青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

水の色 里の風吹く 只見線 

2008年06月29日 22時22分23秒 | 日常
(画像:会津川口駅にて)

会津川口駅ホームに佇む428D列車会津若松行き。
この列車は、9:40に会津川口に到着した後、12:33に折り返しの会津若松行きとして発車するまでの3時間を、ただただホームで過ごしています。
都会とはあまりにも違う悠長な時間の使い方が、只見線には許される。

六十里越を堪能した後は特に予定がなかったので、徹底的に只見線を撮ってみました。
只見線の本数自体は全線通しての運転が3往復、区間運転を含めても全線で8~9往復と極端に少ないんだけど、速度がゆっくりなもんだから車があれば普通に走っても何度か先回りが効く。主に只見川に沿って走る風光明媚な辺りを狙って2往復してみました。

●挑む者、越えた者(大白川駅)
山並み連なる雲間からのぞいた朝日が列車を照らす。
ヤマを越えて来た列車と、これから挑む列車が、早朝の大白川で交換。
●辺境の峠を往く(大白川~田子倉)
六十里越新潟側Sカーブで。エンジン音も排気の煙も力強く登って行く426D。
ちょっと露出失敗してカオが白トビ気味になってしまった。
●山・水・列車 それぞれの緑色(田子倉駅)
一雨ごとに緑の濃さを強める山と、山の緑を溶かしたような深緑の田子倉湖。
その間を取り持つように、濃淡のグリーンを纏ったキハ40が走る。
●残雪の浅草岳(田子倉~大白川)
残雪すら消えようとしている浅草岳の下を行く425D小出行。
トンネルは六十里越トンネルの福島県側坑口。
●造形美(会津蒲生~会津塩沢)
ピラミッドのような蒲生岳と只見川第8橋梁が、流れの止まった只見川に映る。
列車は来なかったけど、自然物が人工的に美しく見えるって事もあるんだねえ。
●穂波輝く奥会津(会津中川~会津水沼)
ベンガラ色の切り立った屋根が特徴的な奥会津の農村。
青々とした穂波の海の中を、ゆっくりと列車は会津若松へ向かいます。
●湯上がり美人?汽車に乗る(早戸駅)
この駅から歩いて15分の所にある「早戸温泉・つるの湯」は奥会津の新名所。
湯上がりらしきタオルを持ったおばさんが2名乗車。
●橋の博物館(会津越川~本名)
只見線の橋には本当にいろいろな形があって、橋の博物館とも思えるほど。
路面の下部トラスが重厚な只見川第6橋梁は、本名ダムの発電所の上を渡る橋です。
●水面、ゆらめき(会津川口駅)
会津川口駅付近で只見川に注ぐ野尻川の合流部を行く。
午後になって雲の出て来た会津地方、ゆらゆらと水面に映る影も弱め。
●水の駅(会津川口駅)
只見線の中間地点にある会津川口駅は、真横に只見川を望む水辺にあります。
上下列車の交換待ちを使って、長旅の客もホームで深呼吸。
●ひまわりとさざなみの中を(会津川口~本名)
すっかり雲の広がった午後の奥会津に、道端のひまわりだけが明るさを添えて…
さざなみ立つ只見川の第5橋梁は上部トラス付き。小出行が静かに渡ります。
●旅に出ようよ(会津中川駅)
湧き立つ白雲の下のホーム。何もないけど、それがいい。
こんな風景に、只見線の旅が魅力的な理由があるような気がする。

美しき水辺の風景。奥会津の農村風景。とても情緒的で穏やかだと思います。
只見線が「鉄道風景写真の聖地」と言われるのも、むべなるかな。
コメント (1)
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終の棲家とするならば

2008年06月29日 12時17分10秒 | 日常
(画像:奥会津の空)

もし、人生の諸々が終わってケリが付いたとするなら…
終の棲家は、このあたりに構えてみたいですね。
最近の関東甲信越(南東北含む)は新規開拓じゃなくて、好きな地域にリピーターとして訪れる事が多くなったけど、この奥会津地方もそんなお気に入り地域の一つです。

横浜~R16~圏央道あきる野IC~関越湯沢IC~R291~R252~r352~r153~R289~R401~R352~R121~R400~R4~北関東道宇都宮上三川IC~首都高S1から帰還し走行距離830km。だいたい走った事のあるコース。つか、奥会津の取り付きまでは3月の山古志行きとほとんど同じだしな(笑)。
本来であれば東北道から塩原~山王峠~田島回りのほうが近いんだけど、今回の奥会津訪問は小出側から攻めてみた。久し振りにR252六十里越を走りたかったんでね。5月~10月の半年しか開いてないから、モタモタしてると行く機会をなくしちゃうんだよなあ。関東甲信越ドライビストとしてはここと志賀草津道路は年イチくらいで走っておきたいトコ(笑)。
自宅を23時に出て、仮眠を取りつつドライブ。この時期は4時くらいから夜が明けるのでいいなあ。六十里越のスタートになる新潟県側は魚沼市の大白川集落に到着したのは午前6時。大白川駅の自動販売機で缶コーヒーを買い、峠道を登り始める。

