヤでは、大鰐線の列車交換は休日が津軽大沢のみ、平日は71レ・72レの運転により、津軽大沢に加えて弘前学院大前1回(7:48)・千年1回(8:10)・鯖石2回(7:25・8:30)の交換があるので撮影の参考にされたい。わざわざ各駅に分散させるのも、交換設備の作動点検がてら、という感じもあるのだが、そう考えると現行ダイヤは石川の交換がないな。前のダイヤの時は朝に1回だけ石川交換があったんだけど。

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朝の鯖石、電光石火。

2025年02月24日 08時00分00秒 | 弘南鉄道

(雪の待合室@鯖石駅)

昨年の夏にも訪れた鯖石の駅。国道8号線から鯖石の集落へ入る道へ折れ、その集落の道からさらに細い道に入ってようやく見つかります。大鰐線の駅は、大きな街道沿いというよりも小さな集落の中の分かりにくい場所にあるものが多く、初見では探し出すのが難しい。ちなみに、ここから一つ大鰐寄りの宿川原駅も分かりにくさは相当なもので・・・そういうところも、利用しにくさの一因になっているのかもしれない。鯖石駅へのアプローチは、バイクや小さめの自動車が1台やっと通れるかな、程度の細道のみ。そもそもクルマ社会の地方都市。少ない利用者ですら、駅までは家族がクルマで送迎することは珍しくない。そうなると、駅前のロータリーの整備とか、そういった「クルマ社会との親和性」を高めることも利用促進策の一環だったと思うのだが、なかなかそうもいかなかった、というのが大鰐線の現状です。名誉のために申し上げれば、大鰐線もパークアンドライドの施策を積極的に打ってはいますけど、駅前にクルマが入れるような場所がないので「少し離れた場所に止めて歩く」みたいな傾向になりがちである。暑い日寒い日、雨の日や雪の日。そして荷物が重ければ、普段使いの乗客には「そういうところ」が微妙に嫌がられる。

そんな鯖石駅への小道を駅に向かう小学生たち。駅は平川に沿った位置にあって、駅の北側の道は平川を渡る橋に繋がっています。橋を渡ると川の向こう側にある森山という集落があるんですが、羽州街道が走る鯖石の集落だけでなく、平川左岸側からの利用も意識したのかなと。森山の集落、奥羽本線が通ってはいるものの悲しいかな駅は作られておらず・・・川を渡って歩いてくる小学生もおりましたので、こういった奥羽本線沿いの駅のない集落の住民の利用が、大鰐線の輸送需要の一つでもありました。

平日ダイヤでのみ行われる、鯖石の交換風景。小学生は大鰐方面へ乗車するようだ。大鰐町には小学校が大鰐町立の大鰐小学校の一つしかないから、必然的に電車通学になる生徒も多かろう。以前は、朝のラッシュ時を含めて頻繁な運転がありましたから、鯖石駅の交換設備も大いに活用されていました。それが、現在では平日の朝の7時台・8時台にそれぞれ1回ずつが残るのみです。鯖石駅の信号は、どちらのホームからも両方向へ出発できるようになっており、快速運転があった頃は、直線側のホームを通過線にして上下列車の退避をおこなう「一線スルー」の方式が取られていました。割れてしまったホームの行灯にも、その辺りの名残りが見て取れます。ちなみに、この駅の通行は現在は右側通行に固定されているようなので、撮影の際は注意されたし。地方鉄道だと結構あるんですよね。右側通行の駅って。

大鰐線の電車、基本的に「大鰐-中央弘前」とか「大鰐線」の表示なので、ライトでも付いてないと写真ではどっち行きの電車だか分かりづらい。運転席の運転士さんのあるなしで判断していただきたい。そして、弘南線も大鰐線も交換が早いよねえ!まさに電光石火の交換が弘南鉄道の特徴で、どっちかが着いてどっちかが出るまでピタッと並ぶことがないんだよな。交換相手が側線に入るとすぐ出発信号が変わって待ってた方が発車するから、「駅で並ぶ」みたいな構図がなかなか難しいです。その辺り、時刻表上は同時刻でも、運転士さんが持ってるスタフ上では微妙に30秒ずつくらいずらしたりしてんのかしら。この日は大鰐行きが先行して入線して、中央弘前行きがやや遅れ。ご多分に漏れず、中央弘前行きが停車する前に大鰐方面の信号が開通して、大鰐行きはさっさと発車してしまいました。

時刻はきっちり7:25。
鯖石だけに、発車時刻のサバを読んだりしてないだろうな(してません笑)。

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しばれる朝の始発駅。

2025年02月20日 22時00分00秒 | 弘南鉄道

(ワニモニ。@大鰐温泉駅)

