青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

夏の一畑、エピローグに寄せて。

2023年10月16日 17時00分00秒 | 一畑電車

(さよならのうたげ@松江駅前)

レンタカーを返却して、東京行きのバスが到着するまでの一時間。松江駅前の居酒屋でささやかに夕食をいただくことに。クルマで回ってたから飲めねえし、暑かったからビールが美味いよね。突き出しのブリ?ハマチ?の炊いたの、煮込み、揚げ物、締めはガシラ(カサゴ)の煮付けにご飯とみそ汁。日本海側に来ていながらあんまり海鮮モノを口に出来ていなかったので、その埋め合わせをした感じ。グルメ、酒、温泉、鉄道、神社仏閣、いい景色とまとまった出雲の旅。祝勝会、と言ってもいいのではないでしょうか(笑)。

松江駅20:00発の東京駅八重洲口行き「スサノオ号」。いい歳こいて往復夜行バスぅ~?みたいな意見はこの際無視無視(笑)。出雲から東京、サンライズで寝てくかスサノオで寝てくか。ちなみに松江発はサンライズが19:26、スサノオ号が20:00でほぼ変わりませんが、料金は倍違います。あと、サンライズは横浜止まってくれるけどスサノオ号は東京駅八重洲口まで無乗降なんだよなあ。結局自宅~東京駅までの時間がロスと言えばロス。神奈川の片田舎に住む者の悲哀ではある。

深夜帯に行われている新名神の山崎付近の工事渋滞、新東名で事故による通行止めなどに阻まれ、豊川から新城の間で高速を降りて一般道に迂回したりした結果朝の首都高の渋滞に引っ掛かり、定刻より約二時間遅れで東京駅八重洲口に到着したスサノオ号。めっちゃ自宅の近くを通りながら、東京駅の八重洲口まで連れていかれるのはつらい。平日のオフィス街に到着した私を待っていたのは、スーツ姿で闊歩する八重洲の金融ビジネスマンたちであった。一気に現実に引き戻されながら改札をくぐり、横浜方面行きのE231の人となるのでありました。

さて、1泊4日の夏の出雲旅行。一畑電車の沿線を中心に、温泉津温泉、出雲大社と島根県の東部を巡って来ましたが、今回はレンタカー併用ということでかなり能率が上がったような気がします。前年夏の丹後半島くらいまでだったら自宅から車で行けたけど、出雲はさすがに遠いのでねえ。山陰地方最大の私鉄である一畑電車、それこそデハニのような半鋼製車の時代から、大手私鉄の譲渡車による時代を経て、自社発注の7000系による単行中心の合理化された営業運転を模索する中での訪問となりました。旧型・譲渡車・最新型のコラボレーションの中に、宍道湖岸の風光明媚な景色があったり、平田の田園風景があったり、川跡の流暢なアナウンスがあったり、武志の駅前商店があったり・・・楽しめました。まだまだ撮り足りない風景は、次のお楽しみに取っておきましょう。

ラストカットは、デハ3・デハ6がきれいな姿で保存されている「さとがた保育園」での一枚。
大先輩に挨拶をしながら、最新鋭の7000系が通り過ぎて行きました。

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夕映えの 水都に啼くや 浜千鳥。

2023年10月14日 23時00分00秒 | 一畑電車

(宍道湖夕照@松江イングリッシュガーデン前~松江しんじ湖温泉)

夕陽輝く湖面は、ちりめん皺のようなさざ波に包まれて。小さな岬のカーブを回って、一畑2100系の「楯縫」号が終着駅の松江しんじ湖温泉へ向かってのラストスパート。宍道湖の夕景と走る列車をうまくまとめるのには、併走する国道431号線の車の流れは引きも切らず・・・大型バスとかトラックが入ってしまったら台無しになっちゃうなあ、なんて思いながらファインダーを覗いていました。湖岸に佇む浜千鳥一羽。まずまずはまとまった一枚になった・・・かな??

松江駅で借り出したレンタカーの返却時間は夜の7時。西の国の夕暮れは遅いのだけど、何とか宍道湖のいい夕暮れと一畑電車の写真を持って帰りたいなあと思いながら線路脇で奮闘。前日もそこそこいい夕陽が沈んだのだけど、温泉津温泉に向かってしまったので「ばたでん×夕景」って回収してませんでしたのでねえ。住宅街に登る道路から湖岸を走るばたでんを小俯瞰。電鉄出雲市行き7000系×2連。昼間は単行だった両編成が再びタッグで夕方の帰宅ラッシュに参戦です。

流れの速い国道を渡って湖岸に出てみる。緩やかに宍道湖の向こうに太陽は傾き、夕方らしい赤い斜光線が湖面を広く染めている。そして湖面を見詰めるお地蔵さまが二体。湖岸に国道を整備する際、この辺りから大量の人骨が発見され、その御霊を弔うために建てられたとのことですが、どうやらこの大量の人骨、戦国の世、永禄年間に出雲の地を中心に争われた尼子氏と毛利氏の間の戦いに関連したものなのではないか・・・などと言われているようです。真実のほどは、定かではありませんが。

