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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

冬は津軽、冬こそ津軽。

2025年03月05日 23時00分00秒 | 弘南鉄道

(春節の賑わい@中央弘前駅)

学生たちの帰宅電車で中央弘前に到着した私を待っていたのは、春節なのか日本旅行においでなすった中華系の団体客。いわゆるインバウンドというヤツが、こんな雪の弘前にまでやって来るとは驚きだが、どうもあちらの中華系の方々は「雪」を見ることが少ないのだとか。流暢な日本語を話すガイドが弘南の駅員さんと喋っていたのだが、どうやら次の電車は後方の1両がこのお客さんたちの貸し切りになるらしい。正直、この返しの電車で大鰐まで静かに一往復してこの旅の最後にするつもりだったのだが、なんだかアテが外れてしまった。いや、勿論インバウンドだろうと何だろうと大鰐線に客が乗って収入になることは何よりのことであるが、そこはそれ、マニアというのは基本、自分勝手なものだから。

先にインバウンド客を後方の車両に誘導してから、大鰐方面へ下校して行く学生たちが乗り込んでいく。時ならぬ臨時客の登場で、16:30発の大鰐行きの電車は大賑わいなのでありました。まあ、それでも千年までの間で通常利用のお客さんの大半は降りて行ってしまうのでしょうが・・・ホームに置かれた津軽こけしに明かりの灯る冬の夕暮れ、久し振りの乗客の数に、大鰐線の7000系もびっくりしているのではなかろうか。

何となく場違いな感じすらある大混雑の電車を弘前学院大前で降り、大鰐行きを見送る。冬の津軽を旅する・・・ということが、弘南電車の周りのことで全てと言う訳ではないのだろうけど、もちろん主役がこの津軽平野の地方私鉄だったのだから、大方の「やりたいこと」を果たせて満足感はある。雪の津軽とお岩木山、ラッセル列車に冬の田んぼアート、いで湯に遊び、食に学んだ二日間。いろいろと詰め込み過ぎな気もするが、やはり津軽は冬に来てこそだなあという思いを新たにしましたね。大鰐線を中央弘前まで戻り、レンタカーを返して18時前に弘前を出て、予定より1本早い新幹線で神奈川の片田舎に日付が変わる前に戻れるのだから新幹線はやはり速い。

この冬、もちろん大鰐線の廃線報道が追い風になったことも要因の一つかと思いますが、「キュンパス」などを使って青森・弘前・五所川原あたりを訪れる旅行者の方が目立ったように思います。キュンパスで仙台新潟は勿体無いし、津軽エリアは、まだ他の地域と比べて公共交通でなんとかなるエリアで、手頃感があったのでしょうな。ただ、新幹線の東京〜新青森の利用者は、飛行機の方はコロナ以前を上回る勢いで回復しているのに比べて伸び悩んでいるのだとか。今年の冬とか、弘前で160cmとか記録的な積雪になってしょっちゅう奥羽本線も雪で止まってたから、津軽側から見ると、バスで通じてる青森空港よりも新青森の方がアクセス脆弱だったもんなあ。青森空港、最強除雪隊が脅威のスピードで除雪するので就航率も高いし、飛んでしまえば雪は関係ないですから。

ともあれ、SNSに溢れる容赦のない冬の津軽の供給は目の毒である。摂取しすぎるとまた行きたくなるから、あぶないあぶない。

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指折り数え行く日々を。

2025年03月03日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(シュプール描いて@鯖石~石川プール前間)

