青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

ケチではなく、エコ

2015年05月31日 23時48分58秒 | 日常

(ああ、白州の夜明け@山梨県北杜市)

また一泊二日で信州に行って来ました。いつものように金曜深夜に家を出て、高速代はいつものケチケチモードで必要最小限の利用に留める。そうして真夜中の甲州街道を突っ走れば、白州の辺りで朝日に染まる甲斐駒ケ岳が眺められたりする。こーいう風景はただ高速走っているだけじゃ味わえないので、高速ケチではなく高速エコモードだと思う事にする(笑)。とりあえず家を離れている間に大きな地震があったりと東京は色々大変だったようですが、この二日間の話は追って。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過ごす余生は里山で

2015年05月24日 10時13分06秒 | 日常

(里山鉄道村@ポッポの丘)

関東近郊に「鉄道系」の博物館や記念館のようなものは数ありますが、最近千葉県は房総半島のど真ん中、いすみ市の里山に農場主さんが引退した鉄道車両を集めて展示している…と言うウワサ(大げさ)を耳にしまして、久々に房総まで行ってみる事にしました。「ポッポの丘」と名付けられたその農場は、いすみ鉄道の上総中川駅から北に約2km。丘と田んぼが広がる房総の里山風景の中にありました。

  

  

色々と置いてある中でやはり目を引くのは、昔ながらの国鉄型特急車183系クハ182-102、クハ183-1527の先頭車2両。最後は長野総合車両センターに所属(N104編成)し、この間運行を終了した長野~直江津間の妙高号に充当されておりました。引退ホヤホヤで先日このポッポの丘に到着した様子で未整備な感じですが。クハ182-102が松本→新前橋→大宮→長野、183-1527が幕張→新前橋→大宮→長野と転属して行ったので、それぞれが由来の幕をきちんと表示しているのが細かい。しかし幕が「急行妙高」と「ホームタウンしおさい」って狙いすぎてねえか?(笑)。


1527の奥でやや朽ちている183系。運転台の掲示からマリ23編成とお見受けするが、183系って「総武線東京駅地下化に伴いターミナルを両国駅から東京駅へ移すため、東京~錦糸町間の地下線に対応した難燃構造と避難用の正面貫通路を備えて製造された車両」と学んだ記憶があるので、この飾り帯が上下に付いて真ん中に一本筋が入ったカオと言うのは正統派の房総特急顔に思えます(笑)。隣に置かれた113系同様カットモデルですが、ちょっと前まで千葉から先に行けば当たり前のように見られた113もあっとゆー間にいなくなってしまったな。

  

昔の丸ノ内線。特にここに置かれる事に縁もゆかりもないけど、姿がただただ懐かしい。側面の輪廻するかのごとき螺旋のサインカーブ、今の02系はプリントになってしまってるけど、昔の車両はちゃんと金属で作られていたんだよね。台車に集電靴があるかどうか見てみたんだが、どうも取っ払われちゃってるのが残念。


寝台特急日本海に使われていた24系寝台車。日本海と言えばプルマン(開放式寝台)の2両と、船の科学館で展示されていたDE10。このDE10は有明にある船の科学館で展示されていた青函連絡船「羊蹄丸」の中で保存されていたのをサルベージしたものらしい。羊蹄丸は老朽化のため、四国(新居浜だったっけかな?)に曳航されて解体されてしまった。

  

他にも先日まで銚子電鉄で走っていたデハ701と702兄弟がプラレール売り場となっていたり(子供にレール買わされるの刑)。701は走っているのも撮ったし、乗った事もあるので久しぶりです。この14~15mくらいの小型車、いかにも昭和の地方私鉄が使っていたサイズってんですかねえ、思わずジオラマ化したくなるサイズです。

  

地方私鉄の小型車と言えば、北陸鉄道の加南線や石川総線で走っていたデハ3750形、ズラリと並んだ2段小窓。かつてクロスシートでデビューした同線きっての花形車両だったそうな。「普通 野町」の表記は、北鉄が準急を運転していた名残とでも言いましょうか。関係ないけど、昔の北陸鉄道と日立電鉄(廃止)ってなんかカラーリングが似通ってましたよね。