レンタカーを返すには、あと一本分くらいの撮影がせいぜい。宍道湖畔のアングルで、レンタカー返すギリギリまで粘る。空の色と湖の色は申し分ない見事な夕景であるものの、撮影するのに高さがないので、どうしても国道を走る車だけが交わしにくい。いまさら脚立持って来たりほかの場所でアングル探す時間もないし、しょうがねえと割り切っていたのだけど、この瞬間あれだけガーガー走っていた車がなぜか奇跡的に途切れ、美しい宍道湖のサンセット&京王車を仕留めるという最後の最後の大逆転。一畑電車からのプレゼント、感謝しかない。

松江のコスモでガソリンを満タンにして、意気揚々と引き上げたのでありました

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遠雷、家路を急ぐ。

2023年10月11日 17時00分00秒 | 一畑電車

(遠雷@川跡~大寺間)

午後遅く、空にわかに掻き曇り、そして遠雷の声。出雲平野の遥か向こうに、噴煙のように立ち上がる入道雲。夕方になって運用が変わったのか、京王5000が出庫して来ました。入道雲には、その形状から「かなとこ雲」なんて別称もありますけど、この日の雲は見事なかなとこ型だった。一雨あって少しは涼しくなるかと思ったのだけど、一畑沿線にはそこまでの降雨量はなく。アスファルトをほんのり濡らすだけで終わったこの日の夕立は、熱せられた地面から立ち上る蒸気で、蒸し暑さだけが際立ったのでありました。

昨今の気象現象の激しさ。ちょっとした間のゲリラ豪雨でも、街は冠水し車は水没し、家の屋根は飛ばされる。この山陰地方も毎年のように大雨に襲われていて、最近流行り(?)の「線状降水帯」が発生することもしばしば。一畑電車も、7月の梅雨の終わりの頃を中心に、毎年のように被害に遭っている。特に田園地帯の線路に沿った用水路が大水であふれるようで、大寺~美談の辺りが泣き所になっている。一畑電車は大きい川を渡ったり急峻な谷あいを走ったりすることはない路線なので、致命傷になっていないのは幸いだが、最近の鉄道路線が直面する「災害リスク」というものの高まりは、新たな事業継続に対する脅威となってのしかかっています。

遠雷に肩をすくめる若い女性、松江に向けて家路を急ぐ、津ノ森の駅。

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ニューカマー7000系乗り鉄旅。

2023年10月09日 17時00分00秒 | 一畑電車


(出雲そば@電鉄出雲市駅)

出雲と言えば出雲そば。出雲そばは、信州の戸隠そばと盛岡のわんこそばと合わせて、日本三大そばの一つに数えられるのだとか。出雲のそばは、冷涼な山間部で育てられた蕎麦の実を使って作られていて、皮ごと引いた引きぐるみの粉を使って打つことに特徴があります。蕎麦の実を丸ごと使っているので、更科系のように蕎麦の実の芯の部分の上等な部分だけを使った白っぽいそばと比べると、色が濃く香りが高い。出雲そばは漆器の器(割子)に重ねて出す「割子そば」のスタイルが有名で、割子の器をいくつもいくつも重ねて食べるのが流儀。こちらのおそば屋さんでも三枚重ねの割子そばを注文しましたが、そばに生卵の黄身ってのも、そばが黄身の味に負けてしまいそうですが、少し甘めの汁と引きぐるみで香りが強いそばと合わせるから出来るんでしょうね。奥出雲を走るJR木次線の亀嵩駅には駅付きのそば屋があって、「亀嵩そば」なんて名前で有名です。もうすぐ運行が休止となる「奥出雲おろち号」に乗って食べに行ってみたかったものですが。

電鉄出雲市駅と、7000系急行松江しんじ湖温泉行き。電鉄出雲市の駅は、JRの駅が高架化されたときに一緒に高架化されたらしく、頭端式の串型ホーム1面2線がJR駅の少し東側に立っています。昔は一畑百貨店と一緒に駅があったらしいのですが、そういう色気みたいなものは高架化された際に置いて来たようで、ホームは何もなく少し殺風景な感じもするね。階段を下りた1階が改札になっていて、あくまでホームは列車に乗る用事のためだけにある感じ。

階下の改札兼待合室。殺風景なホームとは対照的に、改札にいる駅員さん、改札口を抜けて行く普段使いの学生には「はい、お疲れさん」、旅人風情の私には「はい、いらっしゃい」と言葉を使い分けている。丁寧だなぁと思うと同時に、改札の人間が「ちゃんと人を見ている」事の緊張感だよな。最近そこをなくしてる現場が多いからさ。

この日は後はひたすら一畑電車を全線乗り潰しDay。気になったところがあればちょこちょこ降りてみようかな。この出雲行、比較的天気に恵まれて、そこだけは申し分なかった。めちゃくちゃ暑かったのは確かですが、これを書いている今がもう10月。すっかり朝晩は肌寒くなってしまいましたね。あの暑さが少しだけ恋しくもあります。