バックに大鰐温泉スキー場がばっちりと入る、石川プール前のストレート。5年前の冬に訪れた際に、ラッセル列車を撮影した思い出の場所。大鰐線沿線に限らず、冬の雪国は「除雪している道とそうでない道」ははっきり分かれていて、当たり前ながら生活に関わらない畑の細道や行き止まりの道は除雪対象から外されて春までそのままなのだ。石川プール前のストレートは、清掃工場の道に続いていて、ちょうど撮影する場所までが除雪されているのは前と同じだった。山の上に大きな宿泊施設か、ロッジが見える大鰐温泉スキー場は国内屈指の学生スキーのメッカですが、スキー需要も縮小傾向かつ施設整備に費用がかさむこともあり、一部コースは営業を休止中。高度経済成長期に日本中で行われたスキー場開発とゴルフ場開発、ともにレジャー人口の減少に伴う後始末に苦慮している部分があって、結局外資に売却されたり、太陽光パネルが置かれたり。雪国だと太陽光パネルも置けませんのでね。どうなることやら。

平川に沿って大鰐の街を目指す大鰐線の電車。月曜日の昼間に、車内の乗客の数はポツリ、ポツリ。大鰐線の利用状況は、時間に関わらず大鰐から弘前方面の流動は極めて少なく、弘前市の市街地を抜けると、乗客の姿は両手があったら余る。弘前市内へはまずマイカーだろうし、マイカーでもなけりゃ奥羽本線に乗るだろうし、そして駅まで行かなくても居住者の多い旧羽州街道沿いには千年・石川・大鰐を経由する弘南バスの碇ヶ関線(弘前バスターミナル~道の駅いかりがせき)が走っている。弘前駅へ出られない大鰐線が競争する相手は多く、そしてそれに対抗する力はほぼ残っていない。逆に言えば、大鰐から弘前にかけての流動に対して、奥羽本線と大鰐線と弘南バスという三つの手段があるのだから、他の地方に比べれば公共交通は割と手厚いのではないかと思うフシがある。

午後になってすっかり雲に覆われた津軽、お岩木山も雲に隠れて鉛色。千年の駅に来てみました。この冬の大雪で駅に向かう道路の道幅は狭まり、うず高く積もった雪の中に僅かに付けられた道を通って、人々は駅を利用しています。住宅街の中の空き地が雪捨て場になっているらしく、狭い路地から雪を積んだ大型ダンプがひっきりなしに出て行っては戻りを繰り返している。中央弘前からやって来た大鰐行きから、僅かながらの乗客が降りて来た。大鰐線が弘前駅ではなく中央弘前へ繋がっていること、ある程度中央弘前駅周辺の商業地区が賑わっていればこそ意味のあることなんだけど、弘前の旧市街・・・いわゆる土手町周辺の衰退によって、致命的に流動に合わなくなってしまったというのが大鰐線問題の根幹にある。ここ千年駅の駅前の道路を200mほど東に行けば、弘南バスの上松原バス停から、弘前BTや弘前駅前行きのバスが10~20分に1本は走っているのだから。

大鰐線の一日を眺めていると、電車を通勤客が使っている風はほとんどなく、乗客はもっぱら沿線の中高生と、弘前市の旧市街方面へ向かう主婦や高齢者の方々の短距離の利用が中心です。午後の遅い時間になれば、沿線の学校に通っている生徒たちの下校時間に合わさって、車内も少しだけ賑やかになります。でも、一時間に一本の列車の乗客が30~40人程度ですから。鉄道の一番の特性である「一度で大量の乗客を運んで行く」というストロングポイントを発揮しているとは言えないところがあります。まだまだ第一次産業が盛んな津軽地方で、朝にスーツを着て会社へ向かう人もそりゃ都会に比べれば少ないんだろうけど、以前なら大鰐線にも通勤ラッシュがあったのかなあ。現代の地方都市で会社勤めの人って、ほぼ通勤はクルマなんでしょうね。例えば飲みに行く日でも、帰りは会社にクルマを置いて帰るか代行を使ってしまうのでしょうし。

