青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

神戸・平家の宵祭り。

2023年08月14日 17時00分00秒 | 神戸電鉄

(炭酸泉に癒されて@神戸・湊山温泉)

猛暑の中、一日神戸電鉄を撮り歩き夜になった。夜になったらなったで、お腹も空いているのだけど、とにかく暑い中で歩き回った汗と汚れを洗い流したくてねえ。三木上の丸から乗った電車を長田で降り、そっからは神戸市営バスに乗り換えて、六甲山の麓にある「湊山温泉」へ。見た目は関西の銭湯らしく電飾ハデハデネオンギラギラの大衆銭湯ながら、温泉自体は平清盛の御前湯として開湯800年以上の歴史を持つ名湯で、この温泉も創業1891年とおよそ130年以上の伝統を持つ老舗銭湯である。源泉温度27℃の含鉄ナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩・塩化物泉が加温及びかけ流しで利用されていて、この真夏の時期に源泉そのままの樽風呂や源泉浴槽の絶妙な冷たさは最高に心地いい。浴場では加温浴槽などはそっちのけでひたすら源泉水風呂と樽風呂に浸かりながらか体を冷やし、少し金気とイオウ気のある生源泉の炭酸弾けるシュワシュワ感を楽しんで、仕上げは湯上りの生ビールをグビグビ。最高の時間を楽しんだのでありました。

すっきり体を冷やして温泉を出ると、どこぞからお囃子の音と太鼓の音が聞こえてきて、何だ?と音のするほうに足を向けると、近くの神社でお祭りなんかをやっている。平野祇園神社の祇園祭。「平野」の名の通り、平家の支配拠点であったこの地域。湊山温泉同様に平家に由緒のある神社の夏祭り、コロナ禍で各地の神社仏閣の催事も相応に自粛傾向にありましたが、久し振りの祭りの復活と見え、境内には多くの人が訪れていました。夜店の屋台の明かり、参道を照らす提灯。確かに長いこと目にしていなかった気がするまごうかたなき夏の夜の風景。思わずその雰囲気に惹かれるように雑踏の中をかき分け、参道の階段を登って祇園神社にお参り。祈るは旅の無事と世界平和。ラブアンドピースフォーエバー。

湯上りの体、ついついもうちょっと水分が欲しくなって、新開地のホルモン屋で一人焼肉&ビール。今日はこれから姫路まで移動して宿泊しなくてはならないので、ホルモンをのんびり突っついてる時間もあんまりなかったんだけど、まあ一人だからね。シロ、テッチャン、レバ、センマイ、ハツと一通り。ビールとレモンサワーとハイボールで小一時間の速攻勝負。ほろ酔いの体で新開地の駅の階段を降り、山陽電車の直通特急で姫路に向かったのでありました。

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播州の 城下に降りや 蝉時雨。

2023年08月12日 08時00分00秒 | 神戸電鉄

(カーブの駅で小休止@三木駅)

美嚢川のほとり、福有橋という橋のたもとにある三木駅。粟生方面に向かって大きくホームは右カーブしている。傾くのが遅い日差しの夕方、最新車両の6500系と1100系の交換シーン。神鉄の三木駅、以前はいかにも郊外電車の駅らしい雰囲気のモルタル造りの駅舎があったのだけど、何年か前に駅の隣の古民家から出た火事が延焼して焼けてしまいましてね。その後どうなったのか気になっていたのですが、それなりに立派な駅舎が再建されていました。まあね、新築だから、今風のどこでもあるような駅に見えてしまったんだけども、失ったものの思い出は美化されてしまっているのかなあ・・・

新しい駅舎がなんかおさまりが悪く見えてしまったのも、そもそも北播の城下町・三木の街は、街並みが古いのだ。三木の駅から美嚢川沿いに歩くと、夕方の時間帯だったこともあって、長くなっていく斜光が余計にそのレトロさを引き立たせているように見える。路地のタバコ屋の収まる民家の立派な甍、古びたコカ・コーラの看板が掲げられたトタン板の商店。暑さの収まらぬ路地に水を打っていた床屋の店主の横を、神戸電鉄の電車が走り抜けていく。

