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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

キハたちの秋祭り

2016年11月08日 23時00分00秒 | つくばEX・関東鉄道

(あの水害から、再びの秋@関東鉄道水海道車両基地公開)

青空の下、水海道車両基地に整然と並んだ関東鉄道の気動車たち。毎年秋に行われていた関鉄の水海道公開ですが、昨年9月の平成27年北関東・東北豪雨による鬼怒川の決壊により、常総市内の線路や設備に甚大な被害を受けたため昨年度の開催は中止されていました。2年ぶりの開催となった今回は、待ちわびたファンの熱気でかなりの人出。関鉄のイベントなんか人もそれなりでまったりしてんだろうなあなんて思ってたんで、正直面食らいました(笑)。

  

向かって左から、平成21年製造の最新鋭キハ5000形・両数も多く現在の常総線の主力であるキハ2100形・一昔前の主力車両だったキハ0形・そして国鉄キハ35系を両運転台改造したキハ100形。20年以上前の話になっちゃうけど、取手駅の駅ビルに気動車が突っ込んだ事故があったじゃないですか。あの時は、国鉄のキハ30・35系流れの正直ボロっちいセコハン車が幅を利かせていたイメージがあったんだけど、あれから20年以上が経って車両もだいぶ変わりましたね。

  

「あの」ボロっちい常総線の時代を今に残す国鉄キハ30系の生き残り、キハ101(写真右)。そうそうキハ30系列と言えば正面の強化鉄板とこの外吊りドアでした。子供心に興味があって、なけなしのお小遣いで非電化時代の相模線に乗りに行った事があるんだけど、厚木の駅で小田急のホームから降りると、ガードの下をベージュと紺色のキハ30が物憂げにゴロゴロと走って来たのを思い出します。台車もいかにも国鉄規格のコイルバネの台車。DT22とかでしょうか。左のキハ0形は元々は国鉄キハ17形を導入して改造された車両ですが、導入時に車体が、更新時に機器類が入れ替わって現在は中身が自社発注車のようになっています。

  

キハ5000形とキハ2100形。どちらも新鋭気動車と言う事で、旧型グループと比べると走行音も静かだし排気ガスも少ない。気動車って発車する時のエグゾーストノートが大きい割にはなかなか進んで行かないというイメージがあるんだけど、さすがに新しいクルマはエンジンの噴け上がりも良い感じがしますね。現在国内での気動車製造のトップメーカーである新潟トランシス謹製。クラの中には2100形の派生系列である2300形が台車を外されて馬に乗ってましたが、気動車でも台車がボルスタレスで当たり前という時代です。

  

クラの中に半分頭を突っ込んで止まっているのが旧関鉄カラーのキハ300形。旧色は腰回りが朱色で上がベージュという言ってしまえば小湊鉄道カラーなのですが、これは小湊も関鉄も京成グループの一員であり、元を辿ると「赤電」と言われた京成電車の色(ファイアオレンジとベージュ)を踏襲していたのではないかと思われます。ファンを乗せて基地内の線路を200m程度動かすアトラクションに使用されていましたが、結構な数のファンがウロウロしている中で実車を動かすってのも大手私鉄だったら絶対やらなさそうなイベントだよなあ(笑)。

 

昭和31年製造のディーゼル機関車DD502。線内の貨物輸送を中心に活躍し、晩年は保線工事や新車の入線時などで牽引業務に充当されていたそうな。引退以降は車両基地の片隅で保存されていたそうなのだが、今年の5月に改めて塗り直され、こうやってイベントの際にはお披露目される事に。昭和30年代前半では、まだディーゼル機関車の駆動方式はロッド式が主流で、同時期に製造された国鉄のDD11とかもロッド式でしたよね。


