映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「深海のYrr(イール)上・中・下」 フランク・シェッツイング 

2008年05月12日 | 本(SF・ファンタジー)

「深海のYrr(イール)上・中・下」 フランク・シェッツイング ハヤカワ文庫

一巻が550ページ前後の上・中・下3巻。
かなりのボリュームの本です。
人類滅亡の危機。海洋科学SF超スペクタクル。
ゴールデンウィーク中に読むつもりが、少しはみだして読了。
いや~、すごかったです。

発端は、ノルウェー海で発見されたゴカイ。
ゴカイって?
まあ、いろいろ種類はあるそうなんですが、海底で、うにょうにょ動く毛虫みたいなヤツ。
それが何百万と海底を覆い尽くしている・・・。
考えただけで気色悪いですね。
これが、今、新燃料として注目されているメタンハイグレードの層を掘り続けている。
このことはやがてとてつもない災害をもたらします。
カナダ沖では、突然クジラやオルカが船や人を襲い始める。
フランスではロブスターに潜む病原体が猛威を振るう。

やがてヨーロッパ北部を大規模な津波が襲い、都市は壊滅状態。
アメリカでは奇怪なカニの大群が上陸。ここでも、謎の病原体が広がる。

これら、一気に起こった災害の原因を探るため、関連分野の科学者たちが召集されます。
あくまでも中東のテロリストの陰謀、と主張する軍部。
科学者たちは、そのような可能性はないと断言し、調査を進めるのですが・・・。
そこで出た結論は、深海の未知の知的生命体の存在。
ここで、彼らを「イール」と呼ぶことにする。

私はこのくだりで、一瞬、しらけました。
せっかくここまで、ワクワクと話が進んだのに、やっぱりそれなのか・・・?!
見えないものは怖ろしいけれど、姿を現したとたん、陳腐なものに早変わり、というのはよくあるパターンです。
なにやら半魚人めいた姿が脳裏をよぎる・・・。

ところが、これがまた意外なことに、確かにいるその知的生命体は形を持たない。
海底でうす青く光る、不定形の生物なのです。
単細胞生物があるときは集合しあるときは分散し、
たとえば人の脳細胞が互いに信号を出し、情報を交換し合うようにして、思考。
人類の歴史よりはるか以前から、この地球で別の形で発達をとげてきた。
(・・・ここのくだりは詳しく書いてありますが、難しいところは適当に読み飛ばす。)
しかし、最近の人類によるひどい環境汚染に敵意を抱き、ついに牙をむいた、ということなのです。
この未知なる生命体とコンタクトをとる方法。
それは、なんと、はるかなる宇宙の未知なる生命体へ向けて発信していたメッセージと同じ方法。
う~む、この想定には思わずうなってしまいますね。
私たちのあこがれてやまない、未知なる知的生命体は、私たちのすぐ足元にいた。
最終巻では、終結した登場人物たちがすべて、ヘリ空母「インディペンデンス」に乗り込み、息もつけない大スペクタクルシーンに突入。

「ジョーズ」、「コンタクト」、「ディープ・インパクト」、「タイタニック」、・・・様々な映画が思い出されます。
この作品をハリウッドが放っておくはずがない。
すでに映画化の動きがあるそうで・・・。
楽しみなことではありますが、このボリュームを2時間あまりにするなら、ほとんどダイジェスト版みたいな薄っぺらい物になりそうな、いやな予感がします。

私が好きだったのは、クジラなどの生物学者アナワク。
彼は、イヌイットなのですが、その出自を恥じていました。
でも、父の葬儀のため、少年の頃から戻ったことのない故郷に帰り、
叔父の話を聞き、幼い頃なじんだ風景に触れるうちに
自らのアイデンティティを取り戻してゆくのです。
彼が取り戻した、長く自然と共に生きてきたイヌイットの心。
未知の生命体に対するにはこの心をもって当たれば良いのだ、と気づくアナワク。
このようなサイドストーリーも魅力です。

それにしても、あまりにもあっけなく人が死んでゆきます。
主要人物であろうとも、例外ではなくて、どんどん命を落とします。
果たして最後まで生き残るのは誰なのか。
女性司令官リーは何をたくらむのか。
人類の滅亡は阻止できるのか。
まあ、ゆっくりとお楽しみください。

満足度★★★★★


アメリカン・ドリームズ

2008年05月11日 | 映画(あ行)

(DVD)

これはもちろん、ヒュー・グラント狙いで見ました。
ところが、なんということでしょう、
全く無作為に借りて「チェイシング・リバティー」と2本続けてみた作品なのに、どちらも、マンディー・ムーアだ。
今まで、彼女が出た作品を見た覚えもないのに・・・。

