青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

牡蠣食えば 電車が通る 昼下がり

2020年02月29日 13時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(房前の鼻の高台に@道の駅「源平の里・むれ」)

房前の鼻の高台にある道の駅。元々公園だった場所に併設されているようです。今や全国に道の駅がありますから、どこの道の駅も地産地消だとか地場産の食材を取り入れて特徴を出していますね。ここの道の駅もご多分に漏れず、地元の志度湾で上がった魚介類を食べさせてくれる漁港直営の食堂があるという事を聞いていました。開店が11時なので、房前の撮影地から上がって来た時間的にはちょうど良いなあと思っていたんだけど、店内に入ったら開店前から長い長い行列が・・・ぬかった。今日は土曜日だった。店内のおばちゃんに見通しを聞くと、「土日は1時間くらい待つ事もあるんですよ」とか言われてしまったんで残念。並んでまでメシ食うならその時間を撮影に回したい。「食堂で出してるものでお弁当になっているのもあるんで、よろしかったらどうぞ」という事で、弁当買って公園で食べることにしました。

道の駅の裏は広場のある公園(房前公園)になっていて、そこには志度線で走っていた琴電の旧型車両が保存されていました。琴電3000形の335号。説明板を見ると大正15年の琴平電鉄開業時に日車で作られたクルマってことで、仏生山で動態保存されている300号と同じグループ。栄えある「琴電」の一期生という事になります。平成18年の末に引退して、平成19年からここに置かれているそうなのだけど、屋根も付けられているし、塗装もきれいだしで凄く良い保管状況。地域の足代わりになって働いてきた車両として、大事にされているんですね。

オリーブ色のモケット、現役で走っていた頃の中吊り広告をそのままに、小口の流麗な窓枠と吊り革が並ぶ端正なデザインの車内。下の取っ手でガバッと外して下に落として開けるタイプの窓だ。この手の窓って指挟むんだよなあ・・・(笑)。つい10年前まで普通に現役だったせいか、適状レストアされていてそう古めかしい感じもしない。それでも運転台の上の微妙につけられた屋根のカーブとか、白熱球とか、握りポールとか、そう言うところはネイティブな大正ロマンに溢れていて魅力的だなあ。

クラシックカーらしいシンプルな運転台。ドアの開閉スイッチが運転室の窓の下位置につけられているのですが、昔の電車ってこんなタイプよね。剥き出しのブレーキ管がついたブレーキハンドルにウエスチングハウスの主幹制御器。それにしてもシンプルというか狭い運転台である。日本の路面電車の中には古い車両でこういうせせっこましい運転台がありますけど、窮屈でしょうがないのではないか。当時の日本人の体格を考えたら大きさもこんなもんなんだろうかとも思うけどねえ。小学生の子が車内で遊んでいたが、彼らくらいの体格でちょうどいい感じ。

ひとしきり保存車を見学した後、車内は飲食禁止なので公園の高台のベンチに座って弁当を広げる。大ぶりのカキが2コ乗った醤油味のカキ炊き込みご飯にカキフライが2コ、あとはキャベツとひじきとキンピラ煮。これで400円なんだから充分充分。志度湾のカキは味が濃くて、流通のためにパックの塩水に浸かったカキは味が抜けてるんだなあと感じるよな。カキフライも2コだったけど美味しかった。もう2コくらい食いたかったけど(笑)。ごちそうさまでした。

どこまでも凪の瀬戸内の海を見晴るかす高台のベンチ。瀬戸内の小島と遠く小豆島が見える。カキ弁当を食べ、食後のお茶を飲んでいると、目の前の房前の鼻を志度行きの電車がすーっと通って行く。海を見ていた午後であればソーダ水の中を貨物船が通るのだが、海を見ていた昼下がりは、「おーいお茶」の向こうを、ことでんが通るのでありました。

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潮澄みて 房前鼻の 空蒼く

2020年02月28日 23時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(走れ仲間の元へ@大町駅)

屋島を後に、八栗寺の麓を抜けて志度方面へ歩みを進めます。朝のラッシュ時には折り返しの電車も設定されている大町駅の交換風景を。駅を見渡す踏切脇の郵便局から望遠で抜いていたのですが、私の横に待ち合わせをしているらしきサッカー少年が何人か。構内踏切の遮断機が上がって、瓦町行きから降りてきた少年がこちらの方にダッシュして来ました。土曜日の練習、待ち合わせに遅れずに合流出来たかな?普段着の志度線の風景です。