夕暮れ迫る中央弘前の駅。土淵川の畔の1面1線、キング・オブ・郊外電車の始発駅という佇まいの名駅舎なのだが、その姿が見られるのも一応はあと三年余りとなり、指折り数え行く日々を過ごしている。ただ、あくまで三年間という期限は弘南鉄道側が沿線の高校生たちの通学の便宜を図るための猶予期間として設けたものであって、個人的には廃止表明以降あえて大鰐線を使って通学する学生たちがどこまで存在しうるのか、ということにやや懐疑的でいる。そうでなくても、昨年長期間に亘って運休したように、保線の維持は限界に来ているし、駅舎や変電所を含めた設備維持も限界を超えた老朽化を迎えているところがほとんどだろう。赦されるのであれば、地元との同意のもと「一定の役目を果たした」という結論で廃線の前倒しはあるんじゃないかなと思っていて・・・

突然のお知らせが、再びなければよいのですが。

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津軽を喰らう、これが弘前の台所。

2025年03月01日 10時00分00秒 | 弘南鉄道

(弘前の台所@虹のマート)

岩木山神社へのお参りを終えて、弘前市街に戻って来ました。これから大鰐線の午後の撮影に向かう前に、少々腹ごしらえ。弘前バスターミナルの前にある「虹のマート」。食料品を中心に色々な店が入る市場のようなマルシェ形式のような、そんな地元密着のマーケットです。方々へ出かけて行くにつれ、最近俄然興味が出て来たのが「その地域に根差した地元のスーパー巡り」。駅の物産館やサービスエリアの「お使い物」のお土産じゃなくて、地元資本のスーパーで地元の人の中で流通するような「普段使いのアイテム」を拾うのは楽しいもの。最近は素泊まりの旅館に宿泊して、風呂に入ってのんびり地元スーパーで調達したツマミで一献傾けるのが好きなスタイルになって来た。もちろん1泊2食の上げ膳据え膳もいいんだけど、どうしてもカメラを抱えているとね。夜まであっちゃこっちゃ歩いてしまうことが多くなってしまうから・・・進んで行こう旅先スーパー、進んで買おう地元の商品。

時刻は月曜日のちょうどお昼時。店内は、通りを挟んで小さな商店がひしめき合って並ぶ仲見世的構造になっていて、店ごとに色々な生鮮品や農産物に乾物、そして総菜、弁当、パンやお菓子、そして雑貨などが所狭しと並べられては積み上げられ、その中を妙齢の弘前マダムが品定めをしながら練り歩いている。事前のリサーチでは、朝から開いていて、昼くらいにピークが来て、夕方は生鮮品を売る店なんかは早めに売り切れちゃって半分店じまいみたいになってる・・・という情報を得ていたので、いつもならば線路っぱたでカメラ振り回している時間帯なんだがあえてここに来てみたのだ。乾物屋さんの目の前に立ってるだけで、なんとまあ乾物の品ぞろえの多いこと。スルメ、イカくん、むきたら、たらカワ、干しホタテ、根昆布、エイヒレ、かんかい・・・?というのはおそらくコマイのことだな。

そして見てくれこの海鮮。さすが青森。津軽海峡や陸奥湾や日本海の冬の海で揉まれた魚がそれこそ足の踏み場もないくらい並べられていて。北は羅臼のマガレイ、寿都の生カスベ、八森のハタハタ、深浦のノドグロ、陸奥湾のホタテ、ミズダコ、キンキ、閖上(ゆりあげ)のアカガイ、十三湖のシジミ、大きく太ったマダラに真っ白な白子!こっちでは「タツ」なんて言うみたいだが。エラや内臓なんかも「じゃっぱ」として売られていて、これを湯に落としてぬめりを取り、好みの野菜と味噌で炊いたのがじゃっぱ汁。冬のタラは余すところのない魚だということが分かる。ああ、クルマで来ててクーラーボックスでもあれば入るだけ買って帰りたかったけど!さすがに家まででっけえタラを丸のまんま引きずって帰る訳にも行かねえからなあ。