  

北陸シリーズ続き。入口近くにある路面電車は、旧加越能鉄道のデ7000形。現在でも富山市内線や万葉線では同僚車が現役で走っておりますな。お腹の一つ目前照灯がポイント。加越能鉄道と言えば、庄川の長いプレートガーターの鉄橋を路面電車がカタンコトンと走って行く風景が思い出されるのでありますが、加賀・越前・能登と壮大なエリアを視野に入れた社名とは裏腹に鉄道事業を高岡・新港の両市に引き渡してバス会社に生まれ変わってしまいました。鶏卵牧場らしく中では生みたて卵の販売が行われております。折角なんで、我が家も1パック買って帰りましたけど。


これだけの車両を集めると言うのは、車両代がタダだとしても輸送費やその他の管理諸費を含めるとタマゴ1個ウン十円で売って果たしてワリに合うもんなんだろうかと思うのだけど、大きな規模の個人的趣味と考えればスケールの大きな夢がいっぱい詰まった展示物群でもあります。なんせ入場料無料、この日も結構近郊近在の子供連れ親子が鉄道公園宜しく遊んでいましたんでねえ。個人的にはもうちょっとお金を取ってもいいから、整備した上で公開し直してくれるとなおありがたいんじゃないかなと。いすみ鉄道に乗りに来る層には絶対にアピール出来るはずだろうから(笑)。

展示されている車両たちも、温暖な房総の里山でのんびりと余生を送れるなんて幸せなんじゃないかなあ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

確かにヨメはそう言った

2015年05月20日 23時01分31秒 | 小湊鐡道

(房の国 交換駅の午後@小湊鉄道里見駅)

えー、長々とした琵琶湖の電車の話も終わりまして、季節は新緑の季節から何だか夏めいたような雰囲気すら。先週は子供から「最近千葉のほう行ってないね!」って事でひっさしぶりに房総方面に出掛けて来ました。相変わらずの小湊&いすみなんだけど、この2つはカメラ持ってる人間には鉄板ネタっつーか手堅いっつーか、どう撮っても絵になる風景がそこらじゅうに転がっている素敵な路線です。


ひとしきり房総のローカル線を味わって、帰りに立ち寄ったのが平成24年の春改正で交換が復活した里見駅。以前は合理化のために上総牛久~上総中野を長い長い1閉塞にして運転本数も極端に少なかった区間ですが、増発によって交換設備が復活。そしてスタフ交換も復活。


「喜動房倶楽部」さんの物販があったり、交換復活により駅員さんの配置も復活したりして駅としては活気の戻って来た里見駅。圏央道の開通によって駅前からは市原鶴舞ICに隣接したバスターミナルまでの路線バスが出てたりする。房総中央部に小さな交通の結節点が生まれたようです。


シンプルなデザインながら飽きのこない端正な佇まいの小湊キハ200。長年の小湊の主力車両ですけど、もう最終増備から40年近く経ってたりする。長持ちするのも五井の機関区でよくメンテしてるんだろうなあと思う訳で。実際小湊にはこの車種しかいないんで部品の使いまわしとか整備ノウハウとか蓄積されまくってるんだろうし。


上り五井行きの運転士さんから上総中野方面のスタフを受け取り、下り養老渓谷行きの運転士さんへ。単純な作業に見えて、何気に安全な運行を確保するための最重要業務。子供とヨメはお疲れで、車の中で夢心地。レトロなスタフによる交換風景を夢中になって写真を撮っている私の後ろに、いつの間にかヨメさんが立っていた。

「あれ、タブレットの交換だよね!?」

駅を出る激しいキハ200のガラガラしたエンジン音にかき消されながら、確かにヨメはそう言った。
どこで知ったんだか(笑)。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

波止の停車場 汽笛にむせぶ

2015年05月16日 00時00分28秒 | 京阪電鉄

(夜の帳降りて@浜大津駅前交差点)

