青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

右岸から、ご庄和願います。

2024年01月15日 17時00分00秒 | 東武鉄道

(国境のトラスを越えて@川間~南桜井間)

江戸川の左岸で8111Fを撮影した後、今度は右岸に向かって撮影地を展開することに。江戸川の対岸に渡ること、いちいち駅まで戻らなくてもどっかに橋くらい架かってるだろと思っていたのだが、この辺り千葉側から埼玉側に行くための人間が通れる橋が全くなく、北に大きく迂回して1.5km先の国道16号の金野井大橋を渡る以外に方法がない。対岸500mくらい先に行くのに、お手元のGoogleマップで調べると「徒歩50分」とあるので、おとなしく川間の駅に戻って電車で対岸に渡ることにしました。多摩川や相模川あたりの感覚で橋があることを想像していると、利根川水系の橋のなさは結構驚く。利根川とか、10km単位のオーダーで橋がないのなんかざらだしね。それだけ川幅が広いってことなんでしょうけど。

川間から江戸川を渡ると南桜井の駅。こちらは埼玉県。現在は春日部市と合併していますが、ここはかつて北葛飾郡庄和町でした。北葛飾郡は埼玉、東葛飾郡が千葉に属していましたかね。「葛飾」って言われちゃうと、どうしても東京都の葛飾区だけをイメージしちゃうんだけど、「葛飾」という地名自体は古代より現在の江戸川の流れに沿った東京・埼玉・千葉・茨城の四都県に跨る広い広い地域を包括する地名でした。千葉県の東葛飾郡は関宿町が野田市へ、手賀沼の南にあった沼南町が柏市と合併して消滅してしまいましたが、埼玉県の北葛飾郡は杉戸町と松伏町がその牙城を守っています。

南桜井駅の南口から、線路沿いをダラダラと歩いて20分。江戸川橋梁の埼玉側に出ました。江戸川の流路が千葉側に寄っているせいでトラスの位置が遠く、その分河川敷の氾濫原の上はプレートガーターになっていて、野田線の6連の車両を障害物少なく順光できれいに写し止めることが出来ます。この「江戸川橋梁の埼玉側」の立ち位置は、8111Fが本線復帰して野田線に投入されて以来の一番の「アツい」お立ち台スポットとなっており、復帰直後はなんでもない平日でも100人近くが詰めかけたといういわくつきの場所。あ、ちなみに駅から遠いんだけど河川敷の周りにクルマが止められるような場所は全くないです。河川管理道路はあるんだけど柵があって入れないし、面倒くさくても南桜井の駅近くのコインパーキングにでもクルマを止めて機材を担いで歩いてきて欲しいです。

さて、この江戸川橋梁の埼玉側の立ち位置、太陽の光線の回り方から言ってこの冬の時期は15時~16時台の早いうちがベスト。なのですが、この日は午後から曇りベースの予報が出ており、SCWを見てもちょっと15時台までは持ちそうもない。そのため、ちょっと早めの12時台に立ち位置に陣取ったのでありました。12時半頃に通過する柏からの返しの大宮行きを待ちながらも、予報通りに海側からどんどんどんどん雲が流れ込んで来てちょっとヒヤヒヤ。千葉側で撮影した時のあの澄み切った青空はいずこへ?って感じだったんですが、何とか光線は遮られることなく大宮行きの8111Fを撮影することは出来ました。ただ、バックに雲は流れ込んじゃってるし、正面にはうっすらとしか光線が当たってないし、ケツは架線柱に引っ掛けてるし、ホント「撮っただけ」って感じになっちゃいましたよね。普段あんまりこういう「お立ち台でかっちり」みたいな撮り方をすることがないので・・・(言い訳)

どんどん空に広がる雲に、隣で三脚を広げてたあんちゃんも「本当だったら夕方までここで粘ろうと思ってたんですが」と諦めモード。
ちょっと宿題が残る、江戸川の鉄橋の昼下がりなのでありました。