朝6時に大坊温泉保養センターを出て、やって来たのは大鰐温泉の駅。津軽の奥座敷と言われた大鰐温泉は、弘前藩の湯治場として栄えました。開湯800年の歴史を誇る津軽の名湯は、歴史ある雰囲気を持つ街並みで、2つの共同浴場を中心に大小の旅館で形成されています。もう一つ、大鰐町と言えば大正時代からスキーの街として有名で、街の南側にある阿闍羅(あじゃら)山の中腹には大きなスキー場(大鰐温泉スキー場)があります。私は正直存じ上げないのですが、毎年学生スキーの大会が開催されていて、町内からもスキーの名選手が数々輩出されているらしい。ちなみにバブル華やかなりし1980年代後半にスキー場を中心にしたリゾート振興に手を出した大鰐町、見事に開発に頓挫し財政再建団体にまで落ち込んだ苦い実績があります。

そんな街の名前を冠する弘南鉄道の大鰐線、その始発駅がここ大鰐駅。ご存じの通り、昨年末に2027年度いっぱいでの運行停止の決定がなされました。沿線自治体が作る弘南鉄道の活性化協議会も年明けにこれを受け入れていますので、もう後戻りのできないカウントダウンが始まっています。この日は夜明けから、そんな余命宣告がなされた大鰐線に寄り添ってみようと思います。昨日は暖かかったせいか、駅前の道を濡らした雪融けの水は、夜半の寒さでカチンコチンに凍り、思わず歩幅も小さくなる。JRの大鰐温泉駅の隣りにやや粗末な農具小屋のようなしつらえの大鰐駅。こちらはJRと異なり「温泉」の名前を付けませんが、その昔は弘南大鰐駅と呼ばれていましたね。弘前電気鉄道から弘南鉄道に営業権が移った際にそうなったらしいけど。朝の始発電車は6:50と少し遅め。以前は朝の6:20が始発だったから、減便して30分繰り下げられた。この日は月曜日、早くも弘前方面の高校に通う学生が一人、軋む引き戸を開けてホームに入って行った。

跨線橋の煤けた窓から覗く大鰐線の電車。明けて行く冬の空の下で佇む大鰐線は、弘南線と違って全車が東急7000の原形顔なのが嬉しい。まあ、それにしても雪が深いね。大鰐の街は、津軽平野から平川の谷がちょうど狭まってくる位置にあって、奥羽本線はここから碇ヶ関を経て矢立峠へ向かってさらに雪は深くなっていく。国鉄時代は、それこそ日中は特急や急行列車ばかりで奥羽本線にはほとんど普通列車が走りませんでしたから、大鰐線は奥羽本線から零れ落ちた津軽平野南部の羽州街道沿いの集落の移動需要を満たす形で、30分に1本の高頻度運転を近年まで続けていました。弘南鉄道、弘南線も大鰐線も平成18年まで朝は快速電車があったんですよね。2005年の時刻表で大鰐7:45発→中央弘前8:07着とある。普通電車が30分のところを22分だから、それなりに時短にはなっていたのだろうか。

雪に埋もれたような大鰐駅の構内。引き上げ線の位置には、いつもの冬ならキ105+ED221のコンビが常駐していたはずですが・・・姿は見えず。大鰐の朝2本目の編成が留置されていました。ED221の故障で、今シーズンの冬の排雪はキ105を使うことが出来ず、専ら除雪はJRから払い下げられたMCRに任されているのは前述した通り。駅から少し歩いて羽州街道に向かう道すがらの踏切に出てみた。始発列車の鐘の音、凍て付く温泉街に、朝の訪れを告げて。

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平川の 名湯ぷかり 風邪知らず。

2025年02月18日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(黄金の稲穂揺れて・・・@津軽ウインターイルミネーション列車)

「冬の田んぼアート」を楽しんだ後は、このイベントに合わせて増発された臨時電車で弘前へ。黄金の稲穂を模したイルミネーションを配した車内は、照明を落として幻想的な世界。ちなみに、乗車には別途料金500円を所望されました。手土産に小さなお手ぬぐいのグッズ付きでしたが、正直別途料金を取って運行しているせいか、車内の乗客はまばらです。やはり臨時電車というのもあるし、別料金を取るというスタイルだと利用率はそこまでいいとは言えなかったかなあ・・・。弘南鉄道なりの増収策なんでしょうけどね。それなら、もう少ししっかりとおカネを取って「けの汁列車」みたいなイベント列車で運行した方が良かったのかも。けの汁列車、コロナで中断していて2025年の今シーズンから5年ぶりに復活したようなのですが、お座敷車両での弘南線往復にけの汁とおかずの盛り合わせの折り詰めに飲み放題までついて5,400円だから全然悪くないよね。弘前→田んぼアート(下車)→黒石まで回送して折り返し→田んぼアート(乗車)→平賀で運転停車して宴会→弘前、みたいな感じで時間を設定すれば結構楽しめるのではないかと。