流れる汗を拭きながら、三木の駅から福有橋を渡り、ナメラ商店街を通って上の丸駅へ歩く。渋焦げの板塀続く商店街の路地から、神鉄の高架線を見上げてパチリ。さっき鈴蘭台方面に上って行ったリバイバルカラーが戻って来た。商店街の一番北側にあるお店は毛糸を売るお店。仏壇仏具に純毛毛糸とか、販売しているものにあまり一貫性はないのだけど、なんだか年配の人が扱うもの・・・という意味では共通項があるのだろうか。

そのまま三木上の丸の駅から電車に乗ってもよかったのだけど、なんとなく夕焼け空を狙いに美嚢川のほとりでもう少し粘ってみる。素敵な写真が撮れるかどうかは、「もう帰ろっかな」からのひと粘りがあるかないかにかかってくるような気がする旅の空。夕方6時半を過ぎ、太陽は西の空にようやく沈みかけて、空に浮かぶ雲が下から焙られて行きます。神鉄の美嚢川橋梁は、上の丸側から下り勾配&左カーブで三木駅方面になだれ込むようなトリッキーな形をしているので、水平を掴むのがなかなか難しいですね。

最後、三木の街を再び三木城址の高台から。階段を上るだけのお手軽プチ俯瞰。夕焼け空というほどのかそけき感じではないけれど、まだまだ蝉時雨がジイジイとやかましい油照りの夕方の風景というのも、それはそれで夏らしいだろうか。汗を拭き拭きヤブ蚊を追い払いながら、レンズを広角に付け替えて、大きく空を渡る夏雲を広く取り込む。神戸の街を目指す電車のサイドに、夏の残照がキラリと輝きました。

 

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夏草青く、粟生の細道。

2023年08月08日 22時00分00秒 | 神戸電鉄

(夏草のカーブにて@市場~大村間)

午後の日差し傾き、少しは風も涼しくなってくるのかと思いきや、北播の夏はその温度を緩めることもなく・・・三木を過ぎると、粟生線の本数は更に少なくなってしまうので、いきおい線路端に立っている時間も長くなってしまう。小野から先は基本的に毎時1本になってしまうのは、まがりなりにも神戸都市圏の交通を担う鉄道会社というには何とも心もとない。取り立てて何がある訳でもないような半農半住の住宅街の片隅で立っていると、虫取り網を持った子供たちが自転車で颯爽と通過していった。なかなかにしんどい神鉄行脚だが、30分以上待ってようやく現れた新開地行きの電車が、夏草の向こうからやって来た。

 

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戦国の 播磨に咲いた 深情け。

2023年08月07日 17時00分00秒 | 神戸電鉄

(城下の停車場@三木上の丸駅)

三木城跡の高台の下にある三木上の丸駅に、粟生行きの電車がやって来た。三木城は、1400年代に別所氏の居城として建てられた北播州の平山城で、三木の街はその城下町として発展してきました。時は戦国に至り、全国統一を目指す羽柴秀吉の攻勢を受け、周囲から攻め立てられた三木城では、攻め立てる羽柴軍に対して別所軍による二年に亘る籠城戦が展開されたそうです。城内の住民や兵士が、生き延びるために城の塀に混ぜ込まれた藁まで食べたとも伝えられる究極の籠城戦は「三木の干殺し」と言われ、その結末はついぞ観念した別所長治が、城下の臣民と兵士たちの身の安全を保障させた上で、割腹した上で自らの首を差し出すという形で戦いの幕が降りたのでありました。

三木上の丸駅を中心に、市役所や文教施設が広がるのが東側の上の丸地区。三木市街の中では古くから栄えた地域で、駅を降りてすぐのところには、「ナメラ商店街」という昔ながらのアーケード型商店街があります。往時は三木市内で一番の繁華街だったっそうで、幅は細いながら、長く天蓋の続く立派なアーケードが見事です。残念ながら、今はそのほとんどの店が商売を終えたと見え、シャッター通りとなっているのは淋しい限り。御多分に漏れず、神戸電鉄の駅を中心とした三木市の旧市街は斜陽化の一途を辿っており、新しい商圏は山陽自動車道の三木小野ICを中心とした国道175号沿いに移っています。