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からっ風と、筑波おろしの中を。

2024年01月13日 10時00分00秒 | 東武鉄道

(首都圏最終防衛ライン@川間駅)

8111Fを、東武野田線随一の撮影地である江戸川の鉄橋で撮影するべく、電車を川間の駅で降りる。以前、クルマに乗って撮りに来たことのある場所だけど、電車で来るのは初めてだな。川間の駅前、駅前に「ちばぎん」があるので千葉県であることが分かるのだが、雰囲気としては東葛・・・というよりは北埼玉寄り。駅前からは関宿方面に向かうコミュニティバスが出ていた。首都圏の北東方向の周縁部をなぞるように走る東武野田線は、東京を中心とする鉄道交通の最後の防波堤という感じがあって、アーバンパークラインっつーか首都圏最終防衛ラインって感じなんだよな・・・野田線の外側、特に柏~春日部のラインから外側って以前はかなりの鉄道交通僻地でしたよね。今は野田市と合併してしまったけど、旧関宿町の住民だけでなく、利根川を越えた茨城県の旧岩井市あたりの住民なんかもかつて東京に出るのは野田線が頼りで、バスで芽吹大橋を越えて野田市駅まで出て来ることが多かったようだ。今は守谷あたりにクルマで出て、つくばエクスプレスで東京まで行く流動の方が主流になってるんでしょうかね。

初春の川間の路地を歩く。お飾りを付けたしもた屋風の酒店の前を、8000系の電車がガタコンと通り過ぎて行く。昭和の時代にはどこにでもあった酒屋兼タバコ屋。まだ現役っぽい「TOBACCO」のカウンターがいい。小さい頃は、こういうお店にオヤジのお使いを頼まれて、200円持ってセブンスター買った残りの20円を駄菓子に化けさせていたものだ。昔はそれなりに一日ひとハコくらい嗜む愛煙家ではありましたが、医者に言われてタバコをやめてから既に10年近くになる。禁煙出来るか出来ないか、人によってそれぞれでしょうけど、自分は「やめよう」となったら意外にスパッとやめられたな。やめてから暫くは、ふとした瞬間にタバコの幻影が見えることはあって、それこそコーヒーやお酒を飲んだ時の一瞬よぎるあの口さみしさ!みたいなねえ。それもいつの間にかなくなっていた。結局「医者に言われた」ってのがクリティカルだったなあ。自発的だったらやめてなかったかも。

川間の駅から7~8分、住宅街の路地を歩いて行くと突然土手の向こうに空が開け、千葉と埼玉の間を分かつ東武野田線の江戸川橋梁に出る。野田線内では最大の鉄橋で、全長は約380m。野田線の前身である総武鉄道によって架橋された橋梁ですが、昭和30年代に堤防のかさ上げ工事により橋の場所は15m程度下流に移されているのだそうな。ちょっと見づらいかもしれませんが、千葉県側から2つめの川の中州に立っている橋桁の上流側には、かつての橋の橋台部分が残っていたりします。上流では千葉県と埼玉県、下流では千葉県と東京都の境を流れる江戸川は、江戸時代に「利根川の東遷事業」により流路が銚子へ変えられるまでは、こちらがかつての利根川であったのは有名な話。川岸に灌木と草原の広がる風景は、葛飾とか松戸・市川あたりの利根川と比べると、随分とのんびり感があるね。

ああ、それにしても、この江戸川の空よ。正月からの日本に起こった嫌なことを、ひとときでも洗い流してくれそうな青い空である。関東平野の冬なんてものは、 茶色く枯れた稲の切り株が残った田んぼと、枯れたススキとズボンにやたらとくっついてくるセンダングサみたいなのが生い茂った草むらと、葉が落ちたシケた坊主の木ばっかでねえ。それでいて風だけはピューピュー強くてねえ。ただひたすら冷たい風の中で、水っぱな垂らしたガキがゲイラカイトを上げている・・・そんなイメージがあるのだけど、とにかく空だけは世界で一番青いんだよな。空を突き抜け、宇宙まで透けて見えそうな、そういう青さだ。カリフォルニアよりニューカレドニアより、青く澄んで天国に一番近いのが、関東平野の冬の空であるように思う。