<六十里越でGo!(新潟側)>
●破間川に沿って
大白川を出てから、R252は破間(あぶるま)川の支流に沿ってしばらくは右に左に只見線の線路が寄ったり離れたりしながら走ります。朝の始発が走る時間を狙って朝の一本を記念撮影。朝日がまぶしいぜ。
●屋根付き街道
谷を詰めた場所から只見線は六十里越トンネルに入り県境へ向かいますが、R252はこれからが本格的な峠道となり、スノーシェッドが連発する急な上り坂となります。こっから只見までとにかくスノーシェッドだらけでいくつあったか数え切れなかったんだけども、20~30箇所はあったか?そんだけ雪崩が凄いんだろうけど…この道の愛称が「雪割り街道」と言うのは初めて知ったな。どっちかと言えば「屋根付き街道」だが。
●費用対効果は…
大白川からだいぶ登った。送電線はこの峠の向こうの田子倉湖から繋がっている水力ダム用のもの。半年は雪に閉ざされる→雪崩で道路崩壊→春から補修工事→半年は(ryの無限地獄のため、道中の保守工事の多さはハンパではない。いたるところで片側交互通行が行われていて、その度に簡易信号が置かれているのだが、待ってても向こうからあんまり車は来ませんwもちろん工事の費用対効果にも触れないのがオトナと言うものです。
●六十里越トンネル
登り切った所で六十里越トンネル。全長788.5m。そんな長くない。写真は新潟側坑口で、トンネルの前に広場があり駐車可能だったので、おにぎり記念撮影。六十里越の尾根を見ると、山霧が尾根を越えて新潟側に降り注いでいた。「まるで…天空の滝のようです…」とひとしきり自分の中に立松和平降臨。まあそのせいでポロシャツ一枚の自分はメッチャ寒かったがw

<六十里越でGo!(福島側)>
●国境の長いトンネルを出ると…
そこはスノーシェッドの中でしたw
福島側の坑口がそのままスノーシェッドに繋がっているため、何とも出口のあいまいなトンネルだなあ。
●万里の長城
スノーシェッドを出ると、道は田子倉湖を望む浅草岳(1,586m)へ連なる山腹へ出て来る。振り返れば、今まで抜けて来たスノーシェッドがまるで万里の長城のようだ。この辺り、スノーシェッドによって寸断された沢筋が天板の上を流れており、5月の開通直後は雪融け水が滝のようになってシェッド内から見えることもしばしば。
●田子倉湖眺望
道は次第に眼下に広がる田子倉湖の大パノラマを見ながら、等高線に沿って徐々に山腹を下って行く。深い緑の湖水を湛えた田子倉湖を大上段から見晴るかすこの風景が「日本百名道」に選ばれていないのが不思議でしょうがない。作者はモグリか?wちなみにあんまり運転中に見とれていると申し訳程度にしか作られていない路肩から即死ねるので注意はして欲しい(笑)。
●角栄碑(それと微妙に俺&愛車)
この道を作ったえらい人。「会津の窓を開く 六十里越峠開道記念碑 内閣総理大臣 田中角栄」と言う文面が刻み付けられている。この碑がある場所は田子倉湖を見渡すちょっとした展望台になってます。角栄碑からの景色はこんな感じで、緑の色が混在して織り成す絶景に、夏を前にしたこの時期に名残の雪渓がアクセントってトコでしょうか。
●田子倉駅
大白川の先でお別れした只見線は六十里越トンネル(6,359m)と田子倉トンネル(3,712m)で六十里越を越える。その2つの長大トンネルの切れ目のほんの僅かな部分にあるのが田子倉駅。大白川の集落から只見の集落までの約20kmに集落どころかそもそも目視では民家すら認められないと言う「ダムと山に囲まれて王手がかかっちゃった」ような辺境のど真ん中にある田子倉駅は、12月から3月末まで営業休止となっておりまして、そもそも駅前通りのR252は11月から4月末くらいまで雪に閉ざされてるのだから、この時期は完全に詰み(笑)。行きようがないわけだ。そもそも駅の形からして駅に見えないwスキー場の作業小屋ですか?この辺りはあまりにも雪が酷すぎて、駅は丸ごとスノーシェッドにすっぽり覆われたホームはとにかく陰気臭いのだが。ホームでFOMAは使えるらしいw遭難対策か?
そんな田子倉駅を見学していると、老夫婦がホームに降りてきたのはビビッたw聞けば峠向こうの大白川の人で、7時の若松行きで田子倉へ来て湖で釣りをし、9時の小出行きで大白川に戻るそうだ。確かに峠を運転して越えるより楽だろうからなあ。夫婦曰くこの時期は渓流釣りと山菜取りの需要はあるようだが(笑)。
●先祖の土地と引き換えに
道は田子倉湖畔に落ちる松淵山、芋巻岳をトンネルとスノーシェッドで巻きながら徐々に湖面近くへと降りて行く。六十里越トンネル出口が標高750m、湖面が標高510mくらいだからおよそ240mの下り。ダムの堰堤に近い場所に「若宮神社」と言う神社があり、このダムに沈められた田子倉集落の詳細が記載されていた。展望台から見た田子倉湖、この湖面のどの辺りに集落があったのかは知るよしもない。
●ラストスパート
田子倉ダムの堰堤を見ながら、最後はつづら折れのカーブを一気に降りる。田子倉ダムの発電用放水を緩衝するために作られた只見湖を眺めながら走れば只見の街はもうすぐ。ゆっくりガッツリ六十里越えを楽しんでいたら、大白川から1時間半近く掛かってしまった(笑)。

