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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

あれから時は流れ

2016年11月19日 22時23分29秒 | 小湊鐡道

(残り柿@小湊鉄道)

去年の今頃に撮影した、残り柿の小湊鉄道。確か入院明けでぶらりと遊びに行ったのであった。そろそろ小湊の沿線では銀杏が色づき始める時期ではないだろうか…そう思うとあの入院から1年か。季節の移ろいは早い。あれからすっぱり禁煙してるんだが、意外と続いてるなあ。

デンシャにカメラが向けられるのも、健康あってのモノダネである。自戒、自戒。
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錦秋の相武台

2016年11月18日 21時53分17秒 | 小田急電鉄

(午後の上りのLSE@相模川橋梁)

定番の相模川橋梁。厚木駅のホームから狙いますが、以前と違って橋とホームの間に圏央道の高架が架かっているため晴れの日は影が差すため撮りにくくなりました。トラスの影もありますので、撮影するのは薄曇りの日が無難かなあと思ったりもします。ただ、冬の角度の低い朝日に染まる朝の上りさがみとか狙ってみたいのもある。右側でAEONの看板が主張してしまうのは、それが厚木の街っぽいと諦めましょうw


秋の木漏れ日の中、色づく街路樹を背に相武台の坂を降りるLSE。小田急随一の桜の名撮影地・座間のお立ち台のすぐ近くなのですが…残念ながら座間の擁壁上のお立ち台は現在大人の身長をはるかに超える金網のバリケードが張り巡らされております。まあ脚立で金網を越せば撮れない事もないんだけど、名撮影地を「そうしちゃう」という辺りに小田急の「撮り鉄お断り」的な無言の意思を感じてあまり撮る気にはなれません。まあシーズンの土日は柵の中に平気で三脚突っ込んだり乱入する連中も多かったから仕方ないんだろうね。来年が桜バックでLSEを撮る最後のシーズンだと思うんだけど、座間桜との取り合わせは夢に終わりそうです。
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夜のダルマ市

2016年11月16日 22時42分27秒 | 京浜急行

(傾きダルマ@能見台駅)

先週の土曜日に、京急の800形のうち1編成がデビュー当時のカラーリング(窓回り白帯)にして出場して来ました。2年前の2000形と同様の、いわゆる最近流行りのリバイバルカラー。出場した翌日から普通列車の運用に入っているとの事だったのでどっかで捕まえられればと思っていたんだけど、ちょうど夕方の下り浦賀行きに入っているところを能見台でキャッチ。能見台の駅はカントがきつすぎて後ろが入らなかったのが誤算w


エアポート急行が中心となる2000形の時と違って、普通運用の800形は退避も多い事から追い掛け回す事も可能。能見台が消化不良だったんで後続の快特に乗って京急大津まで先回り。フツーのお客さんからしたら「窓回りが白くなったからって何が変わるんだ」とお思いでしょうが、窓回りを白窓にしただけでノーブルな感じになるから不思議。


上大岡の4番で快特・回送・エア急と3本に抜かれて10分待ちのリバイバルダルマ。出場5日目なので塗装がめちゃくちゃピカピカで、蛍光灯の光の下ではかえって撮りづらいな(笑)。リバイバルカラーと言われるとホイホイ撮りに行ってしまうのもこちらを見透かされているようで悔しいのだが、正直ヘッドマークはいらんかったかも。


最後は南太田退避で締め。台車と床下機器もピッカピカです。今回リバイバルカラーでにわかに注目を集めた京急の800形ですが、2000形同様リバイバルカラーが始まったと言う事は最後の思い出作りみたいなもんで、車種としての淘汰も始まっている事の裏返しなんですよね。南太田の中線を落成したばかりの新1000形の1600番台(6連)が走って行きましたが、6両編成が新造されるたびに800形は古い型番から順番に廃車になっているので、この愛らしい姿を見る事もそう長くはないんでしょう。今さら4連に改造して大師線行きとかもなさそうなんで、落ちる時は結構あっという間のような気がするな。
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1年半のカウントダウン

2016年11月12日 19時06分29秒 | 小田急電鉄

(モーニングシャワーを浴びながら@座間6号踏切)

朝の光を浴びて、座間ストレートを駆けて行くLSEさがみ。ここんところようやく天気も安定して来たんで、ちょっとの時間でも撮影が捗ります。ここでは話題にしてませんでしたけど、とうとう小田急も新型ロマンスカー(70000系)の導入を決定しましたね。個人的にはそろそろ後継の展望車を…と言い続けてだいぶ経ちましたので、ようやっとか!と言う気持ちなのだけれども、新型ロマンスカーの導入が決まったと言う事は、同時に7000系LSEが置き換えの対象となると言う訳ですよ。2018年春とか言われてますから、まだ1年半ありますけどね。


西丹沢の山並みをバックに。まあ前々からそれなりに撮り貯めてはいましたけれども、最近はLSEの去り行く姿をコツコツ集めるのが休みの日の習わし。引退前の1~2ヶ月とかどうせまともに撮れないんだろうからねえ。SE車から続くオレンジバーミリオンにホワイトとシルバーのラインと言う伝統の塗装、新しいロマンスカーに継承されるのかどうか分かりませんが、計画書を見るとさすがにこのデザインをそのまま踏襲する事はなさそう。