この東武8111Fが纏っているのは、「インターナショナルオレンジ」と言う色らしい。
お世辞にもおしゃれとは言えない野暮ったいカラーリングの電車が、からっ風と筑波おろしの混じったような風の中を走って行く。
東武鉄道の電車というものは、関東平野の冬枯れの風景に実にマッチしているのではないだろうか。

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変わらぬ味をいつまでも。

2024年01月10日 22時00分00秒 | 東武鉄道

(ひだまりトレイン大宮行き@東武8111F)

この日一日、夜までは運用が確定している8111F。柏の駅でお出迎えを済ませた後は、撮ろうか乗ろうか逡巡しているうちに、車掌さんが発車の合図を出した。瞬間、脊髄反射で飛び乗った各駅停車の大宮行き。三連休の中日、まだ正月明けの雰囲気が残る朝の電車に冬の陽射しが注ぐ。11年ぶりに営業運転に充当されることも含め、現役復帰にはそれなりのリフォームが必要だったと見え、床張りなんかは新しくなってます。それでも、鋼鉄の塗りドアってのも今となっては珍しいですね・・・とても大手私鉄の令和の風景とは思えないのですが。そもそも、鉄道記念物的に保存されていた車両が11年も経って復帰すること。蒸気機関車とかではあるのかもしれないけど、大手私鉄の通勤電車でそんなことやった事例なんて聞いたことがない。鉄道の長い歴史の中でも、それだけ珍しく異例なことで。

柏を出ると、つくばエクスプレスとの接続駅として躍進目覚ましい流山おおたかの森で大きな乗客の入れ替わり。運河を過ぎて野田市に入ると、野田市駅周辺が一部高架線になっていて驚く。そう言えば昔、清水公園にみんなで我孫子からお花見に来たことがあるなあ・・・なんて思い出したりしながら、電車は江戸川の鉄橋を渡って行く。千葉と埼玉の県境で、電車の中はロングシートに一人、二人程度の閑散とした空気になった。はす向かいの赤ん坊を抱えた若いご夫婦、お父さんがお好きなようで手持ちのスマホで8111Fと我が子をパチリ、パチリ。こんな濃いいデンシャに乗せられて記念撮影なんて、親の溢れる思いを受け継ぐ赤ちゃんが今後どういう風に育つのだろうか。同じ鉄道好きな息子を持つ親として微笑ましく思う。

柏から40分、伊勢崎線との接続駅である春日部駅に到着。ここで大宮行きの電車は運転間隔の調整で10分弱の小休止。春日部と言えば言わずと知れた「クレヨンしんちゃん」の街ですよね・・・発車ベルに使われているクレヨンしんちゃんのテーマソングがホームに響く。東武アーバンパークラインとスカイツリーラインの接続駅なのだが、何のこたあない、伊勢崎線と野田線の駅である。伊勢崎線と野田線を合わせて3面6線に副本線や側線が多数。東武の中でも大きな敷地を持つ重要な拠点駅ですが、最近になって高架化工事が始まっている。この3面6線を高架に引き上げるというのだから相当な大工事だ。総事業費に650億円を投下し、伊勢崎線・野田線含めて駅の前後を含めた一帯を高架化。10ヶ所の踏切の解消による街の一体化を図るそうです。完成は2031年とのこと。