石山寺から浜大津の駅に引き返し、上栄町の「小町湯」でのんびり風呂を楽しんでいたらいつの間にかとっぷりと日も暮れてしまいました。銭湯らしい熱い風呂に入ったので、湯上りに生ビールでもカーッ!とやりたい気分ですが、一応これからハンドルを握る身なのでこれを自重。駅の周りには大して食事するところもなかったので、値段だけはそれなりの、美味くも不味くもないようなラーメンを啜って歩道橋に上がってみる。夜になっても特段人通りに変化のない浜大津の交差点を、坂本行きの電車が行く。

 

人通りは増えずともさすがにGW、琵琶湖周辺からの行楽帰りのクルマで、電車通りの京都方面は渋滞が激しく。浜大津交差点には夕方から交通誘導員の方が立って、交差点への無理な進入を止めています。このマイカー行楽客のいくらかでも京津線で京都に帰ってくれればいいのにねえ。

 

渋滞する車列の横を静々と浜大津駅へ進入する800形。夜間の軌道走行時の視認対策として、車両下部に付けられた車幅灯が光っているのがお分かりいただけますでしょうか。京津・石坂線を走る列車は警笛の音が高低2種類あるようなのだが、信号が青に変わって列車が交差点に入る時の合図のような低い警笛は、ボォ~~ン、ボォ~~ンとまるで琵琶湖を行く船の汽笛のように聞こえる。夜の少し湿ったような空気の中に響く警笛は何とも哀愁があって耳触りよく、波止場に近い浜大津の停車場に情緒を添えてくれるようです。


夜の浜大津駅を守る誘導員さんの灯火。そーいや新しくなったカメラで夜間撮影するのは初めてだな。一応感度結構上げて撮ってるんだが、以前のD90に比べればさすがに画像のザラツキが少ない。前はISO400から上でもう結構ザラザラになっちゃってたから…この日一日でかなりの枚数を撮ったので、それなりに手に馴染んできたかなと。本当ならば一泊して、明日は京都に出て叡山電鉄辺りの新緑でもと行きたいところなのだけど、ああ、かぐや姫的な刹那の日帰り旅が恨めしい。そろそろ家に帰らなければいけません(笑)。


帰りは浜大津から石山坂本線で京阪膳所へ出て、JR乗換で再び米原を目指す。帰りの新幹線は米原停車&静岡停車のひかり536号…ってこれ去年福井鉄道行った時も帰りに乗ったな(笑)。米原に停車するひかり号では東京行きの最終です。まあ静岡からはクルマ運転して自力で帰らなきゃいけないんだけど、静岡までの1時間ちょっと、疲れた目と体を休められるのはありがたい事です。

何年か前から意識して地方の中小私鉄を訪問する旅を続けて来ましたが、今回のお相手は一応京阪電鉄という大手私鉄。京阪電鉄の中でも元々京津線が京津電気軌道、石山坂本線が大津電気軌道という独立した会社であって、大正時代に京阪と合併したと言う出自からも色濃い独自性は窺い知る事が出来る訳ですけど、京津線・石山坂本線の多彩さと味わいは中小私鉄のそれに近く十分に魅力的で乗り応えがある路線でしたね。特に短い間に目まぐるしく性格の変わる京津線は面白かったので、機会あらば是非お乗りいただいてその味わいを楽しんでいただきたいと思いますね。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノスタルジック特急色

2015年05月12日 05時45分14秒 | 京阪電鉄

(昔日の賑わいいずこ@浜大津駅前交差点)

浜大津駅前交差点を石山坂本線の電車が行き交う…ものの、GWの日曜日の昼下がりにもかかわらずまるで人通りのない浜大津の駅前。交差点に面した「明日都浜大津」は、以前は京津線の浜大津駅があった位置に建てられた商業ビルですが、相次ぐ商業施設の撤退によりテナントが埋まらず、公共施設にてテナントを埋める厳しい状態が続いているそうな。大津市自体は京都・大阪方面のベッドタウンとして人口増加傾向にあるようなんですが、人口増は西大津バイパスによって京都と直結した湖西線方面や瀬田川を渡った東部の地区に限られ、JRの大津や浜大津周辺のかつての都市部は空洞化してしまっている様子。昔日の賑わいを取り戻すための「旧市街の復活と活性化」は、そのまま京津線と石山坂本線にリンクした課題でもあります。

 