「イルミネーション列車」は、黒石高校の生徒がこしらえたラッピング列車で運行されていました。この日の弘南線で唯一動いた原形顔。黒石高校ラッピングって弘南線の電車で綿々と続いてるね。黒石高校って、黒石駅に着く少し手前の右側にでっかいグラウンドと校舎が見えます。そもそも沿線に学校関連の施設が多い弘南鉄道ですが、まさに弘南線と共にあるような高校なので、結びつきも強いんでしょう。元々女学校として設立された高校で、県内の公立高校で唯一看護学科の設置があるのだとか。

さて、今日のすることやりたいことも終わったので、宿へ向かいましょうかね。弘南線のホームを駅コンコースのイルミネーションと共に。大きく窓に映り込むのはねぶた猫。折り返しの電車が出るまでの間、駅のコンビニで晩酌用のアルコールを少し仕込んでから黒石行きの電車の乗り込む。もう時刻は夜8時を過ぎて、黒石行きの電車には若いカップルの酔客の姿などもあった。都会であれば、飲んだところでこんな時間で帰宅するのはまだ早いように思うのだけど、弘前からの終電は21:40となればこのくらいの時間が頃あいか。地方都市の場合飲みに行くのもクルマであることは珍しくないので、そうなると帰りの足は運転代行だけれども、運転代行の相場は2kmで2,000円くらいでそっから1kmごとに200円だから、電車を使う方が何だかんだ安上がりでしょう。弘前からの帰りはやっぱり扁平顔の東急7000。この日は結局定期で回ったのは中間改造車顔だけでした。

この日の泊まりは平川市にある「大坊温泉保養センター」。弘前に泊まるとなれば駅近くにホテルがいっくらでもありますけど、せっかくなので温泉付きの宿泊施設に泊まりたい。幸いにして、津軽にはこのように地域の公衆浴場を兼ねながらも泊まりも出来るビジネス温泉旅館みたいなものがいくつもあって、ここもそのうちの一つ。弘南線と大鰐線のどちらにも出易い位置にあるし、大浴場にふんだんに注がれる溢れる湯量のいい温泉が入り放題。以前に泊まったこともあるんだけど部屋もきれいだし、何よりホテルじゃないので和室で畳に布団を敷いて眠れるのがうれしい。そしてこのインバウンド需要でどこも宿泊価格が高騰する中で、一泊素泊まり6,000円くらいなのはリーズナブル。弘前駅前で狭いビジホやカプセルに泊まるなら絶対こっちの方をお勧めする。唯一、鉄道利用で宿泊するのは位置的に厳しいこと(駅から徒歩は少々無理がある)は難だけど、今回はレンタカー借りてますのでね。

「風邪知らずの湯」と言われるちょっと熱めの湯が、円柱の湯口からドバドバと注がれる大浴場。入れ代わり立ち代わりやって来る津軽っ子たちの難解なお国言葉を聞きながら湯船にプカプカと浸かり、一日の垢を落として部屋に戻る。黒石のスーパーで買い込んだパックの寿司と陸奥湾ホタテ、あとは黒石焼そばにイガメンチに・・・その他ビールと地酒と適当に地のものをテーブルに並べての小宴会。ビジネス旅館なので廊下に電子レンジも置いてあるから、お惣菜物の温め直しも楽だ。旅に出てまでパックの寿司食うなよ!と思う人もいるかもしれないけど、どうしても遅くまでカメラ握ってフラフラしてしまう自分のような人間にはこういうスタイルが合っている。宿の食事の時間のために、夕暮れのいい時間帯のカットが撮れないなんて何のために出掛けてるか分かんないじゃないですか。まあ、そういう思考をしていると、旅先の食事はこうなりがちなのだが、すべて人生、いいとこ取りは出来ないってことで。それと、旅先の地元スーパーは楽しいですよ。その土地の生活に根差したいろんなものが見えて。

すっかり酔っぱらって、そのまま布団の上にダイブした一人旅の夜。旅先の寝落ちは、変な時間に目が覚める。はだけた浴衣を直して、少し酔いが醒めた体を引きずってよろよろと宿泊者専用の温泉へ。冷えた体に染みわたる大坊の湯・・・誰も入っていないので、自分が入った分だけ洗い場にザバザバと流されていく源泉に対してスマヌスマヌと思わず謝りたくなってしまう。溢れて捨てられた分だけお金払ってもいいくらいだ。そういうのを源泉徴収って言ったりするのかもしれませんが。

最近は、YouTubeで軽バンやら軽トラみたいなのをカスタムしたクルマでやる車中泊の旅の動画を見るのが好き。
行き当たりばったりに出掛けては好きなものを見て、思い付いた場所にクルマを止めて、好きな温泉入って、好きなメシ食って寝袋にくるまって眠る。
結局お出掛け好きの行きつく先って、車中泊なのかなあと思わないこともないけど、これがあるから温泉宿はやめられんね。

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