さて、春日部の野田線ホームと言えば、多くの東武ファンが愛してやまない「東武らーめん」。あっさり醤油スープに細打ちの縮れ麺。巻きバラの薄いチャーシューとナルトにメンマ、青味代わりのネギとワカメ。いかにもシンプルな東京の醤油ラーメンといういでたちは、長年の野田線ユーザーのお腹を満たしています。この日も午前中からお客さんが引きも切らずラーメンを啜っていたのだけど、私もここのラーメンの隠れファン。ちなみに、同じ「東武らーめん」は西新井にもあるんだけど、西新井は同じ醤油スープでも中太麺に脂気の少な目のモモチャーシューとゆで卵が乗っていたりして微妙にデザインが違う。個人的に、食べた感じの「中華そば」感が好きで春日部を贔屓にしているのだけど、まあ、ここら辺は好みの問題かなと。春日部の東武ラーメン、ホームが高架になっても残るのかどうか、そこが心配だったりする。変に高架下のイートインみたいに小洒落た感じに化けてほしくないんですよねえ。正直、ここより美味い醤油ラーメンのお店なんて、探せばいくらだってあると思うんだけど、そうじゃねえんだよなあ。ホームの真ん中で風に吹かれながら、迫る電車の時間の合間にズスズスッと掻き込むことに美味さがあるのであって・・・


すっきりシンプルな醤油スープに、細めの縮れ麺。飾り気のない、いたって普通の佇まい。変わらぬ電車と、変わらぬ味をいつまでも。

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三度目の正直、8111F。

2024年01月08日 21時00分00秒 | 東武鉄道

(三度目の正直@東武8111F)

元日の夕方に起きた能登半島地震、そして二日に起きた羽田の航空機事故。なんとも暗澹たる気持ちとやるせなさに明けた2024年の三が日。本当であれば、この三連休と合わせて比較的ゆったりした日程の正月休みだったんじゃないかと思うのだが、どうにも気持ちが落ち着きませんでね。家にいると、直接の被害を受けたわけでもないのに、どうしても被災地の情報を探したり地震のメカニズムなんかを調べたりしてしまうので、ちょっとこれじゃあいかんよなと。心がそっち方面に行ってしまって、ひたすらテレビとネットの情報に溺れているだけの正月じゃあなんともならないなと。現在進行形で被害が拡大している震災のことを忘れる訳ではないんだが、とりあえず外の空気を吸いに出掛けてリセットしたいよなと。一緒にめげてちゃしょうがないし、なんか楽しいことでもして、美味しいものでも食べて、当面の脳内の情報をデトックスするのも必要なことなんじゃないかと考えてしまったのよな。じゃあ差し当たって何をしようか・・・と思い立てば、去年の年末にも書いたんだけど、とりあえず宿題として持ち越してしまったのが東武野田線の8111F。私が行った日以外は別に何の問題もなく、お正月も引き続き運用に入っているようだ。年も改まって、改めてお手合わせを願いたく三たび下総の国に赴くことにする。これで故障でもしてまた引っ込んだら、さすがに怖いので半年くらい訪問は見合わせようと思ったのだが(笑)。

柏駅に吸い込まれて行く8111F。そう言えば、柏の駅なんて久し振りに降りたなあ。祖父母が長年お隣の我孫子市に住んでいたこともあり、柏というのは東葛地域随一の繁華街というイメージだった。東口の柏そごうに、西口の柏高島屋ローズタウン。路地にひしめく飲食店街と、夥しい数の予備校群。平日週末関係なく、ペデストリアンデッキには人が溢れていて、東西のデパートを結ぶ動線には人波が揺れていてねえ。柏ってそういう街だった。2000年代初頭には、JRと東武を合わせて30万人/日を超える乗降客数を誇った駅でもありましたが、2005年のつくばエクスプレス開通以降は、市北部の柏の葉地区を中心としたニュータウンの勃興目覚ましく、新都心化した同地区に勢いを持って行かれたまま。東口のそごうがね、2016年に営業を休止してから何にも再開発されないでそのままになってしまっているのがなんとも。駅前の超優良物件だと思うのだが、三井不動産が取得したまま何も動きがなく、再開発に向けての大きな問題となっている模様。建物のてっぺんに乗っているそごう名物の回転レストラン、柏のシンボルでしたねえ・・・小さいころ、ばあちゃんと一回だけ行ったことあるよ。ホテルオークラのレストランかなんかだった記憶がある。レストランが回らなくなって、柏は勢いを失ってしまったような。