石山坂本線の北の終点・坂本駅から折り返しの電車に乗って滋賀里駅へ。この辺り、石山坂本線の沿線にしては田園風景が広がっているロケーションが気になって降りてみたのだが、あいにく天気は下り坂。駅近くの田んぼにて比叡山に続く山並みをバックに撮ってみたのだがパッとせず(笑)。線路際の倉庫に貼ってあった懐かしの金鳥&キンチョールの看板でごまかしてみますw

  

駅前のタバコ屋に味がある滋賀里駅。駅に並行する道路信号の表記は「滋賀里電停」。電停と言うのは厳密に言えば併用軌道上の安全地帯に設けられる駅なんですが、まあ周辺住民にとっては石山坂本線は路面電車みたいな扱いなのかもしれません。運転間隔が長く、ちょっと待ち時間を持て余すお客さんたち。


時刻も16時を回ったところで浜大津の駅まで戻って一服していると、昼間は錦織車庫にてお休みしていた京阪特急色の603編成が出て来ました。この編成は京阪電車100周年を記念してこの塗装になったそうですが、今や京阪本線でもこの伝統のカラーリング(旧特急色)を纏う編成はいなくなってしまったので、ある意味貴重(って富山行けば一応見れるのか)。この編成に乗ってとりあえず石山坂本線を完乗してみる事にします。

 

少し疲れが出て来たのか(朝早かったからね)、部活帰りの高校生に囲まれながらうつらうつらと石山寺方面へ。浜大津から石山寺へ向かっては、大津の旧市街を右に左にカーブして、こまごまとした駅で乗客を丹念に拾いながら走ります。膳所本町から京阪石山にかけては細路地に古い長屋が軒を連ねる風景が続いていて、乗って来るお客さんも高齢者ばかり…特に瓦ヶ浜の駅の周辺は何とも言えないノスタルジックなモノトーンの空間が広がっていましたが、ここいらへんの街の再開発のしようがない雰囲気には、やや閉塞感が漂います(写真は帰り道に撮ったものです)。

  

JRの乗換駅である京阪石山で大抵の乗客が下車し、軽くなった電車は南に進路を変えて終点の石山寺駅に到着しました。石山寺はおよそ8世紀に建立された真言宗のお寺で、紫式部が「源氏物語」をしたためる際に着想を得た場所っつー伝承もある由緒正しきお寺です。もうちょっと駅に近いところにお寺があれば参拝しても良かったんだが、石山寺へは駅から約15分ほど離れた場所にあるようで。頭端型の3面2線のホームは多客時対応で乗降分離型に出来るようになっていて、何となく以前訪れた多賀大社前駅(近江鉄道)を思い出します。

 

駅は瀬田川のほとりに位置しており、道路を挟んで河原に降りてみれば、その悠々とした流れを眺める事が出来ます。流れが緩く川幅も広いせいか、カヌーを楽しむ人が多い。この辺りは近江八景に「瀬田の夕照」として名を連ねた景観の地であり、なるほど広い川面を夕日が染める風景はなかなか絵になりそうだ。惜しむらくは天気の崩れが予報以上に早くて夕日どころかポツポツ雨が降って来たと言う事実だがw

 

石山寺駅に入線する605編成と603編成の並び。正調京阪普通色と特急色のコラボレーション。子供の頃に本で見た京阪電車ってのはこの色で、鳩のヘッドマークがついていて、テレビカーで、特急淀屋橋行きって感じでしたよね。当時、本でしか見る事が出来なかった関西の私鉄で一番好きだったのが阪急の6300系で、2番手が京阪の3000形。ともに大阪梅田・淀屋橋から京都河原町・三条まで、京阪間を結ぶ2大花形車両。これに阪神電車のジェットカー、南海電車のズームカーまで押さえておけばガキ鉄としては完璧な知識だったかな(笑)。


島ノ関付近を行く特急色編成。阪急6300系とかは今でも嵐山線で走っているそうだし、機会があれば見に行ってみたいものだ。そう思うと一回泊まりがけで関西大手私鉄総ざらえの旅ってのもやってみたくなるなあ。「スルッとKANSAI」と言う便利なキップも売っていることだし…
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする