青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

また夏に、ここで会おう。

2024年08月02日 06時00分00秒 | 日常

(また夏にここで@第95回都市対抗野球大会)

12日間に亘って夏の東京ドームで開催された第95回都市対抗野球は、30日に決勝戦が行われて、横浜市の三菱重工Eastが3-1で仙台市のJR東日本東北を破って初優勝。見事に黒獅子旗を獲得したのでありました。火曜日のナイターという日程だったんだけど、毎日新聞のネットでのLIVE中継から見る大入り満員に近いスタンドの様子に、都市対抗の人気を改めて思い知った次第。ひょんなことからチケットをいただいた都市対抗ですが、結局3日間で5試合も観戦する結果となり、端的に言って「面白かった!」というのが感想に尽きる。グラウンドで繰り広げられるプレイとスタンドで繰り広げられる激しい応援合戦。お国を背負って会社を背負って・・・ということもあるけど、どのチームも工夫を凝らした独創的なパフォーマンスでスタンドを盛り上げる。折しもパリではオリンピックが行われていたのであるが、そんな中で東京ドームに通い詰めた同士たちの姿を見るに、世界を相手に戦うことと、故郷の街を背負った会社同士のドメスティックな戦いのどちらに優劣がある訳じゃなし。土着性の部分に帰依するという根っこは同じなんだよな。この歳で新たな楽しみを見つけたことは、ひとつ人生が豊かになった時間でしたね。

準決勝とか決勝とか平日だから見に行けなかったんだけど、5試合見た中で一番面白かったのは、準々決勝の西濃運輸(大垣市)-NTT西日本(大阪市)かなあ。チーム券をちょうだいして西濃運輸側に入ったのだが、西濃運輸の応援団がとにかくアツい。聞けば、社員有志で構成された伝統の応援団が4月から練習を開始し、予選から東京ドームまで非常に熱のこもった応援をチームに送り続けた・・・とのこと。試合は先制する西濃、追い付くNTT、前に出る西濃、追い付くNTTというクロスゲームで延長タイブレークまでもつれ込む熱戦。タイブレーク10回表は西濃が右前打の無死満塁から大山、城野、渡邊が一邪飛・三振・三振のロッテ野球。結局NTT西日本大江のストレートを打てず酔いの回った西濃応援席から厳しい指導が入り始めるも、10回裏はNTT西日本が1死1、2塁から9番成瀬の中前打、これを西濃運輸のセンター原田が渾身のバックホームで本塁刺殺というスーパーファインセーブ。湧き返る西濃応援団。まだまだ終わらぬタイブレークは11回表、西濃運輸の応援団が力の限りに奏で続けたエンドレスの「狙い撃ち」の嵐の中、二死満塁から均衡破る3番野崎の満塁ホームランで8-4。西濃運輸応援団爆湧き。度重なるピンチをことごとくストレートとフォークのゴリ押しで三振に切っていたNTT西日本大江、マウンドで膝に手を突きとうとう力尽きる姿を見ながら、トーナメントの恐ろしさと美しさを見る。いやしかし、馬力は見せつけてくれた。

試合が終了し、スタンドに向かって一礼する西濃ナイン。そして力の限り、手数を尽くしてスタンドから声を送った応援団が迎える。「パワフルセイノー」「VICTORY」「うまぴょい伝説」「Runner」「狙い撃ち」とどれもこれも完成度が高いが、とりあえず「パワフルセイノー」(「X」@MFKM_WFWF氏より)は非常にシンフォニックな音圧の力強い名曲で、シンプルな中にも中毒性があってめちゃくちゃ印象に残る。社会人野球の中でも特に人気の高い応援なんだって。これ、絶対どっかの高校は甲子園でチャンステーマに使うべき(笑)。あ、NTT西日本の「スパート」とか「ダイナミックファイターズ」とかもいいんですよね。何となく風呂とかで鼻歌で出ちゃう。ファンファーレからベースとドラムのリズムが入って軽やかに爽やか。これもNTT西日本のオリジナル応援歌で、社会人野球の名応援の一つなんだそうで。

「かっとばせー!〇〇! 行け行け大垣 Go!Go!Go!」
大垣市民でもなんでもないのに、このフレーズを何度叫んだことか(笑)。
と言う訳で、こんどから荷物送る時はカンガルー便にしようと思います。せーの。ぴょん!