詰めかけた多くのファンに対応する現業の社員の方々。案内も非常に丁寧で好感。おそらく鉄道だけでは人数が足りないで、バス部門からも人員を派遣していた様子。関鉄の現業さんとか、正直私が25年くらい前に乗った時は制服のシャツのボタンもまともに留めず、ペッタンコの靴を履いて細いメガネをかけたチンピラみたいなおっさんばっかでねえ(笑)。そんなおっさん車掌が、車内で騒いでいた通学中の地元の高校生を平気で怒鳴り上げるという都会っ子のアタクシには信じられないような光景を繰り広げていたものですw
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祝・共催・イベントデー

2016年11月06日 20時11分31秒 | つくばEX・関東鉄道

(今日は共催イベントデー@つくばエクスプレス守谷駅)

両社のイベント共催を記念した、TX-2000系のヘッドマーク付き編成。我々親子がつくばエクスプレスのスタンプを押印しに行ったこの日は、朝から夕方まで物凄くきれいに晴れ渡った最近では珍しい一日でしたが、この日はつくばエクスプレスと関東鉄道の双方で同時に車両基地の公開を行うという合同イベントが開催されておりました。といかにも偶然を装っていますが、ある程度のネタの下調べはした上でTXのスタンプを押しに来たのは子どもには内緒(笑)。

 

イベントとなれば久し振りに関鉄なんかに乗ってみたく、常総線に乗って守谷から水海道へ。前述した柿岡の地磁気観測所問題を、関東鉄道は「そもそも電化しない」という潔い結論でクリアしており、運行はディーゼルカーで行われている事はご存知の通り。ラッシュ時には1時間に10本の高頻度運転を行う取手~水海道間は、沿線のベッドタウン化が進んだ昭和50年代に複線化されており、関東圏でも珍しい架線のない複線区間を見る事が出来ます。複線の非電化ってなんか北海道っぽいやね。そして関東鉄道と言えばオレンジとベージュのイメージだったんだけど、新守谷の先ですれ違った編成はブルーを基調にした新塗装であった。どうでもいいが新守谷って流し聞きすると「シン・ゴジラ」に聞こえるな。

  

ちょっといつ以来だか覚えてないくらい久々の常総線に揺られ、車両基地への無料バスが出る水海道駅へ。故あってこの辺り、車ではそれこそ何回も来た事ありますけど、鉄道で来るのはいつ以来か。とにかく駅前の魚民が主張し過ぎる閑散とした駅前には東京駅行きの高速バスが停車していたのだが、TXに客を取られて慢性的な赤字続きのため今年いっぱいで廃止になるんだとか(高速バス【岩井・水海道・守谷~東京駅線】運行終了について)。駅のホームの広告看板類は何というか昔日のまま。市外局番が5ケタだった時代って結構前なんじゃないだろうか。昭和やね。

  

下館行きが有効長の長い水海道のホームに入って来ました。さっき守谷から乗ってきた列車も単行運転でしたけど、以前に比べると本数は増えてるけど編成両数が減ってませんかねえ。昔は水海道以南で短くても2~3両はくっついていたような覚えがあるんだけど。TXが開通して乗客が取手と守谷に分散したせいもあって、短区間需要の増加と乗車機会の確保を狙った短編成の高頻度運転に徹しているのでしょうね。


今回のイベントの最大のポイントは、それぞれの車両基地(守谷・水海道)へ最寄駅からバスを出すだけでなく、双方の車両基地の間も30分ヘッドの無料シャトルバスで結ぶ事で、参加者は2つの会場を回遊する事が出来るというスペシャルに贅沢なイベントでもありました。折角なんで両方見たかったんだけど、色々スタンプ押して守谷に着いたのが14時前…さすがに2会場を回る事は難しそうですな。水海道駅のサンルートホテルの前からお迎えバスに乗っていざ車両基地へ!関鉄バスの昔の日本ダイナースクラブの勝負服(ex.レッツゴーターキン)みたいなカラーリングが相変わらず渋いぜ!