こちらのお店では青森の小泊産の生の本マグロ。身がきれい。青森の小泊と言えば、竜飛岬の西側の漁師町。五所川原から津軽中里の駅前を通って弘南バスで2時間くらいかかる辺境の街である。青森と言えば「大間のマグロ」ばかりがクローズアップされるのだけど、大間の対岸の北海道の戸井だったり、青森の西海岸の小泊や深浦もマグロのブランディングに努めていると聞く。「虹のマート」のいいところは、お店で買ったものを中のイートインのスペースで食べていけるところなので、一人前のパック盛りになってる刺身に目が行く。この店では、マグロもいいのだけど津軽サーモンというのが目に入って思わずこちらを一本釣り。

焼き立ての焼き魚の詰め合わせのお惣菜。これもうまそうだ。いがめんち。出来立てのものがどさっと店先に並べられた。並べられたものが、弘前の民の手に取られて飛ぶように売れて行く。あっちこっちでこう食欲を煽るロケーションばかりで、東海林さだおじゃないが「あれも食いたいこれも食いたい」になってしまう。心を落ち着けて、さすがに焼き魚の詰め合わせを食うのは一人では量が多かろうということで、焼き魚は単品モノからチョイス。いがめんちも昨日食ったけど、こちらのはこちらのでまた美味しそうだ。でも3コは多いんだよなあ・・・と思いきや、1コでも売ってくれるみたいなのでじゃあそれで。

お惣菜の店で「ホタテの炊き込みご飯」のおにぎりを買って、私の「虹のマートスペシャル」が完成。カスベの焼きもの、津軽サーモンのお刺身、大きないがめんち、そしてホタテご飯。津軽サーモンのお刺身も良かったけども、特にこん中ではカスベ焼き物が美味いわー。エイなんかあんまり美味いもんだと思ってなかったよね。身が繊維質でしっかりと噛み応えあるんだけど、例えるなら銀鱈くらい脂ある。たぶん、これで自宅に戻って近所の魚屋でたまに売ってるカスベとか焼いたってこんな味にはならんのだろうなあ。カスベってガンギエイのことだけど、エイなんかは少しでも鮮度が悪くなるとアンモニア臭くなるなんて言われますが、さすがこっちのほうで売ってるもんは鮮度が違うのか臭みなんかは全くない。身も美味しいんだけど、骨も軟骨でバリバリ食えて美味かった。大きなエイヒレみたいな味がして。まあ、エイヒレなんですけど。

津軽を喰らう、これが弘前の台所。虹のマート、末永く続いて欲しい弘前の活気あるスーパーであります。

 

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サイギサイギ、ドッコイサイギ。

2025年02月28日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(この冬の雪の多さよ@津軽大沢駅)

車両区があり、大鰐線の運転の要衝である津軽大沢の駅。ただし、駅は羽州街道の外れの小さな集落にあって、利用する人は少ないのか、駅員自体は無配置の駅です(車両区や饋電、保線関係の要員は配置されている)。駅の周りには住宅よりも新しい老健施設の大きな建物が目立っていて、雪をかぶった年季のある民家との対比は、なんとも東北の都市農村部の人口動態を表しているようで切ないものがあります。除雪用のスノーダンプの置かれた駅舎の入口。この冬の津軽の雪の多さは、過去の半世紀を見ても比べるものがないほどのもので、2月23日には弘前市の積雪深が160cmを記録したようです。これは1982年(昭和57年)の観測史上最大の記録なんだとか・・・この時すでに、駅舎の上の駅名看板が雪の重みのせいなのかひしゃげてしまっていた。この冬に起こったことなのかは分からないけど、駅の看板くらいはせめてちゃんとしておいてほしいものだ。