 

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黒獅子旗を目指して。

2024年07月27日 13時00分00秒 | 日常

(久しぶりだよ東京ドーム@第95回都市対抗野球)

6月半ばに津軽に行った後は、週末ごとに子供や嫁が熱を出すし(手足口病、お気を付けくださいね。大人がかかるとかなり大変です)、元々今年は空梅雨模様だったけど、梅雨明けからとにかく殺人的に暑いし、そしてこんな暑い中を押してまで別に撮りに行きたいものもないし・・・ということですっかりカメラを握る活動はお休みモードに入ってしまった。んで、最近何が楽しいって言うと都市対抗野球ですねえ。お仕事上の付き合いで、いわゆる「動員」というもののお誘いを受けましてねえ。世界に目を向ければ、「動員」なんて言葉がリアルな前線送りに繋がっている国というのもある今日この頃ですが、東アジアの片隅の動員は、暑い中を都営三田線に乗って東京ドームに駆け付けるだけなのだから楽なものだ。つーか、自宅最寄りから水道橋が一本で繋がっているという恩恵を初めて受けたように感じる。ドームなんて来ること自体が久し振りだもんなあ。

外は35℃を超える灼熱の猛暑、ただ入ってしまえば空調の効いていて涼しい東京ドーム。お呼ばれのチケットでそこそこ見やすい席をいただき、これまたお弁当や応援グッズまでいただいて、生ビールを片手に特に勝ち負けのストレスのない、「党派性」の少ない野球を見るというのもいいものだ。昨今のプロ野球は「ダイナミックプライシング」なんて横文字で覆い隠して、需要の高い土日のチケットの金額を圧倒的に引き上げている球団も多く、いきおい球場から足は遠のいてしまった。この時期は同時並行で各都道府県での夏の甲子園予選も花盛りでしょうけど、この暑さの中では選手も見る方も大変だろうし、都市対抗野球は高校or大学野球を経由している選手がプレーするフィールドなので、そもそものレベルが高い。プロ野球のファームと同水準・・・と言われると微妙だが、高卒間もない選手が入り込まない分、ワンプレーワンプレーの堅確さやゲッツーの完成度などよく訓練されていて、ピッチャーも150km/hを超える球速を投げる選手もいたりする。ドラフト会議で毎年即戦力の社会人がいることを考えても、それはそうなのだが。

そして、「都市対抗」という言葉の通りに、企業名よりも優先してそのチームの属する「都市」が優先されるこの大会。ヤマハなら浜松市だし、東邦ガスなら名古屋市、西濃運輸なら大垣市。かつての新日鐵などの鉄鋼関係、電電公社と国鉄、製紙会社などの公社系か重厚長大産業が多数を占めていたいわゆる「ノンプロ」の世界も、操業工場の統合に伴い広域化しており、川崎製鉄水島と日本鋼管福山が合併したJFE西日本、三菱重工横浜と日立製作所が合併した三菱重工Eastなどなど、かつての強豪名門チームもだいぶ名前が変わっているのに気が付く。新日鐵広畑が日本製鉄瀬戸内だし、九州三菱自動車がKMGホールディングスだもんねえ・・・全然分からんわ。

企業の看板を背負った応援団によるユニークかつ華やかな応援合戦が繰り広げられる、スタンドとフィールドのぶつかり合い。これも醍醐味の一つですね。
一週間に二回も東京ドームに行くとは思わなんだ。

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土木で日本を変えて行く。

2024年01月27日 15時00分00秒 | 日常

(もはや神々の領域か@新東名高速道路・河内川橋)

一応クルマ好きの嗜みとして、冬になったらスタッドレスに足元を履き替えて、何があってもいいようにはしているのですけど、昨年来全くこの冬寒くもなりませんでねえ。今んところ雪国に行く理由もないし、用事もなかったものだから、裏の倉庫にスタッドレスを仕舞いっぱなしにしていたんですよね。ただ、さすがにこのままではシーズンにスタッドレスに履き替えないまま終わってしまいそうだなって思ったので、重い腰を上げて1月半ばに足回りを冬モ-ドに変更して来ました。どうせ3月ごろには暖かくなってノーマルに戻してしまうことを考えると無駄な出費だなあと思うのですけど・・・。閑話休題、そんな理由もありまして、折角スタッドレスに履き替えたのだから少し山の方へ足を伸ばしてみようかなと、履き替えたその足でそのままドライブ。新東名を新秦野ICで降りて、そのままR246を御殿場方面に流していると、右手に谷を跨ぐ大きな構造物が目に入って寄り道。丹沢湖から流れる酒匂川の上流部、河内川の谷を跨ぐ巨大な高架橋。正式には、新東名高速道路河内川橋。全長は約770mの鋼・PCコンクリートアーチ橋で、下を流れる河内川から路面までの高さは約120mという超巨大な土木構造物が絶賛建設中です。