それにしてもこないだは新京成、今回は関鉄と自分に馴染みのない路線の公開ばっか行ってるなあ…
12月に東武の南栗橋の公開とかも行ってみたいとか思っている今日この頃w
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近未来鉄道TX

2016年11月05日 22時02分16秒 | つくばEX・関東鉄道

(アトリウム@首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス秋葉原駅)

さて、わざわざ御茶ノ水から歩いて来たのは首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス(TX)の秋葉原駅。途中の富士そばでメシ食って親子ともども準備は万端である。今回のスタンプラリーでは、このつくばエクスプレスのチェックポイント、1つ目の三郷中央はいいとして2つ目がみらい平だって…神奈川県民からしたらTXなんてただでさえ遠いのに茨城県かよ…まあこんな事でもなければ基本的にTXなんか乗る機会ないから行きますけどね…実際乗るの去年のこの企画以来だし…それにしても秋葉原からチェックポイントのみらい平まで運賃表見たら片道930円だって!高けえ!高けえぞ藤井一子!(夏・体験物語)。


秋葉原の地下ホームで出発を待つTX-2000型。保安装置に自動運転(ATO)とホームドア対応の定位置停止装置(TASC)システムを採用し、全線ワンマンにもかかわらず最高130km/hの速度を保持するのがつくばエクスプレス。嘴のように尖ったフロントマスクは精悍な印象で、いかにも高速で獲物を駆る猛禽類のようでもある。車両一つ見ても、このテクノロジーの塊のような近未来感がTXの魅力だと思いますね。


八潮駅に進入するTX2000系の区間快速つくば行。茨城県に鉄道を通す場合、必ず問題になって来るのが石岡市(旧八郷町)の「柿岡地磁気観測所」への対策です。電車を走らせるための強い直流の電圧が、観測している地球の磁場=地磁気の観測データに影響を与えるという理由から、法律により半径35km以内には直流電化の鉄道を作る事は出来ません。よってTXも秋葉原から守谷を直流電化、守谷から先のつくばまでを交流電化とし、交流/直流に対応したデュアルモードの車両を投入しています。


このTX-2000系は秋葉原~つくばまでの全線をカバーするTXの主力車両。関東にいると新幹線以外ではなかなか交流電化を走る車両などを見る事もなくなってしまったんだけど、屋根上の複雑な配線と碍子の多さがいかにも交直車らしいですよね。この車両は日立製作所の製造ですが、TXは茨城県が多くを出資する三セク鉄道。茨城県が創業地のお膝元企業である日立製作所への発注は自然の流れだったのでしょう。


こちらは三郷中央駅で撮影した直流区間専用のTX-1000系。秋葉原~守谷間の限定運用で、日立製作所が設計をしたものを川崎重工が製造した形を取っています。まあ車両全部を日立が受注しちゃうと談合だなんだと言われる可能性もない事はないだろうからねえ…TXも全部が交直車であるのがベストなんでしょうが、守谷を境にしたつくば方面への輸送力と、車両の製造やメンテのコストを考えるとこのくらいがバランスのいいところなのかな。常磐線とか、高額な交直流車両が増備出来なかったのか、国鉄末期までEF80(交直流機関車)が牽引する旧型客車列車が上野から走ってましたからね。午後に我孫子の駅で成田線を待っていると来るの。平行きだったかな。


それにしてもTXは速い。北千住を出たと思ったらあっという間に江戸川を渡り、三郷~流山~柏市の北部を疾風の如く走り抜けると、利根川沿いの広大な田園地帯を飛び越えて茨城県に向かって行く。この辺りたぶん布施弁天の裏あたりから見える景色と同じ場所だと思われますが、布施弁天とか言ってもローカルすぎて何のこっちゃいなって感じか。以前我孫子に祖父母が住んでいた頃、布施弁天の隣にあったあけぼの山公園にはよく遊びに来ていたんだよね。今でもあるのかな、あの公園のアスレチック。