只見駅前に到着。お疲れ様でした。
大白川~只見まで約20kmは1里=3.93kmとしても全然六十里もない訳であるが、それでも昔は「それくらい長く感じる大変な峠道」と言う事実を距離で表した事が名前の由来らしいですね。

奥会津のお話は、後半戦に続く。
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チャレンジ5万キロ

2008年06月29日 00時47分18秒 | 日常
(画像:50,000km達成)

新車から3年弱で達成。早いか遅いか。
つか、今日はこのガソリンの高いさなかに830.4kmも走行してしまうと言う贅沢をやらかしてしまったので少々お疲れ気味。だってまた来月からガソリン上がるとか言うんだもん。

ちなみに達成した場所は○○県○○市です。
正解の方にはガソリン1万円分差し上げます(笑)。
830.4kmの顛末に関しては、明日以降。
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弊害

2008年06月27日 21時54分13秒 | 日常
ボビー最下位でも続投、首脳陣方針固める(日刊スポーツ)

最近野球の記事なんてあんま見ないから2日前の記事なんだけど、ちょっと早すぎやしませんか。
いや、代わりが今のところいないというのは分かるんだけども。
最近、完全に長期政権の弊害ばかりが目立って来ているので…

今日も一応大宮の試合(大宮開催ってのも珍しいな)見てたけど、何とも選手が淡々としてるよなあと。
まあ、もちろん監督の責任だけじゃなくて選手の働きに問題があるのも確かなんだけど、どの選手も「2年続けられない」と言うあたりが、基本的に先発は球数制限、野手は日替わりで頻繁な休暇付きなんて采配をやってるうちにみーんな「慢性的な体力不足」になってしまったような気がしてならないのよね。

>選手の個性を生かした指導法や、メジャー流のきめ細かいファンサービスで、
>昨年は球団史上最多の154万人の観客動員を達成。
>人気、実力両面での手腕を高く評価しており、今後も期待を寄せている。

確かにスポンサーを引っ張ってくる能力とか、世間的な押し出しの強さは変えられないものだけども、結局異端なやり方がカンフル剤として機能したのは2~3年だったね。ようは日替わり采配で本気で筋の通った中心選手を作らない彼の采配では長期的に安定したチーム作りと言うのは難しいと言うのが結論です。弱くなってもあんまり客は減ってないと言う部分では、フロントは合格点なのかもしれないけどね~。

強くなる事と引き換えにネタの部分がそぎ落とされても納得はしたけど、なんか今の状態は笑いもないし強さもないしネタっ気もないし、中途半端だなあと思う(笑)。
黒木を抜かすと武藤、礒、薮田、後藤、クロフォードとかで最下位とは訳が違う。
そん時と違って異様に選手その他にカネ掛かっちゃってるしw

だからってねえ。

こう言う事を「球団の企画」でやろうとしてる所が、なんか違うんだよなあ。
折りしも今日は株主総会の集中日でしたが、もし株主だったら首脳陣とフロントの再任は否決を投じますかね。
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休火山の活動記録

2008年06月25日 23時32分03秒 | 日常
突然だが、あまりここでは自分の仕事の話はしない。
当然だが、そんなもの読んでも面白くもなんともないだろうし、何しろ書いているほうも面白くないのだから(笑)。

入って間もなく「こんなん2年持ったらいい方だな」と思いつつ、もう就職してから11年が経つ。
常に後腐れなく「いつ辞めてもいいや」と言う状態にしておくのがモットーでもあります(笑)。

あんまり悩まない。抱えない。悩む前に話す。笑いを交えながら。
人と自分を比べない。意見も戦わせない。折り合うところで折り合う。
しょせん人間と人間のやる事だから、どっかに接点はある。
割り切り8分、妥協が2分くらいですかw

…と言う感じの自分が、今日は何故か仕事に燃えた(笑)。
まあ、どんなヤマでもなるべく会社にも付かず客にも付かず、ゆる~くフラットな感じで応対するのがスタンスなのだけれど、珍しく客に肩入れしちまったと言うかねえ。

いや、ホントはそんなに他人に期待したくないんですよ。
期待が裏切られたときのショックが大きいからね。
9回裏1死満塁一打逆転サヨナラのチャンスで初芝、みたいな(笑)。
「ゲッツーで試合終了だよ」って思っとけば腹も立たないじゃないですかw

まあ、肩入れした甲斐があってヤマが動きそうなんで書ける話。
なんもならんかったら、屁でもこいてフテ寝ですよ。

だから、今日はここに記録しておきます。
2008年の6月25日、自分は仕事に燃えましたとw
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