駅の奥の車両区では、今日の出番のなさそうな7039編成と、その隣にはED221+キ105のコンビ。今シーズンはED221の故障により稼働できず。EDのランボードも雪に埋まっているが、この雪の多いシーズンに活躍が出来ないこと、忸怩たる思いがあるだろう。そしてその奥にいるのが元東急6000系。7000系の一世代前のステンレス車両で、東急車輛としては初の量産型ステンレス車両。僅か2編成ではありますが、朝の快速運用を中心に、一時期は赤帯や青帯を巻いて大鰐線の主力車両として活躍していました。何年か前に予備車運用からも外れたらしく、車両区で撮影会をやって引退。今は錆びないボディを武器に、倉庫代わりになってるみたいですね。現在の弘南鉄道の主役は7000系ですが、その前が6000系で、さらにその前は目蒲線から移籍した全鋼製車の3600系などが使われていましたから、1970年代から半世紀以上に渡って東急OBが活躍する線区です。1970年代は輸送需要も極めて旺盛で、弘南線では1M2Tの3連を2つ繫げた6連が走ることもあったとか。

さて、津軽大沢の駅は「アップルロード」という広域農道が近くを走っていまして、弘前市内方面へ戻りがてら少し寄り道をしてみることに。農道を岩木山方面へ向かって走って行くと、どんどんとその独立峰の山容が眼前に迫って来ます。天気は晴れたり曇ったり。雲の流れが速く、岩木山の山頂も見えたり見えなかったり。津軽大沢の駅からクルマを転がすこと30分くらい、SNSで情報を教えていただいた「三本柳温泉」に来てみました。岩木山に近づくと、弘前市内に比べるとやはり随分と雪深い。建て増しを重ねて横に向かって伸びる建屋と、雪下ろし用のハシゴが屋根に向かって伸びてるのも、いかにも東北の湯治宿然とした佇まい。

広々した館内、外にはマイクロバスまであったりして、近郷近在の湯治場としても繁盛している様子。屈託のない笑顔の老夫婦に迎えられ、湯銭350円を払って向かう浴場。平日の午前中という誰もいない時間に、大浴場を独り占めできるのはなんとも贅沢なことだ。少々ぬるめの薄緑色に濁る土類系炭酸泉は浴場の裏手に湧き、湯船に引き込まれ惜しみなく溢れ出ている。キシキシ感と炭酸味を明瞭に感じる湯は、あせもなどの皮膚疾患に効能とのこと。ゆったりと湯船に頭を預けて微睡に至る。三本柳温泉の由来は、岩木山にお参りを重ねていた村人の夢枕に立った薬師如来が教えた場所に行ってみると、延命地蔵と柳の木が三本立っていて、そこに湧いていた湯であることからこの名前になったのだとか。全国各地の温泉は、1.動物や鳥が湯浴みをしてて見つけたパターン、2.誰かの夢枕に神様や仏様が現れたパターン、3.行基か弘法大師が杖でつついたパターンの三つのうちのどれかだと思っているのだが(大雑把だな)、ここは「2」の夢枕パターンであるらしい。

温泉のあとは、そんな私にも神仏のご加護があることを願って岩木山神社に来てみた。「いわきさん」じゃなくて「いわきやま」神社なのでご注意。それこそ、津軽の民の信仰を一手に集める霊峰・岩木山の麓にある由緒正しき神社。岩木山神社と言えばお山参詣「サイギサイギ」ですよね。神の前で自らの愚行を悔い改め、この呪文のような文言を唱えることで信仰の山と一体化し、五穀豊穣家内安全無病息災を祈るという。ちなみに「サイギ」とは「懺悔」のことです。思い付くだけでもいくつものサイギがある私めが参拝するに相応しい神社と言いましょうか・・・

雪で凍った参道を慎重に踏みしめ、朱塗りの楼門の脇を通って拝殿に至る。参拝をする人の列に並びながら、お山参詣の祝詞を唱えてみる。サイギサイギ(懺悔懺悔)ドッコイサイギ(六根懺悔)オヤマサハツダイ(御山八大)コンゴウドウシャ(金剛道者)イツニナノハイ(一々礼拝)ナムキンミョウチョウライ(南無帰命頂礼)。この祝詞は、りんご娘の「サイギサイギ」という曲を聞いていると自動的に覚えられる。岩木山神社のことを調べていてりんご娘にたどり着くという、そういう学習効果が最近の検索エンジンには備わっている。青森にいる間、レンタカーでずっとFM青森とか青森放送ラジオを聞いていたのだが、彼女たちは地元のロコドルというにはあまりにも浸透し過ぎていて、ラジオ、テレビ番組、CM、リクエスト、自治体、献血、道路公社と何のメディアにも関係なくホントよく出て来るんですよね。特に弘前周辺が圧倒的に強い。一時期新潟行くとそういうイベント系に花を添える役割がNegiccoばっかだった時期があったように思うのだが、そういうローカルアイドルの一番の成功例なのではないだろうか。