TX最後のスタンプチェックポイント・みらい平駅は掘割構造の下にあるホーム。コンクリートスラブの軌道に整然と並ぶPC枕木と、これまた整然と並ぶホームドア。頭上にはシンメトリーに配された架線が吊架され、寸分の隙もないシステマティックな美が作られています。さすがに守谷より向こうの駅はあんまり人もいないやね。みらい平駅の所在地である茨城県つくばみらい市は筑波郡にあった谷和原村と伊奈町の合併によって誕生した市ですけど、当初は近接する水海道市を含め「旧郡名の【つくば】+(【み】つかいどう・やわ【ら】・【い】な)=つくばみらい市」として発足するはずだったと聞きます。結局は合併の主導権を取れなかった水海道が話を蹴っ飛ばして降りてしまったらしいが。


みらい平の掘割区間を進むTX-2000系。駅の周りは住宅街っぽかったけど、秋葉原まで区間快速で40分なら堂々の通勤圏内か。国鉄時代、東京を中心とした首都圏五方面の中でも混雑の解消がなかなか図れなかった常磐線のバイパスルートとして、当初の計画では「常磐新線」と言われていたのを覚えている。常磐新線の建設計画は、「EXPO’85」ことつくばの科学万博を機に一気に加速した感じがありましたね。万博以降の筑波研究学園都市構想とセットになっていたんではなかったか。

「つくば博」と言うのは我々世代においては団塊の世代の方における大阪万博(EXPO’70)くらいのエポックメイキングな出来事だったように思いますね。子供の読む雑誌やテレビ番組で散々取り上げられ、万博の開催期間では週末になるとほうぼうの子供会で「つくば博に行く」バスツアーみたいなのが組まれていたのを思い出す。盆踊りでは「科学万博音頭」が鳴り響き、夏休み明けは男子が口を揃えて「C&Cパビリオン館」の話をし、女子はお土産の「コスモ星丸」のカチューシャを付けて楽しそうに9月の学校に通って来たあの頃、つくば博から見た21世紀の姿と言うのはどういう姿をしていたのだろうか。
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東京、よりみちか

2016年11月04日 22時43分21秒 | 大手私鉄(関東)

(チェックポイント到達@後楽園駅)

東京メトロのスタンプチェックポイントは国会議事堂前駅と後楽園駅の2ヵ所。渋谷から銀座線に乗り、赤坂見附の駅で丸ノ内線へお乗り換え。まずは国会議事堂前駅をササッと済まそうとしたのだが、スタンプ自体は国会議事堂の駅と言うよりもむしろ隣接する溜池山王の駅の改札の至近に置かれていて噴飯モノであった。そんだったら最初っからスタンプ置く駅を溜池山王にしとけや…東京の地下鉄と言うのは路線図上の乗換駅でも全然近くないケースってのはよくある事だが、アップダウン含めて国会議事堂の地下を10分以上歩かされてしまった。こうなると溜池山王から後楽園は南北線一択、さっさと押印してメトロのスタンプを回収。次の路線に向けて転戦するのみである。


最初は北千住へ出ようとしたのだが、気が変わってお茶の水で丸ノ内線を降りる。子供と歩く外堀通り、丸ノ内線の名所(?)である神田川渡渉の明かり区間。近年の大深度地下に掘られた地下鉄ではなく、土被りの浅いところを走っているのが昭和初期に開削された路線らしさと思います。このアングルで、上を中央快速線と総武線が行き交っている挿絵の絵本を幼稚園の頃に見た事を思い出したんだけど、首都の交通を凝縮したような風景としてこの場所が選ばれたのも分からんでもないよなあ。


ポカポカした日差しの中を、昌平橋の交差点まで出て来ました。秋葉原の駅はもう目と鼻の先ですが、交差点の上空を高い位置でオーバークロスするのが総武本線の架道橋。この異様に存在感を放つ架道橋の正式名称は「松住町架道橋」と言いまして、松住町とはこの辺りの旧町名なんだそうである。神社にある太鼓橋のような優美な曲線を描くダブルアーチをトラスで結んだ「タイドアーチ」というスタイルのこの橋の架設は昭和7年。都内だと隅田川にかかる白髭橋とか千住大橋が同じダブルのタイドアーチなんだけど、特に白髭橋は夜が良くって、スカイツリーとの組み合わせの夜景写真とかたいそうキレイでテンション上がるよね。とりあえず「白髭橋 夜景」でググってみてよって感じ…ちなみに白髭橋は昼間に見ると某回転寿司屋の「穴子の一本握り」に見えない事もない(笑)。