足柄平野を駆け抜けて。側面がちょっと来てないですが、お昼前のトップライトなので仕方なし。ここは春の菜の花畑で有名な東栢山のストレート。もうちょっと寒くなって空気がヌケてくれば、朝のイッパコで逆サイから富士山バック狙うか!と思ったら最近のイッパコは「はこね81号」と昔の臨時列車扱いみたいな付番になっているのであった。遊園管内出身者とすると「1はこ」の名前を降ろしたのは寂しいもんがある。


午後の日差しを浴びて秦野の大カーブを駆ける。後継の展望車である70000系は20mボギー車の7連で、ロマンスカーとして定義されるべきスペックである「連接車・11連」の構造ではないらしいのがこれまた寂しい話。まあ連接台車は故障も多いらしいし、メンテ考えたらデザインはともかく車両の制御関係はMSEとかに準拠するのでしょうね。LSEの先頭車16m、中間車12mという細切れの編成は、カーブで紡ぐそのフォルムの優美さも特筆すべきポイントだと思うのですがいかがでありましょうか。
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鉄路の輝き

2016年11月11日 22時59分03秒 | つくばEX・関東鉄道

(記憶に残す、語り継ぐ@水海道乗務区)

乗務員の詰め所である水海道乗務区の2階では、普段はおそらく休憩所になっているスペースを使って平成27年豪雨に関する写真展が開催されていました。旧石下町の鬼怒川の決壊により、常総市内の大部分を襲った大洪水。この地域は昭和61年にも鬼怒川の東を流れる小貝川の決壊による大洪水があった事を記憶しており、度々の水害に悩まされる地域でもあります。太古の昔には、霞ヶ浦から現在の下妻あたりまでが鹿島灘から続く入り江だったそうで、現在の筑波山の西麓は江戸時代以前は元々が利根・鬼怒・小貝川の大きな氾濫原となっていた事からも、地政学上でもひょっとしたら洪水の起きやすい地域なのかもしれません。今でも三妻付近の小貝川には「道仙田」と言われる三日月湖が残っていて、この辺りで川が大きく蛇行していた事の証拠が残っていますよね。


まずは平成27年9月豪雨による常総線の被害を学んでみる。冠水被害は北は下妻市境の宗道駅付近から、南はここ水海道車両基地を超え、つくばみらい市寺畑地区までの総延長17.4kmに及びました。R294バイパスと水海道市街に向かう旧道の分岐する少し南側あたりまでって事かな。程度の差はあれど、駅で7つ分と車両基地が水没してしまったという被災範囲の大きさに驚くとともに、皮肉にも鬼怒川の東側の常総市の部分だけが市境に沿ったようにすっぽりと冠水した事が分かります。

  

常総線の被害状況としては、主に道床(バラスト)の流出と軌道変位(レールのゆがみ)、それと冠水による信号ケーブルや駅舎他建物施設の電気設備の被害が大きかったようです。関東鉄道がこの水害で復旧に要した費用は概算で5億円だとか…多いか少ないか評価の分かれるところだと思うんだけれど、自分は聞いた瞬間は正直に言うと「意外と少ないんだな」と思いましたけどね。もっと甚大な被害額になっているかと思ったので。


ここ、水海道車両基地も9月10日の決壊の翌日早朝からジワジワと浸水し始め、すっぽりと泥水に覆われてしまいました。最大60cmの冠水だったという話で、車両基地に併設された全線の運転指令室(CTC)の設備関係がやられてしまったそうな。当日は既に雨量規制のため運転を抑止していた常総線ですが、堤防の決壊の報を聞いた関鉄職員は一丸となってこの車両基地に収容されていた車両を片っ端から守谷方面の高台に移動させたため、車両の被害は最小限に食い止められたんだって。小貝川の洪水を覚えていた職員が下した判断が功を奏したとの事なんだが、つくづく災害と言うものは記憶を風化させてはいけないものなんだと思う。


決壊翌日、平成27年9月11日午前11時頃の水海道車両基地付近を上空から撮影した写真(国土地理院HPより)。泥水に飲まれた車両基地が見えます。ここまでの被害を受けたものの、洪水から一週間で取手~水海道・下妻~下館が暫定復旧。広範囲に渡った被災区間も約一か月で復旧に漕ぎ着けたというのも関鉄職員の奮闘努力の末でありましょう。地方がいくら車社会だとは言え、東京への通勤圏内を走る常総線が稼働するか否かは地域の交通と流動に大きな影響を与えたことは想像に難くありません。


訪問した時間が遅かったせいもあり、色々と見たいものはあったんだけど時間は既に午後3時。公開終了のお時間です。時間を過ぎてもなお、名残惜しげにカメラを向ける参加者たちの中に、晴天の下のキハ四並びに感動して写真撮りながら涙ぐんでるおっちゃんがいた。隣にいた私たち親子に向かっての話なのかどうか定かではなかったんだけど…独り言のようなそのおっちゃんの話を聞いたら、どうやら自宅が浸水した被災者の方であった。

泥水の中から立ち上がった我が街の鉄道の姿。再び光を取り戻したレールに、自身の復興を重ね合わせていたのかも。
心の中は推し量るべくもありませんが、こちらもグッと来るものがありました。
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