テレビを見ていると、青森に来るたびに東京とだいぶ毛色の違うタレントが起用されているように思う。そんな「メディアキャラクターの違い」も地域性か。
あべこうじがこんなに重用されるのって、青森県だけだと思うんだよなあ(笑)。

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銀鱗踊る高架橋。

2025年02月26日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(生徒たちを待つ@義塾高校前駅)

沿線最大の教育施設である東奥義塾中学校・高等学校。弘前藩の藩校を出自とした、青森県でも有数の名門私学。その最寄り駅になっているのが義塾高校前駅。リンゴ畑の中に簡素なホーム一面の小さな駅ですが、朝は通学してくる学生の対応のためか、係員配置の時間があるようです。東奥義塾が弘前城址に近い場所から郊外の地にに移転してきたのは昭和62年のこと。義塾高校前の駅はそれに呼応する形で通学の便宜を図るために開設された駅ですが、学校の移転と駅の開業により、前年に比べて通学定期の輸送人員が年間15万人も増加。弘南鉄道的にも大きな需要の創出だったのではなかろうか。もっとも、昭和62年当時の大鰐線の輸送人員はピークアウトしていたとはいえ年間250万人を確保していたのだから、今となっては隔世の感がある。

義塾高校前~石川間の石川高架橋で行き交う朝の電車を。鉄柵のないプレーンな古めかしいコンクリートのガーター橋は、東急7000系の最大の特徴であるパイオニア台車の外付けディスクブレーキを光らせるには打ってつけである。朝の眩い光に銀輪を躍らせた後は、岩木山バックを狙いに高架橋の石川詰めの踏切から大鰐行きの電車を狙ったのだが、先ほどは見えていたお岩木山がみるみる雲に絡め取られて大失敗。電車にはしっかりと太陽が当たっていただけに勿体ないことをしてしまった。それにしても大鰐線の7031編成、「HIROSAKI RENGA STORY」と題して中央弘前にあるレンガ美術館のラッピングをしているのだが、車体正面上部にレンガのアーチを描くデザインがちょっと奇抜すぎやしないかと(笑)。

折り返してきたレンガ編成を石川駅で。石川駅、かつては「新石川駅」という名前だったのだが、JRの石川駅と混同を避けてのことだったのだろうか。なんか神奈川県民なので、新石川なんて言われるとたまプラーザとかあざみ野辺りの地名(横浜市青葉区新石川)を思い出してしまうのだが、そういう意味では東急繋がりと言えないこともない。鯖石駅に続いてこの駅も右側通行だね。大鰐線の交換駅、中央弘前側から弘前学院大前・千年・津軽大沢・石川・鯖石とあるのだが、石川と鯖石は右側通行で他は左側通行になっている。ここらへんの「決め」はなんか理由があるのかな。そういう謎は分からないまま、運行は終わってしまうかもしれないが・・・

ちなみに現行ダイヤでは、大鰐線の列車交換は休日が津軽大沢のみ、平日は71レ・72レの運転により、津軽大沢に加えて弘前学院大前1回(7:48)・千年1回(8:10)・鯖石2回(7:25・8:30)の交換があるので撮影の参考にされたい。わざわざ各駅に分散させるのも、交換設備の作動点検がてら、という感じもあるのだが、そう考えると現行ダイヤは石川の交換がないな。前のダイヤの時は朝に1回だけ石川交換があったんだけど。

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