さて、これは、超人気TV番組「アメリカン・ドリームズ」を中心に話が進みます。
日本で言えば「スター・誕生」みたいなものかな。
アイドルをめざす素人が参加し、視聴者が電話投票により勝者を決める。
勝ち抜きで、トップに立つのは誰か、という。

ヒュー・グラントはこの番組のホストで、視聴率を上げるために、ウケる出演者、ウケる演出にすべてをかけている。

優勝を狙うのは、
ウケのためには傷痍軍人の元カレも利用するというサリーと、
ユニークなダンスをするイラク人のオマール。
(実は彼は大統領暗殺の密命を受けたテロリスト!)
ここに出てくる大統領は、実はただの無能な人物で、なぜか大統領になってしまった・・・などという実にあてこすったような設定で、
その彼が、この番組の審査員として登場。

最後の最後に、この生放送の優勝決戦。
爆弾を持ったオマール。
壇上でプロポーズしようとする元カレにどうこたえる、サリー。
無線機をはずした大統領。
サリーと関係を持ってしまった司会者。
これらが錯綜し、大変なことに・・・。
さあ、どうなる・・・?!

・・・という、おかしくもスリルある作品。
まじめに見てはいけません。
笑い飛ばしましょう。

2006年/アメリカ/107分
監督:ポール・ウェイツ
出演:ヒュー・グラント、デニス・クエイド、マンディ・ムーア、ウィレム・デフォー


「密やかな結晶」 小川洋子 

2008年05月10日 | 本(その他)

「密やかな結晶」 小川洋子 講談社文庫

さて、これはちょっと難物ですよ。
とある島が舞台。
その島では「記憶狩り」というものが行われていて、
ときおり、あるものの記憶が島のすべての人の記憶から抜け落ちてしまう。

たとえば、鳥。
ある朝、突然に「鳥」についての記憶がなくなってしまう。
それは鳥がいなくなるのとは違うのです。
鳥は変わらずにそこにいるのに、人々の記憶の中から、鳥に関する部分が消え去ってしまう。
だからなにか生き物がいる、と思うだけで、
それがどんな風に空を飛ぶのか、どんな色をしているのか、どんな鳴き方をするのか、そして、なんという名前の鳥なのか、
そのようなことは興味の対象にもならない。
つまり、いないことと同じなのです。

そんな風に、時折、何かの消失が起こる。
ところが、中には特異体質の人がいて、その人に記憶の消失は起こらない。
しかし、そのような人物は、秘密警察によって捕らえられ、どこかへ連れ去られ戻ってこない。
一体誰が何の目的で、そんなことを行っているのか、それは一切語られないのです。
これは一見、ナチスドイツのユダヤ人狩りのような、巨大な権力の弾圧をたとえているようであり、
でも、その周辺を掠めつつ、もっと別のことを言おうとしているようにも思います。

こんな風に、一つまた一つと、何かが消滅していく。
主人公の「私」は、小説家なのですが、
その、編集者であるR氏が、記憶を持ち続けた人で、
彼女は、彼を家に匿い、秘密警察から守り通す決意をします。
日も当たらない小さな部屋に閉じ込められたも同然のR氏と、「私」の、
なにやらひめやかで、怪しくさえもある日常・・・。

しかしある日とうとう、「小説」が消失してしまうのです。
さまざまな消失に伴いどんどん空洞化していく私。
しかし、事態はそのような物体にとどまらず、ついには肉体にまで及んできます。
まずは左足。
足は変わらずそこにあるのに、ある日から急に、腰からのびているただのジャマな肉塊としか、認識できなくなってしまう。
しかし「私」はそのような出来事さえ、淡々と受け入れ、
他の肉体も少しずつ失っていっく。

人間の存在って、結局は肉体でなく「記憶」なんですね。
すべて消失した、「私」の肉体はちゃんとそこに横たわっているのに、それはもう、ただの人形と変わらない。
なにやらはがゆくもあり、悲しくもある、不思議なストーリーでありました。

中の、劇中劇ならぬ、小説中小説も、ちょっぴり隠微でありつつ、消失を歌っています。

満足度★★★★


チェイシング・リバティ

2008年05月08日 | 映画(た行)