三木市は別所氏の城下町として開かれた後、江戸時代以降は刃物を中心とした北播州の工業の街として発展して来ました。そう言われれば、道の周りには、工具や機械を扱う店が多いなあと思うのですが、例えばこのお店。金ヘンに「武」って書いて何と読むのだろうか。そんな三木の街を走る、神鉄の赤い電車。三木市には、もう一つ旧国鉄三木線から転換された三木鉄道という会社があって、加古川線の厄神駅とを結んでおったのですが、元々国鉄時代から特定地方交通線として廃線対象になった赤字ローカル線。その経営状況を改善するには至らず、2008年で廃線となりました。三セク転換から僅か25年での終焉でしたが、その車両は遠くひたちなか海浜鉄道や北条鉄道に買われて行き、今も使用されています。

三木城の城跡のある高台に登り、黒瓦屋根の連なる北播の古式ゆかしい市街を眺める。夏の午後の強い日差しにギラギラと輝く美嚢川の流れ。遥か600年前、城主・別所長治の眺めた景色はいかばかりであったか。長治は、非業な最期を遂げはしましたが、城下の臣民と自軍の兵隊を守り抜いた情け深い若殿様として三木の人々に称えられているそうです。城址の北の端を築堤で抜けてきた神戸電鉄は、美嚢川の鉄橋を大きな左カーブで抜け、三木の駅から小野・粟生方面へ向かって行きます。ちょうどリバイバル編成が粟生から戻ってきました。気の遠くなるような日差しの中で、スプリンググリーンの車体が踊りました。

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モダン・タイムス、坂道の街。

2023年08月05日 18時00分00秒 | 神戸電鉄

(坂道シリーズ@鈴蘭台西口駅)

この日の午後は粟生線方面へ。鈴蘭台から一つ目、鈴蘭台西口駅。未だにピッカピカのダイエーが聳え立つ神戸電鉄の心臓部・鈴蘭台の駅からたった一駅で、とても静かな裏六甲の住宅街である。いかにも郊外電車の駅らしい佇まいが好ましい駅舎は、平屋造りで間口が大きい。朝のラッシュ時間だったら、次から次と通勤通学客が押し寄せるのだろうか。まあそれにしても、駅前から住宅街に向かう坂道の急なこと。かくいう私も、生まれも育ちも駅から坂道ばかりの街であるので、妙に親近感が湧く。行きはよいよい下り坂、帰りは怖い登り坂。この手の街だとタクシーが結構幅を利かすんだけど、タクシープールはなかった。どうせ乗るなら、隣の鈴蘭台から乗ってしまうんだろうな。

西鈴蘭台から50‰の勾配を登ってくる新開地行きの準急。粟生線の動線は、神戸の街から遠くに行けば行くほどだるま落としのように列車本数が少なくなって行くのだが、西鈴蘭台までは平日休日関係なく日中を含め毎時15分程度の運転間隔が保たれています。毎時4本のうち2本が新開地行きの準急、2本が鈴蘭台行きの普通。鈴蘭台行きは有馬線の新開地行きに接続するパターンなので、鈴蘭台~西鈴蘭台間のたかだか2駅だけをせせこましく折り返す区間運転列車がたくさん運行されている。どうでもいいが、鈴蘭台西口の次が西鈴蘭台。駅名が紛らわしい。この鈴蘭台西口駅、開業当初は「鈴蘭ダンスホール前」なんていうえらいハイカラな駅名だったそうで、今の鈴蘭台小学校に当たる場所にダンスホールがあったのだとか。いわゆる「六甲モダニズム」の流れを汲む文化の香りが息づいていたのでしょう。

鈴蘭台西口の駅は、鈴蘭台側が小さなサミットになっていて、ここを「小部(こぶ)トンネル」という小さなトンネルで抜けています。駅舎側の踏切から、トンネルのギリギリまで伸ばしに伸ばしたホーム。かつての粟生線は、朝のラッシュを捌くため、志染で増結を行って湊川方を5両運転としていた時期の名残でもあります。粟生線の輸送ピークは1990年代初期までで、そこからの乗客数は崖を転がるような下り坂。粟生線のほうがよっぽど鵯越の坂落としになってしまっているのは、皮肉なものである。

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