大町からは志度街道(国道11号)に沿って走る志度線。タテ型丸目の前照灯が特徴の、東山線の初期型車両。高松の市街からは離れ、周辺には住宅に混じってだんだんと田園風景が増えて来ます。八栗新道から塩屋の間にかけて、街道と志度線を跨ぐ歩道橋から俯瞰すると、冬の乾いた風景の中にひときわ目立つ菜の花の黄色。住宅街の向こうには瀬戸内海が青く見えますが、ここから志度にかけてが、志度線の車窓の一番のクライマックスになります。

国道からわき道に逸れ、穏やかな志度湾の漁港を通り抜けて、海岸沿いの堤防にやって来ました。志度線は塩屋を出ると志度街道をやや離れ、志度湾に突き出た「房前(ふさざき)の鼻」という小さな岬をぐるりと回って行きます。後ろには突兀とした姿の八栗山、澄んだ瀬戸内の波打ち寄せる浜辺をすれすれに走る電車の姿は、昔々から志度線随一の景勝の地として多くの人に愛されています。過去の作例を見ると、昔は海に面したフェンスがなくてもうちょっと電車と海の見通しが良かったようですが、それでも志度線と言えばここ!というシャッターポイントであることは、昔も今も変わらないようです。

電車は海岸沿いの急カーブを、くの字に編成を折り曲げながら大きなフランジ音を立ててゆっくりゆっくりと回って行きます。波よけのフェンスがちょっと高いので、構図作りはやや難しい。なるべくフェンスを避けるようなハイアングルで、琴電志度行きの3連を電車がお天道様を正面に見たところでパチリ。スピードが遅いので、手持ちならアングルを動かしながら何カットか撮影することも可能です。青い海に青い空、瀬戸内の島々、遠く見えるは小豆島。そんなロケーションの中をピンクの小さな電車が走って行く光景。色んな人が色んな作品を撮影した名撮影地ですから、自分ごときの一枚なんぞ凡庸の極みでしかないのだろうけど、それでも「ああ、いいなあ!」と思わずひとりごちてため息の漏れる房前のひと時であります。

10分おきに上下の電車が行き交う房前界隈。風もなく暖かい冬の日差しの中、列車の通過を待っては撮影し、列車の合間は少し高い堤防の上に座って、缶コーヒーを片手に海を見ながらボケーっとしている至福の時間。ちょっと強めの磯の香りがするのに気が付いたのだが、房前の漁港の片隅にはうず高く積まれたカキの殻の山があって、そっから漂ってくるようだ。志度湾はカキの養殖も盛んで、シーズンになると漁港の近くにはカキ小屋なんかも出ているらしく。カキを食うには冬のいいシーズンでもあるし、個人的にはカキフライとかカキご飯とかすごく好きなんだけど、あいにく我が家の人たちはカキには何も興味を示さない。ので、食べたい場合は自分で食べに行くしか方法はないのである。

幸いなことに、この「房前の鼻」を見下ろす高台には、「源平の里むれ」という道の駅がある。そこのレストランでも行けばカキの何かしらは食えるだろと。前の日から讃岐うどんばっかり食べてたから、そろそろコメが食いたい。ソースたっぷりつけたカキフライでアツアツのメシをがっつくなんて最高じゃないですか。おりしも時刻は11時、デンシャを撮ってばかりでも腹が減るときは減る。少し早いけど昼飯にしよっかな。

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山麓に 諸行無常の 響きあり

2020年02月26日 23時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(時は流れて残酷に@屋島登山口駅跡)

琴電屋島駅から正面の道をまっすぐ300mほど登ると、突き当りに町内会館があるのですが、その裏に回ると簡単にアクセス出来る屋島ケーブルの屋島登山口駅跡。廃線跡を巡るためにはもうちょっとアプローチというか導入部分に物語があってもいいのかな、とは思うのですけど、いともあっさりと探訪出来る「廃」な物件です。本当は町内会館の場所に駅舎が立ってたという事なんですが、やや広い建物の土台以外に往時を偲ぶものはありませんでした。錆びた鉄骨で屋根掛けされたホームに、ケーブルカーの廃車体がそのまま残置されています。