(DVD)
これは、「ローマの休日」を下敷きに作られたロマンチック・コメディー。
アメリカ大統領の一人娘アナは、外出時にいつでも護衛官が付きまとうので、自由な恋愛もできない。
ある時サミットでプラハへ行ったおりに、ついに脱走を試みる。
脱走を手伝ってくれたのは英国人の若い男性、ベン。
ところが実は彼は護衛官の一人で、特命を受け、彼女に付き添って身をまもることを任務とされてしまった。
うまく脱走し、自由を得たと思いハメをはずすアナと、
しかたなくただの行きずれを装って同行するベン。
この2人の心が次第に近づいていって・・・というラブ・ストーリー。

ヴェニス・オーストリア・ベルリンと美しい風景と共に舞台は変わり、追跡者を交わし、要所で写真をパチリ。
まさに、「ローマの休日」なくしては成り立たないドラマのわけです。

あるときは、新婚を装い、二人一部屋で一夜を過ごさなければならなくなる。
アナはベンに好意を寄せるのですが、彼はもちろん任務とわきまえて、手が出せない。
こんな切なさが、なんとも良いではないですか。
他愛ないと、言うなかれ。
オンナノコはこういうのが好きなのです。
もとオンナノコのオバサンも好きです。

ちょっとむしゃくしゃして、気晴らしをしたいとき。
そういうときに、こういうのもいいですよ。
マシュー・グッド。
なんだかいいなあ。
頼りになりそうで。

「リバティ」は、護衛官たちがアナを呼ぶときの暗号名で、
原題を和訳すれば「リバティを追って」ってところでしょうか。

2004年/アメリカ/101分
監督:アンディ・カーフ
出演:マンディ・ムーア、マシュー・グッド、ジェレミー・ピヴェン、アナベラ・シオラ


ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

2008年05月06日 | 映画(さ行)

20世紀初頭カリフォルニア。
黙々と石油採掘をする男の姿。
それが、この主人公、ダニエル・デイ=ルイス演じるダニエル・プレインビューであります。
彼は、貪欲に石油の採掘が見込まれる土地を安く買占め、富と権力を得ていく。
この人物像が、なんとも強烈で、とにかく圧倒されっぱなし。
158分、怒涛のうちに過ぎてしまう、という感じでした。
金銭欲と権力欲のかたまり。
プライドが高く・・・。しかし誰も愛さないし、誰からも愛されない。
富を得れば得るほど、孤独が浮かび上がるように思います。
そんな彼が、最後に求めたのは肉親。
心の底では、やはりほんの切れ端でもいいから信頼とか、愛情とか、そういうものを欲していた。
だから、子供を育て、弟を受け入れた。
しかし、これらはやがて、裏切られてしまうわけです。
そこで、彼はついに壊れてしまう。

さて、このプレインビューと好一対なのがカリスマ牧師のイーライ。
牧師とはいいながら、彼も金銭欲、権力欲にまみれた俗物。
彼の教会では牧師の説教などというものではない、まさにショーが繰り広げられる。
プレインビューはすぐにも、イーライに自分と同じにおいをかぎつける。
この2人のやりとりが、またすさまじい。
まさしく、同類だからこその確執なのでしょう。
このために最後の狂った結末へと突き進む。

この作品に、息子H・Wの配置は重要ですね。
彼は、プレインビューが相手の信用を得るための道具の役割を担うのですが・・・。
彼は、事故前も事故後も、ひたすら父親の仕事をじっと見ている。
特に、事故後は余計に物言わぬ「目」となっている。
いつしか、プレインビューにはその視線がつらくなっていたのではないか。
まあ、映画ではそんなことは言っていませんが、想像してしまうのです。
それにしても、彼には良き伴侶も見つかって、
こんな環境でも、まっとうに育ったようで・・・、
オバサンは、ほっとしております・・・。

さて、この映画をさらに盛り立てているのは音楽。
ジョニー・グリーンウッドによるもの。
ボリュームが大きく不気味で不協和。
これが、不安を掻き立てる。
いつもながら、映画における音楽の力はすごいですが、ここではまた格別でした。

この映画を見た後の心境は、どう表現してよいものやら、
感動・・・というのともちょっと違う。
毒気に当てられて、放心状態。
そんな感じでしょうか。すごいもの見ちゃった・・・。
「映画力」あります。

2007年/アメリカ/158分
監督:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ダニエル・デイ=ルイス、ポール・ダノ、ケビン・J・オコナー、ディロン・フレイジャー
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」公式サイト


フル・モンティ

2008年05月05日 | 映画(は行)