R246を御殿場方面へ走っていると、少し手前に現在の東名高速の酒匂川橋ってのがありますよね。赤いトラスが酒匂川と御殿場線の谷峨の駅を跨いでおるので、見た方もいらっしゃると思うのですけど、あれもかなり高い位置を走っているなあ・・・と思わせて高さが65mくらいですから、この河内川橋はその倍の高さがあります。下にある中学校(清水中学校)の4階建ての校舎と比べるとその高さが分かろうというものですが、それにしても基礎から足場を組んで120mの高さまで上げて、あたかも木の枝が天に向かって葉を広げるように両側に向けてバランスよくアーチの弧を伸ばしていく建設方法は、この平地の少ない山岳国家である日本の土木工学の技術の結晶のようで壮大である。基礎も深い場所では35mまで掘り下げて、そのズリ出しは基礎の横にズリ出し用の導坑を掘ってそっから搬出するのだとか。新東名高速道路は、現在新秦野ICから新御殿場IC間が最後の未開通区間。本当であったら2023年に全通の予定だったのだが、この区間の工事に時間を擁しており、現在のところ全通は2027年度。この辺りには、一説には関東大震災を引き起こした・・・とも言われる「国府津・神縄断層帯」というものが通っており、断層破砕帯を通過する高松トンネルの掘削に時間を要しているとのこと。

河内川橋を裏側から。青空に屹立する何本もの巨大クレーン。アーチの先端部の吊り下げ足場なぞ、どのようにして組んで支持しているのだろうか。ここまで巨大な土木構造物が忽然と聳え立っている姿は「男の子ってこういうのが好きなんでしょ」の最たるもの。昨年の秋に野岩鉄道に撮影に行ったあの雰囲気を「土木と自然のマリアージュ」と評したが、この現場は「土木で自然を超えて行く」という圧倒的なパワーゲーム。この河内川橋の建設を担うのは大成建設と鹿島建設という日本のスーパーゼネコンによるJV。鹿島のキャッチコピーじゃないが、「地図に残る仕事」というのはこういうものを言うのだろう。自分は全く門外漢の仕事をしているが、一回の地図好きとして、こういう国家的プロジェクトとも言える現場に携わってみたかったかなあ・・・なんてちょっと違う未来を妄想してみたり。

新東名が開通すると、自宅から名古屋までクルマで三時間程度だろうか。早くこの橋の上を走ってみたいと思わせる、そんな土木構造物です。

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2021年の大晦日に寄せて。

2021年12月31日 12時00分00秒 | 日常

(波頭飛沫く@七里ヶ浜)

あっという間の2021年の大晦日でございます。いやあ、あっという間って言ってるけど、最近はホントに一年が過ぎるのがあっという間になってしまった。歳を取るごとに一年が早く感じてしまうのは、「人生におけるパーセンテージ理論」によって表されると個人的には思ってまして、それは何なのかってーと、ほら、10歳にとって1年ってそれまでの人生の10%じゃないですか。んで、50歳になると、1年って人生の2%しかないんですよ。そりゃあ早い訳だよ、と一人で納得している。平日を悶々として週末を待つような過ごし方していると余計にね。まあそれだけ自分の趣味のスタンスが確立しているという事なのかもしれないけどな。それこそ10代の時の5分の1くらいの感覚で、一年がパッパカパッパカと走馬灯になって行く。時と共に早くなる体感時間の経過と、反比例して失われて行くのは健康と体力。おそらくもう人生の折り返し地点は過ぎている数なので、これからはそういうのを上手に天秤に掛けながらバランスを取って暮らして行きたいものですね。天災激しく疫病蔓延り、政治経済混沌の時代ですが、メンタルの消耗を先送り先送りしながらなるべく元気に生きていきましょう。

適当に煮豚を作りながら掃除をしつつ、孤独のグルメを流しっぱなしにして写真編集しながらTwitterしている大晦日。いつもの如くのながら生活である。この歳にもなるともう年が改まる事にいささかの感慨もないけれど、一応は節目という事で、形ばかりで恐縮ではございますがご挨拶申し上げます。本年も拙ブロクにひとかたならぬご愛顧のほどを頂きまして、誠にありがとうございました。

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たかが10年、されど10年。

2021年03月11日 08時00分00秒 | 日常

(震災10年@あの頃の小田急)

本日で、東日本大震災から10年。10年を長いと見るか短いと見るか、それは人それぞれだと思います。個人的には10年目だから特別な訳でもなく、10年経って何が変わる訳じゃなし、明日になったら10年と1日目が始まるだけなのかなと思う。あの日の出来事で自分の生命、家族、親類縁者、財産、仕事に何も被害がなかった自分。いつその当事者になるかもしれないという覚悟を改めて。でもやっぱり10年も経ったら記憶は薄らぐのか、何だか色々なことを思い起こす10年目の3・11。あの日から始まった「がんばろう日本」、新型コロナに危機のフェーズが移っている世界で、いつまで頑張ればならぬのやら。

防ぎようもない自然災害に対して、日々の備えと用心が必要なのは言うまでもありません。しかしながら、つい先だっての福島沖地震のように災害はいつだって現在進行形で、いつかその時は必ずやって来る。いささか運命論者的な言い方になってしまいますが、「いつそうなってもいいように後悔なく生きる」という事が一番大事なのかなと思ったりもする10年目。改めて東日本大震災で被害に遭われた方々の快復と、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

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