ケーブルカーの廃車体は、少し前まではそこそこ保存状態も良かったように聞いているのですが、現在は御覧のように窓ガラスを割られ荒れるがままの状態で、逆にこのまま置いておくくらいならさっさと撤去したほうが防犯上も良いのではないか、と訝ってしまうようなありさまになっています。車体の色は何だかぼんやりした緑色なんですけど、現役当時は赤白のカラーだったようです。引退してからしばらくしてこの色に塗り替えられてしまったのだそうだ。錆止めなのだろうか。

枯葉降り積もる屋島登山口駅のホーム。ホームの様子もおそらく営業当時のそのまま。ケーブルカーは1両かな、と思いつつよくよく見てみると、連結面が板で塞がれていて2両が置かれている事が分かります。以前は山上駅と登山口駅にそれぞれ1両ずつ置かれていたのが、劣化によるケーブルの破断や災害時の落下を防止するため、山麓に降ろされたそうです。そりゃそうだよなあ。ホームの錆びた駅名票もそのまま。山上駅までは800mだったんだねえ。運賃は廃止時で片道700円、往復1,300円。

ホームの脇にあったケーブルカーの変電設備。古びた板張りの建物は、絶対死神博士とか住んでそうな外観である。夜とかちょっと近づく気にはなれない。中で改造人間でもこしらえていたらどうするのかと思いつつおそるおそる中を覗いたところ、そこは乾いた計器類の置かれた機械室であった。当たり前だ。

車体のガラスが割れるがままに荒らされていたので、その隙間からケーブルカーの車内を見る事が出来た。特段の変哲のないオーソドックスなケーブルカーではありますが、少し横幅が狭いかもしれない。これで15分間隔の運行と言う事ですから、繁忙期の混雑時はそこそこ待つ時間もあったのではないでしょうか。それとも、下火となった屋島観光の輸送であればこのくらいでも間に合っていたのか。

草生して自然に還りかけている屋島ケーブルの線路。山上駅までは265mの高低差があったそうだ。登山口駅は取り壊されていますが、屋島山上駅には開業当時からの雅な駅舎がそのまま残されていて、今もその手の廃なモノがお好きな方々が訪れているようです。レンタカーなんで行けたっちゃ行けたんだけど、今回の「ことでん探訪」の趣旨からはちょっと外れてしまうので行きませんでした。

ケーブルカーの駅跡を降りて、屋島駅東側の踏切で改めて屋島の山を見上げる。今の屋島周辺の状況は、昔日の栄光を知る人には寂しく映るんでしょうけれども、どんな観光地でも安定的な集客を続けていくことはそう簡単な事ではありません。源平の合戦の舞台であればこそ、「諸行無常の響き」があり、「たけき者も遂にはほろびぬ」という平家物語の一節が身に沁みますな。それでも近年は山上へ向かう有料道路が無料化され、高松の街の夜景を楽しむデートスポットとして屋島の価値も再評価されているみたいですけどね。

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思い出を 屋島の山に 刻む道

2020年02月25日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(青空の沖松島@松島二丁目~沖松島間)

高松市内を流れる、御坊川という川のほとりを行く800形。速度としちゃあ25km/hくらいでしょうか、道路と住宅街に挟まれた急カーブを、車体を倒し車輪をキイキイ軋ませながらゆっくりと駆けて行くピンクの電車。志度線で運行されている列車は2両編成の場合と3両編成の場合がありますが、3両編成の場合、週末は「サイクルトレイン」として日中~夕方の時間だけは瓦町側の1両に自転車の持ち込みが許可されているそうです。

スッキリと晴れ渡った高松の冬の青空。志度線の沖松島から潟元にかけては、高松市街から瀬戸内海に流れ込む大小の河川が作るデルタ地帯を次々に渡って行きます。新川を渡る600形。昔は足元のスッキリ見えるガーター橋が連続していて志度線の名撮影地だったようですが、現在は橋が改修されておおよその橋がPCコンクリート橋になってしまいました。強靭性と耐久性は比べるべくもありませんが、撮る側からの意見としてはガーター橋のほうが、ねえ(笑)。

相引川のPC橋を渡って、屋島の山をバックに瓦町に向かう800形。3両編成は600形2連の瓦町側に800形1両を増結して組成していますが、15m半の車両2連では、さすがに平日の朝のラッシュ時などは客を捌き切れない部分もありそうですね。琴平線にも長尾線にもこの元名古屋市交OBは導入されていますけど、あくまで朝ラッシュの補助車的な扱いで、やっぱり主役を張るのはこの志度線ということになりましょうか。