(DVD)
フル・モンティは、「素っ裸」の意味。
イギリス北部、シェフィールド。
25年前は鉄鋼業で大いににぎわったけれど、今はすっかり寂れて失業者があふれている街。
やはり失業中のガズは、元手がいらなくて体が勝負の男性ストリップショーを思いつき、仲間を集める。
彼は離婚した妻との間の息子ネイサンの親権を手に入れるためにお金が必要。
友人のちょっぴりおデブのデイブ、
気取っていやみだけど、ダンスができる元上司、
気弱そうな元音楽隊、
歌も踊りもダメだけどアソコが立派なヤツ、
踊りはうまいけどもうトシの黒人。
・・・これらのポンコツメンバーをかきあつめて、ダンスの練習。
しかし問題は、踊れない・恥ずかしい・妻にいえない・・・・。

こういうダンスは、照れてはダメですね。
多少、デブであれ、年寄りであれ、貧弱な体であれ、
堂々と動けばそれらしくチャーミングに見えてくる。
要は、気持ちをどこで切り替え、割り切るか、なのですが、
この映画では、それぞれがもう失うものも失くし、開き直った時に、それができる。
財産とか、世間的な地位とか・・・これらのものも脱ぎ捨てて、まさに「素っ裸」になるわけです。

ガズの息子が、彼らのしようもない取り組みの、第一の理解者。
やっぱり、少年はいいなあ・・・。
デイブの奥さんがまた、デイブをきちんと愛していることが伝わって、これもよし。
ちょっと太目のこのデイブは、なんだかタカ&トシのタカさんに似た感じ。
親近感覚えてしまった。
そして、映画ラストのショー。
そうか、帽子はああして使うのだったんだ・・・。
飛び切り楽しくて、なんだか、私もこんなショーを生で見たくなっちゃったりして!

1997年/イギリス/93分
監督:ピーター・カッタネオ
出演:ロバート・カーライル、トム・ウィルキンソン、マーク・アディ、レスリー・シャープ


フィクサー

2008年05月04日 | 映画(は行)

社会派サスペンス。
ジョージ・クルーニーは結構地味な作品にも出ますよね。
正直ちょっと眠かった。
しかし、じっくり仕上げた、深い作品であります。

巨大農薬会社の薬害訴訟。
会社側の弁護を務めていたアーサーは、その会社のあまりの悪辣なやり方と、自分の立場のひずみのために、精神を病んでしまう。
弁護士は、あくまでも依頼主のために、多少のいんちきは目をつぶって依頼主に有利にことを進めなければならないわけです。
その同僚のマイケルが、ジョージ・クルーニー演じる主人公。
彼こそは、フィクサー(もみ消し屋)とよばれ、汚い仕事もお金のために引き受ける、そういう役割。
マイケルは自身の生活にも行き詰まり、厭世的な日々を送っていましたが、
同僚アーサーの死に疑問を持ち、事件の真相を探っていきます。
けれどもやはり彼は自分を「お金で動く人間」と規定してしまうのですが、一つの出来事が彼を変えます。

ドライブ途中で丘の上に美しい馬を見掛け、
気になって、車から降りて見に行くのですが、
その時、彼の車が爆発炎上。
事件の真相が表ざたになることを恐れた会社側の仕掛けたことでした。
このとき、彼の中の何かが変わるのです。
このシーンははじめの方に出てきますが、
それから時をさかのぼって事件の発端から順にストーリーがかたられ、再びそのシーンに戻ります。
同じシーンが二度出てくるのですが、それだけ重要なシーンということ。
ほんの偶然に、美しい馬を見かけ、その美しさに感じ入った人間らしい心のおかげで、自分は助かった。
お金だけが自分を動かすものではないのだ・・・という、自覚でしょうか。

会社側の法務担当、ティルダ・スウィントンも、迫力あります。
鏡に向かって、演説の練習をするところ、殺人の示唆をするところ、
・・・決して、鋼鉄の意志の女性ではない、
弱さを必死に取り繕っている感じがすごくリアルでした。
アカデミー賞最優秀助演女優賞、というのも、納得です。

2007年/アメリカ/120分
監督:トニー・ギルロイ
出演:ジョーニ・クルーニー、ティルダ・スウィントン、ドム・ウィルキンソン、シドニー・ポラック
「フィクサー」公式サイト


「パンツの面目ふんどしの沽券」 米原万里

2008年05月03日 | 本(エッセイ)
「パンツの面目ふんどしの沽券」 米原万里 ちくま書房

ユーモアにあふれた米原万理さんのエッセイはとても好きで、何冊か読んでいます。
急逝されてからもう一年以上になりますか・・・。
そのニュースを聞いた時にはとても残念な気がしたものですが。