柏の駅で折り返し待ちの光景を。この日の8111Fは、朝6時に七光台の検車区を出庫し、ひたすら大宮~柏間を各駅停車で折り返すシンプルな運用に入っていました。野田線の運用パターンは、①柏~船橋の運用、②柏~大宮の運用、③大宮~船橋間の全線運用、そして④柏~運河・大宮~春日部の区間運用をこなしながら柏~大宮間の運用になるものと、大まかに分けてこの4パターンが割り振られていて、その中で急行運用・区間急行運用が混じったりしています。①のカシ~フナ往復は、距離が短く回転が速いのですがイマイチ撮り場所がない感じがあるのと(先日ロケハン済み)、③は大宮~船橋の70km近くを走るので、一回撮ってから戻ってくるまでに時間がかかって効率が悪い。よって②か④が好ましいのですが、この日は②。急行運用が挟まっていないのは残念ではあるけれども、三度目の正直でやっと8111Fを自分なりのイメージを持ってじっくりと一日追いかけてみることが出来ました。ご笑覧のほどを。

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龍暴れる年明けに。

2024年01月02日 11時00分00秒 | その他私鉄

(2024年初乗車@十国峠ケーブルカー)

2024年、新年あけましておめでとうございます。元旦は朝の4時半に起きて、上の息子と静岡県は熱海市の十国峠まで初日の出を見に行ってきました。いつもは朝9時からの営業のケーブルカーも、この日ばかりは元旦の初日の出営業で朝5時から運行を開始しております。日の出の時間は6時50分頃と聞いておりましたんで、小田原厚木道路と箱根新道を登って現地到着は朝の6時。既に十国峠の駐車場は満車に近い盛況っぷり。去年は大山阿夫利神社の境内で初日の出を迎えたのですが、今年も乗り始めは鋼索線。淡い水色と白のパステルカラー&金太郎塗りのカラーリングがなんともかわいらしいケーブルカーは、昭和31年日立製作所製造の年代モノ。昔は青と赤の金太郎塗りだったような気がするんだけど、経営が伊豆箱根鉄道から富士急グループに譲渡されたそうで、そこらへんもあって変更されちゃったんですかね。

右に伊豆大島を望みながら、相模灘の向こうからゆっくりと登って来る初日の出を拝む。穏やかに2024年の年明けを迎えたあとは、自宅に戻って家族とささやかな正月料理でお祝いの席を持つ、いつものお正月。朝早く起きたので、お神酒の日本酒が回ってしまったかたっぷりと昼寝をしてしまったのですよね。子供に起こされて午後遅くになってから地元の氏神様に初参りに行ったんだけど、戻ってきたところで能登半島地震の発災。2024年の元日からこんなことが起きるなんて、神様がいるのだとしたら随分とあんまりじゃないかなという・・・。夕方からは能登を中心に北陸地区の被害状況を報ずるニュースにくぎ付けになってしまった。輪島市、珠洲市を中心にした能登半島の被害もそうだが、震源から離れた新潟市内も軟弱地盤の液状化で相当に被害が出ている。子供の頃に見た新潟地震の写真を思い出します。

奥能登・白米千枚田の春。いつぞやのGW、能登半島をクルマで一周したことがあった。今のところ情報がないのだが、日本海に続くこの美しい風景もどうなっているのか。昨日来の地震により、観光地としても有名な輪島の朝市通り一帯は大火で焼失してしまった。否が応でもこういう地域のシンボルというか、心の拠り所みたいなものの喪失ってメンタルの部分に来る。地元の人にしてみたら身を引き裂かれる思いだろう。まだ被害の全容が分かっている訳でもなく、人的被害も物的被害もどこまでになるのか、そして頻発する余震はいつまで続くのか・・・そもそも三年前くらいから珠洲市周辺では年単位のオーダーで地震が頻発していたわけだけど、これ以上の被害に発展しないように祈る事しかできないのはもどかしいのだが。

被害に遭われた皆様にお悔やみとお見舞いを申し上げます。

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