雲州平田で降りたり、一畑口で降りてみたり。この日は、朝に松江しんじ湖温泉に行ったスーパーライナーの7000系がバラされて北松江線の日中に単行で投入されていました。こういう経済的な使い方が出来るのが両運車の7000系の良いところでしょうし、正直、夏休み期間中の昼間なんかは京王の5000系の2両じゃもったいない程度の流動しかないのでしょうね。のったりと駅南側のシーサスを渡って一畑口の駅に入って来る7000系。何とはなしのワンシーンですが気に入っていて、今の私のPCの壁紙になっている一枚です。

待合室から一畑口を出て行く7000系を見送る。ちょっと懐かしい製菓会社の広告が入ったベンチ。果たしてこれは長年ここにあるものなのか、それとも映画の撮影かなんかで使われたものなのか・・・富山地鉄と同様、この一畑電車も映画「RAILWAYS」の舞台となったことで有名です。有名です、とか言っておきながら自分は一畑の回も地鉄の回も一回も見たことはないんだけど。地方私鉄は映画で見るもんではなくて、行って乗るもんでしょ!(笑)。

半分クロス、半分ロングのシートが進行方向に向かって千鳥式に配置されている7000系の車内。夏休みの学生たち、部活なのか塾通いか、ひとまずスマホに興じる姿は日本中どこでも同じだね。正直、午前中に大社線で乗った京王の5000系もだいぶ年数が経過している車両ですし、この酷暑でクーラーの効きが悪かったりしたので、学生さんたちの通学環境は大幅に改善されたのではないでしょうか。クーラーが効いた新しいきれいな車両、都会に居たら当たり前のものだけど、地方私鉄ではなかなかそうはいかないですからねえ。

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受け継がれゆく名調子。

2023年10月07日 10時00分00秒 | 一畑電車

(三叉の別れ@川跡駅)

北松江線と大社線の分岐駅である川跡の駅。駅自体の周辺には特に商圏がある訳でもなく、出雲市街の街外れ、という感じの場所にある。乗車・降車の需要よりも、あくまで乗り換えのためにある雰囲気が、なんとなく富山地鉄の寺田の駅っぽい。一畑電車の前身である一畑軽便鉄道は、当初は出雲今市(出雲市)から出雲大社を目指しての路線の建設を目論みたのですが、省線(鐵道省線)が大社までの路線開設に権利を主張したため、一畑軽便鉄道はひとまず一畑方面へ路線を延ばすことになります。1912年の省線大社線の開通から遅れること18年、1930年(昭和5年)に改めて一畑軽便鉄道は大社への路線を建設。分岐駅としてこの川跡駅が設置されたようなのですが、昭和初期の時刻表なんかを見ると、かつてこの辺りに「鳶ヶ巣」という名前の駅があったみたいで、そこらへん現在の川跡駅とどう違うのだろうか。

2面4線のホームを持つ川跡の駅。大社線が到着し、その間に松江行き・出雲市行きが到着して双方の乗客が乗り換え。松江行きが発車し、出雲市行きが発車し、そして大社行きが発車していくのが川跡駅のルーティーン。大社へ向かう客、帰る客を待たせずに捌くスジ引きは一畑電車の伝統で、もう何十年もこのパターンが繰り返されているのではなかろうか。ということで、川跡駅に電車が到着すると、ひとまず乗客たちはこの構内踏切を渡って、自分が行きたい方向の電車に乗り換える民族大移動が始まる。その水先案内人を務める駅員さん。マイクを持って構内踏切に立ち、独特の名調子でアナウンスを繰り返すのであった。

ああそれにしても、この川跡の駅員さんの喋り口調のアナウンス。お国訛りが入っているのか、緩やかな中にも独特のリズム感があって非常に聞き入りやすい。なんとも長閑な地方私鉄の雰囲気と相まって、いつまでも聞いていられるような名人芸である。駅の放送なんて、都会の駅ではほとんどが自動放送が取って代わっているけれど、こういうのは絶対なくしちゃダメだよなあ。地方私鉄の文化財だなあ。なんて思いながら、乗る電車を一本遅らせてまでもこの名調子を心行くまで味わった。こういう「音」から味わう地方私鉄の魅力。また一つアプローチの手段を手に入れたようで、にんまりとしてしまう。

いつの間にか川跡の駅の三線全てのホームに7000系が集まった。この日の日中運用は7000系祭りのようだ。その前でマイクを握る駅員さんは、あたかも電車のコンダクターのようで。指揮棒代わりにマイクを持って、電車の行き先の指揮を取っている。オールドファンならご存じかもしれませんが、デハニの時代の川跡の駅は、名物のおばちゃん駅員がいて「かわと~、かわと~、かわと~・・・」という哀愁を帯びた駅名の連呼から、流麗たる出雲弁のアナウンスを繰り広げていたそうな。ひょっとしたらこの駅員さんも、「川跡おばちゃん」の名調子を引き継いだ後継者なのかもしれないね。

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