さて、今回はもちろん、この、なにやら怪しげな題名に、思わず手に取ってしまったもの。
これは、一篇のエッセイがこの題名、というのではなくて、本当に丸々一冊、パンツとか、ふんどしの話なんですよ~。
しかし、あなどるなかれ、これってすごい。
彼女は翻訳家(ロシア語)なのでありますが、
この本は下手な学者も真っ青という感じの、すばらしい文化人類学の本になっています。
古今東西の「下ばき」について考察してある。
何しろ、おおっぴらに語られることのない内容だけに、へ~、とうならされる、まさにトリビアの宝庫でもありますし、
国民性を語る良い材料でもあったりして、非情に奥が深い。

たとえば、十字架にかけられた、キリスト。
絵画では良く見ますが、彼のはいているのは、何ぞや?
・・・パンツ?ふんどし?腰巻?
当時のその近辺の服装史などから、まじめに考察がなされます。
また、アダムとイブが股間を隠したというイチジクの葉。
これも絵画では良くあらわされているけれども、
一枚の葉が、なぜか落ちずに股間にはりついている。
これはなんと、彼女が幼稚園児のときの疑問で、
園児たちはみんなで、糊やらセメダインやら、セロテープで試してみたのだという。
この、自ら学ぶ姿勢が、大切なんですよね!!。
栴檀は双葉よりかんばし、と、これを実証しております。
これには実はちゃんと正解もあって、まあ、それは読んでご確認ください・・・。
(しかし、正解はぜんぜんつまらない。)

また、なかなか信じがたい、こんな話もあるのですが・・・、
ヨーロッパの男性は、かつて、下ばきなど、身に付けていなかったらしい、というのです。
ワイシャツの前身ごろの下端と後ろ身ごろの下端で股を覆う。
だから、今もワイシャツは必要以上に長くて、側面にスリットが入っている。
英国の正装として男性が着用する、チェックのスカート。
あの下は、下ばきをはかないのが正式なので、すっぽんぽんだとか・・・。
いやいや、退屈しません。
彼女は単にウワサでなく、きちんとそれぞれの原文などで確認し考察しているのです。
彼女が言うとうそに聞こえなくもないけど(!)、真実。
何事にも、好奇心をもって、あたるべし。

満足度★★★★★

暗い日曜日

2008年05月02日 | 映画(か行)

(DVD)

甘く切ない「暗い日曜日」の曲が胸に残ります。
時は1930年代末。
当時実際にこの曲を聞きながらの自殺者が続出。
イギリスでは、放送禁止にまでなったという。
でも、なんだかわかるような気がしてしまいました。
この曲には、けだるくそして甘く・・・、何か不思議な魅力がありますね。

ここに登場するのは、イロナという美しい女性。
彼女はレストランのオーナーであるラズロの恋人。
そして、このレストランのピアニストであり、この曲の作曲者であるアンドラーシュ。
この3人が、3人のまま愛人関係を続けていくことになる。
男性同士の間にもある不思議な友情・・・。
猟奇的な関係ではありながら、なぜかそれが美しく、貴重なもののように思えてしまうのは、この、不思議なイロナという女性の魅力のおかげのようです。
男性二人のどちらも切り捨てられない情熱。魔性。
でありながら、不思議な清楚感さえ漂う。
そして、女性から見ても美しい・・・。
「暗い日曜日」は、まさに、彼女のためにある曲なのです。

それと私が感動してしまったのは、このラズロっていうのが、泣きたくなるほどにいいヒトなんです・・・。
勝手にイロナにいいよっていたいけ好かないドイツ人の命を救う。
恋仇のアンドラーシュにも親身に力になる・・・。
ところで、彼はユダヤ人。
運命の皮肉、彼が命を救ったドイツ人ハンスは、やがて、ナチスの幹部となってブダペストに舞い戻ってくる。
とうぜんハンスは恩義があるので、ラズロを優遇するのですが、
案の定、最後の最後でとんでもない裏切りをする。
ドラマなんですねえ・・・。
この曲、この時代背景、そして、この微妙な男女の愛。
見事にマッチしている。
時代が、ただの舞台背景なのでなはいのです。
この時代だから成り立つストーリー。

そしてまた、最後の最後にある仕掛け。

これは極めて上質でありながら、観客へのサービスをも忘れない、まさに「ドラマ」の真髄であります。

1999/ドイツ=ハンガリー/115分
監督:ロルフ・シューベル
出演:エリカ・マロージャン、ステファノ・ディオニジ、ヨアヒム・クロール、ベン・ベッカー