高松市街に聳える屋島の最寄り駅として建つ琴電屋島の駅。大きな明かり取りの窓が付いた洋風の建物は、近代化遺産に認定されています。屋島の山頂付近には、四国八十八箇所霊場の第八十四番目の札所である屋島寺や、新屋島水族館などの名刹・レジャー施設が集まっており、山上の展望台(獅子の霊巌)からは瀬戸内海と高松の市街を一望の下に置く事が出来ます。駅は2面2線の相対式ホームと、その外側には電留線がありました。早朝深夜を除いて、志度線の電車はここで列車交換を行います。

東讃電気鉄道の屋島駅として開業した当時から、文字通り屋島観光の玄関口であった琴電屋島の駅。1960年代には山頂まで通ずる屋島ドライブウェイが開通してマイカーに客足を奪われたこと、そして近年は屋島観光自体が衰退したこともあって、今は周辺住民の通勤通学利用が中心のように思えます。それでも待合室のベンチに座って見上げれば、角の折り込まれたピンクの高天井に吊り下げられた小さなシャンデリア的な照明器具の洒脱な作りと、明かり取りの窓から差し込む柔らかい光が、昔日の賑わいの時を瞼に蘇らせてくれるようです。

琴電屋島の駅前から、眼前に聳える屋島を望む。おそらく観光地として栄えていた時代は、この駅前通りに土産物屋や飲食店などが並んでいたのではないかと思われますが、今はお遍路さん相手の小さな旅館の看板が目に付く以外はひっそりとしたもの。駅前には、屋島山上へのシャトルバス乗り場があって、日中1~2時間に1本の間隔で運行されています。2005年までは、この駅前通りをまっすぐ200mくらい行ったところに「屋島ケーブル(屋島登山鉄道)」の屋島登山口駅があって、山麓から屋島山頂の南のピークを結んでいました。屋島の山をよーく見ると、駅前通りの延長線上に植生の切れている部分が分かりますでしょうか。おそらく、屋島ケーブルはあそこを通っていたんでしょうね。

屋島ケーブル自体は既に廃止されて15年が経ちますが、事前の情報によると、まだ車両や設備はそのまま残されているらしい・・・という事で、屋島ケーブルの遺構を見学したく、山麓にあった屋島登山口駅の跡地へ向かってみることにします。

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朝日燃ゆ 玉藻石垣 水鏡

2020年02月24日 10時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(お堀端リターンズ@高松築港~片原町間)

志度線の探索に出掛ける前に、カメラのクイックシューを忘れたことに気付きホテルに戻る。改めて沿線に展開しようとレンタカーを走らせると、ようやく昇った西国の遅い朝日に高松城の艮櫓が輝いています。前日はお堀の南側から撮ったけど、角度を変えて内側から撮影したらどうなるか・・・ちょっと寄り道して座を構えると、お堀の水に艮櫓が映って見事なシンメトリー。乗客まばらな土曜の朝の下り電車が、音もなく通過して行きます。

お堀端の渡り線を行く長尾線の電車が行きつ、戻りつ。城跡の石垣にもきれいな朝日が当たり始めました。前日よりも天気が良さげで、これは撮影行にも期待が持てます。平日は渋滞していたお堀端の道路もクルマは少なく、極めて細かくちりめんのようなさざ波が揺らすお堀の水は、瀬戸内海から引き込まれた海水。高松城は、お堀に海水を巡らす「海城」として有名なのだそうで、目を凝らすと、小さな魚のようなものが泳いでいるのが見えました。

片原町。「瓦町FLAG」をバックに、京急1000形先頭の築港行き4連がやって来ました。ことでんでは平日朝のラッシュ時だけでなく、土日でも数は少ないながら4連の運用を見る事が出来ます。ただ、地方私鉄を探訪する時は、やっぱり平日有給取って朝から輸送力列車をバリバリ撮影やらんと意味がないよなあと思ってしまう(個人の感想です)。

再びお堀端へ。あっという間に築港駅で折り返してくる琴平線の4連。折り返しは元京王5000系を先頭にした滝宮行きです。元京王5000系の1100形の中には1編成だけ尾灯がないタイプが存在するのですが、お腹の方向幕もLEDに換装されているのがどうにも異端児っぽい。車両の前面のデザインにおいて「尾灯のある・なし」は見た目の印象に大きな影響があって、元京王の車両なのに何だか小田急のエッセンスが添加されたような顔付きになっています。

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