あいも変わらず無駄話ばかりをして何かと話が進まないお得意のスタイルになって来た。人ごみをかき分けて辿り着いた秋葉原駅前。ある意味日本文化の新たな中核を担う電脳都市でありますが、いわゆるヲタ的なお店が増えて昔のようないかがわしさが別の方向に化けているような気がしないでもない。この位置に立っていると昔はサトームセンの「素敵なサムシング♪」がエンリピで流れて来て気が狂いそうになったものだ。今やサトームセンもヤマダ電機に吸収されて跡形もないし、電気のナカウラとか覚えてます?チョウチンアンコウのマークがついてたのよ。

あと、この位置に立ってると「DOS-V買うならマハーポーシャ!」とか呼び掛けられませんでしたか?(笑)。
まだ地下鉄サリン事件の起こる前の話だったけどな。

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変わり行く街

2016年11月03日 22時30分42秒 | 大手私鉄(関東)

(フロム・ヒカリエ@地下鉄渋谷駅俯瞰)

週中休みの文化の日は、乾いた風に日本の国旗も気持ち良くなびく秋晴れの旗日。そうなりますと我が家の男性陣布団から起きるのも早くて、着替えを済ませて出陣態勢を整える。とにかく今の我が家の課題と言うのは何はなくとも私鉄10社スタンプラリー。まずは本日東京メトロのスタンプをやっつけるために横浜から東横線で渋谷に出て来ました。渋谷のメトロと言えば、地下鉄なのにビルの3階から出発する銀座線の風景。大学生の頃は東急文化会館だったはずの場所に建っている渋谷ヒカリエから眺める。


閉館となった東急百貨店東横店の3階から出て来る新1000系。ちょっと前までは01系で統一されていた銀座線の車両、平成24年から後継の新車である新1000系の導入が開始されましたが、とにかく最近の「置き換え」というものは有無を言わさず一気にやってしまうものらしく、過渡期が短くてとにかくペースが速い。最初のうちは新車が来ると「オッ」と思ったものがいつの間にか新車だらけになって今度は01系が懐かしくなってくる…と言う何度も聞いたような話。それにしても「ハゲどっと来い」の看板のインパクトよw


ともあれこの新1000系ですけど、過去の車両たちをリスペクトし、デザインを踏襲している事もあってとてもよく渋谷の街に似合っていると思う。先代は色自体はもっとオレンジがかってたけど、車番の表記位置とか尾灯の位置とかブタ鼻のヘッドライトとかは忠実に先代のそれを思い起こさせる実に懐かしい仕上がりの素敵な車両である。一方職場を追われた01系は、改造されて熊本電気鉄道へ入線。これはこれで長年熊電で使われていた東急の青ガエル(先代の5000系)を引退に追い込んでおり、まったく渋谷を走っていた電車たちの悲喜こもごもでありますな。


変わり行く渋谷。渋谷駅周辺の再開発に伴い、現在の銀座線の渋谷駅を表参道方向に130m動かした上で、その部分に埼京線(湘南新宿ライン)の渋谷駅を持って来るという壮大な計画が進んでいるそうな。確かに埼京線の渋谷駅は渋谷のようでいて渋谷でない、WINS渋谷に行くのにはいいけどねと言うような微妙な場所にあるからなあ(笑)。移設後のメトロ渋谷駅は現在の渋谷駅東口の直上に移動するので、銀座線が渋谷の街を大きく眺めながら悠然と出発するというシーンは過去のものとなりそうです。
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